第10話
魔物が来る
いつだか分からないが来る
奴らの陰は、既に傍ら迄迫っていた
他の集落では、多くの死者が出た
次は誰が犠牲者になる?
住民達は不安に煽られていた
空は低く垂れこむ黒雲に覆われ、今まさに降り注ごうかといった状況だ
暗雲は空だけではない
地上でも多くの騎馬が行き来し、正に戦争の始まりと言わんばかりであった
ノルドの森から1㎞ほど離れた場所に、公道に沿うように大きな砦が建てられていた。
ノルドの森第1砦だ。
周囲にある集落と、公道の安全を守る為の砦だ。
先の第2砦に比べると大きく、外周は500ⅿ近くあった。
城壁は同じく2ⅿぐらいだが、外を狙う為の覗き穴も多数空いていた。
中の建物も兵舎以外に宿泊出来そうな空いた宿舎も多めにあったので、集落の避難民も無事に保護出来そうであった。
砦の入り口へ騎馬の一団が走り込む。
先行していた第1部隊の隊長と共の騎兵だ。
「どう、どう」
馬を宥め、部隊長達は降りる。
「お疲れ様です」
「それで、首尾は?」
見張りの兵士が近付き、馬の手綱を受け取る。
「ああ
酷い有様だった」
入り口に集まった兵士達に動揺が走る。
「間もなく、先行した我が部隊と、第2部隊の混成で住人と怪我人を運んで来る
温かい食事と馬の世話を頼む」
「はい」
「怪我人ですか?
おい、医療用の担架やポーションの準備をしろ」
「いや、それには及ばない
応急処置は既にしてある
休む場所と替えの衣服や包帯を用意してやってくれ」
部隊長は駆け出そうとする兵士を呼び止め、細かな指示を与える。
兵士は頷くと、直ちに準備に向けて駆け出す。
「それで、状況は?」
「まあ、待て
先ずはここの隊長との相談だ」
心配する警備兵達に落ち着くように話していると、副隊長が出て来た。
「無事に戻られたようだが…
他の者達は?」
「ええ
先ずは我々が先行して戻りました
追って本隊も帰還いたします」
言いながら、部隊長は大隊長からの報告の羊皮紙を手渡す。
副隊長は紐を解き、素早く中身を改める。
「…これは
本当なのかね?」
「ええ
残念ながら
第2砦は放棄しました」
兵士達のざわめきが大きくなる。
副隊長は兵士を数人呼び、直ちに戦闘の準備をしじする。
「急げ!
時間が無い!
物資の補充と武具の手入れを怠るな!」
手早く指示を出すと、兵士達は準備へ奔走する。
再び部隊長へ向き直り、副隊長は苦虫を嚙み潰した様な顔で言った。
「不味いな
こちらは第2と比べれば戦力は十分整っていたが、先の避難での損耗と避難民の受け入れで手一杯だ。
そちらの戦力を当てにするしかない」
「ええ
それは承知しています
ですから、要求は物資の一部と場所の提供です」
「頼むぞ
兵士達は実戦慣れしておらんのだ」
騎馬大隊は、普段から戦闘訓練をしている本職の軍人達だ。
随行の歩兵師団も、訓練こそ本職ほど激しくは無いが実戦訓練を経た猛者ばかりだ。
警備隊の様に、普段は暴徒や酔っ払いの鎮圧に回るのとは経験が違う。
ただ心配なのは、先の戦闘が本格的な殺し合いの初めての経験で、魔物との戦闘など想定外であるという事だ。
公道に出没する盗賊紛いとは違うのだ。
警備隊長の執務室へ向かう間、副隊長が何度か魔物について尋ねたが、余計な不安が伝搬する事を恐れてか部隊長は黙っていた。
コンコン!
「失礼します」
「入ってくれ」
部隊長が中に入り、副隊長は部下に飲み物を用意するよう指示する。
「まあ、掛けたまえ
長くなりそうなんだろう?」
警備隊長は壮年の戦士で、昔の傷が無ければ部隊長を引き受けれたほどのベテランだ。
副隊長や部下の様子を見て、只ならぬ事態が起きていると推察していた。
部隊長が腰掛けると、その前に紅茶が出される。
警備隊長は微笑むと促した。
「さあ、疲れただろう
先ずは一息入れてくれ」
「お気持ちは有難いのですが…
事態は切迫しております」
そう言って部隊長は副隊長を見て、副隊長は頷くと先ほどの書類を警備隊長へと手渡した。
警備隊長は書類を受け取ると、再度紅茶を示した。
部隊長はとまっどたが、その芳しい香りに敗けて、警備隊長が書類に目を通している間に飲む事にした。
警備隊長は素早く書類に目を通すと、少し黙祷し、再び読み直してから部隊長が紅茶を堪能し終わるのを待った。
十分に香りを堪能し、溶かした果糖の甘味で緊張と疲労が解れた頃、部隊長は警備隊長と目があってしまった。
真っ赤になる部隊長に、警備隊長は優しく呟く。
「無理もない
これだけの戦闘の後なんだから
緊張は解れたかね?」
警備隊長のニコやかな問いに、部隊長は答える。
「はい
とても美味しかったです」
「ああ
戦闘の緊張を解すには、この茶葉が一番だからね」
うんうん、と頷いてから、不意にその眼光は鋭くなる。
「それで
魔物とは本当かね?」
部隊長はその慧眼の鋭さに圧倒されながらも答える。
「はい
我々も戦いましたが間違いありません」
「ふむ」
警備隊長の眼光が少し和らぐ。
「ゴブリンと書いてあるが、間違いないね?」
「はい
随行した魔法使いが確認しております」
警備隊長は副隊長を見るが、副隊長は黙った頷く。
それを見て、再び警備隊長は考え込む。
「んーむ」
心配そうに副隊長が尋ねる。
「いかがされました?」
警備隊長は片目を開くと、思案しながら答える。
「いやなに、相手がゴブリンなのがな」
「よいではありませんか
危険な魔物よりも、一番弱いとされる小鬼が相手なんですから」
「そうさなあ
一番弱い筈なんだよ」
警備隊長の一言に、副隊長も部隊長も首を傾げる。
「何か問題でも?」
「これ…
報告では、ある程度統率が取れている様だよね」
「はい
我々が到着してからは、算を乱したかの様に逃げ出しましたが、それ以前は連携して防壁をよじ登っていたそういです」
「それなんだよな」
「と、言いますと?」
「逃げたのも、指示があって分散して逃げたんじゃないのかい」
「…まさか?!」
警備隊長は続ける。
「私がまだ若い頃にね
帝国とのいざこざで国境を越えた事もあるんだよ」
「そこでね、ゴブリンとばったり」
「戦った事があるんですか?」
「戦った…
そう、戦ったね
というか、追い払っただけだけど」
「それでね
その時と、今のこいつらでは違うんだ
元来、奴らは知能が低いから
集まって、数で囲んで殴るぐらいしか出来ない筈…なんだよね」
「え?」
思案顔から、再び鋭い眼光を向け部隊長に迫る。
「で、そいつら
本当にゴブリンだった?
緑で、こんな耳して、目ん玉が黄色の…出来損ないの小人みたいな」
「は、はあ
そうです」
バンと机を叩き、不意に警備隊長は立ち上がる。
「私も大隊長と同じ意見だ
敵の正体が分からない以上、事態は非常に不味い事になりつつある」
警備隊長は、直ちにダーナ及び王宮へ使者を出す様に指示をする。
内容は、危険な魔物の群れの台頭の兆しあり
至急対策を取られたし
尚、本砦は可能な限り交戦し、進行を遅らせる
以上の内容を認めた羊皮紙を、封蝋をして渡す。
「よいか!
事態は予断を許さない
早急に対処する様に伝えて渡すのだ!
急げ!!」
呆気に取られる部隊長に、警備隊長は苦々しく呟いた。
「奴らは烏合の衆ではない
統率の取れた軍に成りつつある」
「え?」
「まさか?」
混乱する部隊長と副隊長に向けて、頭を振って答える。
「そのまさかだ
奴らを指揮する存在が居る
ゴブリンなのか?
他の魔物なのか?
正体は分からんが、どうやら知恵を付けているようだ」
「そんな…」
「このままでは、どんどん実戦を経て危険な存在に成り兼ねん
早急に、出来ればここでそいつを討っておきたい」
「長弓を得意とする者は何人居たか?」
「はっ
確か10名ほど…」
「ぼさっとするな
そいつらを集めて、指揮者を狙撃する準備をしろ」
「はい」
「それから
斥候を数人…
森と公道の間に配置しろ
緊急用の狼煙も用意させろ」
「はい」
警備隊長は、テキパキと指示を出していく。
とても田舎の砦の隊長とは思えない的確さだ。
「君も着いて来たまえ
大隊長が到着次第、作戦会議を開く
その前に出来るだけの準備はしておこう」
「はい」
警備隊長に促され、部隊長も準備に取り掛かった。
警備隊長と第1部隊長が表に出ると、避難民の移送を終えた第2部隊が居た。
「どうした?
第1の」
「丁度良かった」
「君も来るんだ」
二人の様子に気圧されながらも、第2部隊長は後を追いながら質問する。
「なあなあ
一体どうしたんだ?」
「どうやら、思っていたより深刻らしい」
「敵の部隊は実戦に慣れ始めている
早く手を打たんと大変な事になるぞ」
二人の言葉に、若干引き気味になる。
確かに不気味だが、たかだか森に住む小鬼だろ?
そんな事を考えていたら、見透かされた様に警備隊長が突っ込む。
「その簡単な筈の小鬼退治に、うちの兵士や第2砦がやられているんだがね
君らも取り逃がしたんだろう?」
「うっ…」
確かに
最初は集落だったが、油断したのか砦まで落とされた
いや、油断していたとしても、小さくても砦が落とされたのだ
もしかしたら、これは大変な事態ではなかろうか?
ようやく、第2部隊長は事態の深刻さに気付き始めた。
自分の隊の兵士を見つけると、手招いて着いて来させる。
本隊が到着するまで休憩だと思っていた兵士は、緊張した面持ちの三人に連れられ、次々と戦争の準備の指示を伝えていく。
その様子に気が付いた兵士が近付き、彼もまた指示を受けて慌てて走り去る。
砦の入り口は、次第に緊迫感に包まれていった。
正午を過ぎ、斥候に出ていた兵士から第3から第5部隊が間もなく帰還すると報告が入る。
警備隊長は、部隊が帰還次第、皆を集めて会議をする様に指示を出す。
やがて、大隊長が率いる第3から第5部隊が砦の入り口へ到着する。
大隊長は直ちに食事を取り、待機をする様に指示を出した。
そして、警備隊長からの招集を受け、部隊長を連れて直ちに執務室へ向かった。
執務室では入り口を開けて皆の入室を待っていた。
中に入れば、警備隊長を始め、第1、第2部隊の隊長も真剣な面持ちで待ち構えていた。
「すいません
お待たせいたしました」
「ああ
先ずは掛けてくれ」
警備隊長に促され、大隊長と部隊長達はソファーに腰を下ろした。
次いで警備隊長が書類を出し、大隊長に質問する。
「部隊長にも質問したが、これは本当かね?」
「これとは?」
「ゴブリンの侵攻と集団で侵入したとの報告だ」
「ええ
実際にこの目で見ましたから」
「うむ
不味いな」
「やはり、不味いですか」
「ああ
集団で戦闘をしている
それもある程度統制が取れている事が問題だ」
「そうですね
オレもそこが気になります」
警備隊長は身を乗り出し、話を続ける。
「君は…
私がなんでここに居るのか、知っているよな」
「ええ
帝国に何度も出兵した稀代の戦士
しかし、その戦闘での負傷から昇進を拒んだと」
「ああ
この…」
警備隊長は肩の傷を示した。
「肩の傷がな
もう、クリサリスの鎌を握れなくなってしまった」
「ええ
存じております」
そう答えつつ、大隊長はそれと今回の件がどう関係するのか分からず、困惑していた。
「これが付いたのは、最後の国境での侵攻作戦を止める為だが…」
「それとこれの関係は?」
「ああ
すまない
年を取ると話が長くなるな」
咳払いをしてから続ける。
「その数年前から、帝国へ何度か出兵しておってな
その時に、村々を襲うゴブリンやオークを駆逐する事もあった」
「ほおう
それは初耳です」
「うむ」
「私の経験からなんだが
奴らの集団は統制が取れておらなんだ」
「それは…本当ですか?」
「ああ
ひどいものさ
とにかく、飢えて襲って来る
それだけさ
我先に突っ込んで来るから、とにかく剣を振って切り伏せるだけだった」
「おかしいですね」
「ああ」
「それが本当なら
今回のは随分と知恵が付いている」
「ああ
おまけに、少しずつ賢くなっているのでは?とさえ思える」
「うーん
厄介ですな」
「そう
厄介なんだ」
二人のやり取りに、理解が追い付かない第3から第5部隊の隊長へ、第1部隊の隊長が掻い摘んで説明する。
それを横目に見ながら、大隊長と警備隊長は暫し悩む。
「どうでしょう
ここいらで戦力を大幅に叩かないといけません
こちらの砦に誘き寄せませんか?」
「私もそれを考えていた
しかしな…
住民を抱えておる」
「ああ!
そうか…」
大隊長は頭を掻く。
これ以上の侵攻も、敵に経験を積ませるのも危険だ。
しかし、下手な手を打つと住民を危険に晒す。
かといって、大隊長には他にも懸念があった。
敵の勢力の全容が計れていない事だ。
「まだ
生存者に確認は取れていませんが」
大隊長は周辺の地図を出す。
それは『竜の背骨山脈』からノルドの森、ダーナ迄の公道を記した地図だ。
「奴らがどこから湧いたか知りませんが…
ノルドの森のこっちから…」
大隊長は地図の上に銅貨を置く。
「こう来て、集落を襲ったと考えています」
丁度、森の外周を沿う様に、東から西へと移動している。
その先が、第1砦。
さらに進めて、ダーナの街へと動かす。
それを見て、警備隊長も頷く。
「これが…
こいつらだけ、ならいいんですが…」
そう言うと、今度は3枚の銅貨を進めて、1枚を第2砦へ置く。
残りの2枚が進んで、もう1枚が第1砦へ置かれる。
そうして銅貨は更に進軍する。
「まさか…」
「分かりません
分かりませんが、在り得る話かと」
「うむむむ…」
「ダーナへは伝令を送りましたか?」
「ああ
だが…ここまでは」
「そうですよね」
そうして、二人で暫く銅貨の数を増やしたり減らしたりしながら議論する。
言われてみれば、当然である。
あれだけの数が統制を取れていたのなら、もっと兵士が居る可能性は高い。
でないと攻め込む意義が無いから。
使い潰しで良いから突っ込んだのなら、それを超える兵力が在って当然なのだ。
「これは困ったぞ
今の脅威だけと思って住民を抱え込んだのが、却って裏目に出てしまった」
「しかし、住民の安全を考えるのなら、貴方の判断は的確でしたよ」
「だが、それでより危険になってしまった」
「とにかく
今日を乗り切りましょう
住民は、明日にでも護送してダーナへ送ってもいい」
警備隊長はまだ悩んでいたが、大隊長は先ずはここを守り切る事に専念しようと割り切った。
結局、そうするしかないので、警備隊長も説得されて頷く。
方針が決まれば、後は策を練るだけだ。
当初は、警備隊長はなるべく砦の機能を維持したいと思っていた。
しかし、事ここへ至ってはそんな事も言ってられない。
最終的には、ここを捨ててでも敵を抑え込まなければ、ダーナへと進行を許してしまう。
そうなれば、より多くの住民が犠牲になる。
「分かった
住民には私が話しておく」
「すいません
辛い決断を迫って」
「いや、仕方が無い事だ
寧ろ早めに知れて良かったよ
ギリギリで決断するには余りに大きな事だ」
住民を守る守備重視ではなく、魔物の殲滅を目標にした攻勢に出る。
部隊の大多数が犠牲になるかも知れない、大きな戦になる。
そうなれば、住民を護る為に割く兵力はほとんど無くなる。
自分の身は自分で守る様に。
酷ではあるが、住民達にはそう告げられた。




