3話 休息『銀の狐亭』
「うぐっ……ひぐっ……おかあさん……おかあさん……」
時刻は朝になっていた。
そこには倒れ伏しすすり泣くレジーナと、空になった風呂敷をたたむアレクがいた。
セーブポイントはない。
つまり、修行は終わったのだ。
「おかあさん……もう、私……豆を食べられない体にされちゃったよ……」
「余裕がありそうでよかった」
アレクはそのようにコメントする。
実際、レジーナに余裕があるかと言えば、そんなことは一切ない。
立ち上がれない。
もう体の中に凶器は存在しないはずなのに、まだお腹のあたりに重い異物感が存在した。
なんでこんなことをしているんだろう?
どうして人は死ぬんだろう?
レジーナはそんなことを考えて、ようやく目標を思い出した。
そうだ。
母に『きらめく流砂』をあげないと。
そして――お金を稼がないと、いけない。
自身の原動力を思い出す。
だから、レジーナはガクガク震える体を腕で支え、立ち上がった。
「……私、やります!」
「おや、どうしました? いきなり?」
「目標がありますから!」
「そうですか。では休憩をはさもうと思っていましたが、予定を変更して――」
「休憩します!」
誘惑に逆らえなかった。
もう限界なのだ。
折れかけた心を奮い立たせはしたけれど、それはやっぱり折れかけていた。
簡単に崩れる砂の塔も同然である。
アレクは苦笑していた。
それから、述べる。
「では、休憩にしましょうか。宿に戻り、食事や睡眠などをとって、起床後、『足を奪う塔』へと向かいましょう」
「はい!」
そういうわけで。
レジーナはアレクに連れられ、『銀の狐亭』へ戻ることとなった。
○
「おや、いらっしゃーい。その様子だと修行帰りだね」
『銀の狐亭』食堂。
手狭だけれど、清潔感のある空間だ。
中にはテーブル席とカウンター席が存在するが、そう多い人数を収容はできないだろう。
カウンター内部には、一人の獣人族の少女がいた。
金の体毛の、狐系獣人だ。
顔には朗らかな笑みを浮かべており、親しみやすさ、というか人なつっこさを感じさせる。
着ているものは給仕服とエプロンドレスであり、白黒の衣装にアクセントとして緑や赤があしらわれていた。
従業員というか、お手伝いの少女、という風体だ。
たしかアレクは妻子持ちとかいう話だったし、きっと彼の子供なのだろう。
しかし『子供』と思うには大きいような気がしないでもない。
アレクが年齢不詳なせいで、彼を中心に人物相関図を描くのが難しい。
たずねようにも、いつの間にかいなくなっているし……
とりあえず、声をかけてくれた相手を無視するのは失礼だろう。
そう思い、レジーナは失礼にならない行動を開始した。
「ええと……はい。その、修行から帰ってまいりました。レジーナです」
丁寧、というかおどおどとあいさつなどする。
レジーナは基本的に気が弱く人見知りだ。
修行中は良くも悪くもそういうこと言っている場合じゃなかったけれど……
こうして普通のシチュエーションで初対面の相手と話そうとすると、相手がかわいらしい少女でも緊張してしまう。
そのおびえが伝わったのだろう。
狐獣人の少女は、苦笑した。
「今度のお客さんは気弱そうな人だねえ。ぼくは、ヨミ。よろしくね」
「あ、はい……えっと、それで……」
「食事できる? それとも飲み物だけ出そうか?」
「えっと……その……飲み物だけ……」
「あはは。了解!」
明るい笑顔を浮かべて、彼女はカウンターの奧へ引っ込んでいく。
レジーナはヒラヒラと揺れるヨミのスカートをながめた。
なんだか、妙に安心する。
初めて来たはずの宿屋、初めて会ったはずの少女相手に、とてつもなく安らぐ。
ふと、レジーナはなにかが頬を伝う感触に気付いた。
それは、いつの間にか流していた涙だった。
「うわ、どうしたのお客さん!?」
飲み物入りのジョッキを持ってきたヨミが、おどろく。
レジーナは『もう大人なんだからこんな子供に情けない姿は見せられない』と思い、革の籠手で涙をぬぐう。まぶたが痛い。
「なんでも……なんでも……ないです……!」
「あーあ……まったく、まーた人の心のこと考えないような修行したんだねえ……何度止めても本当に止まらないんだから、あの人は……」
あきれつつ、ヨミがカウンターテーブルに飲み物を置く。
そのまま、カウンター内部から出ると、レジーナの頭を抱きしめ、よしよしと撫でた。
レジーナは複雑な心境だ。
こんな少女に慰められて情けないと思う一方――
この柔らかさとぬくもりに、とてつもない安心感を覚え、ずっとこうしていたいとも、思ってしまう。
「よしよし。大丈夫だからね。宿の中は基本的に安全だからね」
宿の中は『基本的に』安全?
わずかに不穏なことを言われた気もしたが、レジーナはうなずくばかりだ。
ヨミはまるで母親が子供にそうするように優しい声で語りかける。
「大丈夫、大丈夫だよ」
「……うう……こんな、自分より年下の女の子になぐさめられて……」
「いやあ、ぼくの方が年上なんじゃないかなあ……」
「わ、私……私、よく、実年齢より下に見られるので……」
「ぼくもだけど……まあ、うん。なんだっていいよ。年下でも年上でもいいじゃない。甘えたい時に年齢なんか関係ないんだから」
「ヨミちゃん……!」
レジーナから抱きついた。
しばらく、ヨミの胸に顔をうずめて静かに肩を震わせる。
柔らかくて、甘いような、いいにおいがした。
温かくて、顔を押しつけても窒息しないサイズで、まるで顔をうずめるためにあるような胸だなと、おかしなことを考え始めた。
これ以上はまずい。惚れる可能性がある。
そう感じたレジーナは、「もう大丈夫です」と言って、鼻をすすりながら顔を放す。
ヨミは首をかしげる。
「そう? 大丈夫?」
「はい……ありがとうございます……こんな……私だってもう大人なんだから、しっかりしないといけませんね」
「あ、十五歳は超えてるんだね……」
「はい。よくそれより下に見られますけど……」
「あれ? だったら、見た感じ冒険者なりたてって様子だけど、なんで今、冒険者をやろうと思ったの? 普通、冒険者っていうのは成人前からやるしかなくて、成人後も流れでやるものだと思うけど」
たしかに、そういう冒険者が一般的だとは思う。
ダンジョンにもぐり、モンスターと戦う冒険者という職業は危険だ。
また、収入も安定しない。
それ以外の職業で安定した収入を得られるならば、その方がいいだろう。
中には一攫千金を夢見て始める者もいる。
ある意味で、レジーナもそのタイプだ。
「私は……家の借金を返したくて……」
「ああ……なるほどね。それなら安心していいよ。この宿で修行を受けたら、強くなるのは確実だから。借金返済なんてすぐだよ。まあ、修行内容はおおむね不評だけど……」
「でも、それだけじゃないんです」
「……と、いうと?」
「『きらめく流砂』がほしくて」
「……『きらめく流砂』? なにか高額で売れるもの? それとも武器とか防具の素材?」
「いえ、その……私の目的は、伝説なんです」
「ふぅん? どんな?」
「……物語が、浮かぶらしいんです」
「?」
「えっと、『きらめく流砂』は物書きのお守りらしくって、その輝きを見ていると、頭の中にどんどんアイディアが浮かんでくるっていう……あ、私の母が、冒険譚作家なんですけど」
「ああ」
「……最近、まったく書けずに、苦しんでて」
母の綴る話は、売れない。
だからずっと貧乏暮らしだった。
でも。
レジーナは、母の語る物語が、大好きだった。
それをもう一度聞きたくて。
「だから、私がお母さんに『きらめく流砂』をプレゼントしてあげたいんです」
そんなのが、命を懸ける理由なのだと。
共感も理解も必要のない、彼女だけがその大事さをわかっていればいい願いを述べる。
ヨミは。
笑って、レジーナの頭をなでた。
「応援するよ。がんばって」
その笑顔を見て、レジーナはまた泣きそうになる。
でも、元気をもらった気がした。