第125話
兵士達が街に帰還する時、最初は戦勝ムードで大賑わいになっていた
住民達の一部も手伝いに出ていたので、魔物の軍勢は見えていた
その軍勢に勝利したのだから、騒ぐなと言う方が無理だろう
しかし多くの死者も出ていて、将軍やギルバートは寝たまま運ばれていた
その姿を見ては、次第に住民達の勝利の喜びも薄らいでいった
勝てたものの、思っていた以上に犠牲が大きかったのだ
詳しい経緯は省略して、後日報告する事となった
先ずは怪我人を運び、治療が優先される事になったのだ
フランドールも軽傷とはいえ、火傷や打撲の治療が必要だった
将軍も引継ぎは部隊長達に任せて、宿舎で治療に当たっていた
そして…
血だらけのギルバートを見て、ジェニファーは卒倒しそうになった。
夫に続いて息子まで失うと思ったのだ、仕方が無いだろう。
直ちにメイド達に湯を沸かせて、治療の為の魔術師や司祭を手配する。
しかし、メイド達がお湯に浸したタオルで拭くと、そこには傷は残っていなかった。
「さすがは精霊女王が治療しただけある
傷一つ残っていなかったか」
「精霊女王ですって?」
「ええ
ギルがこうなった時、その精霊女王様が助けてくださったんです」
アーネストはジェニファーの話を聞いて、そう答えた。
ジェニファーとしては、息子が血だらけだったのに傷が無い為、不審に思って聞いたのだが、予想外の答えが返って来た。
「何ですの?
その精霊女王というのは?」
「さあ?」
「さあって…」
「すいませんが、奥方様
私も気を失っていたんです
事態を知ったのは事が終わってからです」
「そう…
誰かそれを、詳しく知る者は居ませんの?」
「うーん
今のところは色々と問題がありますので
現在は箝口令を敷いています
詳しくは方針が決まりましてからで…」
「そう…」
ジェニファーとしては色々と聞きたい事もあったが、どちらかと言えばお喋りなアーネストが黙している以上は、これ以上は聞かない方が良いと判断した。
だが、ギルバートの安否だけは気になったので聞いてみた。
「でも、これだけは教えてちょうだい
ギルは…大丈夫なの?」
「さあ…
それも…」
「え?
何でなの?」
「傷は癒えましたが、まだ意識が…」
確かに傷は癒えたのだろう。
メイドがタオルで拭いた際にも、古傷は残っていたが額の傷も消えていたらしい。
しかし肝心の意識が、メイドが着替えさせている間も戻っていなかった。
気付け薬も検討されたが、今は休ませるべきだとそのまま寝かせている。
しかしこのまま、目を覚ます事が無ければ…。
そんな不安を打ち消したくて、アーネストは頭を振った。
「でも、きっと大丈夫
なんてったって、あのギルですよ?
そんな簡単にどうにかなるなんて…」
「そう…
そうよね」
「私達がしっかりとしなくては
すぐに手配をしましょう」
「え?」
「マリア
ギルが起きたら、すぐにでも食事が出来る様にして
エレナはヘンディーの所へ行っているから、あなたが中心になってやってちょうだい」
「はい、奥様」
総メイド長のエレナは、夫であるヘンディーの看病に向かっている。
今は代理のマリアが側に控えて居た。
彼女はジェニファーの命を聞いて、直ちに仕事に掛かった。
「フランドール様の手伝いにも回ってちょうだい
あの方も間もなく、治療から戻られるでしょう」
「はい」
「まだ、ギルも意識が戻っていないし、フランドール殿も…
少々気が早くないですか?」
「いいえ
すぐにでも温かい食事が出来る様にするのが、私達貴族の嫁の務め
それに、あなたも食事ぐらいはして行くんでしょう?」
「へ?
ああ…」
内心は、アーネストも早く自分の家に帰りたかった。
そこにはアーネストを心配する、彼のメイド達が待っている。
しかしギルバートの事が心配で、帰るに帰れないでいた。
だから食事の申し出は有難かった。
実は先ほどから、空腹で胃が鳴いていたのだ。
「そう…ですね」
「安心しなさい
あの子達にはハリスが伝えていますから」
いや、そういう事じゃないんだけど
それならそれで、何で早く帰って来なかったか起こられるんですけど
内心で泣きそうになりながら、アーネストは笑顔で食事の提供を受けていた。
一方その頃
ギルバートは暗い場所にポツンと座り込んでいた
そこは暗く、まるで光が差さない場所だった。
夜の森や荒野でも、月や星の光が届くだろう。
ここはそれすらも無く、全くの暗闇に支配されていた。
ポツンと座っていたが、彼は独りでは無かった。
その正面にはもう一人、同じぐらいの年頃の少年が座っていた。
その容姿は鏡に映した様に似ていて、瞳と髪の色にしか違いが見れなかった。
その少年はジェニファーの血を受けて、瞳は薄い蒼で、髪には銀糸の様な銀髪が混じっていた。
しかし、決定的な違いは表情で、それはまるで、全てを拒絶する様な激しい憎悪に歪んでいた。
この少年を…オレは知っている
いや、理解していると言うべきかな?
数日前から、少年はギルバートの夢の中に出て来ていた。
あの全力を出した後の夜からだ。
理由はよく分かっていなかったが、それがもう一人の自分、ギルバートであると何となく理解はしていた。
それは、今も彼の口から紡がれる、呪詛の様な言葉から理解出来た。
『殺せ…
壊せ…
全てを破壊しろ…』
繰り返し紡がれる言葉は、全てを拒絶して、破壊しようとしていた。
その言葉の中に、時々含まれている言葉が、彼が誰なのかを示している。
『父さんを殺した奴等を…
私の幸せを奪った奴等を…
赦さない…
赦さない…』
その憎悪は魔物に向けた物か?
はたまた使徒に向けられていたのか?
それは分からなかったが、一番強烈な憎しみは、恐らく自分に向けられている物だろう
ギルバートは激しい憎悪の視線を受けながら、そう確信していた。
まだ確認は出来ていないが、恐らく彼は、自分の中にずっと居たんだろうと認識していた。
それがどういう原理だか分からないが、何となく理解は出来ていた。
黒いモヤモヤした感情が、心の奥底から湧き上がる。
全てに怒りを感じて、全てを打ち壊したくなる感情。
それが沸き上がる大元が、恐らく彼なんだろうと理解していた。
それでも戦闘中は、何とか感情を押さえれていた。
しかし、アモンからの激しい一撃を受けた時、胸元に熱い何かが弾けたのを感じた。
今思い返せば、あれはエルリックに貰った首飾りだった。
あのネックレスが封じていたのは、この身の奥底に眠る、もう一人のギルバートだったのだ。
あの瞬間から、辺りは真っ暗に塗り替わり、二人だけになってしまった。
このもう一人のギルバートと向き合い、彼の激しい憎悪を受けていたのだ。
ギルバートは叫び、懇願して、助けを求めた。
友であるアーネストや、頼れる将軍にも呼び掛けた。
フランドールや部隊長、周りに居た筈の騎兵や騎士達にも呼び掛けた。
誰も応えてはくれない。
ここには居ないのだ。
死んだ父親や家で待つ母、妹達の名前も呼んでみた。
その度に、少年の憎悪の眼差しが強くなる様な気がしたが、構わず呼び掛けた。
しかし、応えは何一つ無かった。
女神様にも見放されたのか、応えは得られない。
何一つない暗闇の中で、より一層激しい憎悪を向けられながら、ギルバートは叫び続けた。
ただ一度、輝く少女が現れたが、彼女は一方的に語り掛けてから、去って行った。
『ごめんね、お兄ちゃん』
「お兄ちゃん?」
『今の私には、まだこれだけしか出来ないの』
「君は誰だ?
お兄ちゃんって、オレの妹なのか?」
自分の本当の姿
アルフリートの妹なのだろうか?
ギルバートの問いかけには答えず、彼女は淡い光を振り撒いた。
『この子の気持ちは救えない』
『救えないけど…
静める事は出来るから』
そう言いながら、少女は光を振り撒いて行く。
すると、先ほどまでは憎悪の声を上げていた少年の、声が少しずつ小さくなっていった。
一時は激しく罵る様な声だったが、それは小さく呟く様にまで収まった。
『ごめんね
こんな事しか出来なくて』
「君は誰だ?
一体、これは何なんだ?」
『いずれは、あの子も解放してあげないと
でも、それまではお兄ちゃんが守ってあげて
お願いね』
「答えてくれ
ここは何処なんだ?」
『わたしはもう…いく…』
「おい!」
『気を付けて、もう一人のめ…
ふみゃあ
もう…げんか…』
「おい!
待ってくれ!」
少女は現れた時と同様に、不意に光になって消えた。
「待て!
待ってくれ!
オレを一人にしないでくれ!」
しかし応えは無く、声もしなくなった。
それから再び、二人きりの世界に取り残されていた。
少年の呪詛の声は続き、暗闇に絶え間なく響いていた。
それだけが、この世界の全てであるかの様に。
声が小さくなった事は助かったが、未だに続いている。
ささくれていた心が、少しだけ収まった気がしたが、それも長くは続かないだろう。
こんな所に長く居ては、気が狂ってしまう。
少年の気が狂った様な振舞は、もしかしたらそれが原因なのかもしれない。
ああ…
自分もこのまま、ここで気が狂ってしまうんだろうな
彼の様に、世界を憎んで、呪詛の言葉を吐き続けるのだろうか?
ギルバートが諦めて、溜息混じりに愚痴り始めた頃、不意に声がした様な気がした。
それは微かだが、自分を呼んでいる様な気がした。
…ちゃん
「誰だ?」
ギルバートが声のした方を向く。
深く暗い闇の中に、天から日が差す様に光が差し込む。
それは、最初は淡く弱々しかったが、やがて少しづつ強くなって来た。
「光が…」
「行くのか?」
気が付けば、少年の呪詛の様な言葉は止んでいた。
少年は正気を取り戻したのか、ギルバートをジッと見詰めている。
「ボクは…
お前が憎い」
「ボクの全てを奪い
ボクの幸せを奪った」
「ああ
お前は何も知らないだろう
何も知らずに、何も知ろうとしなかったがな」
「オレは…」
「いや
知らなかったんだろう?
だが同罪だ」
「…」
「ボクの命を…
父さんの命も…」
「それは…」
「ボクは赦さない
お前も…
ボクをこうした全ての物を、赦さない!」
少年は落ち着いていたが、それだからこそ、その怒りの大きさと絶望がひしひしと感じられた。
「覚えておけ」
「光を失い、希望が絶望に変わる時
ボクは再び、お前の前に現れるだろう
その時…」
お兄ちゃん!!!
再び声がした
今度ははっきりと聞こえて、辺りを柔らかな光が包み込む
闇はその姿を隠し、光の彼方へと消え去る。
柔らかな光が差し込んだそこは、何も無い白い空間だった。
少年も姿をけしており、声も聞こえなくなっていた。
お兄ちゃん、起きて
もう!
夕ご飯をたべようよ
セリアの声がする
微かにフィオーナが宥めるこえがして、ジェニファーの物と思しき溜息も聞こえた
身体を揺すられる感覚を感じて、ギルバートをは意識が薄らいで行く。
「お兄ちゃん
お兄ちゃんってばー…」
セリアが…呼んでいる
起きなくっちゃ…
薄らぐ意識の中で、妹が自分を揺すり起こそうとしていると感じた。
仕様が無いなあ
一人でも食事は出来るだろうに
偶に部屋で寝てたら、こうして起こしに来るんだか…ら…
「お兄ちゃん」
「う…ああ」
「ギル!」
「お兄ちゃん」
「起きるよ!
起きるって
うるさいなあ、もう」
ギルバートは起き上がった。
そこは自分の私室で、ベットの脇ではセリアが膨れっ面をしていた。
「もう、早く起きてよ
お腹空いたんだから」
「お前なあ
もう一人でも…」
「ギル」
しかし、ギルバートの言葉は最後まで続かなかった。
母であるジェニファーが、泣きながら抱き着いて来たからだ。
「え?」
「良かった
良かったわ…」
「あれ?」
気が付くと私室にはアーネストも立っていて、涙ぐんでいた。
その隣にはハリスも居て、目頭を押さえていた。
私室の入り口に目をやると、そこには使用人達も覗き込んでいる。
「え?
何事??」
「お前は意識を失っていたんだ」
「え?」
アーネストが代表して、説明を始めた。
「使徒のアモンが切り掛かったのは…
覚えているか?」
「へ?
あれ?」
ギルバートはまだ、混乱していた。
「ここは私室で
オレは寝てて…
セリアが夕飯に起こしに…あれ?」
「駄目だ、こりゃあ…」
「そうねえ」
「事態が飲み込めていない様なので、先ずは夕食でもしながら話そう」
アーネストのその提案に従って、一同は食堂へ向かう事となった。
みんなが安堵に涙を浮かべる様子に、ギルバートだけが頭を捻っていた。
しかしその頭からは、先の少年の事は消えて無くなっていた。
ギルバートがこの事を思い出すのは、もう少し先の事となる。
少し短いですが、キリが良いのでここまでにします
次は明日の17時の予定です




