第151話
無事に記帳を済ませて、宿泊料を支払う
ここは町だが、宿の宿泊料は相場より安く、一人につき銀貨5枚であった
ここまで大きな町なら銀貨10枚でも安いのだが、宿の様子を見れば、それが相場に相応しく思えた
お世辞にも綺麗では無く、空いていたのも恐らくは見た目が原因であろう
お世辞にも、大きな町の大通りに在るにしては、些か見た目がお粗末であった
見た目は…まあ、アレだったが、出された食事は上等であった
肉と野菜を煮込んだスープは上品な味わいで、焼かれた鹿肉も上等なソースがかかっていた。
パンは無かったが、代わりに上品な香りがするリンゴのパイが用意されていた
それらを美味しく召し上がりながら、一行は旅の疲れを癒していた
「いやあ、これは美味い」
「確かに
これで銀貨5枚で泊まれるなんて、勿体ないですよ」
ギルバートの言葉に、兵士達も頷いていた。
料理の見た目もだが、味も十分に王都でやって行けるレベルであった。
この料理なのにこの価格では、果たして宿屋としてやって行けるのだろうか?
それは現状が物語っていた。
「あ…」
「でも、何でこんなに客が入らないんだ?」
ギルバートはしきりに首を捻っていたが、他の者は気が付いていた。
それはここの見た目が問題で、綺麗な建物であったのなら、もっと繁盛していただろう。
理由は不明だが、建物がおんぼろな為に客着きが悪いのだ。
「こんな美味い飯が食えるのなら、王都でもやって行けるだろうに」
「ギル
それ以上は駄目だ」
「え?」
「良いんだ
確かにそう言われている
だが…」
宿屋の主人はそう言うと、悲しそうに俯いた。
「ここの息子が悪いんだ
商人になるだなんて言って、王都に出たっきり…」
「止せ
ロジャーが悪いんじゃない
悪いのはガモンの奴らだ」
どうやら複雑な事情があるらしく、他の客は出て行った息子の名前を上げていた。
しかし、その名前には聞き覚えがあった。
「え?
ロジャー?」
「あんた、ロジャーの奴を知っているのか?」
「あいつは今、どこに居るんだ?」
「王都の店は潰されたって聞いたぞ
あいつは無事なのか?」
知っているロジャーがその人なら、彼は無事である事になる。
しかし、彼が店を潰されている様な話は聞いていない。
同じ人物かは確信が持てなかった。
「落ち着いてください
私達は確かに、ロジャーがと名乗る商人には会いました
しかしその人が、お探しのロジャーさんと同じ人かは…」
「そうか
そりゃあそうだよな」
「考えてみれば、ロジャーって名前もそんなに珍しく無いし」
実際には、この地方では珍しい名前で、もう少し西の出身であろうと思われる。
宿屋の主人が西方出身なので、その息子も西方の名前を付けたのだ。
だから商人のロジャーとなれば、西方出身でなければ珍しかったのだ。
「そのロジャーさんは…無事なのかい?」
「ええ、まあ
今は王都に向かっている筈なんで、数日中にはここにも立ち寄るんじゃないでしょうか?」
ギルバートがそう言うと、客たちは主人に話し掛け始めた。
「おい、こっちに向かっているんだってよ」
「それが本当にロジャーなら、無事に帰って来るんじゃないか」
「あ、ああ…」
しかし宿屋の主人は、あまり嬉しくないのか、微妙な表情をしていた。
「あいつは…
ここを捨てたんだ
帰って来る筈がない」
「おい」
「そんな事を言うなよ」
「そうだぞ」
集まっている客のほとんどが、家族が行方不明になっている。
主人の息子が無事だった事は、彼等にとっても重要な事だった。
もしかしたら自分達の家族も無事なのかも知れないからだ。
「息子さんが生きているのかも知れないんだぞ」
「良かったじゃないか」
「そうだぞ」
そしてその事で、他の者も見ていないか気になり始める。
「なあ
オレの息子を見なかったか
シングって言うんだ」
「私の彼は?
アランと言うんです」
「待ってください
ボク達はロジャーと言う商人には会っていますが、彼がその息子さんとは限りません」
「それに…
他の仲間がどういった方なのかも知りませんよ」
「そんな…」
「それじゃあ…」
「申し訳ありませんが、ボク達ではお力には…」
「彼がここに着いたなら、改めて聞いてみてください」
ギルバート達には、そう言うしかなかった。
「すまないね
彼等も必死なんだ」
「ええ
お気持ちは分かります」
アーネストも家族を失っている。
家族を亡くした気持ちは、痛いほど分かった。
無事かも知れないと思ったら、探したくなるものだろう。
ギルバートも父親を思い出し、悲しい気持ちを思い出していた。
「私も…
先日、父を失いました」
「え?」
「その事を叔父に伝える為に、王都に急いでいます」
「そうなん…ですね」
それは真実であった。
他にも急ぐ理由はあるが、父の訃報を伝える必要もあるからだ。
「あんたらには悪い事をしたな」
「いえ
みなさんが希望を持てたのなら…
ただ、それが絶望に変わらない様に祈っています」
ギルバートは心からそう思い、それを聞いた客達は涙を流しながら俯いていた。
「すまない」
「無神経な質問だった」
「だが、だが…」
家族を思う気持ちは、誰でも同じだ。
それが分かるだけに、ギルバートは責めようとは思わなかった。
「良いんです
お気持ちは分かりますから」
ギルバートはそう言うと、一人で寝室へ向かった。
アーネストは独りで泣く時間も必要だと、黙ってそれを見送る。
その胸の内は、友の心を思って悲しんでいた。
しかし同時に、ギルバートが上に立つべきだと改めて思っていた。
ギルは優し過ぎる
しかしそれだからこそ、人々はあいつが君主に立ったなら、支えたいと思うだろう
民衆の悲しみを知り、共にそれに涙する事が出来る
それこそ理想の君主像だろう
そう思いながら、だからこそ、汚い仕事は自分達がしようと思った。
それを知れば、彼は悲しむだろう。
しかし人間の裏の顔を知って、ギルバートが汚れて行く事は許せなかった。
そんなのは自分だけで十分だと、アーネストは考えていた。
「みなさんに、話しておきたい事があります」
アーネストはギルバートの為に、意を決して話し始めた。
「ボクはギルドに、今回の行方不明について話しています
すぐには無理でも、ギルドでは冒険者に依頼して、捜索隊を立てると思われます」
「捜索隊?」
「それは本当かい?」
「ええ
既にボルのギルドでは、行方不明者のリストの作成に掛かっています」
「そこでみなさんにお願いしたいんです
どうかギルドへ訴えて、家族の名前や特徴を伝えてください
その事が、行方不明者の捜索に役立ちます」
「そうすれば
そうすれば息子は、息子は帰って来るのか?」
先ほどの、息子を探していると言っていた男がそう叫ぶ。
しかしアーネストは、悲しそうに頭を振った。
「いいえ
苦しめたく無いので正直に話しますが、既に数組の隊商が行方不明で、絶望的です」
「そんな…」
「その人達が誰なのか?
それを知る為にも、あなた達の情報が必要なんです
家族の方なのか?
それとも別の隊商の方なのか?
それがハッキリとしないと、捜索は難航します」
アーネストの言葉に、みなが俯いて考え込んだ。
「良いんですか?
あなた達が悲しんでいる様に、他の方々も悲しんでいますよ」
「え?」
「それはどういう…」
「それだけ行方不明になっているのなら、他にも犠牲者が居る筈です
その方達の家族も、あなた達と同様に、悲しみに沈んでいるんじゃないですか?」
その言葉に、彼等はハッと気づかされる。
悲しんでいるのは自分達だけではない。
他の町や村でも、同じ様に家族の安否が不明で、苦しんでいる人達が居るのだ。
「分かったよ」
「明日にでもギルドに掛け合ってみるよ」
「そうしてください
その方が、みなさんの家族の安否にも繋がります」
アーネストの言葉に、客達はギルドに相談する事に決めて、宿を後にした。
これで一安心と、アーネストは溜息を吐きながら腰を下ろす。
そこへ葡萄酒の入ったカップが、そっと出される。
顔を上げると、優しい笑みを浮かべた宿屋の主人が立っていた。
「お前さんは優しいな」
「いえ、残酷ですよ」
「そうか?」
主人はアーネストの前に腰掛けて、その顔をじっと見詰める。
「友達の事を考えて、辛い役割をしているな」
主人は何かを察したのか、そう呟く。
「そんなんじゃあ…」
「あの子が居る時でも、さっきの話は出来た
聞かせたく無かったんだろ?」
アーネストは答えなかった。
それが真実を示している。
ギルバートに内緒で、親族には辛い事だが、安否を確認する為に相談に行かせる。
それもすぐには捜索出来ず、却って行方不明者である事だけが確認される可能性の方が高いのだ。
「お前さんは知っているんだろう?
恐らくあいつ等の家族は…もう」
「そうかも知れない
でも、希望は、希望は…」
「そうだな」
主人はそう言うと、立ち上がってアーネストの肩を優しく叩く。
「息子の事、知らせてくれてありがとう」
アーネストはハッとして、思わず顔を上げる。
「どうするんです?」
「どうもしないさ
あいつの道は、あいつが決める」
「それでも
帰る家があるのなら…」
「そうだな」
主人はそう言いながら、奥の厨房に向かった。
最後に一言、こう残しながら。
「明日も早いんだろ
飲んだらさっさと寝ろ」
アーネストは主人の心遣いに感謝しつつ、葡萄酒を呷ると立ち上がった。
それは心を表す様に苦かったが、胸の中から暖まる気がした。
兵士達はそんなやり取りを見ながら、すっかり背景になっていた。
アーネストが部屋に向かったのを見てから、食事の片付けを始めた。
「何だ?
お前等まだ居たのか?」
「親っさんこそ」
そう言いながら、兵士達は食器を集めて片付けを手伝う。
「そんな事はしなくても…」
「オレ達の主を気遣ってくれたんだ」
「そうそう」
「これはほんの気持ちさ」
兵士は押し切って、片付けを手伝う。
普通はこうした酒場では、主人以外に手伝いの給仕が居るものだ。
しかし奥さんは居ないし、給仕も居なかった。
地元民に愛されているのか、客が率先して手伝っていたからだ。
「奥さんは?」
「居ない
もう…10年は経ったかな」
「そうか」
「あいつが出て行ったのも、女房が無理して倒れたからだ
女房が死んでから、あいつは変わった」
主人はポツリポツリと語った。
宿は繁盛していたが、それで無理が祟って、奥さんは倒れてしまった。
そこから謝金が溜まって、売り上げを謝金に充てるので精一杯なのだと。
それを見て、息子は一旗揚げると出て行ったんだと語った。
「そうなのか」
「でも、それは息子さんは…」
「分かっている
分かっているが…」
主人は悔しそうに顔を歪めて、ポツリと呟く。
「ガモンめ…」
その名を聞いて、兵士達は黙ってしまった。
彼もまた、ガモン商会の犠牲者なのだ。
そして恐らく、息子であるロジャーも目を付けられている。
しかしその事を告げるのは、主人には酷に思えた。
「大丈夫さ」
「きっと息子さんは、元気に戻って来るさ」
そう慰める様に言うと、兵士達は片付けを終えて部屋に引き上げた。
その足でアーネストの元へ向かうと、先の会話を伝えた。
「そうか」
「どうやら、宿の借金もガモン商会の仕業かと」
「確証が欲しいが、難しいだろうな」
アーネストはそう言ったが、何事か考えている様子だった。
「オレ達としても、あれだけの腕を持つ主人だ」
「ここが不当に扱われているとなると、黙って見ていられない」
「何か良い知恵は無いのか?」
兵士達も、宿の主人の人柄を見て、どうしても力になりたかった。
「確約は出来ないが、ガモン商会とはそのうちに遣り合う事になるだろう
その時には、せいぜい仕返しが出来る様にはするさ」
「本当か?」
「確約は出来ないと言っただろ」
そう言いながらも、アーネストも主人を助けたいと思っていた。
それはロジャーの事もあったが、あの主人を気に入ったからだ。
今度ここに訪れる事があれば、是非ともまた泊まりたいとまで思っていた。
この建物の状況はどうにかしたかったが…。
「ここが荒れているのも、その借金が原因なんだな?」
「恐らくは…」
「ロジャーが隊商に居たのも、それが原因だろうな」
「多分な」
「ガモン商会
選民思想も問題だが、その経営も怪しいな」
一介の商人が、貴族に太いパイプを持っている。
その上で、こうした他の商売にも関与して、借金で苦しめているのだ。
それも王都だけでは無く、こうした離れた町にまで影響を及ぼしている。
他にも余罪が、たんまりとありそうだ。
「これは王都に着いたら、忙しくなりそうだ
ふふふふ…」
アーネストは不気味な笑いをしながら、腹黒そうな笑顔を浮かべる。
普段は見せないその様子に、改めて兵士達は戦慄を覚える。
相当悪い事を考えている様だ。
頼んでみたものの、少し後悔している。
「みんなの気持ちは分かった
ボクもここには潰れて欲しくない」
「ああ」
「だからガモン商会には、派手に潰れてもらうさ」
「さあ
王都に着いたら忙しいぞ
君達にも…手伝ってもらうからな」
「え?」
「何をさせるつもりだ?」
「さあ
それはお楽しみって事さ」
「おい!」
「ぶるぶる
怖い事は勘弁だぜ」
兵士達は、凶悪に笑うアーネストを見て思わず身震いする。
「詳しい事は、王都に着いてからだ
先ずは奴の実態を調べなくてはならないからな」
アーネストはそう言うと、明日も早いからさっさと寝る様に告げた。
しかし兵士達は、珍しく垣間見た、アーネストの悪そうな顔を見てなかなか寝付けなかった。
後日彼等は、その笑顔の意味を知る事になるのだが、知らない方が良かったと思い知るのであった。




