第161話
ベルモンド伯爵を捕縛してから、アーネストは騎士と共に地下へ向かった
そこは薄暗く照明も窓も無かった
空気の取り入れ口はあるのか、冷たく腐敗臭のする風が流れる
そこは地下牢になっており、臭いの元はそこから流れて来ていた
地下牢には照明になる物は無く、松明や蝋燭を置く燭台も無かった
アーネストは止む無く、照明用の呪文を唱える
それは火の魔法では無く、小さな明かりを出す光球を生み出す
光球は一行の前に浮き上がり、薄暗い地下牢を照らした
「アーネスト殿
もう少し明るく出来ませんか?」
「そうだなあ
でも、明るくしたら、見なくて良い物まで見えてしまいますよ」
「見なくて良い物?」
アーネストは無言で頷くと、光球を少し先の牢屋に向けた。
そこには死体があり、腐敗を始めていた。
「う…」
「こ、これは…」
そこに転がっていたのは、使用人と思われるボロボロの服を着た死体だった。
「恐らくは、逆らったか秘密を知ってしまったか
ここに閉じ込められて、そのまま死んだのでしょう」
臭いの元は、これだったのかと思われた。
しかしアーネストは、さらに奥を照らす。
「う…」
小さな呻き声が聞こえてきて、薄暗がりの奥に小さな人影が見えた。
「これは…」
「閉じ込められた子供ですね
上に居た子の様に、従順にはなれなかったのでしょう」
その子供も、薄い女性物の夜着を着ていた。
しかし逆らった為に、ここに閉じ込められたのだろう。
その顔には、殴られた痕が無数に残っていた。
「こんな子供を…」
「酷い…」
「まだまだありますよ
ほら…」
他の牢屋にも子供が居て、こちらは食事を抜かれていたのか、痩せて動けなくなっていた。
病に罹っているのか、目は濁っていて、細い腕や脚には掻きむしった痕が残っていた。
「この子も…」
「恐らく病に罹って、治すのも面倒になったんでしょう
そうして放っておかれた者は…」
一番奥の牢屋には、骨だけになった子供の亡骸があった。
「くっ」
「あの野郎…」
「急いで布を持って、この子達を丁重に弔ってください
それとこちらの子供達を、早く手当てしてください」
アーネストの指示に、後に従っていた兵士達は直ちに動いた。
先ずは二人が上に戻り、遺体を包む為の布を取りに向かった。
他の兵士達は、子供達を牢屋から運び出す。
その際に牢屋は、騎士達の手で壊された。
粗末な鉄で造られた柵は、騎士の剣でも十分に壊せた。
「これで全部だ
子供達は全員男の子で、3人が衰弱していて、2人は…」
「使用人は3人共既に…」
「残念だ…
他の者は?」
「使用人だったと思しき死体が5体、子供の方は3体だ
残念ながら、ほとんどが白骨化していて、身元は分からない」
「そうですか」
アーネストのは溜息を吐くと、悲しそうに頭を振った。
「死んだ者は残念ですが、生き残れた者には手厚い治療を施してください」
「はい
治療院に運ばせましたので、そこで施術が行われるでしょう」
兵士の言葉に、騎士も安堵の笑みを浮かべた。
「では、残るは…」
「それなんですが、結局ギルバートの行方は掴めていません」
「そう…ですな」
ベルモンド卿は騎士が殴り付けた為、運び出されて尋問されている。
しかしそこでも、大した情報は期待出来そうに無かった。
こうなると、後はガモンに直接聞くしか無かった。
「どうします?」
「そうだな…
先ずは陛下の元へ戻って、相談するしかないでしょう」
「ですな」
騎士もその答えを予想していた様で、後の捜索は兵士に任せて、この場は撤収する事にした。
既に準備は整っており、アーネストの言葉を待っていたのだ。
「では、さっそく帰還いたしましょう」
「ええ」
アーネストは騎士と共に、元来た道を戻って行った。
しかしその足は、失意に打ちひしがれてはおらず、何かを決意していた。
再び王城に戻り、騎士と共に謁見の間に向かった。
そこには国王ハルバートと、宰相しか居なかった。
「貴族や文官のみなさんは?」
「ああ
報告を聞くには、彼等は邪魔でしかないからな」
ハルバートは事も無げに言い、宰相は頭を抱えていた。
「国王様
そんな事を仰るから、反国王派が息巻くんですよ」
「そうですよ」
「報告の邪魔だとはいえ、それをそのまま言っては、また拗れますよ」
騎士も呆れながら、国王の言葉に苦言を呈した。
それを聞きながらも、ハルバートは笑って聞き流す。
この性格は、アルベルトやギルバートに近しい物があった。
貴族らしくない物言いや、身分の貴賤を拘らない性格が、民衆に好かれる王の資質でもあった。
「まあ、それはそうと
報告を聞かせてくれ」
「はあ…」
騎士は溜息を吐いて、国王に報告を始めた。
「では
ベルモンド卿の屋敷での報告をします」
「うむ」
「屋敷に於いては、無法者と思しき者も多数居ましたが、全て捕縛しました」
「それで?」
「ベルモンド卿でございますが、貴族の子息と思しき少年を…
そのう…」
「なんじゃ?」
「奴隷として侍らせていました」
「そうか」
騎士は言葉を選びながら、国王に報告をした。
しかし国王も、騎士の様子からどの様な奴隷であったか察して、それ以上は追及しなかった。
その代わり、子息達の今後については指示する。
「その子供達は酷く傷ついておる
早急に治療を施した後に、父母の元へ返してやれ」
「はい」
「それと…
今回の件はくれぐれも、箝口令を敷く様に
特にどういった事をされていたとかは、外部に漏れない様にするのだぞ」
「はい
特に注意して行います」
「他には?」
「はい
それと地下牢を発見しまして、そこには奴隷にされた子供と亡くなられた使用人が居ました」
「やはりそうか…」
「??」
「陛下はご存知でしたので?」
「ああ
予想はしていたが、確証が無くてな
今回の件で、問題のある貴族が炙り出されれば良いのだが」
ハルバートはそう言うと、沈痛の面持ちで呻いた。
「うーむ
他の者にも手を入れたいのだが、先ずはギルバートが見付からねば」
「はい
ベルモンド卿の元では、肝心のギルバート殿の行方までは分かりませんでした」
「それでなんですが」
「うん?
何か有るのか?」
アーネストが策が有ると申し出る。
「こうなれば、直接ガモンを捕まえたいところですが、難しいですよね」
「ああ」
「ですから、貴族街かその周辺で、ガモンの関係する施設はあるでしょうか?
「うん?」
ハルバートは困った顔をして、宰相の方を見る。
「ガモンの屋敷は商工区画にあります
貴族街にはそういった施設は…」
宰相も思い当たる施設は無く、どうしたものかと思案する。
そこで騎士の一人が意見を挟む。
「貴族街の商店はどうですか?
あそこはガモンの店ではありませんが、深くかかわっているのでは?」
「そうだな…
確かに倉庫もあるし、可能性は高いな」
確証は無かったが、ギルバートが貴族街に攫われたとすれば、そこに捕まっている可能性が高い。
捜索をするなら、先ずはそこからだろう。
「しかしガモンはどうする?」
「そこは警備兵にでも囲んでもらって、逃げられない様に見張ってください」
「なるほど
では商店の方には、引き続き騎士団に向かってもらおうか」
「はい」
「それと…
これは聞こえてはマズいので…」
アーネストは小声で話しますと合図して、騎士と宰相も集まって話を始める。
ひそひそと話していると、突然宰相が大声を上げた。
「それは酷いですよ
私が…
そんな…」
「ぷっ、くく…」
ハルバートも思わず、笑いを堪えている。
「しっ
静かにしてください
どこに間者が潜んで居るのか分かりません」
「しかし、私の口が臭いとは…」
「それぐらい意外な合言葉でなければ、簡単にバレるでしょ?」
「それはそうでしょうが…」
宰相は不満そうな顔をして、両手を挙げる。
「しかし、本当に仕掛けて来るのかのう?」
「ええ
恐らくは、陛下か宰相からの指示と称して、何らかの指示を出すでしょう
そうした事で、現場を混乱させようとしてきます」
「つまりその合言葉を使ってなら…」
「そういう事です」
アーネストは用心して、合言葉まで用意した。
これがあれば、変な指示が来ても偽物だとすぐに分かる。
「では、私はこれで」
「うむ
着いて早々で悪いが、頼んだぞ」
ハルバートに促されて、アーネストは頷いてから謁見の間を出た。
騎士達もそれに続いて退出して、直ちにアーネストを案内した。
その姿を見送りながら、宰相は小さく溜息を吐く。
「上手く行くでしょうか?」
「そうだな
しかしこの機会で、奴等を排除出来れば大きい
この国のこれからを考えれば、今が大事な時なのだろう」
ハルバートは重苦しく締め括り、顎髭を撫でた。
その顔は心配はしていたが、失敗するとは思っていなかった。
まだ会ってから数時間しか経っていないが、アルベルトからの報告もあって信頼していたからだ。
騎士達は先導して、アーネストを貴族街の商店へと案内する。
先に進んで店に入る者と、後方から合図で突入する者に別れて移動して、周囲を警戒する。
間もなくその場所に到着するという時に、その先から騒がしい声が聞こえた。
何かが起きたと察した一行は、急いで商店の方へと向かった。
時は少し遡り
アーネストがベルモンド卿を襲撃していた頃、ギルバートは困った事態に遭遇していた。
そこは薄暗くて汚い牢屋であったが、臭いさえ我慢すればそこまでは苦でも無かった。
それはギルバートが、兵士達と野営する事にも慣れていたからだろう。
並みの貴族の子女なら、卒倒していただろう。
しかし問題は、場所よりも別にあった。
下卑た笑いを浮かべた男達が、不気味な眼で見ていたからだ。
「ぐふふふ」
「堪んねえな、おい」
「ああ
早く味見がしてみたいぜ」
男達の言っている意味が分からず、ギルバートは困惑していた。
「なあ、早くやっちまおうぜ」
「そうだなあ
どうせ殺しちまうんだ」
「バレなきゃ大丈夫だろう」
男達の一人が発した言葉で、いよいよ我慢が出来なくなったのだろう。
男の一人が、牢屋の鍵を開けて入って来た。
「?」
「堪んねえな
この何も知らない無垢な顔が、数時間後にはどうなっているのか…」
「ぐへへへ」
男達の様子に、何かマズいとは理解は出来た。
理解は出来たので、何が何だか分からなかったが、ギルバートはいよいよ逃げ出す算段を始めた。
先ずは両腕を縛っている、布を引き千切る事にする。
「ふ…ううう…」
「ん?
無理だぜ
きつく縛ったからな」
「諦めて、オレ達と楽しもうぜ」
何が楽しもうだ
どうせ碌な事じゃ無いんだろう
その男達の下卑た笑いは、竜の背骨山脈で出会ったダブラスを思い出させた。
嫌悪感から、ギルバートの顔は歪む。
「ふううん」
ブチブチ!
「へ?」
「ああん?」
何かを引き千切る音に、後ろの男達は衣服を引き千切ったと興奮を隠せなかった。
しかし当の男が、間の抜けた声を上げたので首を傾げる。
「何だ?」
「ぐ、があ…」
ギルバートに迫っていた男が、苦悶の声を漏らしながら崩れ落ちる。
その後ろに、様子を見ようとした男の顔があったが、見事に拳がめり込んだ。
「ぐぶっ」
「何だ?
どうした?」
残る男達も異変に気付き、慌てて牢屋の入り口に向かった。
しかし相手が子供、しかも武器も持っていないと油断していたのだろう。
ナイフも持たずに素手で牢屋に近付く。
そこには白目を剥いた男が、二人倒れていた。
一人は鼻と歯が折れており、もう一人は股間を押さえて泡を吹いていた。
「こ、小僧!」
「よくも…」
「ふん!
はああっ」
男達が素手で、何の策も無く突っ込んで来たので、ギルバートは簡単に一蹴した。
一人目の鳩尾に一撃を加えて、そのままもう一人の男にぶつける。
「ぐふぇ」
「ごがあ」
そのまま壁に叩き付けて、二人共気を失わせた。
「ふん
手応えが無いな」
ギルバートはつまらなそうに呟くと、周囲の牢屋を眺めた。
ここに連れて来られた時に、牢屋には灯りは無かった。
それが男達が来てから、何を思ったのか蝋燭が灯されていた。
男達の話からも、ギルバートは殺される予定なので、見られても平気だと思ったのだろうか?
いや
本当は男達は、凌辱に苦しむ様を見て、自分達の欲望を満たそうとしていたのだ。
そうとは知らずに、ギルバートは男達の迂闊さを呆れていた。
しかし考えてみれば、男達が油断するのも当然だろう。
ギルバートの見た目は、背こそ少し伸びてはいたが、まだまだ子供の範疇であった。
それに貴族の子息とあって、その身なりも小綺麗で、見た目もそこそこ整っていた。
これが見た目がもう少し残念でも、男達は別の意味で興奮しただろう。
しかし見た目が良かった分、男達はギルバートが非力な少年と勘違いしていたのだ
「ここは…
どこかの貴族の屋敷なのか?」
ギルバートは周囲を見回して、牢屋の数を数える。
全部で6つあり、人が入っていたのはここだけであった。
しかし牢の中の地面には、血の跡が残っていた。
ここで何らかの暴力が振るわれて、その人物がどうなったのかは容易に想像が付いた。
「どうやら…
あのまま大人しくしていたら、オレもこうなっていたのか」
ギルバートはそう呟くと、蝋燭を手に階段を上がり始める。
男達が見張りだったのか、地上までは他には誰も居なかった。
突き当りのドアに近付いて、外の様子に聞き耳を立てる。
そこには多くの人が居るのか、騒がしい声が聞こえていた。
「これは弱ったな…」
ここまでは順調であったが、大勢を相手にしては、無事に出れるか怪しくなって来た。
それも外に居る声の主達が、自分を捕らえた勢力なのは間違いないだろう。
下品な笑い声が、扉越しに聞こえて来るからだ。
「さて、どうしたものか…」
ギルバートは改めて、男達が何か武器を持って来ていないか確認をした。
下に転がっている男達は、何も持っていなかった。
そうなると、見張っていた筈のこの場所には、何か武器になる物がある筈だ。
しかしドアの周りを調べても、あるのは棍棒代わりになるか怪しい棒切れぐらいだった。
男達はギルバートを、子供だと舐め切っていたのだ。
だから武器も持たずに、簡単に見張れると思っていたのだろう。
ギルバートは溜息を吐くと、棒切れを手に、ドアに近付いた。
この場を無事に逃げ出す為に、賭けに出る事にしたのだ。




