第140話
いよいよ身体強化を利用しての、出発が行われようとしていた
これまでに、砦までが5日間、訓練を含めてこの山脈で5日が経っている
ダモンが蜂起するまでどのぐらいの余裕があるかは不明だし、フランドールがどう動くかも分からない
そうなると時間に余裕が無いのが分かる
当初の予定が2週間程度だが、ここから何日で越えられるのか
それが鍵になりそうだった
日が昇り始めて、野営地にも日が差し込み始める
今が秋の始めなので、時刻は7時前後といったところだろう
みなが起き始めて、さっそく支度を始めた
御者も準備をするが、今回はその隣に冒険者も乗る事になる
その間の馬は、他の冒険者が手綱を持って移動する
「すっかり準備も出来たな
それでは出発を…」
「ちょっと待て」
ギルバートが出立の号令を発するのを、アーネストが止める。
ギルバートは怪訝そうな顔をして振り返る。
いざ出発と言う段になって、何で止めるか理由が分からなかった。
「ギル
出発するのは良いが、途中でペースが落ちた時の事は考えているのか?」
「え?」
「だから!
魔力切れか維持が出来なくて、ペースが落ちたらどうするかだよ」
そこまで言われて、ギルバートは気が付いた。
昼前まで行軍して、そこで休めば良いと思っていたが、そこまでもたなかった場合の事だ。
そこまで考えていなかったので、そこで答えに窮した。
「ううむ…」
「考えていなかったな」
「う…
そうだ」
「よし
それでは、冒険者の方で無理そうなら、すぐに連絡をしてくれ
そうすれば速度は落とす」
「はい」
「伝令は近くに居る仲間でも兵士でも良い
兎に角無理はするなよ
魔力枯渇は相当に苦しいからな
後々の行軍にも響く」
分かっているんなら最初から言えよ
平気そうな顔してて、本当は知っているんじゃないか
冒険者達はそう思ったが、内心を隠して了解の旨を伝える。
「分かりました」
「無理だと思ったらすぐに伝えます」
「うん
そうしてくれ」
そう言いながら、アーネストは念の為にマジックポーションも配らせた。
もし気を失うほどの場合は、すぐにでもポーションを飲ませて処置をしなければならない。
その為には、本人より周りの者がポーションを持っている必要があるからだ。
「よし
これで準備は良いだろう
改めて出立の号令を頼む」
「ああ」
「それでは、訓練の成果を発揮して、少しでも先に進もう
出発だ!」
「おお」
ギルバートの掛け声に、御者が応えて馬に鞭を与える。
それに合わせる様に、横に乗った冒険者達が魔力を練り始める。
馬は嘶き、力強く出発を始める。
その行軍速度は、先日までとは違って早かった。
まるで荷物を載せていない様な、空の馬車を曳く速度で走り出した。
「速度は申し分ないな」
「ああ
後は馬車の車がもつかだな」
このまま速度が維持出来れば、行軍速度は格段に上がる。
だが、ここは平坦な公道ではなく、山脈の凸凹した畦道であった。
これでも整備して、小石や岩はなるべく取り除かれている。
そうしなければ馬車の車が壊れて、公道を塞いでしまうからだ。
その辺は、あの駄目守備隊長にしてはしっかりと働いていると言えるだろう。
「それと、彼等がどこまで頑張れるかだな」
「そうだな」
昨日の晩も、こっそりと練習しているのを知っている。
消費を抑えて、少しでも長く、疲れない様に練習していたのだ。
それで朝に響くと問題なのだが、冒険者達はその辺も考えて、慎重に訓練していた。
その為に、今朝は全体に魔力量も上がり、しっかりと回復していた。
アーネストは心配していたが、このまま行けば昼過ぎには、予定していた野営地の先の野営地まで行けそうだった。
馬車は順調に進んで、次の野営地へと向かっていた。
しかしその時、ナンディが小さく叫んだ。
「不味い!
すぐに全体を左に寄せるんだ」
ナンディの指示に従って、馬車は左側へと移動する。
こうした公道で、対抗する馬車があった時には左に寄せてすれ違う。
これはどこでも同じ方法で、商人の間では当たり前の事であった。
しかしナンディは、更に下馬して寄せる様に指示を出した。
これは貴族や王族など、目上の者が通る際の儀礼的な方法であった。
「何だ?」
「こんな所を…貴族か?」
平原の公道なら兎も角、こんな山脈で貴族と行合うとは非常に珍しい。
ギルバートは家紋付きの馬車だし、乗っているのも元貴族である。
同じ貴族であれば、余程家格が違わない限りは、わざわざ降りて頭を下げるまでの事は無い。
しかし、その先から下りて来たのは、派手な金ぴかの悪趣味な馬車だった。
「え?」
「何…あれ?」
二人共絶句して、兵士も呆然として見ていた。
その一行の前で、馬車は不意に停止した。
不味い
これは非常に不味い事になったぞ
ナンディは内心、舌打ちをしながら頭を下げていた。
停まった馬車から怒鳴り声が響き、ガラスが割れる様な音がした。
ガラスは高級品で、王都や領主の邸宅ならいざ知らず、こんな所へ持って来る物ではない。
そこで馬車の傍らに立っていた兵士が、大きな声で誰何してきた。
「貴様ら!
このお方がどなたか知っておるのか!」
「何だ?」
「どなたかって、知らないぞ」
二人は聞こえない様に、小声で話している。
「こちらの馬車は、王都でも有名なガモン商会の馬車であるぞ
そして乗られている方も、ガモン商会の商人、ダブラス様であるぞ
頭が高い!」
「へ?」
「何だって?
デブだす?」
アーネストの言葉が聞こえたのか、御者台に座った兵士が苦悶の表情をする。
ギルバートの代わりに、身体強化をすると乗ったのだが、それが彼の不運であった。
彼は笑いを堪えながら、必死に頭を下げて震えていた。
それを見て、恐怖に震えていると判断したのだろう。
気を良くした兵士は、更に居丈高に宣言した。
「そこな馬車の者
何故下車して頭を下げぬ」
「はあ?」
「何言ってんだ、あいつ」
二人の意見は当然だった。
貴族の家紋が着いた馬車に、たかだか商人が下りて頭を下げろと言うのだ。
これが普通なら、おかしくて笑える話だろう。
しかし、ここは辺境で、ダモンが治める砦のすぐ近くであった。
やはりそうなるか…
ナンディは危惧していた通りな展開に、内心溜息を吐いていた。
さて、どうしたものかと周りを見回す。
しかし当てになりそうな者は居ない。
「どこの貧乏人か知らんが、王都の礼儀も知らんのか
もういい、降りぬのならこの場で、切って捨てるまで」
兵士は馬から長柄の斧を外して、構えながらゆっくり向かって来る。
「おいおい、本気か?」
「こっちは貴族の家紋付きだぞ?」
二人の言葉に、兵士が正気に戻った。
まだ思い出したら吹き出しそうだが、必死になって弁明を始める。
「そちらこそ!
この馬車の家紋が見えぬのか!」
兵士が首を捻り、主の元へと戻る。
その間に、御者台の兵士が名乗りを上げた。
「この家紋はダーナが領主、クリサリス公爵様の家紋だぞ
そちらこそ頭が高いだろう」
ナンディはマズいと思ったが、既に遅かった。
それを聞いた兵士は、ニヘラと笑って小馬鹿にした態度に変わった。
「クリサリス公爵?
そんな田舎の貧乏貴族なんぞ、知らんなあ」
「なっ!!」
「それに、家紋がどうだか知らんが、乗っている者は違うだろう
王都で名高い、ガモン商会に盾突いたらどうなるのか
思い知らせてやろうか?」
「貴族に
公爵家に所縁の有る者に、手を出そうと言うのか!」
「ああん?
公爵だか何だか知らんが、ここはダモン様が治める地だ
ここで逆らえると思っているのか?」
男はゆっくりと近付くと、持っていた斧の柄で兵士の顔をペシペシと叩く。
「さっさと降りて、地に頭を着けて平伏すんだな
そうすれば、命ぐらいは赦してやっても良いぞ」
まるで野党か何かの様に、その男は下卑た顔で御者台に近付くと、斧の柄で兵士を殴り付けた。
「ぐっ」
「な!」
「止せ、ギル」
ギルバートが思わず立ち上がり掛けるが、アーネストがそれを止めた。
「ふん
中はガキが二人だけか」
男はそう言うと、主の乗った馬車へ声を掛ける。
「どうしやすか?
中はガキが二人だけみたいです
この場でバラしますか?
それとも身代金でも取りますか?」
後半は面倒臭そうに言っていたが、その言葉から慣れているのが窺えた。
馬車の脇の兵士が、何事か聞いて頷く。
「さっさとガキを降ろして、金品を確かめろだとよ
ガキの始末はそれからだ」
「分かったよ
ちっ、面倒臭えなあ」
「おい!
さっさと降りやがれ!」
男は斧を構えて、御者台の兵士の首に突き付ける。
「貴様あ!
こんな事をし…がっ」
兵士は最期まで言えずに、頭に斧の一撃を受けて吹っ飛んだ。
頭から地面に落ちて、地面には血の染みが広がった。
「ちっ
頑丈な奴だ、普通なら首が跳んで見ものなんだがな」
「貴様あああ!」
遂にギルバートが押さえれずに、馬車から飛び出した。
後ろからアーネストが左手を掴み、必死になって押さえる。
「まあまあ
ギル
こいう事には順番があるんだ」
「そんなの関係あるか
今すぐ叩き切ってやる」
そんな二人を見下ろし、興味無さそうに男は馬車を振り返った。
「どうしやすか?」
「手前の小僧が貴族だろう?
顔は好さそうだから、小姓にでも使うってよ
横の小姓は好きにしろ」
馬車からの応えに、男は舌なめずりをしながら手品な笑顔を浮かべる。
「だとよ
良かったな、小僧
ダブラス様に気に入られれば、たっぷりと可愛がってもらえるだろうさ
そっちの小僧はオレのもんだ」
「こいつ等…本気か?」
「ああ
本気の馬鹿なんだろう」
「ああん?」
男は二人の言葉に、理解出来なくて顔を歪める。
まさかこの後に及んで、泣き喚く事も無く、命乞いもしてこない。
それどころか馬鹿にした様な蔑んだ目で見ていた。
「どうやらギルは
そのデブだすとやらの慰み物らしいぞ?」
「何だ?
その慰み物って?」
「おま…
良い、後で教えるよ」
アーネストは呆気に取られた男の方を向くと、ニヤリと笑った。
「それで?
オレをどうにか出来ると…思っているんだろうな」
わざと溜息を吐いてみせて、肩を竦めて馬鹿にする。
それに男は反応して、肩を震わせて怒り始めた。
「こ、小僧!
このオレを馬鹿にして、生きて入れると思うな!」
「へえ?」
「全身の骨を砕いて、命乞いをするまでいたぶってやる
その後に首を刎ねて、内臓は…」
「もういい
マインドスタン」
事前に呪文を唱えておいたのだろう。
アーネストが魔法を発動させて、男は白目を剥いて倒れた。
「あれえ?
この魔法は余程の馬鹿でないと掛からないんだけど…」
「おい
殴れなかったじゃないか」
ギルバートは改めて剣を抜くと、金ぴかで悪趣味な馬車を睨んだ。
「後はあの、デブだす?
あいつだけだな」
デブだすに、後方で吹き出す音が聞こえたが、それは聞き流されていた。
「貴様ら!
重ね重ねの無礼
もういい、全員殺してしまえ!」
金ぴかの馬車の兵士がそう叫んだが、直後に頭に矢が突き刺さった。
「がっ?」
「私も怒っているのよ」
御者台の女冒険者が、次の矢を番えながら呟く。
冒険者達は一斉に、攻撃して良いのか雇い主を見た。
「もういい
こうなったら、残さずやってください」
「おうさあ!」
「行くぞおお!」
ナンディは投げやり気味に呟き、冒険者達は一気に突っ込んで行った。
金ぴかの馬車の後ろにも、3台の馬車と護衛の兵士が居たが、彼等も纏めて捕らえられた。
戦闘は一方的で、魔物と戦い慣れた冒険者からすれば、王都の破落戸風情では相手にはならなかった。
ほとんどが一撃で武器を弾かれるか、腕や脚を失って倒れていた。
「おい…
本当に私の…オレの怒りのやり場が…」
ギルバートはあっという間に片付き、不満の捌け口が無くなっていた。
「まあまあ
こういうのは部下の仕事だから
ギルが一々出て行っては駄目なんだよ」
アーネストが肩を叩き、意気揚々と金ぴかの馬車へ近付く。
「さて
おや?
本当にデブなんだ」
アーネストは馬車を覗いて、嫌な物を見た顔をした。
兵士に顔を向けると、頷いて馬車から引き摺り出させる。
「貴様
このワシに向かってこんな事を…」
ダブラスが何か言おうとするが、アーネストはそれを手を上げて合図を出す。
すぐさま兵士が猿ぐつわを噛ませて、ダブラスを黙らせた。
「さて、こいつの処置だが…」
「王都へ連れて行く」
「うん
ギルならそう言うだろうな」
アーネストは意味ありげに言うと、ナンディの方を見た。
ナンディも馬車から降りていて、それに頷く。
「??」
呆気に取られるギルバートに、アーネストは静かに告げた。
「ここはボクに任せて欲しい
頼んだよ」
「は、はあ」
兵士は不満そうに、ギルバートに近付く。
「では
殿下、あちらに参りましょう」
「え?」
兵士二人に挟まれて、ギルバートは少し離れた場所へ連れて行かれた。
「どういう事なんだ?」
「それは…そのお…」
「今は黙って、お待ちください」
そう言った直後に、くぐもった悲鳴や怒号が聞こえる。
「え?
何だ」
「殿下にはまだお早いです」
「そうです
ここは堪えてください」
兵士に押さえられながら、ギルバートは悲鳴が上がるのを聞いていた。
それは数分で収まり、やがて野営地は静寂に包まれた。




