第145話
いよいよ山脈を下る日が来た
既に砦から出てからも8日目に入ろうとしていた
まだ戦闘は起こっていないだろうが、時間は迫っている
早く下りないと麓からでも王都までは数日は掛かるのだ
そう思いながら、ギルバートは険しい下りの道を見ていた
ここから…下りなければならないのだ
これまでの山脈の公道も、それなりに厳しくはあった
路面は岩肌が多く、馬の蹄にも負担を強いていた
しかし…
そこから伸びる道は、大よそ道とは言い難い物であった
「本当にここを下りて行くのか?」
「ああ?
そうだが?」
「そうだが?じゃないだろ」
その視線の先に伸びるのは、岩肌が凸凹になった道が続いている。
しかも道の幅は、これまでの半分ぐらいで馬車がやっとすれ違えるかぐらいの幅しかない。
「これじゃあ、向こうから馬車が来たら…」
「それは心配は無い」
アーネストはそう言うが、片方は岸壁で、もう片方は切り立った崖になっている。
上手く真ん中を進まないと、あっという間に崖の下に落ちてしまう。
道の端から下を見るが、下の道までは数mの高さがある。
落ちたら無事では済まないだろう。
「おい?」
「うわあ!」
下を覗き込むギルバートに、アーネストが不意に声を掛ける。
ギルバートは慌てて飛び跳ねると、すぐさま岸壁の方へと逃げる。
「何だよ」
「急に声を掛けるな
落ちたらどうするんだ」
アーネストの声に驚いて、落ちていたらと考えてギルバートは顔を青くする。
「大袈裟だな」
「そうでもないだろ
これだけの高さだぞ?」
「そうか?」
「馬車は兎も角、お前は城壁から飛び降りていただろ?」
「あ…」
ギルバートは改めて崖を覗いて見る。
言われてみれば、下までは城壁より少し高いぐらいだ。
「お前は忘れていたみたいだけど
身体強化を使えば…」
「それでも痛いだろ」
ギルバートは忘れていたが、確かに身体強化を使えば大丈夫そうだった。
大丈夫そうなんだが…恐らく相当に痛いだろう。
怪我こそしそうにないが、足の裏は痺れるだろう。
下手をすれば挫くかもしれない。
「まあ、そういうわけだから
端っこを歩くのは気をつけろよ」
「お前も急に声を掛けるな!」
ギルバートはそう言いながら、馬車の近くに戻る。
もう下を覗くのは止めようと思いながら。
「しかし…
他に道は無かったのか?」
「ん?
あるぞ」
言いながらアーネストは、少し先に続く道を示す。
「ここからもう一日進めば、もう少しなだらかな道はある」
「なら、そこを…」
「進めばもう何日か余分に掛かるだろうな」
「う…」
そうなのだ。
急ぐ旅だから、多少は危険でも早く下りれる道を進むのだ。
「ここは旧道で、過去に帝国が攻め入る時に造られた道だ
普通は向こうの、新しい公道を通るんだ」
「それでは…駄目か?」
「ああ」
アーネストは地図を開いて見せる。
これは領主にのみ渡される地図の写しで、本来なら門外不出である。
アルベルトに許可を得て、アーネストが事前に作っておいた物だ。
「これが…
本来の公道だ」
アーネストは地図上の、大回りの道を示す。
それを所々躱して、近道が記されている。
「ボク達が通ったのはこっちで、それで対抗する馬車も少なかった」
アーネストは近道を指差しながら、自分達が通ったのは近道だったと示す。
「こっちを通ったから馬車の遭遇も少なかったし、時間の短縮にもなった」
「それは分かった
分かったが…
もう少しこう…何とかならないのか?」
「無理だな
下りだと倍近くの時間が掛かる」
「そうか…」
倍近く掛かるとなれば、急ぐ理由がある以上、こちらを通るしかないだろう。
「この道は亡者の道と言って…」
「え?」
「亡者の道だって」
道の名前を聞いて、兵士達が騒がしくなる。
「確か多くの帝国兵が犠牲になって
今でも亡者が彷徨くって…」
「そこは亡者の巣だって…」
兵士達は急に怯えだし、慌てて周囲を見回す。
「それはここを通らせない為だな
ここが通れれば、他国から攻められ易くなるからな」
それをあっさりと否定して、アーネストは手を上げてお道化てみせる。
「そういう怖い話があれば、わざわざ通る馬鹿はいないだろう」
「そりゃあそうだが…」
「だが、帝国兵が死んだって話は本当だろう?」
「ああ
だから気を付けないと、お前らも亡者に…」
「止めろよ!」
「そういう冗談は、良くないぞ?」
兵士達は顔を青くして、怯えて周りを見回す。
「そら!
そこの繁みから…」
ガサガサ!
「うわあああ!」
「ひいいい!」
繁みがガサゴソ音を立てると、兵士が顔を出す。
「ん?
何だ?」
「お前かよ!」
「驚かせるな!!」
理由も分からず、周囲を警戒していた兵士は怒られてしまった。
「何だ?」
「ここが亡者の道だって、教えていたんだ」
「ああ、なるほど…」
彼は事前に知らされていたので、周囲の安全を確認していたのだ。
それを知らない兵士は、彼が繫みから出て来たので、亡者が出たのと勘違いしたのだろう。
アーネストは知っていたので、それを使って揶揄っていたのだが…。
「帝国の亡者は出ないだろうが、他は分からんぞ?」
「え?」
兵士は道の脇の繁みから、その奥へと案内した。
「これを見てくれ」
「うわあ…」
「こいつは…」
そこには血の跡が残っていて、何者かが襲撃された事が示されていた。
「これが魔物か人間か、何者が襲ったのかは分からない
分からないが…」
兵士が血の跡を辿って、その先の崖下を見せる。
「その後はこうだ」
そこには落とされた馬車の残骸と、数人の死体が見えた。
「後で始末しておこう
亡者になられては厄介だ」
「そうだな…」
どうやらここで襲撃されて、証拠を隠す為に落としたのだろう。
可能性が高いのは…。
「どう思う?」
「恐らくデブだすだな」
「だろうね
それで見つからなかったわけだ」
これまでも、探せばこういった襲撃跡があったかも知れない。
恐らく彼等は、こういった人目に付かない場所を熟知していたのだろう。
そうして、そこに案内して、殺しては崖下に投棄していたのだろう。
悪人は、こういった事には頭が回るのだ。
「他にも犠牲者はいるんだろうな」
「そうだろうね
行方不明の隊商が、全て奴等にやられたとは考えたくはないが、それでも…」
「こう証拠が見つかってはな」
取り敢えずは、出発して下の繁みを目指す事になった。
そこは公道の少し奥になるが、死体をそのままには出来ないからだ。
勾配のキツイ道を進みながら、先ほど除いた繁みの手前まで来る。
「これは気付かれないな」
「ああ
こっちは旧道だし、普段は使う者もほとんど居ない」
「それに…」
もし使っていても、先ほどの繁みを入るか、こっちに来なければ気付かないだろう。
繁みに分け入り、奥に向かうに連れて、腐臭と血の匂いがしてきた。
「う…」
「死んで何日か経っているな」
バラバラに飛び散った馬車の残骸と、その上に投げ捨てられた死体が見つかった。
死体は全部で12名で、商人が5人と冒険者らしい皮鎧を着た者が7名だった。
「ん?」
「どうした?」
「人数が…な」
言われて兵士は考え込んだ。
確かに変な人数だ。
馬車は3台分だが、死体が少ないのだ。
「奴隷用に連れ去られたか?」
「或いは既に…」
ガサガサ!
繁みが動く音が響き、みなが一様に緊張する。
ヴヴヴ…
ヴアアア…
繁みから這いずりながら、血まみれの人が頭を出す。
「遅かったか…」
商人らしき人物と、冒険者の成れの果てが姿を現した。
既に顔色は土気色で、頭や顔には切り傷も残っていた。
「気を付けろ
成りかけだが危険だぞ」
「首や手を切り付けるんだ
先ずは動けなくさせろ」
落とされた衝撃で、手足は折れているのだろう。
それでも這って、街や砦に向かおうとしたのだろう。
彼等の無念を思えば、一刻も早い処置が必要だった。
一行は無言で亡者に近付くと、一思いに手足や首を跳ね飛ばした。
「これで動けなくなったが、どうしますか?」
「こっちへ運んでくれ
残骸と一緒に燃やそう」
噛まれたりしない様に気を付けて、そのまま死体を運んで行く。
噛まれても亡者にはならないが、何の病気が移されるか分からない。
まだ蠢く腕や脚も運ばれて、そのまま残骸の上に運ばれた。
ヴヴヴヴ…
ヴアアアア…
まだ声を上げている死体を、そのまま残骸の上に並べ、そこへ火を点ける。
「まだ報われぬ魂に安息を
彷徨う死者に永遠の眠りを与えたまえ
火よ
汝が持ちし清らかなる力を
この者達に与えたまえ
ファイヤー」
アーネストが祈りの文句と共に呪文を詠唱して、火の魔法を掛ける。
魔法の行使で残骸に火が点き、同時に亡者へも炎が点った。
アアああ…
ヴヴううああ…
魂に火が点り、浄化されたのだろうか?
亡者の声は次第に小さくなり、ゆっくりと燃え尽きて行った。
「女神様
彼等に安息の時を与えたまえ」
ギルバートも祈り、併せて兵士達も祈りを捧げた。
死体を燃やす嫌な臭いが立ち込めたが、誰も文句は言わなかった。
彼等の不幸を思えば、この様な事は小さな事に思えたからだ。
「彼等に安らぎが与えられれば…良いな」
「ああ」
火が落ち着いて、他に燃え移らないのを確認してから、一行は繁みを出た。
そこにはナンディと冒険者達が待っていた。
彼等にはこの光景は見せられないので、外で待ってもらっていたのだ。
「終わりましたか?」
「ええ」
彼等には亡者になった事は伏せて、死体を残骸と一緒に燃やしたとだけ伝えた。
「残念だが、みんな殺されていた」
「死体は残骸と一緒に、全て燃やしました」
「それが宜しいでしょう
亡者になって彷徨うのは、彼等も辛いでしょう」
ナンディはそれを聞いて、彼等の冥福を祈って目を瞑った。
「それで…
これなんですが」
ギルバートは一応、隊商の馬車の残骸から商標だけは外しておいた。
それがあれば、彼等が何処の誰であったか分かるからだ。
これを麓の町に持って行って、商人ギルドへ伝えるのだ。
「では、ワシが預かりましょう」
ナンディがそれを受け取ると、丁重に布に包んでしまった。
それを持って、ギルドで報告する為だ。
「後はワシにお任せください
何者かが襲ったと伝えておきます」
「ええ
よろしくお願いします」
ギルバートも頷き、それでこの事は終わりにする事になった。
先を急がなければならないからだ。
「さあ、行きましょう
先はまだ長いんです」
「ええ
出発しましょう」
すぐに馬車に乗り込み、一行は準備を始めた。
今日中にこの公道の、半分は下りておきたいのだ。
「出発!」
「出発!」
一行が去った後を、栗鼠が見送っていた。
馬車が去った事を確認してから、栗鼠は小走りに繁みに入って行く。
そこには真っ赤なマントを羽織った男が立っていた。
栗鼠はその男の身体を駆け上り、男の耳元で何事か報告する。
「ありがとう
これで彼等も彷徨わずに済みました」
チッチッ!
栗鼠の返事を聞いて、男は頷きながら答えた。
「そうですね
あなた達にとっても、亡者は嬉しくない隣人ですからね」
男はそう呟くと、そっと栗鼠を地面に降ろした。
栗鼠は礼を言う様に小さく鳴くと、頭を下げて繁みの奥へ戻って行った。
「さて、後は私が…」
男はそう呟くと、何かの呪文を唱え始めた。
「こればっかりは、まだ彼にも無理でしょうから…」
男が呪文を唱え終えると、辺りに淡い光が差し込み、光輝が静かに包み込んだ。
そこには清浄な空気が漂い、醜悪で不浄なモノを清めていっていた。
「いずれは学んでもらわないと…」
男は懐の本を確認して、ゆっくりとその場を後にした。
本の数秒前と違って、辺りには済んだ空気が流れていた。
ギルバート達は、滑り易い岩肌の多い道を慎重に進み、夕刻前に野営地に到着した。
本当はもう少し早く着いて、ゆっくりと疲れを取る予定だったのだ。
それが馬車の残骸を発見して、その処理に時間を食ってしまったのだ。
一行は疲れていたが、黙々と野営の準備を始めた。
ここで時間を使えば、それだけ休める時間が少なくなるのだ。
「思ったより疲れているな」
「ああ
道が走り難かったからな」
滑り易い道を進む為、馬車の操縦も神経を使ったのだ。
それに、また亡者が出るかも知れないと思えば、兵士や冒険者も緊張していた。
アーネストが時々、索敵魔法で確認はしていたが、それでも安心は出来なかったのだ。
「魔物…
出なかったな」
「ああ
ボクが索敵してるからな」
「亡者も…」
「そうだな」
アーネストの様子に気が付き、ギルバートは尋ねる。
「居なかったんだよな?」
「それらしい場所はあった」
「はあ?」
「何で教えなかったんだよ?」
ギルバートは通って来た道を振り返りながら、アーネストに返した。
しかしアーネストは、首を振りながら答える。
「ボク達は急いでいるんだ
それに…」
「それに?」
「全てを救おうだなんて、無理だろう」
「だからって」
ギルバートはアーネストに詰め寄るが、アーネストはその手を払った。
「だったらどうするんだ?
全てを調べて、その度に止まるのか?」
「そりゃあ…」
「なあ、ギル
何で急いでいるんだ?」
「ダモンが反乱を起こそうとしているからで…」
ギルバートは言葉を濁しながら、俯いて答える。
「それならどうして、立ち止まろうとする?」
「それは…」
「場所は地図に記してある
後程王都で報告するつもりだ」
「だが…」
「王都に急がなければ、もっと死人が出るかも知れない」
「そうなんだが…」
ギルバートは悩んでいた。
アーネストの言う事ももっともだが、それでも救える者が居るのなら、救ってやりたかった。
「分かって欲しい
これはお前の為でもあるんだ」
アーネストはそう言うと、静かに焚火の準備を手伝いに向かった。
ギルバートはそんな友の姿を見ながら、些か薄情だと思った。
いくら急いでいるからとはいえ、そのまま放置というのは心苦しかった。
そのまま友の姿を見ながら、物思いに沈むのであった。




