第168話
その日、ヘイゼルは自分の自室のある、東の塔で研究に没頭していた
ガストンとは違う部屋に住んでいて、兄弟弟子とは言え仲はあまり良くなかった
いや、寧ろ競争して研究する、ライバルの様な関係だった
だから封印の研究も、別々の部屋で違う資料から研究していた
ここで共同で研究していたなら、結果は変わっていたかも知れない
その事を後悔して、後にガストンは宮廷魔導士の位を辞した
それに反発して、ヘイゼルもまた、宮廷魔導士の位は拒絶していた
それなので、未だに宮廷魔導士の位は空位のままだった
ヘイゼルが自室で、書類を山の様に積んで読み耽っていると、ドアが激しく蹴り開かれた
そこには興奮した様子のガストンが居て、ヘイゼルにいきなり掴み掛かって来た
理由も分からずに、ヘイゼルはガストンに腕を掴まれて引っ張られた
「すぐに西の塔に向かうぞ」
「何だ、騒々しい
西の塔だと?
あそこは殿下が封印されているだろう」
「ああ
だからだ」
訳も分からずに、ヘイゼルはガストンに引き摺られる様に連れて行かれた。
「一体何だって言うんだ」
「アルベルトが
あの馬鹿もんが…」
「良いから落ち着け
兄者がそんなに慌てるなんて…」
「アルベルトが、息子を連れて塔に向かったんじゃ
あのままでは…」
「何だって!」
それを聞いて、ヘイゼルも急ぎ足になった。
既に方法はフェイト・スピナーから聞いていた。
関係する古文書も調べて、何とか生贄を捧げない方法を調べていたのだ。
しかし当の赤子が、アルベルトによって塔に連れて来られていた。
早まった事をしていなければ良いが…
ヘイゼルは走ったが、すぐに息切れをして歩みも遅れる。
普段の運動不足が、ここで歩みを遅らせていた。
ガストンも息切れを起こし、二人でゼイゼイ言いながら這う様に進む。
ここで誰かが見ていたら、非常に滑稽な光景だっただろう。
しかし塔は、厳重に封鎖されていて、その入り口以外には兵士も立っていなかった。
その事が逆に徒となった。
番兵や巡回の兵士が居れば、アルベルトが赤子を連れて来るのを阻止出来たかも知れない。
しかしアルフリートの事は秘密になっていたので、塔には兵士は配置されていなかったのだ。
二人はその事を後悔しながらも、必死になって塔へと急いで向かった。
そこは塔の1階にある、大きな部屋だった。
今、ヘイゼルが居室にしている部屋と対になる、大きな部屋が組まれていた。
そこには祭壇が設えられて、小さな赤子が息もしないで横たわって居た。
周囲には蝋燭が灯されて、寂しくない様に木製の玩具や家具も置かれていた
しかし赤子は生きておらず、生活感は無かった。
その祭壇の前に一人の若者が立っていて、赤子を天に向かって捧げる様に立っていた。
「止すんじゃ、アルベルト!
ゼイゼイ」
「そうじゃ、ゼイゼイ
ワシ等が、ゼイゼイ」
「必ず、ゼイゼイ
見付けるから、ゼイゼイ」
二人は息も絶え絶えで叫ぶと、入り口から必死に呼び掛けた。
しかしアルベルトは、哀しそうに微笑むと、静かに首を振った。
「すみません
でも、もう…
私は我慢が出来ません」
そう言うと、アルベルトは静かに腰の短刀を抜き放った。
「止せー!」
「止めるんじゃー!」
「女神様
今、あなた様の元へ、我が子を送ります」
アルベルトは滂沱と涙を流して、短刀を構える。
祈る様に構えると、叫びながらその短刀を、深々と赤子の胸に突き立てた。
「その代わり…
その代わりに、何卒、何卒!
アルフリート殿下をー!」
「止めろー!!!」
ズザッ!
「ふぎゃっ」
深々と短刀は突き刺さり、赤子は最期の一声を上げると、ぐったりと動かなくなった。
バシュッ!
不意に部屋の中に閃光が走り、一人の男が現れた。
「しまった!
遅かったか」
真っ赤なローブに身を包み、男は短く呟いた。
「どうしてくれるんじゃ!」
「そうじゃぞ」
二人は腰砕けになりながらも、必死に男に掴み掛かった。
「待ってください
私も他の方法を探していたんですよ」
「だからと言って
そもそも貴様があんな方法を示さなければ…」
「そうじゃ
何であんな邪法を教えた」
「それは…
いずれあなた方も行きついていたでしょう?」
エルリックは哀しそうに呟く。
「私はあなた達が行きつくと思って、それをしない様に言ったんですよ
それなのに…」
エルリックとガストン達が言い争っていると、アルベルトは静かに言った。
「もう…
遅いんです」
「う…」
「くそっ」
エルリックは吐き捨てる様に言うと、壁を殴った。
「良いから
早くこの子を使ってください
そうすればアルフリート殿下は…」
「しかし…」
「お願いします!
もう、ハルやエカテリーナの哀しむ顔は、見たくは無いんです」
二人は黙って頷くと、赤子の遺体を受け取った。
「これがあの日に起こった、出来事じゃ」
ヘイゼルは静かに息を吐くと、哀しそうに首を振った。
「そんな…」
父であるアルベルトが、自らの手で息子に止めを刺したのだ。
その心中は如何な物であっただろう。
「今のお前の感情は、どっちの感情が出ているんだろうか?」
「え?」
「封印されたアルフリート殿下なら、そう問題は無いじゃろう
しかしギルバートの方であるなら…」
「…」
「アルベルトに手渡された赤子の、心臓を取り出して血を捧げた
そうして邪法を施して、晴れてアルフリート殿下は息を吹き返した」
「キ・サ・マ・ラ・ガ…」
不意に空気が冷たくなり、ギルバートの雰囲気が変わった。
「ギル?」
アーネストが声を掛け、肩を揺すった。
しかしギルバートは答えず、代わりに急激に魔力が収束する気配が感じられた。
バシュッ!
「っ!
マズい!」
アーネストが魔力に弾かれて、肩に置いていた手から血が迸る。
アーネストは傷にも目もくれず、必死にギルバートを押さえようとした。
「キサマラガオレヲー!!」
どす黒い霧の様な魔力が、ギルバートの周りに集まって纏わり着く。
アーネストが何とか押さえようとするが、魔力に阻まれて近付けなかった。
「やはり出おったか…」
「ヘイゼル
本当に大丈夫か?」
「はい」
ヘイゼルはそう答えて頷くと、呪文を唱え始めた。
「いと深き深淵に住まう者よ
汝が魔力を持って、この者に宿りし封印を鎮めたまえ
カオス・シールド」
ヘイゼルが呪文の結句を唱えながら、右手を突き出した。
そこから青黒い魔力が迸り、ギルバートを包み込む。
黒い靄に包まれて立っていたギルバートを、更に青黒い光が包み込んだ。
「グ…ガ…」
ギルバートは苦しそうに呻くと、右腕を突き出しながら崩れた。
そのまま蹲っていると、青黒い光が徐々に小さくなって行く。
それに合わせて、黒い靄も小さくなって行った。
「ぐう…
これは…」
ヘイゼルも呻きながら、懸命に魔力を押さえつける。
その甲斐もあってか、暫くして魔力の靄は消えていた。
「ゼイゼイ、ハアハア」
「ヘイゼル、大丈夫か?」
「はあ、はひ
何とか…」
ヘイゼルは何とか椅子に座ると、肩で息をしていた。
ギルバートも跪いていたが、何とか意識を保てていた。
「ぐ…
私は…」
「危うかったな
封印に使われたギルバートの、魂に乗っ取られていたのだ」
「これが…
封印の暴走…」
「ああ
封印が堪えきれなくなると、封印に使われた魂が表に出て来る
それに乗っ取られては、非常に危険な状態になる」
「具体的にはどの様な?」
「分からん」
「はあ?」
「何も分からんのじゃ」
国王は両手を挙げて、お手上げだと示す。
「そもそもが旧魔導王国の記録に出ておった封印じゃ
それに無理矢理上書きをしたので、何が起こるかも分からない」
「分かっている事は、アルフリート殿下がギルバートに乗っ取られる事になる
それも恨みの感情に囚われて、破壊の衝動に駆られた危険な状態でな」
「そんな…」
アーネストは愕然としていたが、ヘイゼルはそんなアーネストの肩にに優しく手を置いて言った。
「だがな、封印を掛け直す手段は見付けた
じゃからそなたが側に居て、封印が解けそうになった時は、再び掛け直すのじゃ」
「エルリックも謝罪に現れてな
引き続き封印をどうにかする方法を探すと言ってくれておる
それが見付かるまでは、お前がどうにかするのじゃ」
「ボクが…」
アーネストはヘイゼルと国王を交互に見て、小さく呟く。
「しかし、ヘイゼル様も封印は掛け直せるのでは?」
「そうじゃな
しかしワシも年でな
見ての通り、1回でこの様じゃ」
ヘイゼルは魔力をほとんど使い果たして、力なく座っていた。
「お主の魔力なら、枯渇する事も無かろう」
「それも踏まえて、ギルバートの傍に居てやってくれんかのう」
二人に頼まれて、アーネストは頷く。
元より傍に居たくて宮廷魔導士になろうと思っていた。
それならば、この話は是非にでも受けるべきだった。
「分かりました
自信はありませんが、ボクで出来る事があるのなら、是非にでも」
「うむ
頼んだぞ」
国王に頼まれて、アーネストは決意した。
しかしそうなると、どういった話でその役職に就くかが問題になる。
「しかし、どうやって貴族達を納得させますか?」
「なあに
ヘイゼルの推薦があって、そなたが宮廷魔導士となる手筈になっておる
後は二人で、王都の学校を卒業すれば良い」
「そうすれば、王子は王太子として戴冠出来ます
あなたも宮廷魔導士となり、王太子の傍に着けます」
宰相もそう言って頷き、手筈が整っている事を告げた。
「では、後は学校ですね」
「ああ
既に編入の手続きは出来ておる
後は学校に…」
国王がそう言っているところに、ドアが激しくノックされた。
ゴンゴン!
「なんじゃ、騒々しい」
「ここへは誰も通すなと言っておっただろう」
国王と宰相が立ち上がり、ドアに向かって声を掛けた。
「申し訳ございません
しかし急ぎの要件がございまして」
「どうしたと言うのじゃ」
宰相がドアを開けると、そこに息を切らした兵士が立っていた。
「はい
先ずはフランドール殿がノルドの砦に迫り、明日にでも開戦しそうになっております」
「うむ
それは既に承知しておる
だからダガー将軍が向かっておるじゃろう」
「はい
しかし…」
兵士はここで言葉を切り、不安そうな顔をした。
「ダガー将軍が向かう先に、魔物の集団が現れました」
「何じゃと!」
「それは本当か?」
「はい
いえ、まだ確認が取れていませんが、早馬にて報せが届きました」
「ううむ
どうしたものか」
ダモンが反乱を企てているという報せは、フランドールから王都に届いていた。
それを阻止するべく、フランドールはダーナの軍を動かしていた。
しかし無断で動かしていたので、王都からそれを止める為にダガー将軍も軍を動かしていた。
出来る事なら、両軍がぶつかる前に仲裁に入る予定であった。
しかし王都からの指令が到着する前に、フランドールはノルドの砦に到着していた。
それだけでも問題なのに、さらに止めに向かった将軍の前に、魔物の集団が迫っていた。
「どういう事じゃ?
アーネストが聞いた話では、魔物は暫く来ないという話であっただろう」
「はい
魔物を率いていたフェイト・スピナーの、アモンという魔王がそう言っていました」
「魔王…
真に魔物を率いる魔物の王…
それならば何故?」
国王達にも理由は分からず、ただ魔物にどう備えるかが問題となった。
「今はそれよりも、魔物の群れをどうするかじゃな」
「ええ
将軍が押さえるにしても、どの様な規模なのか…」
「すぐに将軍に早馬を出せ
魔物の侵攻を阻止させるのだ」
「はい」
兵士は慌てて部屋を出て、早馬を出させに向かった。
「将軍の部隊だけで、どうにかなれば良いのだが」
「ううむ」
国王と宰相も、不安になっていた。
今までは散発的に、ゴブリンやコボルトの集団が攻めて来るだけであった。
それでも数が多くては、苦戦を強いられていた。
もしこれが、ダーナを攻めた様な本格的な魔物の群れであったら、例え将軍でも危ないだろう。
「ゴブリンの群れぐらいなら良いが…」
「オーガなどが来たら危険ですな」
「早急に魔物の詳細が知りたいな」
「しかし早馬でも3日は掛かります」
「将軍の元に、使い魔を使える者が居ればなあ」
使い魔を飛ばせば、1日で到着するであろう。
しかし使い魔を作れるだけの技量を持った魔術師は、ヘイゼル以外には数人しか居ない。
そして将軍の元には、その様な魔術師は居なかった。
「ボクが行って来ましょうか?」
アーネストがそう申し出たが、国王は渋い顔をして答えた。
「そうしたいのはやまやまだが、そなたはギルバートの傍に居るべきじゃ」
「そうじゃぞ」
「ならば、私もそこへ向かいます」
「なんじゃと!」
「それはいかん
危険ですぞ」
ギルバートがアーネストと、将軍の元へ向かうと進言した。
しかし宰相は危険と判断して、それを許可しなかった。
「私でしたら、一人でもオーガを倒せます」
「しかし…」
国王もその策には反対であった。
やっと再会出来た息子が、再び危険な場所に向かおうとしている。
親としては、そこへ向かわせるのは躊躇った。
「ですが、このままでは…」
「魔物の動向を探るのも苦労しそうですね」
再び話が戻り、一同は何か策が無いものかと頭を悩ます。
しかし結局は、良い策は思い付かなかった。
妥協案として、将軍の元には腕利きの魔術師が送られる事となった。
その魔術師が到着すれば、少なくとも今よりは情報が早く届くだろう。
「どうしても駄目ですか?」
「そうだな」
「王子の腕を使用しないワケではありませんが、危険です」
「それならば…
騎士団と模擬試合をさせてください
それで私の腕を見てください」
「それは…」
「良いじゃないか
それで王子が満足するのなら」
ヘイゼルの進言もあって、ギルバートは国王の前で騎士団と模擬試合をする事となった。
これで認められれば、将軍の居る前線への進軍が許可される。
国王は気が進まない様だったが、何とかそこまで話を進める事が出来た。
しかしアーネストは、そんなギルバートを心配していた。
慢心では無いのだろうが、まだ封印が暴走する可能性はあるのだ。
不安と期待を抱えながら、試合は翌日に行われる事となった。




