第132話
ギルバートは東門の先にある、ノルドの森と竜の背骨山脈を思い描いた
南の街道からでは、森を大きく迂回してから山脈へと向かう
王都へ向かうには、どの道山脈を越えなくては辿り着けない
山脈まで迂回するとなると旅の日程は大きく変わってくる
山脈ルートでも3週間近く掛かるが、迂回すれば2月は掛かる事になる
いくらアーネストが体調万全であっても、2月も魔物の死体を凍らせ続けるのは無理だろう
先ずは東門を出て、森を抜ける公道を進む事になる
大体5日ぐらいで、山脈と鉱山を結ぶ砦に辿り着ける
ここは魔物が少なくて、ゴブリンかコボルトぐらいしか現れない
だから砦では、魔物の襲撃にではなく、鉱山での暴動へと備えていた
鉱山の労働者は、半数は出稼ぎだが残りは犯罪者や思想犯が収容されている
奴隷制度を善としない、クリサリス聖教の教義が影響していたからだ
「問題無く進めば、5日後には砦で休めます」
「しかしそれまでは、公道の脇で隊商と共に野営となります」
野営となれば、身分には関係無く、みな平等に見張りに立つ必要がある。
ギルバートも当然、兵士達と一緒に見張りに立つ。
「殿下には申し訳ございませんが…」
「分かっている
見張りには私も立つよ」
「はい
ありがとうございます」
ギルバートが兵士に快く返事をしたので、兵士達も安心していた。
最近ではフランドールの横暴が見られて、兵士達も危惧していたのだ。
ギルバートも同様に、主人として横暴な振る舞いをするのではと。
「公道には小型の魔物しか出ません」
「道中は隊商と共に移動するので、護衛の冒険者も居ます
よほどの事が無い限り、魔物も向かっては来ますまい」
兵士達はギルバートを安心させる様に、魔物は大した事が無いと誇張した。
しかしそれを聞いて、ギルバートは逆に注意を促した。
「確かに小型の魔物しか報告が無いな
しかし、あの侵攻から半月は経っている
魔物の分布図にも変化が現れた筈だ」
「え?」
「それは…」
「さすがに大型は出ないだろうが、小型の魔物が襲って来る場合もある
そういう事だ」
「は、はあ…」
兵士達の様子を見て、アーネストが小声で付け足す。
「君達は安心させたかったみたいだけど、ギルはその危険を知っている
だから変に隠さず、異常があればすぐに報告してくれ」
「分かりました」
「それと…
大型の魔物が出たら、すぐに伝えてくれ」
「え!!」
「出るんですか?」
「分からないから、報告してくれと言ってるんだ
北から小物を追って、公道まで出て来るかも知れない」
「なるほど…」
「それは気付きませんでした
御忠告ありがとうございます」
兵士は頭を下げて離れると、すぐに一緒に行動する者達に報せに向かった。
この辺の判断が出来る辺り、なかなかのベテラン揃いみたいだ。
「おじさん…大丈夫かな?」
「ん?」
アーネストの呟きに、ギルバートが反応する。
「おじさんの側近は居ないけど、なかなかのベテランみたいだよ
使える兵士を取ってしまったみたいで…」
「ああ、将軍の…
でも大丈夫だろ
歩兵の中のベテランだし、恐らくはフランドール殿の私兵以外みたいだから」
「それは?」
「今のダーナはフランドール殿の街になる
そうなると彼等は…」
「邪魔者になる?」
「ああ
将軍も危ないかも知れないな」
「その点は大丈夫だろ
あの人なら、暗殺をしようにも部下の信頼が暑いからな」
「暑いか…ぷっ」
兵士達は、自分達を見てクスクス笑いを堪えるギルバート達を見て、首を傾げた。
まさか自分達と将軍の関係を、暑苦しい信頼関係と笑っているとは思わなかった。
「それなら大丈夫かな
フランドール殿も迂闊な事はしないだろう」
「ああ
当面は街を掌握するのに、四苦八苦しているだろうから」
今も書類の山に埋もれているフランドールを思い出して、二人は溜息を吐いていた。
あれでハリスや従者を使っていれば、もう少しは上手くやれただろう。
しかしそれすら出来ないほどに、彼は精神的に追い詰められていた。
街の住民の半数以上が、未だにギルバートの旅立ちを惜しんでいる。
彼はその重圧に、既に潰されそうになっていた。
「さて、そろそろ出立する時刻だ」
「ああ
ギルド長達に挨拶を済ませておこう」
二人は9時の鐘が鳴る前に、別れの挨拶を済ませようと街の重鎮達の元へ向かった。
ギルド長達はこれからの事を議論して、ギルバート達の準備を終わるのを待っていた。
「ですから!
商工ギルドとしては素材の供給が重要でして…
「しかし、街はまだ兵士が足りない
ウチも兵士に出せとせっつかれている
これでは冒険者が足りない」
「ですが新人の冒険者が入ったでしょう?
それに魔術師ギルドに応援を頼めば…」
「それをこっちに振りますか?
こっちも魔物と戦うには、まだまだ技量が足りていませんぞ
下手に森に出せば、纏めて死人が出る事になる」
「冒険者では、無理なんですか?」
「無理じゃろうな…」
ギルド長達は素材集めの為に、森に狩に出るべきか議論していた。
魔物の侵攻前には、大規模な狩が行われてギルドは大いに潤っていた。
しかし侵攻が終わった今、兵士が多く亡くなり、補充の兵士を鍛える必要がある。
そうなれば、当然狩は行われなくなってしまう。
そこで冒険者達に、代わりに狩に出て欲しいと言うのだ。
しかし冒険者達では技量が未熟な者が多く、大型の魔物では刃が立たなかった。
例え魔術師が同行しても、怪我人が多く出るか、死者が出る恐れがあった。
ただでさえ、兵士の徴兵で人が取られている冒険者ギルドとしては、これ以上の人員の不足は危機的状況であった。
新人が入ったと言っても、雑用か薬草などの採取ぐらいしか出来ないのだ。
野生の動物の被害や、隊商の護衛など仕事はいくらでもあるが、肝心の使える冒険者が居ないのだ。
「どうしました?」
ギルバートが気になって、会話に割り込んだ。
ここであまり意見を出せば、ますますフランドールの立場が無いのだが、このまま聞き流す事は出来なかった。
「あ、殿下」
「すいません
別れの挨拶に来たのに、議論に熱中してしまって」
「良いんだ
それよりどうしたんだい?」
「はあ…」
「それが…」
ギルド長達はこぞって、ここぞとばかりに不満を溢した。
全員が一斉に話し出すので、ギルバートは落ち着く様に宥めるのに苦労した。
「話を聞くに…
フランドール殿の強引なやり方に着いて行けないと?」
「はい、そうです」
「あんまりですよ」
「冒険者はみな兵士になれとか
どうせ日銭稼ぎで大した仕事もしてないだろう等と…」
「商工ギルドにも、仕事に必要な最低限で、後は徴兵に従えと」
「そんなに兵士は足りないのか?」
「いえ?
補充は亡くなった分で150名ぐらいでしょう
多くても200名ぐらいです
そこまで必要に迫っているとは…」
聞かれた兵士達も困惑していて、何故そんなに兵士が必要か分からなかった。
「それに…」
「人数は減らせと仰いますが、それでも収益は増やせと」
「はあ?」
「冒険者ギルドは人員が300名から200名を切るぐらいに減りました
それだけ徴兵に取られているんです」
「商工ギルドでも
人員は兎も角、収益が上がっていたのは魔物の侵攻による特需です
狩が行われなければ、それだけの収益は上げれません」
「うわあ
あれは狩で得た素材が大量だったから、市場を無視して卸したんだ
それを普段でやると、街の市場が混乱するぞ」
「そうなんですよ
軍に配ったのは、特需で安価に集めれたからです
それを同じ価格でやれと言われても、職人達が食えなくなります」
「それに、肝心の素材を集める者が…」
魔物の素材が集まったのは、兵士が訓練の為に狩に出ていたからだ。
それで大量に集まった素材が、市場の価格の半分ほどで売られていた。
だが、それは狩で多量に獲れていたからだ。
兵士が減った今は、必要に迫られない限りは狩にも出れないだろう。
先ずはそこまでの技量を、新しく入った兵士達と鍛える必要がある。
そうなれば、魔物の素材が入らない為に価格も上げざるを得ない。
薬草や鉱石といった素材にしてもそうだ。
採取したり運ぶ為の冒険者が足りていなければ、それだけ収入が減ってしまう。
そうなれば、どうしても価格が上がってしまうだろう。
「私達もどうしたものかと…」
「困ったなあ
私も今は、ここを出る身だ
あまり言う事も出来ないだろう」
「そうですよね」
「困ったわい…」
「兎に角、街の住民が暴動を起こさない様にしてくれ
私も国王に面会出来れば、お耳に入れる様に努めるから」
「はい
よろしくお願いします」
「ワシ等も住民と話して、何とか暴動は起こさない様にします」
「長くはもたないかも知れませんが…
このまま何事も起きない様に祈っています」
兎に角暴動は不味いので、出来る限り住民の反抗を押さえて、政策が変わる事を祈るしか無かった。
そうしなければ、近い内に住民が反旗を翻すだろう。
フランドールもそこまで無能では無い筈。
そうなる前に、何某かの政策を出すだろう。
嵐が起こる前に、上手くやり過ごしてもらうしかない。
「おっと
こんな暗い話をする為に集まったんじゃなかったのう」
「そうじゃ
今日は殿下が王都へ向かう、晴れの出立の日じゃ」
「このまま安心して、王都へ向かってもらわねば」
ギルド長達は思い出した様に呟くと、慌てて話題を変えようとした。
「殿下はこれで、晴れて王太子になられる身」
「そうそう
ワシ等だけではなく、これからクリサリスを背負われるのじゃ」
「まだ、そうとは決まってないんだが…」
「いいえ
アルベルト様のお子ならば、魔導王国の王の血を引く尊いお方」
「いや、国王様のお子であろう?
そう聞いとったが?」
「そうか?」
「そうなれば、もっと血は濃いかろう」
「そうじゃなあ
ハルバート様は魔導王国の国王様の親族
国が残っておれば、王位を継いでいたかも知れん」
ギルド長達の話を聞いて、ギルバートは首を傾げた。
「なあ
その魔導王国って…」
「ああ
殿下は知りませんでしたか
ハルバート様はロマノフ王朝の血を受けており、魔導王国が滅んでいなければ王位を継いでいたかも知れないのです」
「かの王国は、滅んだ経緯も不明なんですが…
ハルバート様はそこを出られた亡国の王子の孫に当たります」
「それは…本当の話しかい?」
「ええ」
「魔導王国自体は、物語として語られていますが、ロマノフ王朝は現実に存在します」
「帝国の初代皇帝が、その血を受け継いでいましたから」
「皇帝…」
「はい
皇帝はロマノフ王朝の復活を宣言され、王国の正当後継と唱えていました
ですからあれだけの、大きな帝国が生まれたのです」
「ギルは歴史は苦手だったからな…
本は読んでなかっただろう」
「う…
それは…」
「これからは王族に連なる身になります
もっとしっかり勉強されませんと…」
「そうですなあ
庶民の様に物語を信じるのは良いですが、肝心の正史を知りませんと…
政争で足元を掬われますぞ」
「肝に銘じるよ」
ギルバートは苦笑いを浮かべて、ギルド長達の苦言を受けた。
考えてみれば、父が存命の折には剣の修行に夢中で、座学は逃げてばかりだった。
肝心の父も座学は苦手で、無理して学ばずとも成年したら士官学校に通うからと言っていた。
その成年の式に父が亡くなり、それから今日までは魔物との戦いに明け暮れていた。
肝心の士官学校の事も忘れていたし、座学を学ぶ様な機会も無かった。
「まあ、文字や宮廷マナーは仕込まれているんだ
王都で士官学校に通えば、嫌でも勉強に励むだろう」
「う…
べんきょう…か…」
拒否反応で、ギルバートは苦い顔をして玉の様な汗を掻く。
昔から勉強というか、大人しく一所にじっとしている事が苦手なのだ。
そんな事なら、訓練場で剣を振るっていた方が数倍ましだった。
「そこまで嫌か?」
「ああ」
「これ!
即答なされるな
勉強は大事ですぞ」
「そうです
それをしなければ、ここのモーガンみたいに、空っぽの頭になりますぞ」
「あ!
おい、誰が空っぽだ」
空っぽと言われて、冒険者ギルド長が反論する。
しかしギルバートは、モーガンギルド長が常々、計算や書類作成が苦手で部下に投げているのを知っていた。
「それは…嫌だなあ」
「でしょう?」
「ほら」
「う、ええ?
殿下?」
「よし
王都に着いたら、学校に通える様にお願いしよう
そうすれば少なくとも…」
チラリとモーガンの方を見る。
見られたモーガンは、思わず首を振る。
「こうはならないだろう…」
「うんうん」
「そうですぞ」
「おい!
そんな、殿下…」
モーガンは怒りながらも、ギルバートの言葉に落胆する。
ギルバートにまで頭が空っぽと認定されて、ショックで落ち込んでしまった。
「さて、そろそろ鐘が鳴るかのう」
「そうじゃなあ」
「え?
お前等、何で分かるんだ?」
ギルド長達は広場から見える鐘の方を向く。
そこからの日の傾きで、大体の時間は予想が着くのだ。
そこら辺でも、モーガンは学が無い事を晒していた。
「それでは」
「ワシ等が街を守ります」
「殿下は安心して、王都へ向かってください」
三人は予め練習していたかの様に、見事に呼吸を合わせて宣言をした。
「ああ
街の事は任せた
私も一刻も早く、国王に面会して話しておく」
「はい」
「よろしくお願いします」
「では、出発するよ」
アーネストが真っ先に馬車に向かい、魔物の氷を確かめる。
この分なら、午後までは魔法を掛け直さなくても大丈夫だろう。
鐘が鳴り響き、9時の時報を告げる。
東の城門が開いて、兵士達が公道の安全を確認んし、馬車がゆっくりと走り始める。
周囲には騎乗した兵士と、隊商の護衛の冒険者が周囲を警戒する。
馬車はゆっくりと進み、東に向かって、ノルドの森の中を進んだ。




