第16話
いよいよ物語の幕が上がる
今はまだ小さな存在だが
やがてそれは一つに寄り集まり、大きな流れとなる
魔物が現れ、人々を襲った
ダーナの街は門を堅く閉ざした
来る魔物との戦いを恐れ、住処に閉じこもる者も居た
代々守った土地を奪われまいと決意する者も居た
仇を討とうと剣を手にする者も居た
皆が魔物出現の報を受けて、恐れから浮足立っていた
「ギルバート
ギルバート」
「はい、父上」
領主館で領主アルベルト・ダーナ・クリサリスは息子であるギルバートを呼び付けた。
彼はダーナの現領主であり、このクリサリス教国国王の従弟に当たる。
帝国との戦争では、従卒として現国王ハルバート・インペリアル・クリサリスと共に戦場を駆け回っていた。
その縁で、ここダーナの領主を任される事となった。
ギルバート・クリサリスはその嫡男である。
アルベルトには妻は一人しかおらず、ギルバート以外の子供は長年授からず悩んでいた。
それが６年前に、ようやく待望の第二子をもうけた。
残念ながら女子で、継承権を持たない子であったが、夫妻は大いに喜んだ。
そして、その子供が産まれたのが春先で、母を取られたと少年はすっかりしょげていた。
勿論、妹は可愛いとは思うのだが、まだ母に甘えていたい年頃である、構ってもらえなくて寂しいと思うのは致し方ない。
「どこへ行っていた？」
「図書室です」
「アーネストか？」
「はい」
アルベルトは溜息を吐く。
まだ９歳だから遊びたい盛りなのは分かる。
それに、アーネストは宮廷魔術師の候補として、当代切っての魔導士等と呼ばれて期待されている。
当然頭も良くて、息子の友達としては申し分ない。
性格に問題はあるが。
ただ、出来得るなら、今は勉学よりも武術に専念して欲しかった。
図書室で勉強をするなとは言わないが、魔物が迫る今の状況では、次期領主として少しでも戦える様に訓練を積んで欲しいのだ。
だが、肝心のギルバート自身が戦いを嫌い、書物や領地経営に興味が行きがちなのだ。
「本を読むなとは言わん
経営学を学ぶなとも言わん
頼むから、もう少し剣の稽古に興味を持ってくれんか？」
「そうは仰られても、私の腕では案山子の腕一本も切れませんよ？」
「それはお前が訓練をしないからだろう」
アルベルトは溜息を吐く。
これで兄弟が居れば、そちらに剣を教えるのだが、生憎と世継ぎは一人しか居ない。
こんな事では、魔物に攻められて、自分にもしもの事があったらどうするのか？
「それに、今日の稽古はもう終わらせています」
「う、うむ
そうだが、訓練以外に自己で鍛錬をしようとは思わんのか？」
「ええ
そんな時間があるなら、食糧難の解決策や、此度の開拓の失敗分をどう取り戻すか考えませんと」
これもアーネストの影響で、先の襲撃による住民の避難で収穫量の不足分をどう補うのか？避難民の暮らしをどう立て直すのか？等と考えていた。
確かに、若い二人が色々と新しい案を考えてくれるのは助かるが、他にもっと重要な事があるだろうと言いたい。
「で？
何か妙案でもあるのか？」
「はい」
ギルバートは父からの言葉に笑顔になる。
母に甘えられない分、父に構われるのが嬉しいのだ。
「で、どんな案が浮かんだ？」
「まだ、具体的な数値が上げられていませんので、後ほど、アーネストがお持ちします」
「そうか」
「はい」
「なあ
ギルバート」
「はい」
「少し、余と勝負せんか？」
「父上とですか？」
「そうだ」
そう言うと、アルベルトは壁に飾った剣を持ち、バルコニーへ出た。
ギルバートも後に従う。
「今から余が構える
打ち込んで来なさい」
「え？」
「お前がどれほどのモノか、余が見てやろう」
「そんな！
父上には勝てませんよ！」
「安心しろ
余は構えるだけで反撃はしない」
ギルバートは悩み、剣を抜こうか考える。
「余に一太刀でも当てれたら、剣術の稽古の事、考えてやってもいい」
「本当ですか？」
その一言に、ギルバートは剣を抜く。
子供用なので、ダガーを少し大きくしたような小さな剣だ。
刃も危なくない様に潰してある。
まあ、潰してあっても重たい鉄製なので、打ち所が悪かったら危険なのだが。
「約束ですよ！」
「ああ
こい！」
「いやあああ！」
掛け声も勇ましく、右の上段から父親の足元目掛けて振われる。
とはいえ子供の剣術だ、その速度は遅い。
「甘い！」
カーン
「うわっ！」
「くっ、やああ！」
カーン
「どうした、その程度か？」
再び振るわれるも、軽々と弾かれる。
続けて３合、４合と撃ち込まれるが、アルベルトは軽く弾き、剣先を逸らすだけだった。
やはり子供の剣術だ、力も早さもない
これはもっと鍛えるべきだな
そんな事を考えていると、隙が出来たのだろう、ギルバートが奇妙な構えをした。
左腕を前に、右の剣は右肩の上へ、腰を捻った態勢から前へ飛び出す。
剣術訓練は勿論、兵士の間でもこんな構えは見た事が無い。
「っやああああ！」
「ふっ！」
ガキーン
気合と共に、踏み込みながら横薙ぎに振るわれた剣を、アルベルトは既所で弾いた。
カランカラン
「あああ！
あと少しだったのに」
悔しそうにする息子に、アルベルトは尋ねた。
「ギルバート
今のは何だ？」
「へ？」
「今のだよ
見た事も無い剣術だが、どこで習ったのかね？」
「ああ、あれ？
街に出た時に、吟遊詩人のお兄さんから教えてもらったの
でも、まだまだだな
あのお兄さんみたいに素早く振れないし」
「吟遊詩人？」
「そうだよ」
アルベルトは考え込んでしまった。
吟遊詩人なら、確かに何処へ行くにも自由だ。
あの帝国でさえ、情報を噂として仕入れれるので自由に行き来させている。
だが、詩人が剣術を？
ひどく違和感のある話だ。
「その吟遊詩人とやらはまだ居るのかね？」
「ううん
２月前の暑い時期に来てたから、もう居ないと思うよ」
流石に２月も前なら居ないだろう。
彼らは基本的に放浪する者だ。
居ても長くて１月ぐらい。
考えられるのは、先月の祭りに合わせて来ていたのだろう。
変わった剣術は、放浪の内に身に着けた物か？
それとも実は帝国かどこかの間者なのか？
いずれにせよ、分からぬ事を考えても仕方が無い。
何か重要な情報を流出させていなければいいが。
「その詩人とはどんな話をしたのかね？」
「ん？
ああ、祭りがあるとか、宿屋はどの通りだとかだよ
心配しなくても、ボク達じゃあ大した事は知らないから」
「そうか」
アルベルトは安心した。
「それにね
アーネストが居たから
彼はアーネストが大層すごい魔力持ちだと言って、魔法の書物をくれましたよ」
「ん？
詩人が魔法書を？」
「ええ
帝国領に居た時に、歌の褒美に貰った物だとか
自分じゃ使えないから、良かったらあげるって」
最初はただの詩人と安心したが、魔法書を持っていると聞いてから、アルベルトは不審に思った。
ただの吟遊詩人が、褒美とはいえ魔法書など貰うだろうか？
だが、当の本人が既に居ないのでは、確かめようがない。
他国の間者でなければ良いのだが。
アルベルトの胸中に、言い知れぬ不安が渦巻いた。
「ところで、父上」
「ん？」
「えい」
ギルバートはアルベルトの近くに来て、持ってる小剣でペチリと膝を叩いた。
「はい
一太刀浴びせましたよ」
「な！」
「えへへへ」
やられた
完全に油断していた
「約束は守ってくださいね」
「うーむ…」
ギルバートはしてやったりと満足げな顔をしていた。
「よし
では、明日から新規の歩兵部隊での訓練に入るか」
「はい
…ええ!?」
「約束だからな」
「そんなあ
訓練を考えてくれるんじゃなかったんですか？」
「ああ
だから考えただろ？
止めるとは言ってないからな」
アルベルトはわざとらしくオーバーな身振りで考えてやったぞと示した。
「そんなあ！
ずるいよ」
ギルバートは大人はズルいと文句を言ったが、アルバートは取り合わなかった。
結局根負けして、しょげて自室へ戻って行った。
息子が部屋を出たのを見計らって、アルバートはベルを鳴らす。
「はい
お呼びでしょうか？」
「ああ
明日の午前中に、魔物討伐の会議を行う
出席者に正門前の宿舎に集合するように手配してくれ」
「騎兵隊大隊長及び部隊長、冒険者ギルド、魔術師ギルドでよろしいですか？」
「ああ
後はノルドの森の最新の地図、新しい集落の建設がされた時のを用意してくれ」
「畏まりました」
執事が命令を確認して部屋を出る。
魔物が集落を襲ってから、２週間が経とうとしていた。
その間に、魔物が現れた報告は無かったが、正門は警戒して堅く閉ざされ、付近に狩や収穫に出る者もほとんどいなかった。
帰還した騎兵部隊は、補充人員の訓練を開始し、新たな歩兵部隊の基礎訓練も行われていた。
万全とはいかないが、魔物に対抗する軍の支度は着々と進んでいた。
後は陣容を決め、作戦を練る段階に来ている。
もっとも、今魔物が攻めて来たら、訓練不足の部隊は出せないので戦力は不足しそうなのだが。
それに、今回は息子のギルバートを初陣させようとおもっている。
勿論、危険な前線ではなく、自分の周りに配置予定の歩兵部隊でだが。
まだまだ甘い所があるから、ここらで実戦を見させて経験させようという考えだ。
父である、アルベルトが心配してあれこれ算段している頃、ギルバートは部屋で不貞腐れていた。
「だから、親父さんはお前の事を心配してるからこそ、今回の訓練だと思うぜ」
「何だよ
心配って」
広い部屋に、大きなベット。
そのベットに寝転ぶ少年は明らかに不機嫌そうだった。
その少年に話しかけるもう一人の少年は、椅子の背に顎を乗せてだらしない恰好をして足をブラブラとさせてた。
「だってさ
ギルって真面目に剣術をしないじゃん」
「ああ！
剣術って面倒臭いんだよ
あんなもん何が面白いんだか」
「そこはボクも納得するな
でも、キミは次期領主なんだから
最低限の武術は出来ないとね」
「そりゃそうだけどさ
耳にタコが出来るほど聞かされてるけど、本当に面白くないんだ」
不愉快そうに、ギルバートは起き上がる。
「なんでそんなに面白くないんだい？」
アーネストは親友を心配そうに見る。
「だって、ボク達は子供なんだよ？
いくら素早く打ち込んでも、大人には勝てないよ」
「あ～…
そりゃそうか」
ギルバートは床に降りると、素早く抜刀して構える。
クリサリスの正当剣術では、まだ筋力が足りてないのか、へにゃへにゃと鋭くない振りになる。
「これだよ」
「ああ
そりゃしょうがないね
でも、あの剣術は？」
「こっち？」
言うと、今度は腰を落とした構えになる。
今度は先ほどと打って変わってそこそこの振りが出来ている。
「あの詩人のお兄さんが言ってた剣術
さまになってきたんじゃないか？」
「うん
こっちの方が振り易いね
父上には怒られそうだけど」
先の構えに比べると、切っ先の速さも違って素振りの音がする。
とは言ってもまだまだ子供の素振り、大人程ではない。
「アーネストは今度の作戦には出ないの？」
「ボクは今回はお休みさ
毎回、子供を危険な場所には連れてけないってさ」
「そうか」
「ギルは？
親父さん、何か言ってたかい？」
「いや
何も」
「ボクはね
今回はギルも連れてかれるんじゃないかと思っているんだ」
「どうして？」
「魔物がどんな物か、どう戦うべきか、そこんところを勉強させようって」
「うへえ」
ギルバートは右に、左に振り抜いていた小剣を仕舞うと、再びベットにダイブした。
「魔物には興味はあるけど、戦争なんて勘弁して欲しい」
「まあ、ギルは昔からそういうの嫌いだもんな」
少し真面目な顔をして、アーネストが尋ねる。
「やっぱり、自分が少し前まで身体が弱かったから、怪我とかさせるのが嫌なのか？」
「そういうんじゃないよ
ただ、領地がどうとか、相手が気に食わないからとか、そんな事で殺し合うって…」
「まあ、戦争ってそんなもんだからな」
「ああ
その魔物って奴らが仲良く出来るのなら良いのに」
「無理だろ？」
「どうして？」
「魔物が人間を襲うのは、人間を恨んでるからさ」
「恨んでる？」
アーネストは椅子から立ち上がると、一巻の羊皮紙を取り出した。
そこには女神様と人間、闇へと逃げる魔物の絵が描いてあった。
「昔、まだ人間が産まれる前
このアースシーに女神様が降り立ちました」
「知ってるよ
創世記の伝承だよね」
ギルバートは起き上がると、アーネストが広げた羊皮紙に描かれた物語の絵を見る。
「女神様は、最初に大地を創られました
次に水を満たし、空を拡げ、太陽と月を浮かべました」
「次に、女神様は生き物を創られました
鳥、魚、牛、羊…次々と生き物が産まれ、大地へ拡がって行きました」
「その内に、出来損ないの生き物も産まれました」
「え？」
「出来損ないの生き物は、女神様から見ても醜悪な生き物でした」
「何？それ？」
「女神様は醜悪な生き物を端へ集め、その生き物を滅ぼす為に新たな生き物を創られました
そうして産まれたのが、女神様に似せた生き物、人間でした」
「そんな話、聞いた事がないよ？」
「女神様は仰いました
汝、人間よ、この醜悪なる魔物を駆逐し、闇の彼方へ追いやるがよい
こうして人間は、女神の使命として、魔物を闇へと追いやりました」
「魔物は闇の中に消え去る時に、こう言い残しました
おお、母なる女神よ、私達は貴女を恨みます
人間よ、呪われよ
汝らも我らの様に、醜い魔物となるのだ」
ギルバートは、アーネストの語る未知の物語にすっかり飲まれていた。
「やがて、平和な一時の中で、今度は人間の心の中に醜悪な魔物が産まれ始めました」
「人間は、互いを羨み、妬み、些細な事で諍いを繰り返しました
女神はそれを悲しみ、人間を幾つかの種に分けました
これが亜人と西方人、東方人、南方人の始まりでした」
「え？
亜人も人間なの？」
「この物語が本当か嘘かは分からないけど、少なくとも魔物は人間を憎んでいると思うよ
彼らを闇の世界に追いやったからね」
「そうか…」
「ひょっとしたら…
本当に女神様も恨んでいるかもね
醜く産んでおいて、醜いからって追い払ったんだから」
「それが本当なら、悲しいよね」
「悲しいか
ギルは優しいな」
「え？」
「いや、何でもないよ」
アーネストは羊皮紙を巻いて仕舞いながら、友である少年を眩しそうに見る。
「で？
どうするんだい？
魔物は人間を殺すよ？
それでも…戦いたく、無いかい？」
ギルバートは少し俯く。
魔物には同情するけど、知ってる人が殺されるのは嫌だ。
「身勝手かも知れないけど、知ってる人が死ぬのは嫌だ」
「うん、そうだね」
「だから…
可哀そうだけど、魔物は倒さないと…ダメなんだよね」
「そう
身勝手なんかじゃないさ
大好きなお父さんやお母さん、友達、大切な人を守る為、キミは剣を持たないといけない
それがキミが産まれた意味だから」
アーネストの言葉に、静かに頷き決心する。
「うん
ボク…やってみるよ」
「よし
それでこそギルだ
いざという時には、ボクも駆けつけるからな」
「ああ
その時は頼むよ」
二人は固く握手をするのであった。
遂に本編が始まります
主人公の名前はギルバート
まだあどけなさの残る９歳の少年です
どうやら幼少期は病弱で、何度も高熱で死にかけていたらしいです
