第3工程 ピザストーリーは突然に(3)
マイドゥから「身分を証明するものを出せ」と、言われるがまま学生証と原付の免許証を差し出したイツモ。
それを睨みつけるように確認しながら、マイドゥは重い口調で、
「名前は……イツモ。大学生、年齢は18か。ふん、学生だからって俺は甘くないぞ。……1500万だ、1500万ネメル、きっちり弁償してもらうからな」
「………………はぇ?」
1500万。イツモにとって、それはあまりにも天文学的な数字だった。目を丸くして素っとん狂な声を上げてしまうほどに。
※ネメル・・・惑星ナンデスカイで流通している通貨単位。1ネメル=1円と思っていただこう。
―――ダンッ!!
突如、机に平手を叩きつけたマイドゥ。頭が真っ白になっていたイツモは、大きな音を無防備に受けてビクッと体を震わせた。
「当然だろう。うちのバイクは特注品なんだ。あれ直すのにいくらだと思ってる? それにこっちは大事な従業員も失ってるんだ。命に別状はないらしいが、最低でも半年は復帰は望めない。しかもよりによってエースドライバーのシャーセ君とはな、彼の抜けた穴はあまりにもデカい。店にとっても大きな損害だ。――――で、修理費と損害額を合わせて、1500万ネメル払ってもらうからな」
マイドゥの睨みと気迫に怯えるイツモ。しかし震えて掠れる声をどうにか絞り出し、ポツリポツリと喋りだす。
「……あ、の……、ボボ……ボクの、不注意のせいで、ご迷惑をおか……おかけ、してしまったのは、本当にすみませんでした……。で、でも、1500万ネメルっていうのは、そんな大金、ボクには用意できない、です。い、いくらなんでも、請求しすぎなんじゃ……――――」
瞬間、ブチッと何かが切れる音が聞こえた。それと同時にマイドゥによって蹴り飛ばされた机が宙を舞い、けたたましい音を立てて転がった。
突然のことに、言葉を遮られたままの口で絶句するイツモをよそに、マイドゥはゆっくり立ち上がり、
「おいおいおいおい。大人しく従ってれば金で全部が丸く収まったのに、まさかどの口が意見しようってんだ?」
ゆらり、ゆらりと近付いてくる。額には青筋が浮かび、殺意の込められた目つき。
そんなマイドゥに恐怖を感じて、飛び上がるように立ち上がったイツモ。勢いで椅子が倒れるのもいとわず、後ずさり距離をとった。
「お前、なぜ俺がこんなにキレてるのか分かるか?」
マイドゥの問いに、イツモは千切れんばかりに首を横に振る。
「ならよく聞け。お前はな、うちの信用に泥を塗ったんだ! お客様にとって、安心安全な食べ物が時間通りに到着するのが当たり前。それがうちの信頼と実績に繋がるのに、事故を起こしたからお届けできませんでしたは通用しないんだよ。それはこっちの都合で、お客様には関係ないからだ。なのにピザが来るのを楽しみに待ってくれているお客様に配達できなかった、届けられなかった、そんな当たり前のことが出来なかった! それは立派な裏切りだ」
その時ふとイツモは、事故直後の光景を思い出していた。満身創痍でバイクが大破しながらも、それでも意識を失う直前までピザを届けようとしていた、あのドライバーの姿を。
「今回の事故は大きく報じられて、すでにカヤコス中に知られている。配達中に事故なんて、一番信用に関わる問題だ。失った信頼を取り戻すのは容易じゃないんだぞ。……いいか? 一度の失敗が、全てを崩してしまうことだってある。何よりも脆くて壊れやすく、どんな高級店にもなければ、どんな大金を積んだって買えるものじゃない。それが信用ってもんだ」
プロとしての、経営者としての、マイドゥの熱い言葉に感動すら覚えたイツモ。しかし次の言葉で、一気に心が冷え込んだ。
「そんな大事なものを踏みにじったお前を、俺は殺したいとさえ思っている」
なおもジリジリと後退しているイツモは、ついに壁を背に追いつめられてしまった。背筋に絶望が走り抜ける。
マイドゥはこれを逃がさんとばかりに、
「だからお前はぁ!」
右手で壁ドン。
「――ひっ!?」
「誠意を見せるのがぁ!」
左手で壁ドン。
「――ひっ!?」
「スジってもんじゃないのかぁぁ!」
顔近い!
完全に逃げ場を失ったイツモ。こちらを凝視する血走った眼と、荒い鼻息が容赦なく押し寄せる。
もはや抵抗も許されず、できる事といえば、心から必死に懇願するのみだった。
「おおおおおお願いします許してください、なんでもしますから! お金は本当に無理なんです! 親もそんな持ってないし、誠意って言われても、他に何をどうすればいいのか分かりません! だからお願いします命だけは助けてくりゃらあああい!」
最後は噛みながらも、力の限り全力の命乞い。なんとも無様な姿である。
しかし必死の訴えが通じたのか、マイドゥの勢いが少し弱まった――――――かに思えた。
少し考えるように「なんでも、か……」と呟くと、次の瞬間、ちょっとそこでお茶してく? みたいなあまりにもあっさりとした口調で、とんでもないことを言い放った。
「そうだな……。どうしても金を払うのが無理っていうなら、代わりに指でも詰めるか?」
「……………………ユビヲ……ツメル……?」
思いがけない恐ろしい一言にイツモの頭は完全停止。瞬きも忘れてとっさに出た言葉は、片言のおかしな言語のみ。
冗談――――ではないことは、マイドゥの本気の目を見れば分かった。いったいどこからそんな発想が出てきたのか、考えるだけパニックに陥るイツモ。
ただ一つ理解したことは、絶対に許してはもらえないだろうということ。
何を言っても無駄。もはや同じ言語を話しているのかさえ疑わしくなってくる。そうしてイツモの心が何かを諦めかけた時――――――
「店長! 大変です!」
慌てた様子で扉を勢いよく開け放った女性に、中年と青年の二人の男性が壁ドンで見つめ合っている光景を目撃された。