第一話 オタク趣味に嵌って学業成績ガタ落ち→スパルタ教育進学塾強制入塾確定な私に、幼馴染が助言してくれた窮地を切り抜ける方法とは?
「優利子ぉっ、ますます順位落ちとるやない。もっと本気で勉強せな、あかんやないのっ!」
「ママ、これでもまだ平均点よりは上でしょ。そんなに怒んなくても……」
十月下旬のある日の夕方、北摂のとある文教都市、閑静な高級住宅街に住む房本優利子は自宅リビングにて母から厳しく咎められていた。引き金となったのは、優利子の在籍する大阪府立豊葉塚高校一年三組で今日配布された二学期中間テスト個人成績表である。
ソファに座る二人、ローテーブル越しに向かい合う。
「優利子は体育とかの実技系が苦手な子なんやから、筆記試験くらいは平均より遥かにええ成績維持せなダメなんよ」
「それは分かってるけど……」
うるさいなぁ。と心の中で鬱陶しく思いながら、優利子は薄ら笑いを浮かべて不愉快そうに呟く。彼女の総合得点学年順位は全九クラス三五五人中、一七二位だった。
「優利子はやれば出来るめっちゃ賢い子やねんから、ここで本腰入れて頑張らなきゃね。あの約束は覚えとる?」
母は険しい表情から、にこにこ顔へと急変化した。
「えっ……何の、ことかなぁ?」
優利子は視線を天井に向けて、忘れた振りをしてみる。
「とぼけたって無駄よ。証拠はちゃぁんと残しとるんやから」
母はそう告げたあと、自分のスマホを優利子の眼前にかざすと同時に音声データの再生アイコンをタップする。
『優利子、今度の中間でも総合百位以内に入れてへんかったら、塾へ放り込むからね』
『分かったよママ、それくらい楽勝だって』
こんな音声が流れたあと、
「このことよー」
母はニカッと微笑みかけてくる。
「……録音、してたの。いつの間に?」
優利子の顔は引き攣った。彼女はあのやり取りをしっかりと覚えていたのだ。
「ふふふ、言い逃れ出来へんようにこれくらい対策済みよ。優利子、次の期末テストも悪かったら、あんたのお部屋に大量にあるジャ○プとエッチなマンガ、全部捨てちゃうからね」
「えっ! そんなぁっ。そこまですることはないでしょ」
「だって優利子、あんないかがわしい本をいーっぱい買い集めるようになってから、テストの順位が急激に下がり始めたやない」
「それは全然関係ないって」
「大いにありますっ!」
「……中学の時とは〝母集団〟が違うでしょ。私が通ってる高校、勉強出来る子ばかりが集まって来てるんだから、私の順位が相対的に落ちてくるのは当たり前でしょ」
「見苦しい言い訳ね。実希ちゃんは中学の頃から、今でも相変わらず高順位を維持し続けてるでしょ?」
困惑顔で弱々しく反論する優利子に、母は得意げな表情で反論し返す。
「確かにそうだけど、実希ちゃんは私とは地頭が違うから」
優利子は迷惑そうに振る舞い、個人成績表を取り返すと足早にリビングから逃げていった。
実希ちゃん、フルネームは光久実希。優利子のおウチのすぐ近所、三軒隣に住む同学年の幼馴染だ。学校も幼小中高ずっと同じ。お互い同じ高校を選んだのは、家から一番近いそれなりの進学校だからというのが最たる理由だった。
確かに私、スポーツ苦手だし音楽や絵の才能もないし、口下手だしお料理も下手だし。だらしない性格だし、めちゃくちゃかわいいってほどの顔でもないし。学歴くらいは人並み以上欲しいよ。でもこのままズルズル行ったら阪大どころか関関同立も無理かも。
優利子は個人成績表を眺めつつ苦笑いを浮かべながら、二階の自室に足を踏み入れた。
広さ八帖のフローリング。窓際の学習机の上は教科書やノート、筆記用具、プリント類などが乱雑に散りばめられていて、勉強する環境には相応しくない有様となっている。机棚にあるヒツジさんイルカさんトナカイさんの可愛らしいぬいぐるみ、サンタクロースと雪だるまのお人形。チョコやクッキー、ケーキ、パン、ドーナッツ、シュークリーム、アップルパイ、アイスクリームを模ったスイーツアクセサリー、造花なんかはきれいに飾られてあるのだけれど。
机だけを見ると普通の女の子らしいお部屋の様相と思われるだろう。しかし、それ以外の場所に目を移すとアニヲタ趣味を窺わせる光景が広がっているのだ。
本棚には児童・少年・少女・青年コミックスや雑誌、同人誌、ラノベ、絵本、児童書などが合わせて五百冊以上は並べられてあるものの、普通の女子高生が読みそうなティーン向けファッション誌は一冊も見当たらない。優利子の所有する雑誌といえばアニメ・声優・漫画系なのだ。アニソンCDも何枚か所有しており、専用の収納ケースに並べられていた。DVD/ブルーレイプレーヤー&二四V型液晶テレビも置かれてある。
本棚上や収納ケース上には萌え系ガチャポンやフィギュアが合わせて十数体飾られていて、さらに壁にも人気声優やアニメのポスターが何枚か貼られてある。美少女萌え系のみならず、男性キャラがメインのアニメでもお気に入りなのが多いのは女の子らしいところだ。
こんなプチ腐女子的なプライベート空間を持つ優利子は、背丈は一四四センチくらい。丸っこいお顔、くりくりした目、ほんのり栗色なおかっぱ頭をいつもメロンなどのチャーム付きダブルリボンで飾り、小学生に間違えられても、いやむしろ女子高生に見られる方がもっと不思議なくらいあどけない風貌なのだ。
ママ、私の部屋、ジャ○プ本誌は一冊も置いて無いんだけどなぁ……。
一段ベッドに腰掛けた優利子は心の中で突っ込みつつ向かいの本棚を眺めていると、スマホの着信音が。今流行りのアニソンだった。
「実希ちゃんからか」
優利子が通話アイコンをタップすると、
『優利子ちゃん、塾の件、どうだった?』
実希は心配そうに問いかけてくれた。
「烈學館行かされることが百パー決まっちゃった」
優利子は暗い表情で答えた。
『優利子ちゃん、大丈夫? その塾って、未だ昭和的なスパルタ式で酒呑童子も怯えて泣き出すほど先生がものすごーく恐ろしいって噂のとこでしょ? ちゃんとやって行けそう?』
「入ってみなきゃ分からないけど、きっと無理だと思う」
『そっか。わたしもそう思うよ。わたしだってあんなとこ入ったら初回授業でPTSDになっちゃうよ。優利子ちゃん、こうなったら、通信教育だよ。通信教育で勉強するから塾へは行かないって交渉するんだよ』
「通信教育ねぇ。でも私、小中学校の時取ってたっていうかママに取らされてた進○ゼミみたいに教材ほったらかしにした前科から、絶対断られると思うの」
『優利子ちゃん、あの塾だったら、通信教育で勉強した方が絶対いいよ。精神的にも身の安全を守るためにも。優利子ちゃんでも長続きしそうなやつ、例えば、優利子ちゃんかわいい男の子や女の子がいっぱい出てくるアニメとか好きだから、そういう萌え系のキャラが解説してくれる教材が使われてる通信教育を、ネットで探してみたらどうかな?』
「そんなのないと思うけど……一応、探してみるよ」
『頑張ってね。朗報を祈るよ』
「……うん」
優利子は電話を切ると、さっそくまだ帰っていない父の部屋へ向かい、ネットに繋がれたノートパソコンを起動させる。
続いてポータルサイトの検索窓に『腐向け萌えキャラ』『百合』『通信教育』『女子高生向け』『五教科』と一単語ごとにスペースキーを押して入力し、Enterキーを押した。
「やっぱあるわけないよねぇ」
優利子は苦笑いする。検索結果1~10件目に表示されたのは、目的とは全く異なるサイトへのテキストリンクだった。
優利子は《次へ》をクリックし11件目から20件目を表示させた。
先ほどと同じく、目的とは全く異なるものだった。
21件目以降も調べていったが、やはり目的のものは見つからず、最終ページまで辿り着いてしまった。百数十件しか検索されなかったため、あっという間だった。
「まあ、こうなるとは思ってたよ」
優利子は両腕を上に伸ばしてちょっぴり残念そうに一息つくと、
「ちょっと語を変えてみよっと」
今度は『腐向け萌えキャラ』『百合』『大学受験対策』『通信講座』『五教科』『二次元美男子』『女子高生向け』『乙女用』『アニメ絵』『BL』『ショタ』……などと思い付く限りの語を入力して打ち込んで再検索してみた。
「わっ! 何これ?」
すると検索結果1~10件目の1件目にいきなり、【萌える通信教育高校講座乙女用】という文字で表示されたテキストリンクが目に飛び込んで来た。
優利子は思わずそれをクリックして、そこのホームページを開いてしまった。
「……うひゃっ!」
優利子は切り替わった画面を見て、目を丸める。小学生から高校生くらいに見える、男の子四人と女の子一人のアニメ風イラストで彩られていたのだ。
「BL好き、百合好き女子高生共に必見! 苦痛な勉強が娯楽に変わっちゃう、萌える通信教育高校講座乙女用。萌えキャライラスト付き学習テキストをキミにお届け。キミの家庭学習を手厚くサポートしてくれるのは、当ページに掲載されているこの五人の美男美女達。キミの通う高校の先生と同じように、教科毎に違うタイプの美男美女達がレクチャーしてくれるというわけなのだ。この個性的な五人の美男美女講師達といっしょに楽しみながら勉強しよう。偏差値五〇未満のキミも、今から受講すれば東大現役合格も夢じゃない。新学習指導要領、3Dにも対応だよ♪」
説明文を優利子がやや早口調で読み上げると、
「おおおおおっ、あるじゃん! やっぱ探してみるもんね」
画面に顔をぐぐっと近づけ、興奮気味に叫んだ。
女の子キャラも清楚な和風のお姉様って感じでかわいいし、男キャラも男の娘っぽいショタからSっぽいお兄さんまで揃ってるし。キャラデザもすごくいい! キャラクターデザイン&テキスト監修、安居院洸って、かっこいいペンネームね。教材費が十一月号から来年三月号までの十ヶ月分一括払い十万八百円って、高過ぎる気もするけど……。
続いてこのホームページ内の教材広告をカラーでプリントアウトしておいた。
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そのあと、
「ママ、話があるの」
優利子はさっそくキッチンにいる母に交渉しに行った。
「なあに?」
夕食の準備を進めていた母は振り返り、素の表情で尋ねてくる。
「あのね……塾に行くよりもさぁ……その……通信教育で、いいんじゃ、ないかなぁっと」
優利子は恐る恐る希望を伝えてみた。
「通信教育ってあんた、小学校の頃、ポ○ーと進○ゼミととってあげたけど、全然やらんかったやない。どうせ長続きしないに決まっとるわ」
呆れ顔を浮かべられ、予想通りの反応をされた。
「今度は違うのっ! テキストに、美男美女キャラが描かれたやつで……これ、なんだけど」
優利子は焦り気味に早口調で説明し、プリントアウトした例の広告を取り出してローテーブル上に置いた。
「なんよこれ? オタク系アニメの広告やないの」
またも予想通り、母に険しい表情で突っ込まれた。
「違うのっ! これは、歴とした女子高生向けの学習教材なのっ! 最近は表紙や中身にカッコかわいい男の子や、かわいい女の子の絵が描かれた学習教材も増えて来てるんよ」
優利子は母の目を見つめながら強く主張する。
「そうなの?」
母はきょとんとなった。
「私がカッコかわいい男の子やかわいい女の子の絵が描かれたアニメやマンガが大好きなことはママよく知ってるでしょ。私、こんな素敵なイラスト付きの学習教材なら、絶対やる気になれるから。これ、やらせて、お願いっ!」
優利子は土下座姿勢になり、懇願する。
「うーん、あんたがそこまで言うのなら……」
母が教材広告を苦笑顔で眺めながらこう呟くと、
よぉし、いいぞぉー。
優利子の口元が緩む。
「パパに相談してからね」
母は続けてこう告げた。
「やっぱりそう来たかぁ」
瞬間、優利子はがっかりした表情を浮かべた。すぐにOKというわけには行かなかった。
それから三〇分ほどのち、
「ただいまー」
優利子の父が帰ってくる。七三分けで眼鏡をかけ、痩せ型。見た目通りの気弱な性格で、優利子のオタク趣味もジャ○ーズやE○ILEなんかに嵌るよりは健全だろうってことで快く容認してくれている寛容で心優しいパパだ。頼りない感じはするけれど、私立中高一貫校の理科教師を勤めていて、生徒や同僚の先生方から高い好感と厚い信頼を集めているみたい。
「房本先生、優利子がね、塾じゃなくて通信教育で勉強したいって言うんよ」
母はキッチンへやって来た夫に、やや困惑顔で伝えた。
房本先生:優利子の母が夫を呼ぶ時は、職業柄からかいつもこう呼んでいるのだ。
「そっか。まあ、塾に行けば成績が上がるという保証はないからね。しかも烈學館だろ。そこって相当厳しい塾らしいし、優利子みたいな繊細な子じゃ、やっていけないんじゃないか?」
「そう思うでしょ? 私がやりたい通信教育は、こういうやつなの」
優利子は例の広告を父にも見せた。
「……なんか、煌びやかな人物画が付いているんだな。うちの生徒にも、こういう感じのイラストが書かれた英単語帳を持ってた子がいたような……」
父はそれを手に取ると、ぽかんとした表情を浮かべる。
「最近の中高生向け学習教材はこういう感じのやつが増えて来てるの。教師やってるパパなら分かるでしょ?」
優利子は父の目を見つめながら問いかけた。
「ああ、見たことはあるから。十一月号から来年三月までの五ヶ月分一括払い、十万八百円か……塾に行って成績が上がらなかった損失と、通信教材を利用して上がらなかった損失とを考慮すると……通信教材の方がいいかもな」
父はほんわかとした表情で意見する。
「房本先生……」
母は困惑した。彼女は当然、優利子を塾へ行かせたいと思っているからだ。
「やったぁっ!」
優利子は嬉しさのあまり、ガッツポーズを取った。
「でも優利子、もし期末テストで百位以内に入れてへんかったら、今度こそ烈學館に通ってもらうわよ」
「分かったよ、ママ」
「房本先生も、それでいいですね?」
「……うん」
父は気弱に承諾する。
房本家は、かかあ天下なのだ。けれどもノートパソコンは父の部屋に一台だけ所有されてある。優利子はそのパソコンを利用して例のホームページを開いた。スクロールバーを下に移動させると応募フォームが現れる。優利子は※で表示された郵便番号・住所・メールアドレス、氏名・電話番号・学年・生年月日と年齢・希望の講座、得意科目と苦手科目という必須項目を全て入力し、送信ボタンを押した。
それからすぐに、入力したメールアドレス宛に自動返信メールが送られてくる。その本文中にお礼のお言葉と、振込口座番号と支払い期日が記されてあった。
夕食後、優利子は自室に戻るとさっそくスマホで実希に報告した。
『やったね優利子ちゃん、烈學館に行かされずにとりあえずは済んで』
実希はホッと一安心してくれたようだ。
『おう、そりゃよかったじゃん』
『おめでとうございます! ワタシとしてもすこぶる嬉しい限りです』
続いて同性友達二人にも報告した。
☆
翌朝、まもなく八時になろうという頃、房本宅にピンポーン♪ と玄関チャイムが鳴らされた。
「はーい」
母が玄関先へ向かい、対応する。
「おはようございまーす」
お客さんは、実希ちゃんだった。学校のある日は毎朝、この時間くらいに優利子を迎えに来てくれる。面長ぱっちり垂れ目、細長八の字眉、丸っこい小さなおでこがチャームポイント。ふんわりとしたほんのり茶色な髪を小さく巻いて、和風なアジサイ柄のシュシュで二つ結びに束ねているのがいつものヘアスタイル。背丈は一六〇センチくらいで、おっとりのんびりとした雰囲気が感じられる子なのだ。
「おはよう実希ちゃん」
「あの、おば様。優利子ちゃんの成績をアップさせてあげられなくてごめんなさい。わたしの教え方が悪かったみたいで」
「実希ちゃんは全然気にせんでもええんよ。相変わらずテスト前でもジャ○プやマンガばっかり読んで勉強サボった優利子が悪いんやから」
自責の念に駆られている実希を、母は笑顔で慰めてあげる。
実希はとても心優しい子なのだ。
……ママ、私、ジャ○プは一冊も持ってないって。
二人の会話は食事中の優利子の耳にもしっかり届いていた。
☆
「私のママ、ア○メディアとかク○コミ投稿マガジンとか、オ○メディアとかシ○フとかビー○ログとか、百○姫とか少年○ースとか、ガン○ンとかも全部ひっくるめて〝ジャ○プ〟、ラノベもマンガって呼んでるんだけど、大昔の親みたいでしょ」
「食事のことを全部〝ちゃんこ〝って言うお相撲さんみたいだね」
「そうそう、まさにそんな感じ」
「でも便利な呼び方だと思うなぁ。そういえば優利子ちゃん、今日までに提出の数学のプリントは、全部出来てる?」
「いやぁ、それが、分からない問題が多くて、三分の一くらい空欄なの」
「じゃあ写させてあげるよ」
「ありがとう。いつもごめんね、いろいろ迷惑掛けて」
「全然気にしなくていいよ」
優利子と実希はいつもと変わらず仲睦まじく会話を弾ませながら徒歩で通学。
芸術選択で共に書道を選んだのが功を奏したか、クラスも今は同じだ。
優利子が自分の席に着いてから五分ほどのち、
「やっほー、ゆりちょこぉ、萌え系の通信教育することにしたんやってね」
いつものように高校時代からの親友、樋上千夏が登校して来て近寄ってくる。面長で目は細め、ボサッとしたほんのり茶色なウルフカット。背丈は一五七センチくらいで、ちょっぴりぽっちゃりした子だ。
「おはよう千夏」
優利子は明るい声で挨拶を返してあげた。千夏の出席番号は優利子のすぐ前。そのことがきっかけで入学式の日から自然に話し合う機会が出来、お互い仲良くなったというわけだ。
部活動を選ぶ際、体育が苦手なため運動部には一切興味を示さなかった優利子は、新聞部にするか美術部にするか、実希と同じ図書部にするか悩んでいた。そんな時、千夏に「うち文芸部に入るから、ゆりちょこもいっしょに入ろうよ」と半ば強引に誘われ、結局当初入る気もなかった文芸部に入部することに決めたのが四月の終わり。その選択により、千夏との友情をますます深めることが出来たのだが……(友達選び間違えたかなぁ? いや、千夏と出会えてよかったよ。新しい世界が広がったから)と優利子は今になって反語的に思うことが時々ある。
なぜなら千夏は、高校入学当時り○ん、な○よし、ち○お、花と○め、マー○レットと三大週刊少年誌くらいしか漫画雑誌の存在を知らず、児童書や絵本が大好きだった純真無垢な優利子に、マニアックな月刊・隔月漫画誌やアニメ雑誌、声優雑誌、さらにはラノベ、BL・百合同人誌、深夜アニメの存在などを教え、そっちの道へと陥れた張本人だからだ。千夏自身は小学五年生頃からBL・百合同人誌やラノベ、深夜アニメにどっぷり嵌っていたらしい。
「おはよう、千夏ちゃん」
「おはよう、みき」
実希に突如挨拶された千夏は今、ちょっぴり照れていた。彼女は実希に限らず、優しいお姉さんタイプの女の子に話しかけられるとこうなってしまうのだ。
「優利子ちゃんは、萌え系の通信教材で成績回復どころかよりアップするかもしれないよ。千夏ちゃんも期末では赤点一つも取らないように勉強頑張ろうね」
「うっ、うん。ねえ、ゆりちょこ、教材届いたら見せてな」
「分かった。私も届くのすごく楽しみに待ってるよ」
そんな三人の会話に、
「ワタシはその教材、架空だと思いますけど。実在するとしたらネット上でもっと話題になってるはずですし」
優利子の近くの席の女子生徒も割り込んで来た。
「その可能性も否定出来ないけど、やってみる価値は絶対あると思うの」
優利子は爽やか笑顔で主張する。
「まなかぁ、またも学年トップ記念に母さんに何かご褒美貰った?」
「特にご褒美はなかったですよ。いつものことですし」
学佳という子だった。彼女はほんわか顔で千夏の質問に答える。千夏にとって学佳は、優利子と同じ文芸部仲間なのだ。
「学佳は相変わらずの天才振りだよね」
優利子はとても感心していた。同じ幼小中出身のため学佳のことは昔からよく知っている。つまり実希も彼女の古い顔馴染みというわけだ。
「うちもまなかみたいな天才的頭脳が欲しいわ~。吸収ぅっ!」
千夏は学佳の頭を両サイドから強く押さえ付けた。
「いたたたぁ、千夏さん、痛いので止めて欲しいよぉ~。ワタシは天才ではありません。ワタシでも北野とかの最上位校に進んでいたら並以下の成績になっていたことでしょうしぃ」
学佳は首をブンブン振り動かし抵抗する。
「まなか、明らかにトップ維持のためにこの高校進みよって。卑怯な子やね~。期末では、どれか一科目だけでもまなかに勝ってみせるで~」
そうウィンクまじりに宣言し、千夏は両手を離してあげた。
学佳のフルネームは仙頭学佳。苗字からして賢そうな名前の通り、校内テスト総合得点では中学時代から今に至るまで学年トップを取り続けている秀才ちゃんだ。背丈は一五〇センチちょっと。丸顔にまん丸な黒縁眼鏡をかけ、ほんのり栗色な髪を三つ編み一つ結びに束ねている。とても真面目そうで賢そう、加えてお淑やかで大人しそうな優等生らしい雰囲気の子なのだ。
「学佳ちゃん、期末も学年トップ取れるように頑張ってね」
実希に爽やか笑顔でエールを送られ、
「はい、頑張ります」
学佳は照れ笑いを浮かべる。彼女は千夏よりも早く小学四年生頃にはすでに二次創作同人誌やラノベ、深夜アニメの世界にどっぷり嵌っていた。けれども学佳がそういったオタク趣味を持っていることは、優利子は高校に入学して文芸部に入部するまで全く気付かなかったのだ。
「優利子さんが強制入塾されそうになってる烈學館、昔は体罰ありのスパルタ教育だったけど、今はかなり生ぬるくなってるらしいよ。この塾に通ってる子のお母様のツイッターによると。今日の放課後、外観だけでも見に行ってみない?」
「そうだなぁ。一応見ておいた方がいいな。千夏はどうする?」
「もちろん行くわ~。どんな感じの塾なんかうちもめっちゃ気になるからね」
「わたしは怖いからやめとくよ。部活もあるし」
あのあとこう打ち合わせて放課後、実希を除く三人で四時半過ぎに学校を出て、最寄りのJR駅近くへやって来た。普段利用する道から一本隔てた通りに、烈學館はあった。三人は興味本位でその建物の側に近寄ってみる。
四階建てで、東大本郷キャンパス安田講堂を髣髴とさせる赤茶色の煉瓦造り。周囲の建物と比較して威圧感があった。中学受験、高校受験、大学受験全てに対応している、わりと大きめの進学塾で少人数制、習熟度別クラス、熱血指導が謳い文句らしい。
入口横には東大○○名、京大○○名、灘○○名、東大寺学園○○名、神戸女学院○○名などなど名門校の合格実績が書かれた看板も目に付く。
「遅いぞ、こんな基本的な数列の問題くらいもっとパッパッパッと解かんかいやっ!」「ぅおーい、なんでこんな簡単な問題間違うんじゃボケェッ! おまえそんなんじゃ灘どころか六甲にも受からへんぞぉっ!」「そこの二人、ぺちゃくちゃおしゃべりするんやったら今すぐ出て行けぇーっ!」「これ何やっ? こういうくだらんもん持ち込むなって塾規則に書かれとったやろうがぁっ! 字ぃ読めんのかぁぁぁっ!」
建物内からは、こんな講師達のドスの利いた怒声が三人の耳元に飛び込んで来た。
その声と共にパシーッン! と竹刀で床や机を思いっ切り叩いていると思われる音も。
教室の窓が開かれていたこともあり、より一層聞こえやすくなっていたのだ。
「ゆっ、ゆりちょこ、まなかぁ、外からでも、雰囲気が伝わってくるね」
「うん、めちゃくちゃ怖いよぉ~。女の子のすすり泣く声も聞こえて来たし。私、こんな所に週五も通わされるのか……」
「ワタシもびっくりしたよ。さすが熱血指導なだけはありますね」
三人は怯えながらその建物の前を早足で通り過ぎて行く。
その途中、
「きみら、入塾希望者か? 自由に見学してええぞ。ただし私語は厳禁やっ!」
おそらくこの塾の講師であろうお方が二階の窓から三人を見下ろして来た。
切磋琢磨と太字で書かれたハチマキを締め、なまはげ風な険しい表情をしておられた。
「いっ、いえいえ」
「わっ、私、違います」
「あの、ワタシ、塾での教育なんかには全く以って興味ありませんのでぇぇぇ~」
三人は顔を蒼白させ、慌てて走り去った。
じゅうぶん距離を置いたあと、
「講師もすごい迫力だったね。武道家みたいな人出て来たし。これは、通信教育真面目にこなさないとやばいよ。私、筋金入りの豆腐メンタルだから、あんなとこ入れられたら絶対耐えられないよ」
優利子は苦笑いで呟く。
「ゆりちょこ、大ピンチやね」
千夏は他人事のようににこにこ笑っていた。
「優利子さん、通信教育頑張って下さいね。スポーツその他実技とは違い、筆記試験のための勉強は頑張れば必ず報われますから。健闘を祈ります!」
学佳はきりっとした表情でエールを送ってあげた。
同じ頃、優利子の父は銀行にて教材代金を入金し、支払いが完了していた。
あとは商品が届くのを待つだけとなったわけだ。