第130話
ギルバートが王都へ向かう日まで、後5日と迫っていた
出立の準備と共に、国王への献上の品の準備も進んでいた
白熊から獲れた大きな魔石も磨かれて、しっかりと美しい布に包まれる
皮は立派なマントと鎧に仕上がり、表面も白い熊の骨から作った装甲が組み込まれた
また、牙と爪から加工された短剣とナイフも、磨かれて仕上げがされている
これらはフランドールの装備と共に仕上げて、フランドールにも一式送られていた
そんな折に、アーマード・ボアが発見されたと報告が入った
ギルバートはアーネストと共に、森の中へと分け入って行った。
捕まえて冷凍して、その肉を献上する為だ
「本当に居るのか?」
「ああ
兵士達が蹄の跡を見付けて、その後を追っている
間もなく合流する筈だ」
ギルバートは愚痴るアーネストと森を分け入って行く。
既に日は天頂に昇り、もうすぐ正午になるだろう。
アーネストは空腹をワイルド・ボアの干し肉で誤魔化しつつ、ブツブツ言いながら後を着いて行く。
「しかし、早過ぎじゃないか?」
「そうか?
次に見つかるのがいつか分からない
なら、今の内に捕まえておかないといけないだろう?」
「そりゃあそうだけど…
保存役はオレなんだぞ…」
アーネストは不満そうだった。
なんせ保存する為に凍らせるのは、アーネストの魔法なのだから。
その為には、アーネストが近くで見張る必要がある。
実際に見張るのは他の兵士だが、それでも解け始めたら魔法を掛け直さなければならない。
それは非常に面倒臭い仕事だった。
食材を凍らせたまま保存する、そんな便利な魔道具は作られていなかったのだ。
「お前達は捕まえるだけだけど、オレは見張ってないと
それがどれだけ面倒臭いか…」
「ほら、愚痴るな
もう少しで到着だ」
木々の向こうに、目印の旗が見えた。
斥候に出た兵士が、目印に立てた物だ。
「大体、5日ももたせるとなると…」
「ほら、着いたぞ」
「殿下
無事に合流されましたね」
「ああ
獲物は居るのか?」
「ええ
あの木の向こう側に、1匹が草を食べています」
「草か?
確かアーマード・ボアは雑食で…」
「そうです」
「どうやら薬草を食べている様子で
腹下しに備えているのか?
あるいは食べて元気になるのか…」
「それは興味深いな」
ギルバートはアーマード・ボアが薬草を食べていると聞き、興味を持った。
「おいおい
魔術師みたいに生態を調べたいとか無しだぞ
さっさと倒して帰るぞ」
「お前も魔術師だろ」
アーネストは面倒臭い事は嫌だと、さっさと終わらせようと不満そうに言う。
ギルバートも興味はあったが、ゆっくり調べるゆとりは無い。
帰還してからも出立の準備が残っている。
「では、手筈通り」
「ああ
先ずは足元を凍らせて、動きを封じる
そうしたら、暴れ出す前に一気に仕留めてくれ」
「みなも準備は良いな?」
「はい」
兵士だけで向かわなかったのは、アーマード・ボアが素早く突進してくる厄介な相手で、下手に手を出すと散々突っ込まれて、その挙句に逃げられてしまうからだ。
だから発見したら、先ずは足止めの必要がある。
今まで狩れたのは、運よく足止め出来る者が居たからだ。
「先ずは後方に数人回ってくれ
その間にアーネストは呪文の準備をしてくれ」
「ギルはどうする?」
「オレは正面に立って、いざとなったら突進を押さえる」
「大丈夫か?
将軍は力任せで抑えれたみたいだけど…」
「ああ
新しいボーン・クラッシャーがある
こいつで抑え込む」
「無理はするなよ
あまり暴れさせたら、肉質も落ちるだろうから」
「ああ
任せておけ」
兵士が指示に従って移動し、アーネストが呪文を唱え始める。
アーマード・ボアはまだ気付いていないが、辺りの空気が変わったのには気が付いた様子だ。
顔を上げて鼻を鳴らし、辺りの空気を嗅ぎ始めていた。
フゴフゴ
しかし風向きは横に向いており、兵士の匂いは上手く躱せていた。
風下から回り込むと、兵士は逃げられない様に囲み始める。
兵士が配置に着いたのを確認して、ギルバートはアーネストに合図する。
「準備は出来たぞ」
「よし、行くぞ
フロスト・バインド」
これは泥濘を作って嵌め込み、そこを凍らせて封じ込める魔法だ。
先ずは泥濘の魔法が発動して脚を取り、そのまま氷の魔法が発動して凍らせるのだ。
アーマード・ボアの四肢が泥濘に埋まり、悲鳴を上げて藻掻く。
ブギイイイ
そこで泥濘が凍って、がっしりと脚を固定した。
これが並みの魔術師なら、脚一本がやっとだっただろう。
アーマード・ボアは大きく、その四肢も大きいのだ。
しかしアーネストなら、範囲も広くて強力な魔法を発動できる。
四本とも脚を捕らえて、しっかりと固定出来た。
「今だ、掛かれー!」
「おおおお」
兵士達が飛び出して、アーマード・ボアを囲い込む。
今や獲物は脚を取られて、動く事も叶わない。
後は頭を振り回して、鋭い牙を突き立てる事しか出来なかった。
「しっかりと狙って止めをさすんだ
焦って余計な傷を付けるなよ」
「はい」
血抜きは必用だが、余分な傷は獲物の価値を下げる。
肉も無駄な箇所が増えるからだ。
兵士はしっかりと狙いを付けて、首と心臓がある腹の辺りに突き掛った。
ギルバートが出れば、一撃で首を刎ねる事も出来ただろう。
しかしギルバートは、兵士が倒すのを黙って見守った。
これは今後の事を考えた結果で、兵士達に実戦を積ませる為だ。
これから王都に向かうので、これからは将軍とフランドールだけになる。
そうなれば兵士が、今よりも技量を積まなければ戦いが苦しくなるだらろう。
だからギルバートは、兵士に戦いを慣れさせる為にも手を出せなかった。
これぐらいの事は、彼等だけで出来る必要があるからだ。
ブギイ…
「よし、止めは刺せたぞ」
「倒せました」
「よくやった」
アーマード・ボアは四肢を固定されて、立ったまま絶命していた。
走り回らない為に、楽に仕留める事が出来た。
「欲を言えば、こうする前に自力で倒して欲しいものだが…」
「それは…」
「まだ我々だけでは、危険な事です」
「だよな」
悔しいが、兵士だけではアーマード・ボアでも困難な強敵だ。
下手に手を出せば、数人が重傷か、最悪落命していただろう。
もっと実戦訓練が必要だ。
「それで、どうされます?」
「そうだなあ
先ずは魔法を解除して…」
「おいおい
解除してもすぐには、氷は解けないぞ?」
「え?」
ギルバートは魔法を解除すれば、氷も無くなるものと思っていた。
しかし実際には、氷はすぐには無くならないらしい。
「弱ったなあ…」
「取り敢えず、掘り起こしましょうか?」
「そうだな
頼む」
「はい」
兵士はアーマード・ボアの足元を剣でほじくり、氷を叩いて壊した。
そうして横にすると、首元を切って血抜きを始めた。
「こうして血抜きをしておけば、臭みが抜けて極上の肉になります」
「猟師の…ハンターの知恵ですね」
「はい」
脚は半分凍っていたので、少し影響が出そうだったが、他は状態は良さそうだった。
このまま暫く血を抜いて、その後荷車に載せて凍らせる予定だ。
ギルバートが兵士達に、漁師の肉の保存の仕方などを聞いて、その知識が兵士にも役立てられている事を聞いていると、一人の兵士が慌てた様子で訪れた。
「すいません
その魔物の肉なんですが…」
「ん?」
「領主様が凍らせるのを待てと…」
「領主とはフランドール殿ですか?」
「なんでまた?」
「その魔物を…
献上しろと…」
「はあ??」
「これは国王様に献上する為に捕ったんですよ?」
「それを寄越せだなんて…」
「そうなんですが…」
「そもそも
彼はまだ領主ではないでしょう
正式な辞令が降りるまでは、彼は領主代行です」
「それに…
いくら領主でも、そんな横暴は…」
兵士達はフランドールの私兵の出では無かったので、彼の言動には納得出来なかった。
しかし相手が領主では、迂闊に反抗は出来なかった。
例え代行とは言っても、彼等には反抗出来ないだけの権限は持っている。
もし反抗出来る者が居れば、それはギルバートぐらいだろう。
それでも苦言は呈せても、フランドールの権限の方が上になるので、止める事は出来なかった。
「これは…
一度真剣に話し合う必要があるな」
「そうだな」
ギルバートはアーネストと向かい合うと、頷いて帰還する事にした。
このままではフランドールは、領主権限を勘違いして振舞うだろう。
一度真剣に話し合い、注意しなければと思ったのだ。
「しかし、なんでまた…」
「こう言ってはなんですが…」
兵士は言い難そうにしながら、フランドールが言った言葉を繰り返した。
「そんなに旨そうな獲物が獲れるのなら、先ずは領主である私に献上すべきだ
アーマード・ボアなどいくらでも居るだろう
また獲れば良いだろう
そう仰ってて…」
「そんな簡単そうに…」
「アーマード・ボアなんてなかなか居ないんだぞ」
「仕事に疲れた領主を、労わる様な気持ちは無いのかって
そうも仰っていました」
「まったく、勝手な…」
「これは困った事になったな…」
兵士達は不満そうにしていたが、一部の者は困った顔をしていた。
彼等はフランドールの私兵上がりで、フランドールは尊敬する主でもあったからだ。
一行は止む無く、アーマード・ボアの死体を荷車に載せて帰還した。
本来は冷凍して持ち帰る予定だったが、冷凍は諦めてそのまま持ち帰る事となった。
死体はそのまま持ち帰り、解体して肉はフランドールに献上されるだろう。
その際には素材も献上されて、フランドールの従者の武具等に使われる事になる。
本来は国王に献上されるべき物だが、倒した兵士はフランドールには逆らえない。
「しまったなあ
これならオレが倒せば良かった」
「そうすれば、所有権を主張出来るからか?
なら、今からでも兵士に話して…」
「いや
バレたら兵士達が責められるだろう
そんな危険は冒せない」
「それならどうする?」
「もう一体…探すか?」
「ええ!」
「見つかるんですか?」
兵士は絶望を顔で表現する。
これまでも必死に探していて、やっと1匹見つけたのだ。
それをもう5日以内に探し出すと言うのだ、見つかる可能性は低いだろう。
「それでも探すしかないだろう
今度はオレが狩る」
兵士はガクリと項垂れて、また森の捜索をするのかと溢していた。
それを見て、アーネストは提案をしてみる。
「それなら、保存が出来ないから運べなかった事にしないか?
取り敢えずはそう言って次回に持ち越しては…」
「それもありだろうが…
出来れば献上した方が良いだろう
探すだけ探した方が良い
その方が印象は良くなるだろう」
「だって
仕方が無い、探してください」
「はい…」
「頑張ってみます…」
兵士達はアーネストの気遣いに感謝しつつ、項垂れながら捜索を約束した。
どの道献上する必要があるのだ、探すだけはする必要があった。
街に戻ると、事情を説明してアーマード・ボアの死体は職人達に預けた。
そこで兵士と別れると、ギルバートはアーネストを伴って邸宅へ向かった。
フランドールに面会する為だ。
邸宅の執務室へ向かうと、そこには書類の山と格闘するフランドールの姿があった。
「失礼します」
「何だ!
今はご覧の通り、話している暇は無いぞ!」
フランドールは不機嫌そうに、顔も上げずに返答をした。
「フランドール殿
どういう事ですか?」
「ああん
何の事だ?」
「国王に献上する為に捕らえた魔物を、寄越せと命じたでしょう」
「何だ、その事か」
「何だって…
どういうつもりですか」
「どういうつもりもない
極上の肉が取れたのだ
先ずは領主である私に献上すべきだろう」
「あなたはまだ、領主ではないでしょう?」
「実質は、もう私が領主だ」
「それにしても、国王への献上はどうするんです?」
「そんな物、残りの肉で十分だろう」
「はあ?」
「そんな事で邪魔しに来たのか?」
「そんな事って…」
「国王への献上を、余り物の肉で済ます気ですか?」
「そんな事だろう
それに余り物で嫌なら、また狩ってくればいい」
「またって
アーマード・ボアはそんなに居ませんよ
滅多に出ない魔物なんです
だから極上な肉なのに…」
「滅多に出ないじゃないだろ
すぐに見つかったし
ちゃんと探していないからだ!」
フランドールの傲慢な態度に、二人は呆れて顔を見合わせた。
つい先日までは、こんな傲慢な態度はしていなかった。
ここ数日で、彼に何の心境の変化があったのだろうか?
「話にならないな…」
「くだらん話は終わりか?
だったらとっとと出てってくれ
こっちは忙しいんだ」
「話はまだあります」
「こんな強引な事をしてると、あなたの心象が悪くなりますよ?」
「なんだと?」
「忙しいのは分かりました
しかし今のあなたは、些か行動が…」
「説教のつもりか!
歳派の行かぬ子供のくせに!」
ダン!
フランドールは怒りに任せて、机を思いっきり叩く。
それで書類の山が崩れて、尚も苛立って喚き散らす。
「そもそもお前達は何だ!
オレに指図しやがって!」
「指図だなんて…」
「煩い!
それが指図だろうが!」
二人は困惑して、顔を見合わす。
これは話になりそうにない。
「そもそも、そんなに忙しいのなら何で誰も手伝わせないんです?」
「そうですよ
オレやアーネスト、ハリスも手伝えますよ?」
「煩い!
指図するなと言っただろうが!!」
フランドールは怒りに顔を歪ませて、顔を赤くして睨みつけて来る。
「従者の方は居ないんですか?」
「一人でその量は無理ですよ?
アルベルト様でも…」
「煩い!うるさーい!!
出て行け!!」
二人は尚も忠告しようとしたが、フランドールは激昂していて話にならなかった。
仕方が無いと肩を竦めると、ギルバートは黙って部屋を出た。
アーネストはもう一度フランドールを見たが、その様子を見て溜息を吐くと、ギルバートの後を追った。
二人が出て行ったのを確認してから、フランドールはイライラしながら書類を集める。
それをブツブツ文句を言いながら、再び机の上へと積み上げた。
「何がアルベルト様だ…
オレの方が優秀なんだ…」
フランドールの言葉は続く。
「街の住民までギルバートやアーネストの名前を出しやがる
これからは私が領主なんだ
私が全てを決めるんだ
私が…く、くふふふふ…」
フランドールは尚も呟きながら、時折不気味な笑い声を出す。
最早狂気じみていたが、それだけフランドールは追い詰められていた。
これで誰かが手伝いながら、彼の心情を汲む言葉を掛けていれば、あるいは結果は違ったかも知れないだろう。
しかし誰も近付こうとはせず、遠巻きに先代のアルベルトの名や、ギルバートやアーネストの名を上げていた。
その事がより、フランドールの心をささくれ出させていた。
フランドールはそのまま、何日も徹夜で書類と格闘する。
それはギルバートが出発した後も続き、当面の安静は訪れないのだった。




