1話『死なない宿屋』
作者注
本作は『セーブ&ロードのできる宿屋さん ~カンスト転生者が宿屋で新人育成を始めたようです~』のお試し版となります。
これでフィーリングが合ったら本編にいらしてください。
その宿屋は噂にたがわぬ無気味さで、レジーナはつい引き返したくなる。
まず外観がおんぼろだ。
二階建ての石造りの家屋。
看板がかかっていなければ、ここをなにかの店だと思うのは困難だろう。
それに、日当たりが悪い。
まだ昼前だというのにあたりはやけに薄暗かった。
きっと、このあたりには建物が密集しているせいだ。
人の気配のない石造りの区画は、どこか冷たい感じがした。
『その宿屋に宿泊すると死なない』。
モンスターと戦う冒険者界隈では縁起のいい、そして『そんな宿が本当にあったらなあ』というため息とともに語られる『幸運をもたらす都市伝説』。
しかしレジーナはこの話を聞いた時から無気味さばかりを覚えていた。
たぶん、昔から怖い物語ばかり聞かされてきたからだろう。
レジーナの母は創作冒険譚作家だった。
収入は多かったとは言いがたい。
だから、レジーナの服装だって王都に住んでいるわりには地味で、どこか田舎っぽい。
鎧だって今時革の胸当てと籠手だけだし、武器は貴族のお屋敷でゆずってもらった……というか廃棄されているのをもらった、馬上槍だった。
もちろん、馬はいない。
そんな高価なものは買えないし、買ったところで維持できない。
端的に言って、お金が必要で――
そのために、そしてもう一つの大事な目的のためにレジーナが選んだ職業が『身一つでダンジョンにもぐりモンスターと戦う』、冒険者というもので――
そして今。
自分の実力では叶わないような目標のために、都市伝説を頼って『死なない宿屋』を探していた。
「……わたしが、やらなきゃ」
ミルクにカラメルをとかしたような色の、ふわふわの癖っ毛をおさえつける。
そして、ついに幽霊屋敷のようなその宿の扉を開いた。
「いらっしゃいませ。ようこそ『銀の狐亭へ』」
急に男性の声がして、レジーナは飛び上がりそうになる。
そのせいで、背負った馬上槍が扉の上部に当たり、ガツン! と大きな音を立てた。
レジーナは慌てて店内に向けて謝罪する。
「あわわわ……ご、ごめんなさい……ごめんなさい……」
「……あわわわ……リアルにそう言う人は初めて見た……」
「えっ?」
「いえ。それよりも大丈夫ですか?」
「あ、は、はい……」
と、そこで初めてレジーナは、会話相手のことをしっかり見た。
声の主は、やはり男性だった。
男性は背後に窓を背負った受付カウンターにいる。
珍しい。受付なんて、だいたいが下働きで、しかし奴隷ではない女性の役目なのに。
男性の容姿から、レジーナは穏やかそうな人だという印象を受けた。
浮かべた笑顔からは包容力を感じさせる。
年齢は……これが、よくわからない。
普通のシャツと普通のズボン。
首にはタイが巻かれていた。
服装は若々しい感じではないが、宿の受付だったら、若い人でもこのぐらいの格好が適切かなとも思う。
容姿が、これまた年齢不詳だ。
さすがに少年と言うにははばかられるが、目を細め笑う表情は、青年と言われても、中年と言われても納得できてしまう。
レジーナは平たい胸に手を当てて、深呼吸を三度繰り返した。
それから。
「あ、あの、つかぬことをおうかがいしますけど……ここって……どういうお店ですか?」
「宿屋です。屋号を『銀の狐亭』と申します。ご宿泊ではなかったので?」
「あ、いえ、その、看板を見たから宿なのはわかります。そうじゃなくって……えっと」
言葉に詰まる。
『ここは死なない宿屋ですか?』などという質問をして、もし違ったらどうしようという気持ちがちらりと働いたのだ。
普通、泊まった程度で死ななくなる宿など、ない。
魔法はあるが不死の秘術はないし。
様々な種族はいるけれど、不老はいても不死の種族はない。
薬品や魔導具、魔石だって、人から『死』を奪うようなものはなかったはずだ。
だからこその都市伝説。
『死なない宿屋』は、『そんなのがあればな』という冗談として冒険者界隈で語られる、お伽噺なのだ。
この年齢になって未だに空想と現実の区別がついていない人扱いされるのは嫌だった。
だからレジーナは言葉をためらったのだが――
男性は。
なにかに気付いたように、「あ」と声を漏らす。
「ひょっとして『死なない宿屋』をご利用で?」
「実在するんですか!?」
「まあ、その噂通りの宿が実在するかと言われれば返答に困りますが、その噂自体はウチの宿を指したもので間違いはないですよ」
なんと、都市伝説の宿屋は本当にあったのだ。
色々探り、『どうせ今回もガセだろう』という思いでいたレジーナにとって朗報である。
「あ、あの、その、えっと…………死にたくないんです!」
「落ち着いてください。誰でもそうです」
「うやっ、失礼をいたしまして! あのですねえ、えっと、挑みたいダンジョンがあるんですけど、そのダンジョンのレベルが高くて……でも挑まないといけなくって……それで、死にたくない……」
「はあ、だいたいわかりました。それで、ダンジョンレベルと……一応、あなたのレベルもうかがっておきましょうか。冒険者ギルドでレベル判定はしてもらったでしょう?」
「は、はい。私のレベルは十です」
「まさに駆け出しという感じですねえ。でも、ステータスを見るともうちょっと高そうに見えますが」
「……すてーたす?」
「いえ。俺の世界の言葉です。お気になさらず。それで、挑みたいダンジョンのレベルは?」
「四十です」
「……普通、自分のレベルとダンジョンレベルを比較して、自分のレベルより五以上は低いダンジョンに挑むのが、冒険者的な通例かと思いますが」
「それがなんの間違いか三十も高いんですよ…………死にたくない」
「なぜ挑むのかは、まあ置いておいて、『挑む』というのは『探索』ですか? それともダンジョンマスターを倒して『制覇』したいと?」
「いえいえいえいえいえ! そんな、制覇だなんて身の程知らずなことは……『探索』です。ちょっとほしいものがありまして……それも、可能な限り早く……早く……」
「ほしいもの?」
「えっと、お金と……あとは、『きらめく流砂』っていうアイテムなんです」
「はあ、なるほど。ということは『足を奪う塔』に挑むわけですね。よかった。それなら一日ちょっとで終わりそうだ」
「……一日ちょっとで? なにがですか?」
「ああ、失礼。当店が『死なない宿屋』と呼ばれるゆえんを説明していませんでしたね」
受付の男性は微笑む。
レジーナはその優しそうで包容力を感じさせる男性が、どのような素敵な魔法――現実にある魔法ではなく、お伽噺的な意味での魔法――をかけてくれるのか、わくわくしながら言葉を待つ。
そして男性が言い放った『死なない宿屋』と呼ばれるゆえんとは。
「当店では宿泊してくださったお客様に、サービスで修行をつけております」
「……修行ですか?」
「はい。修行により強くなり、結果的にお客様の死亡率が下がるということですね」
「…………死亡率? お客様の?」
「死亡率です。お客様の」
不可解な言葉だな、とレジーナは感じた。
死亡率とはすなわち、死亡する確率のことを言うのだろう。
表現自体は耳にするものだ。
よく、レベルの高いダンジョンなどは『死亡率』という不吉な数字が資料に載っていたりもする。
それはいい。
だって、ダンジョンに挑んだうち何人が生き残ったかは、計測しようがあるからだ。
でも。
「……あの、人の命は一つしかないです」
「そうですね」
「一つしかないものは、『なくした』か『残った』かしかないと思います」
「そうですね」
「それなのに『お客様の死亡率が下がる』とは……? ひょっとして、この宿からダンジョンに挑んだ人は、少なからず死んでいるんですか……?」
「いえ、今のところ、観測できる中で、修行をつけたお客様は全員生存していらっしゃいますよ」
「では、死亡率とは……?」
「こちらをごらんください」
と、男性が片手で横にかざす。
すると、手のひらの先になにかが出現した。
それは青い、人の頭部と同じぐらいの大きさの、球体だった。
ほのかに発光しており、ふよふよと宙を漂っている。
「……これはなんですか?」
「『セーブポイント』です」
「……せーぶぽいんと?」
「はい。これに向けて『セーブする』と宣言していただくと、この球体が消えない限り、死んでも球体のある場所で復活が可能です」
「…………えっ? …………………………えっ?」
「復活の際、獲得した物品や、経験、知識、記憶などは死亡時のまま残ります。ただし、失った物品や損傷した装備などは戻りません。あと、俺がこの球体を消してしまうと、再びセーブするまで復活は不可能になりますので、ご注意ください」
「……………………………………えっ?」
「修行はこれを用いて行います」
矢継ぎ早に意味不明なことを言われ、レジーナは困惑する。
けれど、じっくり考えて。
ようやく、男性の言いたいことに思い当たった。
「……あの、まさかとは思うんですけど」
「はい?」
「その、修行が死亡前提のように聞こえるんですけど」
「その通りですね」
「あの、さっきも言ったんですけど……えっと、これ、ひょっとしたら私がおかしいのかな? ううんと、いちおう、言いますけど……死にたく、ないんです」
「大丈夫、結果的に生き残りますよ」
「……」
「死にはするけれど、復活しますから。ああ、お疑いですか? 結構。ならば見本を見せましょう。『セーブします』」
男性はそう言うと、止める間もなく、右手の平を自分の顔に向ける。
そして、右手の平から閃光がほとばしった。
魔法だ、と思う。
普通、魔法というのは詠唱や決まった動作があるものなので、男性の詠唱なし予備動作なしのその行為が魔法なのかなんなのか、レジーナには確定できない。
どういうことなのか考えることもできなかった。
レジーナの目の前で、頭部を失った男性が背後へ倒れこむ。
「……………………えっ? …………………………………………えっ!?」
死んだ。
あれで生きているはずはないだろう。
じゃあ、なにか。
あの男性は躊躇なく自ら頭を吹き飛ばして、死……?
「うっ、受付さん!? 受付さーん!?」
「あ、俺は受付ではなく店主です」
パッ、と。
まったく目を離していないというのに、突如、受付の男性はレジーナの視界に現れた。
頭部はある。
襟首が一部消滅してはいるものの、そこには変わらぬ笑顔を浮かべた、受付男性――否、宿屋店主の姿。
「どうも申し遅れまして。『銀の狐亭』店主のアレクサンダーと申します。アレクでもアレックスでも、お好きなように読んでいただければ」
「……えっ? 今……えっ? 死……えっ!?」
「これが『セーブ&ロード』の能力です」
こともなげに男性は言った。
つまり、どうやら、信じがたいことに、本当に、この男性は一度死んで復活したらしい。
「これを、これからあなたにほどこす修行で使用します」
死んで復活するようなことを。
これから修行で行うらしい。
「……あ、あの、あのあの、私、その……えっと……死にたくないです……」
「大丈夫です。俺はこうして生きているでしょう? まあ、最初はつらいかもしれませんが、大丈夫ですよ。最初の修行を超えれば、死ぬとはどういうことかわかります」
「ちなみに最初の修行っていうのは……?」
「王都南に、底の見えない断崖絶壁がありますね?」
「は、はい」
「そこから飛び降ります」
「はい?」
「断崖絶壁から飛び降ります」
「人は飛べますか?」
「いえ、飛べませんね。落ちるだけです」
「死にますよね?」
「死にますが、代わりに丈夫さが上がります。あと、覚悟もつきます」
「あの、死にたくないです」
「大丈夫ですよ」
男性は微笑む。
安心感を覚えさせるような、穏やかな笑顔で。
「だって、セーブすれば、死んだって生きてますからね。安心でしょ?」
耳を疑うようなことを。
とても簡単そうに述べるだけだった。