第157話
その少年はフランツと言い、このリュバンニの町の領主、バルトフェルドの息子であった
彼は敬愛する義理の兄、フランドールに勝ったギルバートを恨んでいた
それはフランドールからの手紙に書かれており、その事でギルバートに勝負を挑んで来ていた
彼は勝負に不正があり、その事で兄が負けたと思い込んでいた
それはそうであろう
自分とそう変わらない年の少年が、成人である義兄に勝ったと言うのだから
少年は食堂に乱入すると、大声で勝負しろと喚いた
それが二日酔いのアーネストの頭に響いて、アーネストはグロッキー状態であった
ギルバートはどうするか、アーネストの方を見る
アーネストは止めておけと首を振る
ギルバートもそれに従い、断ろうと答えた
「申し訳ないが、こちらには君と勝負する理由が無い」
「うるさい!
そんな事は関係無い」
「関係が無いって…
そんな言い分が通用すると思っているのかい?」
「うるさい
良いから勝負しろ
それとも、負けると分かっているから怖いのか?」
「負ける…ねえ」
ギルバートは少年を見て、一目で勝負にならないと判断した。
それはスキルや称号ではなく、元々の体格にも出ていたからだ。
ギルバートは13歳にしては、小柄で筋肉も少なかった。
それは2年間は封印されていて、実際に育った年数が11年だからだ。
しかし11歳で考えれば別だった。
それは魔物と戦った3年間が、彼を鍛えていたからだ。
今では身長は160㎝を越えており、筋肉も同年代の少年に比べれば付いていた。
一方のフランツは、まだまだ子供の身体をしていて、本物の剣を握ったら恐らくは振れないであろう様子だった。
「ボクの命令が聞けないのか
ボクは領主の息子だぞ」
「そんな軽々しく、領主の息子だなんて言うものじゃあない」
ギルバートは、フランツの物言いに若干イラついた。
領主の息子だと言って、命令を聞けだなんて、まるであの商人の様であった。
「良いだろう
勝負してやるよ」
「ギルバート殿!」
「殿下」
バルトフェルドの兵士と、ギルバートの兵士が慌てる。
アーネストもギルバートの腕を掴むと、首を振って止めようとした。
「大丈夫
アレは使わない」
「しかし」
「ここで放っておけば、彼は勘違いしたままになるだろう」
「…」
アーネストは諦めて、掴んでいた腕を放した。
「訓練場で、木剣での模擬戦にしよう」
「真剣じゃあ無いのか?」
「真剣?
君では満足に振れないだろう?」
ギルバートは事実を突き付けたが、フランツは顔を真っ赤にして怒鳴る。
「ふざけるな
ボクだってそれぐらい…」
「それぐらい、何だ?」
ギルバートは素早く飛び出すと、バルトフェルドの兵士の腰の剣を引き抜いた。
そのまま踵を返して、剣を鋭く振ってみせる。
その迫力に負けて、フランツは思わず腰を抜かした。
「実際の戦場では、こんな物じゃあない」
ギルバートは軽々と剣を放って、柄を逆に握り直してから剣を返した。
兵士はそれを呆然としながら受け取った。
「勝負は正々堂々とだったな
領主の息子だから負けろ、とか言うなよ」
「馬鹿にするな!」
フランツはギルバートの言葉に、怒りで正気に戻った。
しかし腰が抜けて上手く立てず、兵士に手伝われてなんとか立ち上がる。
それから食事を切り上げて、ギルバート達は訓練場へと向かった。
約束通り、模擬戦を行う為だ。
訓練場に入ると、ギルバートは慣れた手つきで木剣を選ぶ。
それから一本をフランツに放って、自分も一本構える。
それは半身になった構えで、上級者が初心者に指導する時によくする構えだ。
相手との実力が離れていると、態度で示した構えになる。
「くっ!
馬鹿にしやがって」
フランツは声に出して怒りを露わにする。
「くそおおお」
開始の合図も待たずに、フランツは猛然と向かって行った。
しかし、結果は見えていた。
フランツは何度も打ち掛かるが、悉く簡単に受け止められる。
それも実力差を分からせる為に、少し引きながら受け止めるので、剣は衝撃を吸収して音を立てなかった。
上段からの叩き付け
袈裟懸け
横薙ぎ
フランツは思い付く限りの技を、必死になって繰り出す。
しかし、そこはまだ未熟な子供の剣技。
次第にむらが見えて来て、隙だらけの大振りになって行く。
やがてギルバートも飽きてきたのか、大振りに合わせて木剣の先で受け止め始めた。
「おお」
「これは…」
さすがにこれには、周りで見守る兵士達も驚いていた。
いくら相手が格下とはいえ、剣先で受けるには相応の実力が必要である。
これで兵士達の眼にも、ギルバートがかなりの実力者だと理解出来た。
「これでは…」
「ああ
フランドール様でも敵わない訳だ」
兵士の納得する声に、フランツはさらにムキになった。
しかし体力が続かず、肩で大きく息を吐く様になった。
「なんで、はあはあ
当たら、はあはあ、いんだあ、はあはあ」
「それは無理だろう
ワシでも敵わんからな」
いつの間に来ていたのか、バルトフェルドがギャラリーの中に立っていた。
「どれ
ワシも試させてもらえるかのう」
「え?」
それにはさすがに、ギルバートも困惑した顔を浮かべた。
「本気でやってもらって構わない
いや、それじゃあマズいのか」
「ええ」
「なら
ワシの本気を…」
バルトフェルドは大きく踏み込み、裂帛の気合で切り掛かった。
それが木剣とは思えない様な、空気を断ち切る音がして上段から振り下ろす。
さすがにギルバートもマズいと考えて、咄嗟に間合いを広げる。
ザシュッ!
「ふむ
今のを躱すか」
「さすがに不用意には受けれませんよ」
「なら、これはどうじゃ!」
ドヒュッ!
ガコン!
鋭い踏み込みと共に、裂帛の気合で突きが繰り出される。
しかし今度は、ギルバートも構えていたので受け流す。
「やるな」
「バルトフェルド様
楽しんでませんか?」
ギルバートは苦笑いを浮かべて、どうにかこの場を切り抜けようと思案する。
しかしバルトフェルドは、戦いを楽しんでいて聞こうとはしなかった。
「それはそうだろう
これほどの相手はなかなか…」
「あなた」
さらにバルトフェルドが、袈裟懸けから逆袈裟懸けに振り上げて、それを躱したギルバートに向き直ろうとした瞬間、冷たい声が響いた。
女性の優しい声が、冷たく突き刺さる様に響く。
その重圧に、バルトフェルドの身体が硬直した。
「止めに向かった筈ですよね」
「は、ははは…」
「私の眼に映っているのは、見間違いかしら?」
バルトフェルドは素早く振り返ると、木剣をどこかへ隠した。
「はははは
見間違いだろう?
何も起こっていない、何も…ね」
バルトフェルドは素早く目配せをして、ギルバートに話しを合わせる様に促す。
その振り返った顔は、救いを求める哀しそうな顔をしていた。
母を怒らせた時の父を思い出し、ギルバートは溜息を吐いた。
「何もありませんよ
庭を案内していただいていただけですよ」
「そ、そうだよ
庭を案内して…」
「ここは訓練場では?」
奥方の言葉には、まだ棘が残っていた。
それを聞いたバルトフェルドの顔は、みるみるうちに悲壮感漂う感じになる。
「私が気になったので、案内してもらったんです」
「そうですか…」
奥方は溜息を吐き、やっと言葉から棘が抜けた。
「それでは、何事も無かったんですね」
「ええ」
ギルバートはチラリとフランツの方を見たが、既に彼は戦意を失い、母の重圧に震えていた。
「それでは、私達はそろそろ戻りますね」
「ま…」
フランツが一瞬、何か言い掛けたが、母の視線に気付いて黙った。
こうなった女性は怖いので、黙って言う事を聞くしか無いのだ。
ギルバートは、内心でご愁傷様と思いながら、これ以上は余計な事は言うなよと思った。
そうしてギルバート達が立ち去ろうとする時、バルトフェルドとフランツも一緒に行こうとしていた。
さりげなく加わり、一緒に着いて来ていたのだ。
「さあ、ワシも仕事が…」
「ボクも勉強の途中で…」
「二人共、説教ですわ
すぐに来なさい」
奥方は優しく、そして迫力のある声で告げた。
『はい』
二人は止む無く連れ去られて行った。
「良かった」
「大丈夫…かな?」
ギルバートとアーネストは、何とか自分達は逃げられたと、安堵していた。
「問題無いだろう
叱られるのはあの二人だけだし
兵士のみなさんも巻き込まれただけだろ」
「そりゃあそうだが…」
ギルバートはむしろ、説教と言われた二人の顔を思い出していた。
この世の終わりの様な顔をしていて、それが父を思い出させていた。
「父上も…
偶にあんな顔をしていたな」
「ん?」
「何でも無い」
アーネストは本当は気付いていたが、知らない振りをしていた。
こればっかりは、時間しか解決する術は無かった。
それから昼までゆっくり庭を回り、昼食に呼ばれるまで時間を過ごした。
昼食の席に着く前に、ギルバートはバルトフェルドとフランツの二人から謝罪された。
「先ほどはすまなかった」
「ごめんなさい
もう言いません」
二人はこってり絞られたのか、大人しく謝罪の言葉を述べた。
ギルバートは元より気にしていなかったので、謝罪を快く受け入れた。
「分かってくれたんなら良いです
もう、あんな事は言わないでください」
「はい」
あんな事とは、領主の息子だからという言葉だ。
それが分かっているのか微妙だったが、ギルバートはそれ以上は言わない事にした。
「バルトフェルド様も
反省しているのなら、私からは何もありません」
「おお
それな…」
「あなた」
あまり反省してなそうな様子を見て、奥方の声が鋭くなる。
二人の顔が、たちまち緊張して真っ青になって強張る。
「は、反省、してるよ
も、もちろん」
「そう?
それなら、お客様にはこれ以上、迷惑は掛けないかしら?」
「当然さ
既に王城へは伝えてあるし、夕刻には迎えの馬車が来る
それまでは、フランツも大人しくしてるさ」
「父上!!」
フランツが裏切られたと思って、父親を涙目で見る。
それを見て、バルトフェルドはすまんと謝罪のジェスチャーをする。
それに気付いてはいるのだろうが、奥方は溜息を吐きながら続けた。
「申し訳ありませんね
二人には後で、もう一度よく言っておきます」
「いえ
お気になさらずに」
ギルバートはそう言いながらも、引き攣った笑顔になってしまっていた。
二人には申し訳ないが、これはもう一度叱られた方が良いだろう。
そう思いながらも、一つ疑問があった。
「そういえば、王都からの迎えって…」
「ああ
国王様に伝えて、迎えの馬車が来る事になっている」
「それなんですが、献上品が…」
「ああ
それも伝えてある
なあに、そいつは兵士の方で運ぶ事になるだろう」
そういった手配も済ませてある様なので、ギルバートは感謝の言葉を述べた。
「ありがとうございます」
「なあに
こいつが仕出かした始末を考えれば、安い物さ」
「それでも、何から何までしていただき、感謝しています」
「うむ
それならば、王都であった事を肴に、また立ち寄ってくれれば良い」
バルトフェルドはそう言って、豪快に笑った。
「さあ
それでは昼食に致しましょう
迎えが来るまではまだ時間があります
それまでは、当館でお寛ぎくださいな」
「はい
ありがとうございます」
ギルバートが礼を述べ、案内されて席に着く。
兵士達も別の食堂へ案内されて、ここで一旦別れた。
「それで、王城へ向かう訳だが、入城の所作とかは大丈夫なのかい?」
「ええ
アーネストに教わりましたので」
「ふむ」
「貴族のしきたりや王城での所作
君は一体…何者なんだね?」
バルトフェルドは、ここでアーネストに疑問を持った。
それはそうであろう。
バルトフェルドも成り上がりとはいえ、貴族としては長くやっている。
しかしアーネストの様な少年は、貴族にも思い当たる者が居なかった。
「6年前…
覚えていませんか?」
「6年…
アルベルトが来た…」
バルトフェルドは記憶を掘り起こす。
そして思い当たる事を思い出した。
「そうか、あの時の
あの子供か」
「はい
ご無沙汰しておりました」
「そうかそうか」
「なら、君も確か…」
「ええ
叙爵の件がございます
それで同行させていただいております」
「なるほど」
バルトフェルドはすっかり思い出した様子で、しきりに頷いていた。
それを見て、フランツは不思議そうに尋ねる。
「父上
あの少年は一体…」
「ああ
すまんな
お前は知らんだろうな」
バルトフェルドはフランツにも分かる様に、アーネストの事を紹介した。
「彼は両親を流行り病で亡くしておってな
それで魔術の才能を見出されて、ガストン老師が引き取ったのだ
しかし老師も病に倒れられて…」
「まあ」
「そんな…」
奥方とフランツが、同情する様な視線を向ける。
しかしアーネストは、笑顔でそれを否定した。
「確かに老師も亡くなられました
しかしアルベルト様が後見人になっていただき、私は無事に生活出来ました
それに…」
「王都では叙爵の話もいただいております
いずれは学校を出て、宮廷に勤める予定です」
「まあ」
「魔術の才能があるのか?」
「ええ
これでも、王都の宮廷魔術師にも負けないだけの実力はあると自負しています」
そんなアーネストの言葉を聞いて、フランツは憧れの視線を向けていた。
ギルバートに向けた視線とは、まるで違っていた。
「どんな魔法が使えるんだ?」
「これ、フランツ」
「駄目ですよ
真の魔術師は、必要で無い限りは無闇に魔術を披露する物ではありません」
「嘘だあ
王宮では、魔術を見世物にしてるって聞いたよ」
バルトフェルドと奥方は、子供らしく尋ねるフランツを窘めた。
しかしフランツは、どこから聞いたのか、噂話を信じていた。
「フランツ殿がどなたに聞いたのかは知りませんが、本物は無闇には使いません
もし居たとするなら、それは紛い物でしょう」
アーネストはそう述べて、無闇には使えない事を強調した。
「ちぇっ
つまんねえの」
「これ」
「すいません
後でよく言っておきます」
「気にしないでください
私が彼の立場なら、確かに見たいと思いますからね」
アーネストはそう答えながらも、王都では魔術師にも問題がありそうだと感じていた。
これから向かう王都で、どの様な災難が待ち構えて居るのか?
あと少しで到着出来るが、今さらながら行きたくないと思えて来ていた。




