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ようやく学校に到着した……。
道中ずっと喋りっぱなしだったからか、それとも誰かさんのせいで脚が痛くてスピードが出せなかったからか、元々待ちあわせ時刻よりも三十分程早かったにも関わらず、予定時刻を少し過ぎていた。
やはり半開きになっている部室の戸を開けるとともに、那華先輩は、明るくも疲れた声を出す。
「ホットプレートお届けでーす」
しかし、それは俺のセリフだ。
部室の中を見ると、先に着いていた文乃先輩が買ってきた材料を使って準備を進めていたようだ。このために買ったのか、ちゃんと包丁にまな板まで用意して、キャベツ等の具材を切り分けていた。
「お疲れー。陽くん、なは」
そう労ってくれた文乃先輩に癒やされつつ、机の上にスペースを空けてくれたので、ホットプレートをセッティングする。
しかし、俺を蹴り飛ばした挙句、ずっとプレートを持たせていたちびっこは、
「ふわぁー疲れたー」
とか言いながら、来た時と同じように扇風機を抱えた。
それから、部室内を見回して、一人の不在を発見する。
「あれ、ちーちゃんは?」
ああ、言われてみれば千春先輩がいないな。
そう思ったところで、噂をすれば影というか、入り口が開いて、片手に水の入った二リットルペットボトルを抱えてた千春先輩が入ってきた。しかし、なぜか制服のブラウスとスカートがびしょ濡れになって、タンクトップが透けて見えている。
「なんで濡れてるんですか?」
俺の問いには直接ではないものの、文乃先輩が答えてくれた。
「ああ……水くみもダメだったか……」
その言い方に引っ掛かるところを感じた。水くみ『も』?
とっても不機嫌そうな、というより泣きそうな顔をした千春先輩は、何も言わず、ペットボトルを抱えたまま部室の端っこに蹲った。
「あやや、『水くみも』ってどういうこと?」
「最初にキャベツ切ってもらおうとしたらキャベツより先に手を切ってね」
ああ……。
「次に生地を混ぜてもらったら三回混ぜる前にゴムベラが宙を舞って」
うん……。
「そんで、これならいけるかなって水くみに行かせてみたんだけど」
こうなっていると。
しかし、聞いてるとひどいが、そんなイメージなかったんだけどな。
「千春先輩って不器用なんですか?」
すると、意外なことに、二人ともから否定の言葉が返ってきた。
「手先は器用なはずだよ。手品とか超得意だし」
「たぶん、友達と作業するのが苦手なんだと思うけど」
「でも調理実習とかあるでしょう」
俺の更なる疑問には、二人ではなく、当の壁にうずくまる塊が答えてくれた。
「調理実習の時……私の役目は台拭きなんだ……」
「台拭き!?」
あまりの待遇に、思わず綺麗に突っ込んでしまう。
「……しかも、班員全員の同意を得ないと台を拭いてはいけないんだ……」
「合議制!?」
どんな慎重さが求められているんだよ!
「想像以上ね……」
「千春、相変わらずキャラ強いなー」
「と、とりあえず準備進めましょうか! もう一時過ぎてるわけだし!」
千春先輩の話を聞いて、あまりのいたたまれなさに、さっさと食べ始めて空気を変えてしまいたくなる俺。
「ああ、もう食べれるよ。生地混ぜなきゃいけないのがあるくらい」
「そうですか。じゃあ食べましょうか。ほら、千春先輩も!」
そう言うと、丸まっていた千春先輩も、むくりと起き上がった。千春先輩のこういう姿を見るのも珍しいから少し新鮮だ。
そんなことを考えていたら、千春先輩と目が合って、睨まれた。
うぇっ、何考えてるかわかったのか? と思ったら、
「陽臣、なぜ私服なんだ?」
予想外の指摘。
「えっ、ダメなんですか? 那華先輩もそうだったからてっきりいいんだと思ってました」
実は、電車に乗るくらいで学校に行くのに私服でいいのかなというところに考えが至ったのだが、いざ到着してみると那華先輩もそうだったから許されているのだと思っていた。
「那華はもうどうしようもないが、まだ陽臣は一年だろう。滅多なことをするものではないぞ」
「ちーちゃん、いくらなんでもどうしようもないはひどいよー」
そうは言われても、一応、こちらとしても始めに私服を選んだ理由が無いわけではないのだ。
「でも、制服で鉄板焼きはきつくないですか? 油跳びますよ」
俺の言葉に、制服の二人は顔を見合わせた。どうやら、そのことを全く考えていなかったらしい。
「あ、私、ジャージ着よ」
ずぼらな文乃先輩は大体部室に、体操服等の上から着るジャージを置きっぱなしなのである。
「なっ、文乃ズルイぞ」
「へへっ、備えあれば憂いなしってね」
そう言って、文乃先輩は体育用の上ジャージをブラウスの上から羽織って、前を閉じる。
「あややのそれは備えじゃないでしょ……」
そうして一人残された千春先輩の思案顔を見て、部屋をぐるりと見分する。いらんもんはたくさんあるのに、必要なものは無い部屋なのだ。
最後に目線が下に戻り、一つ気づいた。灯台下暗しだな。
「じゃあ千春先輩、俺のパーカー着ます?」
三人の注目が俺に集まって、一瞬沈黙が降りる。
なんかまずいこと言ったか?
「聞きました那華さん?『俺の』パーカーですって、まあやらしい」
「いやいや、俺のパーカーのなにがいやらしいんですか」
「どうせ『ほら、こうやって着るんだよ』とか言って二人羽織とか強要するんでしょ」
「発想が無限すぎます!」
「陽臣……さすがに、パーカーで二人羽織はできないと思うぞ?」
「千春先輩も那華先輩の言うことを本気にしないでください!」
「あ、そんなこと言っちゃっていーのかなー、高遠ぉ」
「なんですか、いきなり」
「あのね、ちーちゃん。高遠のヤツ、今日ここで待ちあわせた時にね――」
「ちょっ! 先輩それ言わないでって言ったじゃないですか!」
「言わないでとは言われたが、言わないとはいっていない!」
「あ、なんかわかっちゃったかもー。へー、陽くん、そーなんだー」
「待ってください、文乃先輩! 貴女のそれはきっと誤解です!」
「大丈夫。あやや、多分それであってるから」
「ちょっと待ってくれ。どうやら、私だけ事態がわかってないようなんだが……」
「千春先輩はわからないのが正常です。どうかわからないでください」
「あのね、ちはりん。実は陽くんがね――」
「ストップです、文乃先輩!」
「だからちはりんと言うなと何度言ったらわかるんだ、文乃」
「じゃあ、陽くんが『あやち、ちょーかわいー!』って身振り付きで言ってくれたら言わないであげる」
「代償きっついなー!」
「あれ、これってプレート電源ついてるー?」
「ああ、ついてるぞ。中火になっている」
「ほら、陽くん。早く早く」
「あ……あやち、ちょーかわいー……」
「アハハ、いーねー、陽くん。グッと来るよー」
「キャハハハハ! マジで言った、高遠!」
「那華先輩、なんで聞いてるんですか! 聞いてないと思ったから言ったのに……」
「こんな面白いの聞き逃すわけ無いだろ。私が集中してたら、絶対言わないと思ったからね!」
「まあ……陽臣。そう気を落とすな。そんなに変じゃなかったぞ?」
「千春先輩のそれが一番居た堪れなくなるんですって!」




