六
一瞬にして、部室内の空気が凍りついた。十数秒の間、敷地隣の幹線道路を通る車のクラクションが響く以外、誰も言葉を発さなかった。
六つの目が俺に集中して、いたたまれなさに耐えられなくなってしまう前に、突き抜けるように黄色い笑い声が部屋の沈黙を破った。
「ぷっぁはははは! なにそれ、そこで断るかあんた普通、あはは!」
文字通り腹を抱えて笑いだした白松先輩に釣られて、文乃先輩も肩を震わせ始める。
一方の新美先輩は口をへの字にして、俺に抗議の声を上げる。
「もう、一体何が不満なの?」
少しだけ目をうるませながら語る、その話し方に、一瞬ぎょっとする。
案外とすんなり口に上っていたので聞き違いかと思いきや、
「千春、口調口調」
さっきまでの笑いを引きずりつつ、文乃先輩が注意を入れた。
どうやら、素に戻ってしまったようだ。やっぱり、当然だけれど、彼女のあの態度は演技のようだ。……中二病、みたいな?
はっとして口を手で抑える新美先輩。色白の顔を真っ赤にして、もう一度同じ内容を繰り返す。
「……どこに不満があるんだ?」
先輩のあまりの可愛さに、もう笑うしかない。俺がそっぽを向いて笑いをこらえていると、さらに、低い声で脅しをかけてきた。
「高遠。学校中にお前が痴漢だって言いふらしてもいいんだぞ……」
それは困る。しかし、困って、照れて、怒って、と忙しく表情を変える彼女が面白くて仕方がない。どうにか出てきた返事も笑い混じりであった。
「はい、すいません、それは勘弁してください。それで、なんでしたっけ?」
「な・に・が、不満なんだと聞いてるんだ」
改めてその質問を考えれば、どういう考えのもとで出てくる問いなのか解りかねる。傲慢というかなんというか、いや、言動は一貫しているのだけども。
「不満以前にまず、なんでこんなとこに連れてこられて、入部云々の話になってるのかわかんないです」
そう言うと、なんども繰り返した問いに、はぐらかすにも限界があると悟ったのか、彼女は、こう答えた。
「それは、答えたくないんだ」
俺も含め、三人は怪訝な顔をしたけれど、彼女がそれ以上語ることはなく、俺はさらに論を連ねた。
「それに、普通、こういうのって希望者が自発的に入るもんじゃないんですか?」
俺としては、それどころか、常識として、至極当然なところを述べたつもりであったのだが、部員である三人は、顔を見合わせて、ため息をついた。
「え、なんですか、この本日二度目の『やっぱりこいつはダメだな基本がわかっちゃいねえ』的な雰囲気は」
昇降口あたりと同じ感じだ。ただ、今度は白松先輩がいるので、
「よくわかったわね。今のため息は『やっぱりこいつはダメ人間だな社会生活の基本がわかっちゃいねえ』の意味よ」
「ごめんなさい、その意味なら全然わかってないです」
無駄に俺の人格が否定されてから、文乃先輩が説明を始めてくれた。
「まあ、言われてみれば高遠くんの言う通りなんだけどさ、そもそも、私達みんな自発的に入部したわけじゃないんだよ」
「……どういうことですか?」
部員全員が自発的じゃないって一体……。
「順番から言えば、まず千春が――」
「――そこからは私が話そうか」
順に話していくということで、新美先輩が文乃先輩を制して、自分の入部の経緯を話し始める。まあ、自分の体験は自分が一番よくわかってるだろうしな。
文乃先輩もそう思ったのか、先を譲った。
「私が入学した時点で、文学部の部員はたった一名しかいなくてな。しかもその一人も前年度不登校で留年した二年生で、はっきり言ってこの部活は廃部寸前だったんだ」
「この学校って部員が一人でも廃部にならないんですか?」
「それは……どうなのだろう。現に廃部にはなっていなかったが、規定はわからないな。那華、知っているか?」
「生徒会クラブ規定によれば、後期開始時に部員がいなかったら廃部のはずね。作るときは五人以上必要だけど、活動は一人いれば問題なし」
「そんなことよく知ってますね……」
感心の声を上げると、先輩は右手でブイサインを作って、
「暗記は得意なの」
便利な特技をお持ちのようだ。
閑話休題して、新美先輩が話を再開する。
「その年の新歓が終わった後、私が色々と部活を覗きまわっていると、妙な男に捕まったんだ」
「捕まったって……比喩よね?」
「もちろんだ。本校舎と特別棟を繋ぐ渡り廊下の辺りで声をかけられた」
「なんで、わざわざ新美先輩に声をかけたんでしょう? 少なくとも男子の方が話しかけやすいと思うんですけど」
「たぶん、ちはが一人で歩いてたからだろうねえ。新歓の後は校舎内人気ないし、寂しく見えたんじゃない?」
「ああ……」
「そこ、うるさいぞ。そいつは話を聞くに、文学部のOBだったらしく、廃部を回避するために勧誘をしていたそうだ」
「すごい先輩もいるものよね。わざわざ高校の部活のためにさ」
「白松先輩は会った事ないんですか?」
「ちーちゃんから話は聞いたけど、それ以来来てないらしいからね」
「その先輩は、やたらと理屈っぽいというか、突拍子のない話もわかった気にさせられてしまうというか、そいつの話を聞いているうちに、あれよあれよという間に部室に連れこまれてしまって」
「さっきから、新美先輩が犯罪に巻き込まれてる風なんですが」
「ちーちゃんって案外、怪しい宗教とかに引っかかるタイプよね」
「私、こないだ千春が外国人の募金に捕まって千円くらい寄付してるの見かけたよ」
「あれは、恵まれない子供が可哀想になっただけだ! でないと、二千円も寄付はしない!」
「二千円!? 恵みすぎだよ、ちーちゃん!」
「あ、ひょっとして、財布の中に二千円札しか入ってなかったんですか」
「…………部室に連れて行かれて」
「誤魔化した」「誤魔化したね」「図星つかれて誤魔化しましたね」
「『名前、どんな漢字?』って紙に書かされたんだが、彼はそこにちょうど名前欄がくるように入部届けを作って、顧問に提出したらしい」
「もはや悪徳詐欺グループの所業じゃないですか」
「まあ、特に入りたい部活も無かったからな。そして、その時に『お祝いだ!』って、言われてくす玉をもらったんだ」
「くす玉、ですか?」
「ああ、だから私の時それだったんだ」
「文乃先輩の時に、くす玉が関係していると」
「うん、そう。私の時は、あれは、確か夏ライブの時だったかな。夏休みに入る直前の短期授業の後、軽音部はライブをやるの。その時に、ステージにくす玉が仕掛けられていてね」
「それ、新美先輩がやったんですか?」
「ああ。昼間、鍵を開けておいて、夜に侵入して仕掛けたんだ」
「ちーちゃんの行動力はどっから出てくるのよ……」
「でも、みんな自分以外のバンドが使う仕掛けだと思ってたから、誰も開かなくて、ラストの私達に回ってきたわけ。私がMCだったから『忘れてたんですかねー、開けちゃいましょうかー』って」
「どうなったんですか?」
「中から『文学部入部おめでとう』の垂れ幕と、紙ふぶき。そして、千春に捕獲された」
「捕獲?」
「客席から入ってきて、『文学部部長の新美千春だ。これからよろしく』って握手されて、ライブ終了後に部室に連れこまれた。後の流れは千春に同じ」
「…………想像しただけで精神削れるんですけど、新美先輩のメンタルどうなってるんですか? なんかもう空気読めないどこじゃないですよね」
「ひどい言い様だな……」
「たぶん、ちーちゃんは内心パニクっててわけわかんなくなってるだけだよ」
「限界が来るのが早すぎるんだよね」
「あのなあ……」
「それにしても、文乃先輩のターンは短かったですね。新美先輩が話すの下手なんでしょうか」
「お前らが、口を挟むからだろうが!」
「ちはの話ツッコミどころ多すぎるんだよ」
「というかちーちゃん自身にツッコミどころが……」
「文乃先輩のターンでも気になるところは主に新美先輩のところですしね」
「もういい。那華、次」
「おーけー。私の時は、もっと単純よ。去年の夏まで新聞部に入ってたんだけど、文化祭で出した冊子をちーちゃんが読んで、引き抜きにかかったの」
「ひ、引き抜き? 兼部じゃダメなんですか?」
「それは私が嫌だったの。だって、似たような時期に二つも書かなくちゃいけなくなるわけだし。まあ、新聞部といえどそこまで大したことをやるわけでもなかったから、別にいいかなーって思ってたんだけど、部長が反対して――」
と、そこでトントン、と扉がノックされた。白松先輩も話を中断して、全員がそちらの方を向く。すりガラスの向こうには二つの人影が見える。
「どうしました?」
最も扉に近い文乃先輩が立ち上がって、扉を開いた。
そこに立っていたのは、白松先輩と同じ体操服を着た二人の女の子。内一人が、身を乗り出し、顔を部室内に突っ込む。それを白松先輩が見て、気づく。
「あ、みー」
なにやら先輩の知り合いらしい彼女は、大きく声を上げた。
「やっぱりここにいた! ちょっと、なっちゃん! なに和んでるの! もう私達の出番始まっちゃうよ!」
「やっば! 完全に忘れてた!」
俺にはなんの出番かわからないが、先輩には思い当たるところがあったようで、あぐらの体勢から、一気に立ち上がり、部屋を出る準備を始める。
彼女は部屋の端にあったバドミントンのラケットを取り上げて、そそくさと、バタバタと三人は部室を後にした。




