第126話
食堂に一同が揃うと、暖かい食事が用意された
温かい野菜のスープに、焼き立ての黒パン
ワイルド・ボアのステーキに庭で採れた果物の盛り付けも用意されていた
それは戦勝祝いに用意されていたのだが、ギルバートは御馳走に驚いていた
どうやら魔物との激闘を、すっかりと忘れている様子だった
使用人が忙しく動いて、食事の提供をする
よほどお腹が空いていたのか、セリアは2枚目のステーキに手を付けていた
それを呆れながら見て、ジェニファーは1枚目のステーキを食べていた
そんなセリアの様子を、心配そうにフィオーナは見ていた
「今日はどうして、こんな御馳走なんだ?」
「おい
本当に覚えていないのか?」
「ん?」
アーネストはギルバートの言葉に、呆れながら答える。
「お前…
あれからずっと寝てたんだぞ?」
「あれ…から?」
「アモンと戦ってからだ」
「アモン…
え?」
「まだ思い出せないのか?」
「…」
ギルバートはソースと脂が滴るのにも気付かず、ステーキを持ち上げたまま硬直した。
少しずつ思い出して来る光景。
オークの集団を倒して、ワイルド・ベアが出て来た。
それから白い熊が現れて、何とか倒した事。
その後にアモンに剣を渡されて…。
「え?」
「ん?」
「アモンに剣を貰った」
「ああ」
「それからアモンが…」
「お前に打ち掛かったな」
「そう、その…
その後?」
「はあ…」
アーネストが溜息を吐く。
「何だ
あの時から意識が無かったのか」
「う…
多分」
「そうか」
食堂が静まり返る。
ギルバートが意識を取り戻したのは良いが、肝心のその時の記憶が無かった。
アーネストとしては、その時の様子を知りたかったが、それも覚えていない様子だった。
「呆れたなあ
じゃあ、本当に覚えていないのか」
「う…
そうらしい」
「はあ…
やれやれ」
「もう
その話は後でも良いんじゃない?
食事が冷めますわよ」
「はい」
「そうします」
ジェニファーに窘められて、二人は話題を変えようとした。
「そうすると…
あの事も覚えていないのか」
「あの事?」
「ああ
お前が美少女と抱き合って…」
「え?」
「ちょっと!
どういう事!!」
「お兄ちゃん…」
「お兄様!
不潔ですわ!!」
アーネストが漏らした一言に、ギルバートは激しく責め立てられる。
しかし本人は覚えていない。
何が何やら分からない事で、母や妹達から冷たい視線を浴びた。
困惑と羞恥に、顔を赤くして反論する。
「な、何だよそれ!
本当にあった事なのか?」
「うーむ
これは問題だ」
アーネストはニヤニヤ笑いながら、ギルバートの方を見る。
それはどうやって料理してやろうかと、獲物を前にした猛獣の様な顔をしていた。
ギルバートはしまったと思ったが、既に時遅しだった。
「どういう事かしら?
詳しく説明しなさい
く・わ・し・く!」
「そうよ!
女の子と抱き合っていただなんて…」
「ふみゅう?」
ジェニファーは鋭い視線を向け、フィオーナも怒りに真っ赤に顔を染めていた。
魔物と戦っていた筈なのに、戦場で女の子と抱き合っていただなんて。
しかも知らない女の子だろうと思われた。
美少女と言うからには子供だろうが、戦場に出る者の中に、女の子は居ない筈だからだ。
どこの誰が、そんな関係になっていたのか?
母と娘は詰問する姿勢になっていた。
セリアはステーキと戦っていたが…。
使用人達も興味深く見守り、沈黙して見ていた。
彼等にしてみれば、ギルバートがやっと女の子に興味を持ったと嬉しかったが、同時にどんな女の子なのか心配もしていた。
場合によっては、相応しく無い相手なら物理的に離れてもらう必要もある。
口元をニヤけさせながらも、真剣に聞いていた。
「それはですね
精霊女王と名乗ってましてね」
「精霊女王?」
「女王様?
まさか…年上??」
ジェニファーは不信感を露わにし、フィオーナは勘違いをして頬を染めた。
どうやら名前で勘違いをして、変なロマンスでも想像した様子だ。
「あー…
違いますよ
女王様ですが少女と言ったでしょう?
少なくとも、見た目は子供でしたよ、年相応の…」
「どのぐらいの?
歳は?
ギルに相応しいの?」
「なあんだ
年上の女性じゃないのか…」
「おい?
フィオーナ??」
「歳は…
いえ、姿もよく分かりませんでした」
「え?」
「どういう事?」
「彼女は恐らく…
本来の姿では無いのでしょう
光の様な姿で現れましたし」
「それは…
本物の聖霊様?」
「光??」
フィオーナは何故か、光と聞いてセリアの方を見ていた。
それが何なのかは不明だったが、当のセリアは2枚目のステーキを平らげて、フルーツの皿に手を出そうとしていた。
メイドの一人が慌てて、フルーツを切って皿に出した。
それを嬉しそうに食べる様子を見て、フィオーナは頭を振っていた。
違う
そんな…筈は無い
大人達が魔物に振り回されている間、フィオーナはセリアと庭で遊んでいた。
いつもの様に花々に水をやり、果物を収穫したりしていたのだ。
そんな折に、突然セリアが騒ぎ出して、光に包まれて消えてしまった。
フィオーナは妹が消えてしまい、慌てて庭を探した。
1時間も経たずに、庭で寝ているのを見付けたが、本人は覚えていなかった。
叱られると思って大人に相談はしていなかったが、確かにセリアは姿を消していた。
しかし、それが精霊女王だとは俄かには信じられず、彼女はその事を黙っていた。
「その…精霊女王?
その娘はなんでギルに?」
「ええっと…
それがまだ、よく分からない事が多くて
そのうち分かりましたら報告します」
「どうして?
何が分からないの?」
ジェニファーは母として心配して、尚もアーネストに食いついた。
しかしアーネストも詳しく話せないので、困ったような顔をしていた。
「ええっと
今話せるのは、精霊女王が現れて、重傷だったギルを癒した事だけです」
「それが…抱き合う事と何の関係が?」
「抱き締めて、キスをして…
傷を癒した?」
アーネストは苦笑いを浮かべながら、言葉を選んで答えた。
しかしその言葉がマズかった。
「何ですって!!
キ、キスした!!!
ギル!!」
「はいい!」
「お兄様!」
「はひ」
ギルバートは母と妹から、激しく責める様な視線を向けられた。
アーネストもしまったと思ったが、既に遅かった。
いくら傷を癒す為とはいえ、年頃の娘が抱き着いてキスまでしたのだ。
「ギルバート
その娘さんとの関係は?」
「え…っと」
「お兄様
キスするなんて、どういったお関係なのかしら?」
「さ、さあ?」
「責任は取るつもりなの?」
「え?
でも、知らない子だよ?」
「知らないって!
知らない女の子とキスしたの?」
「いや、だって
オレ…意識が無かったんだろ?
な?
アーネスト」
「さあ?」
「さあって!
オレは覚えが無いぞ?」
「それは…マズいんじゃないか?」
「おい!
裏切る気か?」
アーネストはジェニファーを見て、それからフィオーナの方も見る。
どちらも厳しい視線でギルバートを見ていて、ここは下手な事を言えないと思えた。
だからアーネストは、黙って腕を組むと、知らないと言わんばかりに首を振った。
「お、おい!
アーネスト!」
「これはしっかりと躾ける必要がありそうね」
「そうですわ
お母さま、今後の為にもハッキリとしましょうね」
二人は顔を見合わせて頷くと、立ち上がってギルバートの横へ向かった。
「え?
オレ、まだステーキを食べてる途中で…」
「良いから
別室でお話ししましょう」
「そうですわ
どう責任を取るか、ハッキリしておきましょう」
二人はにこやかに微笑むと、ギルバートの腕を掴んで立ち上がらせた。
「ちょ、待って!」
「待ちません!」
「そうですわ
ここは男らしく、潔く」
「た、助けて
アーネスト
ハリス
誰でも良いからー…」
「うるさい
黙って着いて来る」
「そう
責任は取らないとね」
「うわああ…」
ギルバートは引き摺られて、控えの部屋へと拉致された。
使用人達は目を伏せながらも、そこはまだ仕事に使うのに…と思っていた。
アーネストも手を合わせて黙祷し、友の平安を祈った。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
セリアがフルーツを食べ終わり、怪訝そうな顔をする。
メイドが顔を拭いてやりながら、優しく説明をする。
「男の人が女の子に、キチンと責任を取る必要があります
不用意な行いは、しっかりと改めさせる必要があるんです」
「ふみゅう?」
「好きでもない女の子に、簡単にキスしてはいけません
そういう事なんです」
「うーん
でも、セリアはお兄ちゃんの事好きだよ」
「それは…」
セリアの言葉に、メイドはどう答えようか迷った。
既に妹として引き取られたが、確かにセリアなら問題は無いだろう。
他の問題が出てきそうだが。
だが、それをどう説明すれば良いのか?
「お嬢様には…
まだ、ちと早いでしょう」
「そうですねえ」
「ふみゅう?」
セリアはよく分かっていない様子で、使用人達もそれ以上の説明は避ける事にした。
そうした事は、ジェニファーがいずれするだろう。
ここは上手く誤魔化して、この場を退散させた方が良さそうだ。
お説教はまだまだ続くだろう。
「さあ、お嬢様はもう、お休みの時間ですよ」
「うう
まだ起きていたいの
お兄ちゃんとお話ししていないし」
「でも、あまり遅くまで起きていますと、お肌によろしくないですよ」
「うう…」
「早く休まれて、明日お話ししましょう?」
「うーん…」
納得していない様子だったが、セリアはメイドに連れられて退散して行った。
後にはハリスと、グラスに葡萄酒を注ぐアーネストが残された。
「それで…
お話し出来るのは、そこまでですか?」
「そうですねえ」
「私はアルベルト様の仕事を手伝っていました
坊ちゃまの出自も知っておりますが?」
「それでも…です
まだ不確定な事が多過ぎて…」
「使徒の事ですか?」
「それもあります
それに女神の事も…」
「女神様ですか」
「女神様はどうして…
何をお考えになられているのか」
「そこが分かりません」
「ひょっとしたら…
いや、そんな筈は…」
「何です?」
「女神様は、実はお二人いらっしゃるとか…」
「お二人…
ふむ
そう考えると辻褄が…」
二人は小声でひそひそと話していた。
いくら内緒の話とはいえ、この世界の神の話だ。
あまり迂闊な事は言えない。
「兎に角
この事はまだ話せません
何がどうなってこうした事態になっているのか?
精霊女王の事も含めて、資料が少な過ぎます」
「そうですねえ
王城の書庫でも閲覧出来れば…或いは?」
「王城ですか」
「坊ちゃまと行かれるんですよね?」
「そうだ…なあ
そうしてみるか」
許可が出るかは分からないが、王都に向かった際に調べてみよう。
そうすれば、少しは分かるかも知れない。
二人が話していると、フランドールがローブを纏って現れた。
その顔は浮かない表情をしており、アーネストを見ても不機嫌そうな様子を隠さなかった。
「おや?
フランドール様、おかえりなさいませ」
「ああ
すまないが食事の用意をしてくれ」
「はい
畏まりました」
ハリスが目配せをして、メイドがキッチンに向かった。
そこは先の控室を通るのだが、食事の支度をする為には仕方が無い。
ギルバートはまだ、男が不用意にキスなどする物では無いと叱られていた。
理由が理由だから仕様が無いのだろうが、相手が不明なのが問題なのだろう。
キスだけなのだから良かろうに、とメイドは思いながら通り抜けた。
二人が怒っているのは、ギルバートに女の子に対する免疫が無いからだ。
その為に隙だらけで心配なのだ。
確かに意識を失っていたなら不可抗力だろう。
それに治療の為にしたという話だった。
しかし、その事で責任を取れと言われたら、この国の常識では逃げられなくなる。
未婚の女子が身を捧げる様な行為をしたのだ、責任は重大と見られるだろう。
その辺を含めて、もっとしっかりしろと責められているが、当の本人は困っていた。
意識が無かったのなら、どうすれば良かったと言うのだろう。
この事で、ギルバートはますます女性が怖いと思った。
食堂では、フランドールが不機嫌そうな顔をして葡萄酒を手にしていた。
フランドールが不機嫌そうなので、アーネストは止む無く質問してみた。
「まだ…怒っているんですか?」
「ああ」
「しかし、再び封印はされたんですよ?」
「それでもだ」
フランドールは、不機嫌そうに葡萄酒を呷る。
「考えてもみろ
ギルバートが再び暴れ出したら、誰が押さえるんだ?」
「フランドール殿」
「だってそうだろ?
私は彼を、傷付けたくない」
「それに、彼もそれで誰かを傷つけたら
後悔して深く傷つくだろう…」
「それはそうですが、場所を考えてください」
「それ…あ、うむ」
フランドールはアーネストを見て、それからハリスを見た。
周りも見回すが、幸いにもメイド達は居なかった。
「坊ちゃまが何か?」
「いや…」
「すまない
この事も、まだ内密にして欲しい」
ハリスは何か言い掛けたが、アーネストの様子を見て黙った。
これだけ言うのだろうから、余程の事なのだろう。
時機を見て公表されるまでは、黙っているしかない。
「兎に角
今は様子を見るべきです
早計な判断は下さないでください」
「ああ
分かったよ」
フランドールはぶっきらぼうに答えると、再び葡萄酒を呷った。
これ以上は何を言っても無駄と判断して、黙る事にしたのだ。
そこへメイドが食事を運んで来たので、フランドールは黙って食事を始めた。
その様子を見ながら、アーネストとハリスは黙って顔を見合わせた。
彼が不機嫌なのは困った事だが、原因が原因なので話題にするのも難しい。
黙って食事を続けるフランドールを見ながら、アーネストも葡萄酒を呷った。
あまり酔いたくは無かったが、このまま気まずい雰囲気にも耐えられない。
苦い酒を飲みながら、明日からどうするのか考えていた。
折角魔物は退けたのに、今のままでは街はバラバラだろう。
多くの死者が出て、明日は広場で合同の葬儀も開かれる。
傷付き倒れた者も多く居る為、残された者だけで行わないとならない。
「魔物はまだまだ出ると言うのに、このままではマズいな…」
アーネストは溜息を吐き、グラスの残りの葡萄酒を飲み干した。




