第146話
いよいよ竜の背骨山脈も終わりに近づき、ギルバート達は昼の食事の為に野営地に入っていた
そこは山脈の中腹よりも下になり、立ち込める霧の間から下の様子が見えた
そこには麓の村や町が遠目に見えて、ここから半日で到着出来そうであった
しかしそこまでにはまだ、危険な場所が存在していた
残すところ後少しという所で、先の道が崩れていたのだ
それを見ながら、ギルバートは途方に暮れていた
そこは旧道が終わるまで後数㎞という所で、道は崩れて渡れなくなっていた
そこを越える為には、馬車では渡るのは無理そうであった
そして復旧するにしても、何日か掛けなければ無理であろうと思われた。
「どうする?」
「どうすると言われても…」
アーネストの質問に対して、ギルバートは返答に困っていた。
先に馬で渡って、麓の村に事情を話したとしても、ここを修復するまでには時間が掛かるだろう。
そうすれば、王都に到着するまでに掛かる時間は更に長くなる。
折角ここまで来たのに、それが無駄になってしまうだろう。
「しかし、ここを渡れないと…」
「そうですよ
殿下だけでも王都へ送れますが、馬車は…」
兵士達も途方に暮れて、先に続く道を見ていた。
ほんの数m、道が崩れているだけなのに、ここまでの苦労が無駄になったのだ。
悔しさで思わず、崩れている岸壁を鎌で殴り付ける。
「くそっ!
こんな所で!
っと、うわわ」
兵士が鎌で殴り付けた箇所が、岩が崩れて下に落ちて来る。
大きな岩は無かったが、崩れた場所から兵士は慌てて離れる。
そうして壁が崩れて、道が更に狭くなった。
「あーあ…」
「崩れ易い所を殴るからだ」
他の兵士が揶揄い、崖を崩した兵士は更に落ち込んだ。
しかしアーネストは、大きな声で喜んでいた。
「でかしたぞ」
「え?」
「これならどうにかなりそうだ」
アーネストはそう言うと、嬉々として岸壁を杖でコツコツと叩き始めた。
「どうにかって?
どうするんだ?」
ギルバートはそう質問してから、しまったと思った。
多分アーネストの事だから、魔法でどうにかするつもりだろう。
しかしそれを聞いても、魔法の理論とかはギルバートにはチンプンカンプンだった。
「そうだなあ
ギルにも分かる様に説明しようか?」
アーネストはそう言いながら壁を叩き続けて、岸壁の強度を確かめる。
「ここが崩れたのは痛いが、この壁を崩せば…」
「壁を?」
「崩す?」
ギルバートも兵士達も、アーネストが言った言葉の意味が分からなかった。
壁を崩してしまったら、ますますここが通れなくなってしまう。
「おい!
何考えて…」
「大丈夫
ボクに全て任せなさい」
アーネストは杖を構えると、壁の崩れそうな場所に、呪文を唱えながら叩いて行く。
「汝、土を司る聖霊よ
この声が聞こえたのなら応えなさい」
それは精霊に呼び掛けて、魔力を糧に取引をする魔法であった。
エルフや妖精なら、取引しなくても助力が得られるが、人間ではそうもいかないのだ。
魔力を呼び水に、精霊がその力を行使する。
そうは言っても人間からの願いだ。
そんな大した事はしてはくれない。
「この壁を崩して、その道を修復してください」
呼び掛けに応えて、岸壁が崩れ始める。
それは岩から小石になり、更に砕けて土となる。
それが地面を這いずって、崩れた道を辿って行く。
「道が無いのなら、造れば良い
昔の人は良い事を言ったな」
アーネストはそう言いながら、杖でコツコツと地面を叩く。
崩れた壁が這って行った先に、土が伸びて道が出来上がる。
「そう、こうやってね」
土は踏み固められた様にしっかりと固まり、まるで最初から道があったかの様になっていた。
それは崩れた数mを埋め尽くして、新たな道を作り出したのだ。
「どうだい
このボクの魔術は…っと」
アーネストはふらつき、ギルバートが慌てて支える。
「おい、大丈夫か?」
「ああ
少し魔力を使い過ぎただけだ」
アーネストはそう言っているが、顔色はすっかり青くなり、唇も紫になっている。
身体は震えて、立つ事も出来なかった。
「良いから少し、休んでいろ」
ギルバートはアーネストを支えて、馬車に乗り込んだ。
「すぐに出発しよう
時間が惜しい」
「はい」
「これなら通れます」
兵士達は馬に飛び乗り、すぐに出発の準備が始められる。
それを見ながら、ナンディと冒険者達は呆然としていた。
「魔法ってこんなに万能なのか?」
「いや
あのアーネストが優秀なんだろう」
「そうだぜ
道を造るなんて初めて見たぞ」
しかし、ここに帝国の魔導士が生き残っていたら、首を振って否定しただろう。
こんな魔法ぐらいで力尽きるとは、修練が足りていないと。
この道を作り出したのも、昔の帝国の魔導師達の仕業だった。
そうして帝国の兵士達は、短時間でダーナとクリサリス領への侵攻を可能にしたのだ。
当時の指揮官が有能であれば、ここはまだ帝国領であっただろう。
有能であったらではあるが。
「ここがこうして造られたとは記されてあったが、本当の様だな」
アーネストは気怠そうにしながら、馬車の座席で呟く。
「そうなのか?」
「ああ
魔導士を多数集めて、突貫工事で道を作ったと書いてあった
恐らくは当時も、ああして崩れやすい壁を壊して使ったんだろう」
アーネストはそう言いながら、マジックポーションの口を開ける。
それを咥えながら、さらに言葉を続ける。
「残念ながら、今のボクの魔力ではこの程度が限界だがな」
「この程度って…
道を作ったんだぞ?」
「いや
あれが精霊魔法なら、それとも帝国の魔導士でもかな?
あれぐらいは造作も無いだろう」
アーネストが比較しているのは、精霊を行使する精霊魔法の使い手や、膨大な魔力を持っていたとされる帝国の魔導士達だ。
比較する対象が違うだろうと言いたいが、アーネストそう思っていなかった。
なんせそんな帝国の魔導士達でも、多量に押し寄せる魔物には敵わなかったのだ。
だから帝国は滅びてしまった。
決して指揮官や上に立つ者が、無能な者だったとは思えなかった。
「この程度で音を上げていたら、いつしか魔物が本格的に攻めて来た時に…
勝てないだろう」
「そう…なのか?」
「ああ
物量は怖い
下級の魔物でも数が揃えばな…
勝てるモノも勝てなくなる」
そう言い残して、アーネストは座席で横になった。
「悪いが魔力が回復するまで、暫く休ませてくれ」
「ああ
村に着いたら起こすよ」
「ああ
それで頼む」
そう言ってアーネストは、そのまま眠ってしまった。
ギルバートはそんな友の顔を見ながら、複雑な心境になっていた。
昨晩のアーネストも、その前のアーネストも同じアーネストだ
それでも、今のアーネストとはまるで違っている
冷酷な魔術師なのか?
今の彼は、優しい友人のふりをしているだけなのだろうか?
友を信じたかったが、彼の非情な行動はギルバートには受け入れられない物だった。
彼の自分の為だと言う意味も、今一分からなかった。
オレの代わりに、非情な決断を下している?
そういう考えもしてみた。
しかしそれでも、あんなに簡単に人を殺せるものなのだろうか?
なんか手馴れている様な気がして、そこがまた信じられ無かったのだ。
実際にアーネストは手馴れていた。
アルベルトに害を成す者を許せず、その者を陰ながらに葬って来たのだ。
それを悟られなかったのは、偏に普段の行動が能天気であったからだ。
それからほどなくして、一行は無事に麓へ到着した。
そこは長閑な村で、村人は農業で生計を立てていた。
ここには魔物の姿も無く、彼等はゆっくりと農作業を行っていた。
ギルバート達の馬車が通ると、陽気に話し掛けて来た。
「よう
どこへ向かっているんだい」
「王都へ向かっている」
「王都へ?」
ギルバート達が来た方向は、山脈の麓とはいえダーナから下りて来る方角とは違っていた。
だから農民達も、彼等は他の国からの隊商と思っていたのだ。
てっきり町に向かうと思っていたが、それが違うと言うのだ。
「あんた等…
どこから来なすった?」
「そうだよ
森を迂回して来たんじゃないのかい?」
「あっちの道から来たんだよ」
「あっち?」
「ああ
古い公道を渡って来たんだ」
「何だって?
あの険しい道をかい?」
「ああ」
「どうしてまた?」
「王都へ急ぎの用事があってな
それで旧道を渡って来たんだよ」
「王都へ?」
「急ぐのかい?」
「ああ」
農民達に迎えられて、ギルバート達は農村へ入る門を潜った。
そこは半径500mほどの小さな村だ。
入り口の門も城壁に囲まれているわけではなく、簡素な木で造られた柵だけであった。
「それでは、どうなさるんで?」
「このまま、町まで向かいなさるんですか?」
「いや
さすがに疲れたから、今夜は泊まらせてもらおうと思っている」
「どこか良い宿はあるかい?」
兵士達に聞かれて、農民達は困っていた。
「宿はあるにはあるが…」
「村には1軒しかないんじゃ」
村には小さな宿屋が1軒しか無く、そこへ案内してもらう事となった。
しかし、宿には既に隊商が入っており、部屋は2部屋しか空いていなかった。
「すまないが、既に部屋が埋まっていてね
例え貴族様が相手でも…」
「分かっている
空いてる部屋だけで良い」
「そういう事でしたら」
1部屋が銀貨5枚で、2部屋分の銀貨10枚を払い、ギルバートとナンディが泊まる事となった。
兵士や冒険者は広場を借りて、そこで野営をする事となった。
アーネストもそこに混じり、馬車で寝る事にする。
理由は氷の見張りが必要だったからだ。
「良いのか?」
「ああ
みんなが野宿なんだ、ボクもそうするよ」
「それならオレも、そっちに…」
「駄目だ!」
「え?」
「前から思っていたが、お前はもう少し、貴族としての自覚を持て」
「いや、それを言うならお前だって…」
「ボクはまだ、叙爵されていないからな
貴族を名乗るわけにはいかないんだ」
「それは…」
内心ズルいぞと思いながらも、ギルバートは文句を言えなかった。
国王から叙爵の約束があるとはいえ、まだ爵位はいただいていないのだ。
それに、どんな家名を貰うかも分かっていない。
家名も家紋も無いのでは、貴族を名乗る事は出来ない。
アーネストの言い分の方が正しいのだ。
「食事はそこで食べれるし、寝るのも馬車の中だ
心配するなよ」
「そうは言うが…」
ギルバートは、自分だけ特別扱いが嫌だったのだ。
それでも貴族なので、こんな所で野宿をするのは良くないと言われれば、それに従うしか無かった。
「明日の朝には迎えに行く
それまで寂しくて泣くなよ?」
「誰が泣くか!」
アーネストの冗談に、ギルバートは顔を赤らめて怒っていた。
確かに寂しいと思っていたので、図星を突かれて怒っていたのだ。
宿屋の好意で、他の隊商と時間をずらす事で、みなが食事を取る事が出来た。
今夜の晩飯は野菜と鶏肉のスープに、猪の干し肉を焼いた物を挟んだパンが提供された。
スープは塩しか使っていないが、この土地の野菜を使っているので、味はしっかりと出ていた。
それに干し肉にも、野菜と肉を焼いたソースがかかっていて、コッテリとした味が旨かった。
「これは旨いな」
「でしょう
地の物の木の実と野菜を、肉と一緒に煮込んだソースを使っています
それがまた旨いんですよ」
「そうそう
パンにも合うけど、野菜にかけても旨いんだ」
確かにコッテリしたソースなので、サラダにも合うだろう。
ナンディはさっそくレシピを聞きに行っていたが、宿の主人は門外不出だと断られていた。
これが食卓に並ぶのは魅力的だが、宿屋も人気の料理のレシピだ。
簡単に教える事は出来ないのだろう。
他にもデザートとして、秋の木の実が蒸されて並べられていた。
甘いものもあったが、どちらかと言えば酒のつまみの様だ。
さっそくナンディとアーネストが、葡萄酒をカップに注いでいる。
「おい
アーネスト」
「うん?」
「お前、酒は飲まないって…」
「ああ
明日からは飲まないよ」
「…」
酒にだらしが無い大人が、よく使う言葉が返って来た。
「せっかく山脈を無事に越したんだ
今日ぐらいは祝いの酒を味合わなきゃ」
「そうそう
今夜は飲むぞ」
既にナンディは出来上がっていて、アーネストのカップに葡萄酒を注ぐ。
「お?
良い飲みっぷりだね」
「じゃない!
あんたも未成年に飲ませるな」
「良いじゃないか
ここもダーナと同じで、11歳から成人だよ」
「そうそう
ボクも成年だから、飲んでも問題無いんだよ」
二人は陽気に酒を酌み交わして、木の実を味わっている。
それを見ながら、ギルバートは助けを求めて兵士達を見る。
しかし兵士達も、仕方が無いと言わんばかりに、首を振ってそっぽを向いた。
冒険者の方を向くと、こちらも既に出来上がっていた。
「はあ…
知らないぞ」
ギルバートは溜息を吐きながら、顔を赤らめた友や旅の仲間を見ていた。
この分では、明日の朝には二日酔いになっているだろう。
いや、それ以前に起きれるのだろうか?
言っても聞かなそうな酔っ払いを放って置いて、ギルバートはさっさと食事を済ませた。
ここには風呂は無いので、お湯で身体を拭くだけになる。
それを済ませて、さっさと寝ようと思った。
旅はまだ続くのだから、ここで羽目を外すわけには行かないのだ。
時刻はまだ10時頃であったが、ギルバートは客室へと引き上げた。




