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2話 修業

 そもそも、レジーナはその修行を受けるかどうか選択することができた。

 あくまでも宿泊客に対しほどこすサービスの一環らしいのだ。


 まだレジーナは宿泊客でさえない。

 このままきびすを返して、全部忘れることもできるのだ。


 でも。

 ……そもそも、抱いたのは、尋常なる手段で果たせる目標ではない。


 レベル十の自分が、レベル四十のダンジョンに挑む。

 普通、冒険者というのは一生をレベル三十程度のダンジョン探索で終えることだって珍しくないのだ。

 それを駆け出しも駆け出し、冒険者歴一月さえない自分が、四十のダンジョンに、可能な限り早く挑もうとしている。


 死なない宿屋。

 そもそも都市伝説にすがるしかないほど追い詰められていた。


 そして、都市伝説は実在し、伝説の主は自分に協力的だ。

 ならばこの幸運を活かすべきではないのか?


 彼の行う『セーブ&ロード』の効能は先ほど見せてもらった通りだ。

 死なない。

 たしかに、死なない。


 だったら大丈夫だ。

 自分はつらい目に遭っても、生きて、お金をかせぎ、『きらめく流砂』を母に見せてあげる必要がある。


 だから。

 修行を受けることにした。


 そして。

 心が折れた。



「もうやだあ……! 痛いのも、苦しいのも、やだあ……! なにが目的ですか……!? 私をいじめて、どうしたいんですか……!? 許して……許してください……!」



 ここは王都南に位置する絶壁付近だ。

『世界の果て』とも言われる深い溝があり、この底は別の世界につながっているだとか、渡りきると黄金の都があるだとか、様々な物語のネタにされていた。


 あたりはすっかり暗い。

 セーブポイントの放つほのかな青い光だけが、あたりを照らしている。


 その光の中に浮かび上がるものが、レジーナの視界には二つ、映った。

 一つは、謎の大きな包みだ。


 大人が三人は入れそうな非現実的な物体である。

 アレクは軽そうに背負っていたので、そう重いものではないのだろう。


 もう一つは、アレクだ。

 彼は、笑っている。

 ずっと。

 レジーナが飛び降りを嫌がって泣きわめいている時だって、ずっと。



「そうは言われましても、これが修行ですので。効果はきちんと出ていますよ。今のあなたでしたら、料理中に包丁で指を切ろうとしても、『コツン』で済むでしょう」



 彼は苦笑していた。

 わがままを言う子供をあやすような、そんな大人びた雰囲気があった。


 言っている内容はよくわからない。

 刃物が通らない人体になったという意味に聞こえたが、気のせいだと思いたかった。



「まあしかし、そろそろいいでしょう。この修行は初歩なのでやりすぎても効果が薄い。このぐらいにしておいて、次に入りましょうか」

「……このぐらい?」



 このぐらいとは、どのぐらいなのだろうか。

 飛び降り回数が二桁を超えてから数えていないのだけれど……


 始まったのは昼だった。

 もう暗くなるまでずっと、飛び降り続けている。


 昼でさえ底の見えない絶壁は、夜になるとまた格別だ。

 化け物の口にしか見えない。


 こともあろうに、その『口』の中に、彼は『自ら飛び込め』と笑顔で言うのだ。

 たしかに復活できる。

 実際に、何度も生き返った。


 けれど。

 生き返れることと、死にたくないことは、また別のお話だ。

 どうやらその感覚が、彼にはよくわからないらしかった。


 おおよその人と感覚を共有できないだろう彼は笑う。

 そして、穏やかに口を開いた。



「あなたの次の修行は、『食べるだけ』です」

「……食べるだけ?」



 レジーナは首をかしげる。

 今の『飛び降り自殺』としか呼べない修行と比べて、あんまりにも難易度が低く聞こえたからだ。

 しかし。



「そうですね。今の修行は『落ちるだけ』でしたので」



 あの恐怖との戦いをその一言でまとめる彼を見て、レジーナの瞳から光が消える。

『食べるだけ』とは、『食べるだけ』ではない。

 また死への恐怖との壮絶なる戦いが待っているという意味に他ならない。


 しかし――想像はつかなかった。

 果たして食べることがどういう修行になりうるのか?


 死んだ目で口からよだれを垂らし、目の端に涙のあとを残し、『えへっえへっ』と笑う、真面目な顔をしたいのに恐怖のせいでつい卑屈な笑みになってしまうレジーナに対し――

 アレクは告げる。



「人は普段の食事で『HP』を鍛えています。この修行では、それをより効率よく鍛えます」

「……えっと?」

「HPですか? ステータスの一つですね。体力とか、そういうものです」

「はあ……アレクさんは不思議な言語を使いますよね? どこかの方言でしょうか?」

「異世界の言葉です」

「……異世界?」

「前世が異世界人だったもので」



 彼は笑顔のままだった。

 冗談なのか本気なのか、気が狂っているのか判別がつかない。

 きっと三番目のような気がする。



「話を戻しますと、その普段の食事でしか成長しないはずの『HP』を一気に増やしてしまおうというのが、これから行う修行なのです」

「なにかゲテモノでも食べさせられるんですよね……わかってますよ……うふふふ……」



 光の消えた瞳でどこか虚空を見ながら、カタカタと全身を震わせ、レジーナは笑う。

 しかし、アレクが述べたのは、レジーナの予想を裏切るものだった。



「食べていただくのは、炒った豆ですよ」

「……豆? それは、豆という名前の、よくわからない生き物の踊り食いとか……?」

「いえ、豆は豆です。色々な食材で試した結果、一番効率よくHPが伸びたのが豆でしたので、この修行ではだいたい豆を使っています」

「あ、そうなんですか……豆なら、知ってますよ……うちは母が売れない冒険譚作家で貧乏だったので、幼いころから主食でしたから」

「そうなんですか。今度の修行は、その豆を食べるだけですよ。ね、簡単でしょう?」

「……ひょっとして、最初の修行が一番つらいんでしょうか? 飛び降りが一番つらくって、あとは結構楽っていうか……」

「まあ、俺の修行はやや特殊なので、慣れていただくまでが一番きつい可能性は否定しませんねえ。慣れていただければ、あとはもう、ぬるいものですよ」

「ああ、よかった。あんな命を捨てるような、修行と呼んではいけないものがずっと続くのかと思っていましたよ……」

「命を捨てるのはよろしくないですよねえ」

「はい! ああ、本当によかった……ごめんなさい。私、アレクさんのこと、ちょっと頭がおかしい人なのかと思っていました……だっていきなり『飛び降り自殺』ですから。びっくりしちゃいましたよ」

「いえいえ、俺は普通ですよ。きちんと修行には意味があり、目的があります。少々特殊なのは『セーブ&ロード』という特異性を活かし、効率的に推し進めていくからであって、きちんと理解していただければ賛同を得られるものと確信しておりますよ」

「ですよねえ。あ、それで、私が食べるというお豆はどこにありますか?」

「こちらです」



 彼が示したのは、そばに置いてあった包みだ。

 あの、人が三人は入れそうな、非現実的なものである。


 レジーナは『豆』という物体について回想する。

 それは、指先程度のサイズの、楕円状の、すべてが曲面で構成された物質のはずだ。


 つまり大きくない。

 よって、あんな非現実的な大きさの包みはいらない。


 そこまで導き出して。

 レジーナは、アレクにたずねた。



「あの、包みの中身は、豆の他になにが?」

「いえ、豆だけです」

「……ちょ、ちょっと待ってください……今、ものすごいこと思いついちゃいました」

「おや、なんでしょうか?」

「えっとお……そのお……豆を食べるんですよね。それで、大人三人が入れそうなあの包みの中身は全部豆」

「はい」

「……一人分ですか?」

「はい」

「……ああ、なんか、その、こういう冗談みたいなこと言って変に思われないか不安なんですけど……その包みの中身を全部食べろとか、おっしゃいません、よねえ……?」

「理解が早くて助かる。そうですね。全部召し上がっていただきます」



 レジーナは自分の体を見下ろした。

 どう見たって、年齢にしては平べったくて、背が低くて、細い体だ。


 実はもう十八歳になる。

 だというのに、しかもドワーフやドライアドなど小柄な種族ではなく人間なのに、この体つきなのだ。

 きっと、傍目には十三、四歳ぐらいにしか見えないだろう。


 自分の体が自分の認識通りであることを確認し、視線を包みに転じた。

 見上げるほど大きい。

 つまり、体より大きい。

 その包みには大人三人が入りそうで、レジーナなら六人はつめこめそうだ。



「……あの、無理です」



 それは理論的な帰結だった。

 自分の体より大きなものを食べきれるはずがない。

 考えるまでもなく、当たり前の話である。


 しかし。

 アレクは笑う。



「たとえ話をしましょう」

「はあ」

「たとえばあなたがセーブ後、矢に貫かれて死んだとします」

「嫌なたとえ話ですね……」

「必要なことですので。矢に貫かれて死んだとします。すると、復活した時、矢はあなたの体に刺さっていない。獲得したものは残るのに、あなたを殺した矢は残らないのです」

「なんでですか?」

「理由は俺にもわかりません。でも、そのお陰で『セーブしたことにより永遠に死に続ける』という事態は発生しないのです」

「…………まあ、はあ、はい」

「ここで『矢』を『豆』に置き換えて考えてみましょう」

「…………………………いや、置き換わらないです」

「あなたが、豆を食べ過ぎて、呼吸困難、あるいは内臓破裂により死んだとしますね」

「死んだとしない方向はありませんか?」

「死んだとしますね。すると、復活した時、豆はあなたの体に残っていない。なぜならば、豆はあなたを殺した凶器だから」

「…………」

「しかし体は、大量の豆を摂取したと学習し、HPは伸びます。これは、詳しいメカニズムを問われても困りますが、膨大な実体験からして、たしかなことです」

「……………………」

「しかも、修行は命懸けで、必死にやる方が、ステータスがよく伸びる。だから、あなたは死ぬほど豆を食べます。死ぬと、あなたを殺した豆が消えます。胃袋は、空っぽです。また新しい豆が入りますね。また、死にます。すると、また胃袋は空っぽです。また、新しい豆が入りますね」

「………………」



 レジーナは無表情でその話を聞いていた。

 しかし、体はカタカタと震えているし、目の端からは涙がこぼれ落ちていた。



「死にます。新しい豆が入ります。死にます。新しい豆が入ります。死にます。新しい豆が入ります。死にます。新しい豆が入ります。死にます。新しい豆が入ります。死にます。新しい豆が入ります。死にます。新しい豆が入ります。……おや? もう豆がない?」

「……」

「完食」



 にこり。

 彼は優しく微笑む。



「今回の修行はそのような流れです。なにか質問などございますか?」

「お母さんに会いたい」

「それは目標達成後、ご自由にどうぞ。他には?」

「あの、私、お金はないです」

「宿代は後払い制ですので、修行の成果を活かしダンジョン攻略などで稼いでいただければ大丈夫ですよ。この宿は冒険初心者支援が目的ですからね」

「いえ、その、宿代はきちんとお支払いします。でも、そんな、私を拷問したって、お金もないですし、なにか特別なことを知っているわけでもないですし、あるのはこの体ぐらいですけど、こんな貧相な体なんて、そんな、わざわざお時間を費やしてまで手に入れる価値はないと思いますよ……?」

「なにか勘違いなさっているようですね」

「……」

「はっきりしたことを申し上げておきますと、これはあくまでも修行であり、あなたからなにかを引き出すための拷問ではありません。それに、俺は拷問を受けたことはあってもやったことはないですよ」

「…………」

「次に、俺は妻子持ちなので、お客様に対しよこしまな感情は一切ございません」

「…………結婚できるんですか? その人格で?」

「なんら変わったところのない、大人しい性格でも、世間は広いもので、相手がいます。他にご質問は?」



 そうじゃない。

 でも、説明できなかった。


 口ごもる。

 彼は笑う。



「では、質問もないようなので、始めましょうか」



 開かれる包み。

 本気で一部の隙もなくギッチリつめこまれた豆があふれ出す。


 ただの食材。

 慣れ親しんだ貧乏飯。

 でも、今はその炒り豆が、自分の頭部を貫かんとする(やじり)にしか見えなかった。

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