五
千春が扉を開けつつ、俺の腕を引き、あやのが背中を押して、挟まれる形で部室に連れこまれる。急いで、靴を脱ぎ捨てて、どうにか部室に靴下で踏み込んだ。
中は少し薄暗かった。アルミサッシにはまっているのはすりガラスで、反対の壁面にある窓にもすだれがかかっているからだろう。広さは四五畳ほど。奥の壁には本棚が二つ、プラスチックラックが一つ、それぞれ壁面に沿って置かれ、手前の扉前に金属製のロッカーらしきもの、そしてその上にブラウン管テレビが鎮座している。部屋の真ん中には体操服を着た小さな女の子が弁当を食べている四角いちゃぶ台、右の壁には『ちはる』『あやの』『なはな』とそれぞれマジックペンで書かれた三つの段ボール箱が置かれていた。
そして、なにより特筆すべきは、
「高校の部室ってのは普通畳が敷かれてるもんなんですか?」
この疑問には、体操服の少女が答えた。
「そんなわけないでしょ。大体、あんた誰よ」
初対面にしてこの無作法な態度。見た目は中学生か、あるいは小学生にすら見えるのに、萌えないギャップだ。この人が、『二年女子三名』の最後の一人だろう。
「今年最初の新入部員、高遠陽臣君だ」
「入部するなんて言ってませんけど!」
「ちーちゃん、こう言ってるけど」
「まあまあ、高遠くんも一旦座りんしゃい」
後ろから背中を押されて、半ば無理矢理腰を下ろさせられる。他の二人も続々座って、ちゃぶ台四辺にそれぞれ一人ずつ座った。正面にロリ、先に入った千春が右手、左手があやのだ。
場が整ったところで、まず、千春が口火を切った。
「とりあえず、自己紹介から始めようじゃないか」
まあ、妥当なところだろう。なんだかんだここまで名前がわからないままだったし、わからないからといってロリと呼ぶわけにもいくまい。
そのまま続けて、千春が自己紹介を始めた。
「まず、私は新美千春だ。新美南吉の新美に、千の春と書いて千春だな。一応、文学部部長をやっている」
佐藤先生の言っていた新美はこっちだったのか。なんとなく逆な気がしていたから、口に出さなくて良かった。
彼女はそれで終わりにしようと思っていたのだろうが、あやのから質問が飛んだ。
「好きな食べ物は?」
いきなりのことに面食らったようだが、存外素直に答える。
「えーと、シュークリーム……かな。あと、マカロンも好きだ」
驚いたことに、女子高生のお手本みたいな答えだ。あの口調からすれば、もっとおっさん臭いものが出てくると思ったのに。
質問は更に続いた。今度は俺の正面からだ。
「じゃあ、嫌いな食べ物は?」
「それ、言わなきゃダメか……?」
「もちろん。ちーちゃんの嫌いな食べ物知らないし」
「……玉ねぎだ」
これは少し恥ずかしかったのか、躊躇い混じりで答えた。
答えを聞いた二人は驚いた様子。それから、ロリが詳細を聞き返す。
「玉ねぎ? カレーとか無理なの?」
「いや、煮込まれたものは問題ない。生と炒められただけのものが無理なんだ」
「へぇー」
「じゃあ、ネクストクエスチョン」
「もういいだろう、文乃。自己紹介してくれ」
延々続きそうな質問を先手で制して、千春があやのに順番を回そうとする。
そこで、一つ聞きたいことのあった俺が口を挟む。
「あ、すいません。いいですか?」
「なんだ、高遠」
「なんと呼べば良いんでしょう?」
先輩ってなんて呼べばいいんだろう……という疑問。中学からいまいち部活に励んでいない俺には少し難しかった。
「そうだな……。まあ、普通に呼んでくれ」
「ふ、普通に?」
その普通がわかんないというのに!
すると、意外なことに正面から助け舟が出た。
「新美先輩、でいいんじゃないの。普通ってんなら」
なるほど、それでいいのか。
「じゃあ、それでいきます。新美先輩」
そう呼びかけた新美先輩は、なんだかこそばゆいのを我慢するような表情をしていた。その顔のままで、次を促す。
「文乃、次」
催促されてから、あやのは姿勢を正して、口を開いた。
「唐澤文乃です。 確か、副部長……なのかな? そんな感じでー、あ、名前の漢字は、遣唐使の唐に難しい方の澤、文学部の文、乃木大将の乃で唐澤文乃です。好きな食べ物はサンドイッチ、嫌いな食べ物は青海苔と紅生姜ね」
「青海苔と紅生姜?」
あんまり、そこをピンポイントに嫌いという人は聞かないな。
と、思ったらすごい答えが返ってきた。
「あいつらは空気を読まないのでキライです」
「斬新な理由ですね……」
食べ物を嫌いな理由が空気を読まないからってのは初めて聞いた。味関係ないじゃん。
それから、新美先輩が一つ補足を入れる。
「文乃は軽音部と兼部しているんだ」
納得。この人の格好は、どう考えても、小説を書くよりギターを弾いている方が似合うものだ。まず金髪だし。
「うむ。趣味はギターと料理です」
そして、横ピース。この人のノリがわかんなくなってきた。
「唐澤先輩、料理得意なんですか?」
ますます、女として完璧じゃないか。とはいえ、さっきから語っている『良い女の条件』みたいなものは俺の独断と偏見だから一般的にどうかわからないんだけどな。
「ノンノン」
俺の問に対して、唐澤先輩は指を振って否定の言動をなした。
あれ、違うの? 趣味だけど得意ではないのかな?
「唐澤先輩なんてよそよそしい呼び方じゃなくて、あややでいいよ」
そっち!? てか、初対面の先輩をあやや呼ばわりは無理だ!
「流石にそれは……」
「えー、私と仲良くなりたくないの? よそよそしい関係がお好み?」
「いやそういう意味ではなく」
「ほらほら、リピートアフタミー、あやや」
「唐澤先輩」
「もー、ダメだよ。そんなんじゃ面白くないよ」
早くも本音出た!
しかし、面白くないと言われては、俺のポリシーに反する。でも俺のプライドが……。
いや、この程度大したことじゃない。目を瞑って、思い切りをつけて――
「あ、あ……あ、間を取って文乃先輩でどうですか」
「つれないなー。まあいいや、十分場も暖まったし」
見れば、新美先輩も正面のロリも、俺の葛藤に苛まれるさまを見てニヤニヤしていた。悪趣味な連中だ。
俺がちょっと拗ね気味になるところまで笑った文乃先輩は、謝りつつ、一応の答えをくれた。
「あはは、ごめんごめん。あと、料理はちゃんと得意だよ。一番得意なのは中華だけど、和食、イタリア、スペインくらいはレパートリーがあるかな」
想像以上に得意だった……! せっかく知り合いになったのだから、一度ご相伴に預かりたいなあ、女子の先輩の手料理。
「私はこれで終わり! 次、なはなはー」
ようやく、最後の一人。満を持して登場、最も謎の多い不躾な似非ロリ。彼女は壁に寄りかかって、あぐらをかいたまま、自己紹介を始めた。
「白い松、那覇の那、華道の華で白松那華よ。この部活では会計で、バドミントン部と兼部してる。好きな食べ物は、もんじゃ焼きと鍋物全般で、嫌いな食べ物は白米。あと、一応言っとくけど、二年だからね、私」
やっぱり二年なのか、この見た目で……。と、考えながら自己紹介を終えた後も見ていたのがいけなかったのだろうか、見透かしたように、白松那華は怒りの声を上げる。
「あんた、今絶対『これで先輩かよ、信じられねえ』とか考えてたでしょ!」
「人の頭の中を覗かないでください。プライバシーの侵害ですよ」
「初対面の男子がそんな目で見てる時は絶対――って、何いきなり認めてんの!?」
「認めてないですよ。ちょっとどこかから飛んできた電波の主に注意しただけです」
「内容的には変わらないっつーの!」
「よく見てください。俺の目は初対面の男子の目ではなく、思春期の男子の目ですよ」
「尚キモいわっ!」
ひとしきりの会話を終えて、俺は妙な違和感を覚えていた。
なんだろう、このフィット感。初対面の相手のはずなのに、やたらとリズムが合う人だ。
俺達の息の合い方を見て、文乃先輩が口を挟んでくる。
「なんか掴みはバッチリだねえ。ひょっとして、前に会ったことあった?」
その顔には間違いなく見覚えが無いはずなのだが、とても初対面とは思えない。その違和感には俺が首をひねると、ちゃぶ台の向こうで首を傾げている白松先輩と目があった。
「私、あんたと前に会ったことある?」
彼女も同様の感覚を持っているようだ。どういうことなんだろう。
しかし、会ったことがないとすれば、この人は自己紹介後いきなり怒り出した情緒不安定なやつだし、俺は初対面のロリな女の子を性的な目で見ている人間になる。
……うん、白松先輩とは少し距離を置こう。




