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とある異世界人のbackstory 


「勇者様、どうかこの世界をお救いください」


 光に包まれたと思ったら、突然私は見知らぬ場所で、そう言われた。目の前にいるのは美女だ。それも日本ではあまり見ることのない、西欧風の顔立ちである。

 周りを多くの人が取り囲んでいた。彼らはこれまた西欧風の華やかな衣装に身を包んでいる。

 全員が私を見ていた。

 その目は無関心だったり、猜疑心であったり、あるいは憎悪にも近いそれであったりと、様々ではあるが一様に暗い色で染まっていた。

 ……状況が分からない。だが、目の前にいる女性は様子を見るに、周りよりも一段と高貴であるように思えた。まず彼女との問答を果たさなければならない。


「……すみません。まず質問してもよろしいでしょうか。その、『勇者』とは一体何なのでしょう」

「はい。異世界の方には馴染みがない単語かと思われます」


 イセカイ……異世界、だろうか。正直それすらも馴染みのない単語だ。

 彼女が語るには、彼女達には他の世界から人を召喚する術があるのだという。そして召喚された人は恐ろしいまでの力を持っており、それらを「勇者」と呼んでいる。魔王とやらの進行により窮地に立たされた彼女の国は、「勇者」の力を頼るべく、召喚を行った、とのこと。

 そして召喚された勇者とやらが、私なのだそうだ。

 勇者という単語は某国民的RPGで聞いたことがあるが、どうやら違う意味で使われているらしい。ただ、魔王を倒すという大筋は一致しているのだろうか。

 正直彼女の話を聞いて、少しばかりワクワクしていた。元々ゲームはやる方であったし、海外のファンタジー小説なども好きな人間であったから、まるでそういった物語の主人公にでもなったような錯覚があったのだ。





 結局私は答えを保留にしていた。

 幾ら気持ちが高ぶったからと言って、私は所詮一介の男子高校生にすぎない。突然あなたは力を持っているなどと言われても、答えを渋るのは現実的だと思う。

 召喚時にいた彼女──どうやらこの国の姫君らしい──曰く、私はもう元の世界には帰れないらしい。もう家の者に会えないという現実は悲しいが、私の兄は優秀で既に幾らか稼いでいる。家族達に心配はない。

 何より話を聞く限り、この国の者達は酷く困窮している様子であった。それを思えば私一人の悲しみなど、一夜泣いて喚けば済む話なのだ。事故にでもあったと思うのが懸命である。

 保留というなんともはっきりしない答えに対し、姫君は快く待つと返事してくれた。しかしできれば、国の現状を自分の目で見て欲しいと彼女は言った。

 そのためなんとも勿体ないものであるが、私は姫君同伴で城下街を見て回ることとなったのである。


「姫様……」

「ここでは敬称は不要よ。前にもそう言ったでしょう?」

「はぁ……」


 彼女は城にいるときよりも大分世俗的な口調でそう言った。私と姫君は、客観的に述べて見窄らしい服装に見を包んでいる。そして話し方も、丁寧な口調にならないようにと注意された。どうも少しでも高貴であると思われると、裏に連れて行かれ身ぐるみを剥がされるような事態に陥ることもあるそうだ。

 帝都ですらこのような、まるでスラム街のような現状なのだ。どうせ魔王に侵略されれば帝国や治安など無くなる。ならば真面目に生きる価値などどこにある? と考えているらしい。

 まあ結局、その根底には恐ろしいまでの貧困がある。魔族の侵略により、どの国も財政難に追われているらしい。


「メディリーナ。彼らは一体何をしているんだ?」

「あれは、魔屑集めね。貴族や豪商の家で捨てられた魔石の屑を集めてるのよ」

「なんのために?」

「国に売れるから。魔動具研究に使うのよ。……まあ、研究員達は別の方針に変えたみたいだから、正直今はあまり高く売れないのよね」


 魔動具を使うときは魔石を用いる。使用済みの魔石……つまり魔屑をまた魔石に戻す研究が行われているらしい。だが今はその研究に未来が見えず、魔力を充填すれば恒久的に魔石を使えるような機構を開発しているそうだ。使用済乾電池を元に戻すのではなく、車のバッテリーのような物を作る方針に変えたという感じだろうか。

 先代魔王イグノアにより、人類は大敗を喫した。その時人口は大きく減り、今なお薄れぬ恐怖として人々の心に刻み込まれている。まるで魔王とは世界に訪れる終末であるかのように捉えられている。

 国家は魔族に対抗するため、魔動具の開発により戦力の増強を図った。確かに大いに魔動具技術は進歩したが、肝心の燃料となる魔石が使い捨てである。国力を増強するには燃料が足りなかったのだ。そのため現在は魔石消費の効率化が求められている。


「ふん。魔動具(そんなもの)に頼らずとも、己の肉体を鍛えればいいのだ」


 後ろで私達の護衛をしていた騎士が口を挟んだ。何も私と姫君二人で街を歩いているわけではない。近衛騎士の一人であるバートン氏が後ろからついてきていた。彼もまた同じように、貧民に見えるように偽装している。


「肉体を鍛える為にはまず食が充実していることが前提なのよ? 彼らにそんな余裕があると思って?」

「ふん」


 ……二人は仲が悪いのだろうか。


 しかし、見れば見るほど街に生気がない。景気が悪いとかそういう段階ではなく、既に国として何かが欠如しているような、そんな現状に見えた。人々の目が諦念に染まっている。

 人類全体では、魔王に降伏する動きが出始めているらしい。殆どの国は勇者召喚に肯定的な態度ではなく、このマッカード帝国ですら勇者召喚に理解を示している貴族は半数に満たない。であれば、国民は言うまでもない。

 私という存在はおよそ、歓迎されていないのである。「無駄に抵抗して、更なる被害を受ければどうしてくれる」と、嫌悪の目で見てくる貴族もいるほどだ。その度にメディリーナは、悲しそうに目を伏せた。


 私はこの国の姫君であるメディリーナに、いたく感心していた。彼女は真に国民を、人類を思い行動している。魔王への降伏とは、歴史を鑑みれば破滅でしかない。降伏を願う彼らは、できる限り安らかに滅びようとしているのだ。人類に残された道は、戦いしかないのである。

 私にどれほどの力があるのかは定かではないが、少なくとも彼女は私にその希望を見出している。特に私の加護が『光魔法』であることが判明した際、その目が確信に変わっていた。メディリーナ曰く、光魔法とは神の力に最も近い魔法なのだという。私にそのような加護が発現したことは、いわば神の導きであるのだ。当の本人としては、一切実感が湧かないのだが。


「そういえば、メディリーナにも加護はあるんだろう? 何の加護なんだ?」


 誰に聞いても教えてくれなかったので、本人に聞いてみる。


「秘密よ?」

「……やはり秘密なのか」

「ええ。あなたの名前と一緒。一向に教えてくれないわよね」

「いやそれは……」


 私はメディリーナに自分の日本人としての名前を言っていなかった。いや、この世界の人間には誰にも言っていない。基本的に『勇者』で通じるからだ。だから誰も、あえて聞こうとはしてこなかった。

 メディリーナに対して教えないのは、正直下らない私情だ。彼女のことだから、私の名前を知ったあとはその意味を聞いてくるだろう。私は自分の名前が、自分に相応しくない気がしてあまりいい感情を抱いていない。


「……まあ、メディリーナの加護が秘密だというなら、もう聞かない」

「乙女の秘密よ?」

「乙女の!?」


 加護が乙女の秘密とはどういうことだ? 乙女に関する加護なのだろうか? それはどういう形で乙女に関しているのだろうか?


「やっぱりあなたって面白いわね」

「か、からかったのか!?」

「秘密なのは本当よ」

「……まあ、わかった。もう聞かない」

「乙女のね」

「そこは揺るがないんだな!?」


 悪戯が成功したかのように、彼女は無邪気に微笑む。出会った瞬間とは、ずいぶんと印象が変わってしまった。しかし今この瞬間の彼女の笑みに、私は少し見惚れてしまっていた。


 ふと、その姫君が立ち止まった。私は思わず目を逸らしてしまうが、歩みを止めた理由はどうやら私では無いようだった。


「どうした……ふむ」


 メディリーナを訝しげに見たバートンは、彼女と同じ方向に視線をやり、理解したように頷いた。私もならって同じ方を見る。

 細い路地の先、闇に紛れるように男が背を向けていた。肩になにやら中身の詰まった袋のようなものを担いでいる。そしてその先には、ニヤニヤと笑みを浮かべる別の男達がいた。和やかに会話をしているようであり、全員何かの仲間であるように見える。

 袋の中で、小さい何かが2つ動いた。おそらく足だ。そこで気づく。あの袋の中に入っているのは人間だ。人間の子供だ。

──人攫い。

 私は人攫いの現場というものを初めて見た。知識としてそういうものがあるということは知っていたが、この眼で実際に見るとなると、ゾッとするような感覚がある。物語やテレビの奥にあった悪意が、身近にあることに初めて気づいたような、そんな感じだ。

 私の足は竦んでしまった。「何か行動しなければ」と考えたが、同時に我々は身分を隠しての行動中である。「目立つ行為をしてはいけない」という冷静で残酷な思考回路が、私の足を掴んだのだ。

 しかし私が躊躇している間に、状況は動いた。


「貴方達、一体何をしているのでしょうか!」


 なんと最も身分がバレてはいけないはずのメディリーナが、高らかに呼びかけたのである。


「な、なんだてめぇは!」

「あら、自分の国の皇女のことも知らないのですか? ならばあえて名乗りましょう。私はメディリーナ。マッカード帝国の第一皇女です」


 メディリーナは一つのブローチを見せた。それはこの国、マッカード帝国の皇族であることの証明である


「な、なに……? 皇女だと?」「馬鹿な」「いや、しかしあのブローチは本物……」


 辺りがざわつき始めた。メディリーナの声は高く澄んでいて、よく通った。路地の先にいる男達だけでなく、街道の人々までが彼女に注目する。彼女の発言の真偽について、彼らはざわつき始めた。しかし彼女の手にある精巧なブローチは、まさしく本物であった。


「重ねて聞きます。貴方達、一体そこで何をしていたのでしょうか」

「ぐっ……」

「答えられないのですか? ではより質問を具体的にしましょう。貴方達の持っているその袋の中身を、もし知っているならば答えてもらえますか?」


 そのメディリーナの声が、袋の中にも届いたのだろうか。男達の手が緩んだ隙に、袋の中の手足が大きく暴れ、子供が袋の中から姿を表した。


「て、てめぇ! このガキ!」

「皇女様! 助けて!」


 子供は男達の手を離れ、メディリーナの元へ駆け出す。本来無礼な行為であるが、メディリーナはその子供に服を掴まれるのを良しとした。

 もう男達に言い逃れはできない。明らかな人攫いの証拠を、法治の頂点たる皇族のメディリーナに見られてしまったのだ。


「人攫いが違法であることなど、もちろん知っていますよね?」

「ぐっ……」

「帝国法に則れば、貴方達に下される刑罰は……」

「……て、てめぇらのせいだ!」


 メディリーナの声を遮り、男の一人が激昂する。私の目には、彼等が自暴自棄になっているように見えた。


「どうせ魔族には勝てないんだ。魔王に降伏するしかないんだ。それをわざわざ勇者なんぞ召喚しやがって! まず先にこの国が狙われたら、てめぇらどう責任取るっていうんだ!?」

「大体なぁ、俺達がこんなに落ちぶれたのだって、まともな仕事が無くなっちまったこの世の中のせいだろうが。見ろよこの街の有様を! どいつもこいつも死んだ目でゴミを漁ってやがる……これを見てお前らは何も思わないのか? お前ら皇族に、責任は無いって言うのか!?」


 男達は目が血走ったまま訴える。どこかに自らの不幸の吐き出し口を探していたのだ。そしてその誰が見ても不敬罪と思われる言動が、周囲の遠巻きに見ていた野次馬に何かを働きかけていた。

 いつの間にか野次馬が我々を囲っていた。

 およそ誰もが、同じような不満を抱いていたのだ。見えないところでその不満は膨らみ続けている。誰かが突けば破けてしまうほどに、張り詰めている。誰も口には出していない。だが民衆の目は、私が召喚された当時のような、あるいはそれよりも激しい嫌悪と猜疑心に侵されていた。


(暴動が起きてしまうのではないか……)


 私は勘ではあるが、たしかにそのような印象を抱いた。膨らんだ不幸の風船は、今まさに弾けんとしていたのである。


「お黙りなさい!」


 だが、メディリーナは尚も凛とした声で言う。


「貴方達の満たされぬ生活の責任、その一端は確かに我々皇族にあります! 国の治世の不届きは原因が何であれ皇帝たる我が父の責任であり、我ら皇族の責任です!」


 男達は笑った。袋小路の窮地から、一筋の光明を見出したのである。


「そ、そのとおりだ!」

「ですが! 貴方達の行為は……他人の子を誑かすその行為は、どのような治世であれ許すことのできない物です! 正義を信じる一人の人間として、貴方達の行為は到底看過できません!」


 メディリーナはそう断言した。周囲に沈黙が下りる。男達はわなわなと震え、ついにメディリーナに飛びかかった。


「バートン!」

「ふん!」


 バードンは剣も抜かず立ち向かい、一瞬のうちに彼らを拳で地面に沈めた。


「おいそこの衛兵!」

「……は、はっ!」

「何をそこで突っ立っておる。さっさとこの不届き者を捕縛せんか」

「すみません!」


 野次馬の囲いの外、衛兵は騒ぎの中心に入れずにいたらしかった。

 私が未だに呆けていると、メディリーナが私の腕を掴んだ。


「逃げるわよ」

「え」

「一時的な静寂よ。このまま私がここにいれば、民の心も変わってしまうかもしれない。あなたの正体がバレてしまえば尚更」


 私とメディリーナは、混乱に乗じて路地に入り、そのまま騒ぎの外に逃げ出した。帝都を駆け、城を目指す。しかしそのまま走ってたどり着くほど近くもない距離であった。

 ある程度の距離を二人で走ったあと、彼女は止まった。メディリーナは息を切らしながら、壁に寄りかかる。メディリーナはこの国の姫だ。兵士のような訓練を受けているわけではない。当然体力も相応のものだ。

 大して私は、全くと言っていいほど疲れていなかった。なるほど勇者の体というのは、反則的なまでの身体能力を持っているらしい。


「……まあ、ここまで来れば……大丈夫でしょう」


 メディリーナはそのまま座り込む。汗ばんだ頬に、彼女の綺麗な髪が薄く貼り付く。その姿が私の目には非常に美しく映った。

 私は自分が情けなかった。あのとき動けなかった自分が。自らの都合のために、他者を脅かす悪を見逃さんとする行為が。

 メディリーナのなんと高貴なことか。なんと誇り高きことか。容姿ではなく、女性としてでもなく、私にとって彼女は今、誰よりも輝いて見えたのだ。

 私は、変われるのだろうか。

 私のような人間でも、いつか彼女のようになれるのだろうか。


「メディリーナ」

「……なに?」

「私は子供の頃、ヒーローになりたかった」

「『ヒーロー』?」

「ああ、通じないのか……そうだな、直訳すれば英雄かな。困ってる人々を救う、勧善懲悪物の主人公だ」

「ふーん? まあこの世界にも、似たような小説はあるわ」

「君は小説を読むのかい?」

「悪いかしら。でも小説は素晴らしいものよ。私もよく物語の中の姫に憧れたわ」

「へぇ。実際に姫である君が?」

「そう。おかしいでしょ。ふふ」

「ははは」


 メディリーナはクスクスと笑う。私もつられて笑った。


「……メディリーナ。私もなれるだろうか。その、正義の英雄(ヒーロー)に」


 私は「君のような」という言葉を飲み込んだ。


「なれるわ。だって、あなたは勇者だもの」

「そうか。なれるか。なれるよな」

「ええ。魔王を倒せば必ず、あなたは我々人類の救世主となる。どんな将軍にも負けない、英雄に」


 丁度建物の影から日が覗いて、陽光が差した。彼女の笑顔は眩しく、やはり美しかった。

 私はその時、魔王を倒すことを誓ったのだ。





 私は本格的に鍛練を始めるとともに、仲間を募ることとした。例え私が特別な力を持つ勇者であったとしても、一人で魔王を打倒することは叶わないからだ。

 心を一つとする、強力な仲間が必要である。


「貴様のためではない。あくまで帝国のため、こうすべきと判断したのだ」


 まず付いて来てくれたのは、メディリーナと帝都を回った時にもいた、騎士のバートンであった。彼は人間離れした怪力であり、鎧に身を包み盾を構えれば、どのような攻撃も防ぐことができた。


「魔王を倒せば平和になるのでしょう? なら倒せばいい話だわ!」


 歴史上でも類を見ないほどの魔法使い、エリザベーナが仲間になってくれた。その魔力は絶大で、魔動具作りにも並々ならぬ才能を持つという。彼女はさっぱりとした明るい性格で、すぐに私も打ち解けることができた。


「わ、私も! 微力ながらお力添えになれればと!」


 回復魔法の使えるシスター、サレスだ。私も『光魔法』の加護により回復魔法は使えるが、回復できる人間は多くいた方がいい。メディリーナも回復魔法が使えるため付いてこようとしてくれていたのだが、何分立場が立場だ。姫君の身に何かあってはいけないと、帝国が代わりと言って用立てたシスターである。前述した二人には実力に関して言えば見劣りするが、真面目で素直だ。勉強家でもある。


 鍛練を終えた私は、彼らを連れて遠征という旅に出た。各地で魔族の襲撃が起こっている。前線がほとんど機能しておらず、かなり深いところまで魔族の侵入を許していたのだ。それらの襲撃を食い止め、人々を救うのが我々の役割である。


 魔物や魔族はとても強力であった。彼らは基本怪力であり、魔法や能力を使えるものもいる。魔動具を使って初めて人間が太刀打ちできるのだと言う話は本当であった。特に強力な魔族は、勇者である私の身体能力に匹敵するのだから驚きだ。この上、魔族領にはさらに強力な魔物や魔族が棲み着いているというのだから、途方もない話である。


 だが我々のチームも、並大抵のものではなかった。そもそもそれぞれの力は人間を突出しているのだ。その上奇跡的に連携が噛み合い、調子の良いときにはどんな敵でも、いつまででも、戦い続けることができるのではないかという錯覚を抱くことすらあった。


 徐々に連携も高まっていき、それぞれの実力、特にシスターのサレスの成長も相まって、旅は順調に進んでいた。

 我々であれば、必ず魔王を討伐できる。四人の考えは一致していた。


 だがそれは、正しく錯覚であったのだ。

 凶刃は正面ではなく、背後にあった。






 私は目を覚ました。

 視界に映ったのは、私がよく知っている天井だった。だからこそ混乱した。その天井はマッカード帝国の城内にある、私にあてがわれた部屋のものだったからだ。

 私は遠征の途中であったはずである。まるで夢でも見ていたかのような気持ちになったが、今までの道中の出来事は鮮明に思い出せる。大丈夫だ。現実だ。


「何が……あった?」


 目を覚ます前の、直近の記憶を掘り起こそうとする。確か遠征の途中、魔族の襲撃を受けていた村があった。我々は魔族を難なく倒した。その襲撃していた魔族は一人であったからだ。


 だがその村の救出は、当初の予定にはなかった。おかげで行程が狂い、その晩の寝床までたどり着けなくなってしまった。その事情を話すと、村長は快く村での寝泊まりを許してくれたのだ。私達はそれに甘えることにした。


 そして……。


「痛っ……」


 ズキッとした頭痛を覚えた。

 えっと……その村の一室で寝たあとどうしたのだったか……。


 その時、部屋の扉が開き、一人のメイドが顔を覗かせた。私が彼女に会釈すると、メイドは驚いた様子で顔を引っ込めた。

 そしてすぐあと、まるで突進かと思うほどの勢いで、エリザベーナが入室してきた。続いてサレスも姿を表す。


「目、覚めたの!?」

「あ、あぁ。見てのとおりだ」

「……そう」


 エリザベーナはほっと胸を撫で下ろした。サレスは感極まったのか、目尻に涙が浮かんでいる。


「なあ、どうしたんだ? 私の身に一体何があった」

「……覚えてないのですか?」

「あぁ」


 私が肯定すると、サレスは複雑そうな表情を浮かべる。

 対象的に、エリザベーナはあっさりとした調子で言った。


「あなた、一回死んだのよ」


「……は?」


 思わず頭が真っ白になった。

 死んだ。彼女は確かに死んだと言った。ではなぜ私はここに生きているのか。

 そもそもなぜ死んだというのか。別に敵との戦闘中に意識を失った訳ではない。ただ村で一泊していただけ……。


「あのクソ村長のせいよ! あなたの寝ている間に毒ナイフであなたを刺したらしいわ! 魔族に降伏するつもりだったのに私達が来たから邪魔されたんですって! 魔族に降伏なんて馬鹿なのかしらあの人!」


 ああそうか、というのが正直な感想だった。

 悲しむべき事なのだろうが、しかし召喚当初から歓迎されない目で見られていた私にとって、それはすんなりと納得できてしまう事態であった。

 自分がしている事が、全ての人にとっての正義でないことは知っている。だが魔王を倒すということが、一つの大きな正義であることに違いはないと考えてきた。端から承知の上で魔王討伐を志したのだ。


 魔族ではなく人間……ただの一般の村人に対して、少し油断しすぎていただろうか。途中で死んでは魔王討伐も何もない。自分の身を守るという意識を……。


「……いや、エリザベーナ。私が死んだ理由は分かった。だがなぜ私は今ここに生きているのだ?」

「それは、」


 エリザベーナが、言い淀んだ。あのエリザベーナが、だ。


「……姫様が」

「姫様……? メディリーナのことか? そうだ、彼女は今どこに」


 私が例えば生死の合間を彷徨っていれば、あるいはそれが誰であれ、駆けつけるのがメディリーナという人だ。短い付き合いだが、それくらいのことは分かっている。

 この部屋に駆けつけたのはエリザベーナとサレスだけ。バートンは良いとして、メディリーナはここにいても不自然じゃない。なぜここにいないのか。皇女という立場であるから、何か会議や用事が重なってしまっているのか。それとも、彼女の身に何かあったのか。


 私の質問に、エリザベーナとサレスは答えなかった。ただ悲しそうに目を伏せて、私から目を逸らすだけだ。


 私は部屋を飛び出した。

 先程まで気を失っていた割には、私の足は随分と元気に動いた。その不自然さが、私に妙な不快感を与え、憔悴させる。


 部屋の外にはバートンがいた。彼は私の姿を目で捉えると、眉間に皺を寄せ、拳を震わせる。喉から絞り出すように、彼は言った。


「……行け」

「バートン?」

「姫君はご自身の皇室にいらっしゃる。急げ」


 嫌な予感しかしなかった。私は無我夢中で城内を走った。

 場所だけは知っていたものの、一度も訪ねることの無かった彼女の私室へ、私は急いだ。

 礼儀も作法も忘れ、私は扉を開け放つ。


「メディリーナ!」


 彼女はベッドの上で、上体を枕に預けるようにして静かに読書していた。

 彼女はいつも気高かった。いつでも凛とした声を張り、堂々とそこに立っていた。

 しかし目の前のメディリーナは、今までのどの彼女よりも、儚く私の目に映った。


「あら。勇者様。死んでしまうとは情けない……だったかしら」


 なんてことない様子で彼女は言う。しかし私は言葉を失っていた。

 儚い、なんてものじゃない。

 彼女の体は、文字通り透けていたのだ。

 淡い光がメディリーナを包んでいて、それが嫌に神秘的であった。


「その……体」

「ええ。加護の代賞よ」


 私は秘密にされていた彼女の加護を、ここで初めて知った。


「私の加護は『献身』。誰か一人の死を、自分が肩代わりできる能力」


 メディリーナの言葉を聞きたくなかった。それは明確に、現状を説明できるだけの説得力があったからだ。


「発動すればすぐに私は死ぬと思っていたのだけれど、神様はこういう演出がお好みなのね。あなたが完全に復活してから、ゆっくりと私は消えていくみたい。最期にあなたと話す機会を頂いたということね」

「ああ……メディリーナ……」


 私は彼女の手をとった。不思議な感触だった。確かに彼女の手に触れているはずなのに、まるでそこに存在そのものが無いかのように空虚だった。


「ねぇ勇者様。これからは自分の身を大事にしてね? もう次に死んでしまったら、本当に死んでしまうわ」

「メディリーナ。何か君を救う手は無いのか? こんな、こんな事で君を失うなんて」

「無いわ。それが加護というものであり、神様の思し召しだもの。ねぇ勇者様? 私が初めて自分の加護を知ったとき、どう思ったと思う?」

「……分からない」

「正解はね。『こんな加護、絶対使ってやるものか』よ。全くあの頃の私は幼かったわ」

「……」

「神様をすっかり信じても、その考えは変わらなかったわ。自分の命を捨てるくらいなら、誰かを愛して一生を捧げてやると、ね」

「ならば、なぜ、私を助けた」

「言わないとわからない?」


 彼女は微笑んだ。


「あなたに一生を捧げたいと思ったから。でもそれは叶わなくなってしまったから、代わりに私の命をあげます。大切に使うことね」

「メディリーナ……」

「ほら。あなたもちゃんと会話しなさい。折角私の最期に立ち会えたのだから。ちゃんと宣言して」

「宣言……?」


 メディリーナは私の目を見つめる。私は今にも泣きそうだったが、それは絶対にしたくなかった。彼女はそれを望んでいない。

 私は笑った。


「メディリーナ。私は必ず魔王を倒す。そして英雄(ヒーロー)になる」

「よろしい」


 メディリーナも笑った。

 彼女の体は、更に一層透けていって、今にも消えそうだった。


「そろそろ時間みたいね。ねえ勇者様。最期に一つ、私のお願いを聞いてくれないかしら」

「なんだい」

「教えてくれる? あなたの名前を……」

「あぁ」


 それくらい、なんてことない。

 私は彼女に自らの名前と、その意味を教えた。


「そう。いい名前ね……」


 彼女の身体を淡い光が包む。


「──、必ず……魔王を倒して、なってね……正義の英雄(ヒーロー)に……」


 私の手の中から、彼女は終に消えた。

 私はずっとそのまま、彼女を見つめていた。





 メディリーナの葬儀は粛々と行われた。

 遺体はなく、また世間に公表もされない。民を招くこともなく、上位貴族と皇族のみが招かれて、儀式は執り行われた。

 マッカード帝は、彼女の遺影の前でしばらく震えていた。それから踵を返し、真っ直ぐと私へ向かってくる。


「勇者よ……」

「はい」


 私は無礼と知りながら、膝をつくことも頭を垂れることもしなかった。この男が皇帝としてではなく、一人の父親として私の前に立っていることに、直感で気づいていたからだ。

 しばらくの間、沈黙が流れた。マッカード帝は、きっといくつもの言葉を呑み込んでいた。

 私の肩を両手で掴むと、彼は枯れた声で言った。


「魔王を……討伐せよ……わかったな」

「はい。必ず」


 私は即答した。

 すでに誓ったのだ。例えどんな手を使っても、魔王を倒すと。








『「勇者様、どうかあなたの名前を教えてください」村長に勇者様は言いました。「私はただの勇者です。それだけで十分なのです」村長はその場に泣き崩れてしまいました。勇者様は英雄として讃えられるのではなく、勇者として人々を救うことを何よりも優先していらっしゃったのです』(リーン聖国リーン大聖堂所蔵『勇者伝』より抜粋)


『先代勇者の活躍の裏には、メディリーナ皇女の勇気ある決断が存在する。彼女は多くの反対を押し切り先代勇者を召喚し、先代勇者が命の危機に瀕したときは自らが犠牲となり彼を助けた。彼女は人類史上最も大きな功績を残した女性の一人である』(マッカード帝国所蔵『帝国史概論』より一部抜粋)


『彼女は本当に立派な人間であったのか、と私は思うのだ。現存する当時の記録をよく読み解けば、メディリーナ皇女は勇者反対派に対して一切の対処をとっていなかった事がわかる。私には彼女が、物語に憧れた一人の少女に見えてならないのだ』(ドイル連邦国立図書館所蔵『歴史作家ザルバの所見』より抜粋)



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[良い点] こういうの大好き [一言] 気がついたら投稿されてた!? ……魔法??
[一言] 神に近い加護と言われているのにBランクという不遇な光魔法
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