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五・2

「まあ、いいや。私のターンも終わり。次はあんたよ」

 そう言って手のひらで俺を示す。あ、最後最後と言っていたが、俺が残っていたか。

「じゃあ、高遠。よろしく」

 ここまでほとんど黙っていた新美先輩も俺を促した。新美先輩は案外寡黙な方なのかもしれない。

 少しの間、視線をさまよわせて、足を正す。それから、間も取らずに始めた。

「高遠陽臣です。高く遠い太陽の大臣と書いて高遠陽臣になります。好きな食べ物はビーフジャーキーとスルメイカ、嫌いな食べ物は生野菜。えーと、俺なんでここにいるんですか?」

 自己紹介のはずなのに、質問をしてしまった。ていうか、自分の立ち位置がわからないと紹介しようにも何を言えばいいかわからんな。

「あんたがわからなかったら誰がわかるのよ」

「いやいや、彼は千春が連れてきたんだよ。廊下でぶつかりかけて、有無を言わさず捕まえてた」

「ああ、またか……」

 この様子を見るに、薄々わかっていたことだが、こういう風に連れてこられるのは俺が初めてではないらしい。

「てか、文乃先輩、わけもわからずついてきてたんですか?」

「うん。まあ、いつものちはの発作だし、あとで説明されるかなと」

 いつもので済まされるのかよ! 顔を引き攣らせる俺に文乃先輩は苦笑いを返す。この人は苦労人ポジションかな。

 しかし、俺の汚名が新美先輩の中だけに留まっているのは良いことだ。彼女が口を滑らせやしないかと牽制の視線を送ると、小さく首を縦に振って、話し始めた。

「彼はな、今日の朝の電車の中で――」

「どぅわぁぁ! なに話してんですか! なに普通に話し始めてんですか!」

 牽制の視線も意味なく、何を取り違えたか汚名を披露し始めた新美先輩を大声で遮った。身を乗り出して、食って掛かる。

「そっちこそなにを言ってるんだ。君の期待の視線に応えたんじゃないか。満を持して、君の武勇伝を披露するタイミングだったろう?」

「ぜんっぜん理解してないじゃないすか! それにあれは武勇伝なんかじゃなく汚名ですよ!」

「汚名って、やってないなら汚名でもなんでもないだろう。あ、ひょっとして、実はやっていたわけか? 毎朝ち――」

 言ってはならないワードを言いかけた新美先輩の口を、慌てて手のひらで塞ぐ。

 モガモガ言っている彼女に再度言葉で牽制した。

「言・わ・な・い・でください。名誉の上で問題なのは事実じゃなく印象なんです」

 言い終えてから、口を塞いでいる左手を彼女に引かれるがままに放す。もう大丈夫だろう。

「君の考えはわかった。しかし、もう遅かったようだぞ?」

 一度、ほぼ真上にあるこちらを見上げて、視線の動きによって、正面を示した。

「ふーん、なるほどねえ。私としてはその体勢の方が痴漢じみていると思うけどね」

 ちゃぶ台に頬杖をつきながらニヤニヤと笑う文乃先輩が、下目遣いにこちらを見ていた。

 彼女の指摘通り、自分の体勢を省みてみれば、左手で口を抑えたため、後ろに回り込む形になり右手で肩を抱いているから、無理矢理なにかをしようとしているように見えなくもない。

「すみません、先輩」

 言われて急に恥ずかしくなって、急いで元の位置に戻った。新美先輩も顔を伏せている。

 それから、気を取り直して、

「つーか、なんでわかったんですか! もしかして、さっきの嘘ですか! それとも、俺の頭に電波飛ばしてたのは文乃先輩だったんですか!?」

「いやいや、これだけ状況証拠が揃えばわかるよ。那華もわかったでしょ?」

「ま、なんとなくはね。電車で汚名と来たら真っ先に思いつくし」

 俺の努力はなんだったんだ……。嗚呼……もう三人にも知られてしまった。

「でも、反応を見る限り白っぽいね。要は誰にも言わなきゃいいんでしょ?」

「あややがそう言うなら間違いないか」

 あれ?

「あ、それで呼ぶんだ」

「ちょっと気に入った」

 えーと、そんなんでいいのか?

「反応、軽くないですか?」

 痴漢といったらもっとこう、村八分的な扱いを受けるものだと思っていたのだけれど。

「そりゃ、警察に捕まったとかなら話は別だけどさー」

「むしろ、ちーちゃんへの痴漢でしょっぴくべきじゃない?」

 相変わらずリラックスした様子の文乃先輩を見て、本気度の高そうな目で睨めつける白松先輩と視線を交わして、顔こそ向けないものの横目でチラチラとこちらを見る新美先輩と目を合わせて、俺は、大きく息を吐いた。肩の力が抜けた思いで足を崩す。

 この人たちなら、たぶん大丈夫。

 それから、新美先輩は合図に、オホンと小さく咳払いをした。


「――文学部に、入部してくれるね?」


「あ、それはお断りします」

 間髪入れず、即答した。

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