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5.
戦闘は約5分の間で決着がついた。苦戦を強いられたようだったが日本側の勝利という結果となった。本部からは特に勝敗にはこだわるなと言われていたが勝つに越したことはない。日本側はひとまず肩の力を抜いていた。だが戦闘終了の警告アラートが鳴り響く機体の中で、意識の隔絶された定の体は冷や汗を流していた。呻くような声とともに、荒い息づかいが聞こえる。
その異変は、常に彼の体をモニタリングしている戦闘指揮車両も察知していた。
「すぐに機体との接続を解除してくれ!」周囲が騒々しくなる中で、険しい表情を浮かべた睦が発令すると、即座に復唱が行われ、接続が解除される。
「サダ君!大丈夫かい?」睦の呼びかけに対して返事がない。
「解除はされているはずです」にわかに緊張を帯びた指揮車両の中では皆、定の各種モニタリング表示を見つめることしかできなかった。前からいつかはこうなるとは思っていたのだが、これといった具体的な対策が技術不足故に取り得ていなかったことを今更ながらに悔んだ。
「急いで現場に向かってくれ!」軍事機密にかかわることもあるので自分たちだけで救護をしなければならない。こんなときにまでそのようなことを考えている自分に苛立ちを感じながらも睦は救護する準備を整え始めた。
コックピットハッチを強制開放する工具、装置類に加え担架、精神安定剤、人工呼吸器、さらに今はまだ必要な状況ではないが、最悪の場合を想定してAED(除細動器)の準備をしておく。気が付くとAEDを持つ手が震えているのが分かる。横で準備に手伝いをしてくれている平塚勇樹救護長が沈痛な面持ちでこちらを見返してきた。まだ30そこそこだが医者らしからぬ屈強な肉体を持ち、多くを語らないが、その性格は人一倍温厚であった。
「大丈夫だ、最悪のことを考えてだ。とにかく今は、今できる最善をする事だけを考えなければならない」半分自分に言い聞かせながら微笑みかけた。我々の特機が使うのは人間の限界を超えた者にしか扱えないシステム。そしてそれは、本来人が作るべきものではないパンドラの箱。最悪が起こる可能性は十分にある。嫌な想像ばかりが頭に渦巻いていた。
自分は定が幼いころから彼のことを知っていたために息子のようにさえ思っている。いや、むしろ私の年齢では孫であろうか、いったい何のためにそこまでするんだ?彼の父親、佐久間 巌十郎は息子を限りなく愛していたはずなのになぜその息子を一番辛いパイロットに?あの親子に一番近くにいるはずなのに私にはわからない。深い闇の中に彼等親子をとらえていたところで指揮車両が停車した。電動ハッチが開き車内をじめじめした熱気が侵食し始めた。
完全にハッチが開き切る前にメカニックやメディックは車から飛び降りて我々のすべてが詰まったその機体に駆けつける。皆必死だった。部下たちが大声出し合い互いに連携をとって定の救出を行っている。私もその場に加わりたかったが、私には私の仕事がある。頭に叩き込んだマニュアルを元に、その様子を双眼鏡を手にして注視することにした。
そして暫くとしないうちに手際よく機体のハッチが開けられ、中から定が引きずり出される。双眼鏡を持つ手に汗が滲んだ。定の元にいる平塚が何を言うのかが怖かった。
「脈あり呼吸確認よぉーし!」
全員の視線が集まる中、救護員による状況確認の点呼が行われ、気を失っているだけだと分かり、皆張りつめていた息を漏らした。私も双眼鏡を目から離して肩の力を抜いた。
定の体が手際よく担架に乗せられ車両に運ばれてくる。
「ここだけで対処できるかね?」慣れた手つきで定の異常を確認する平塚に聞くと微笑みながら「なんとか」と帰ってきた。取り敢えずは一安心である。外に出て残されたメカニックたちに拡声器を向けた。
「パイロットの無事を確認した!これより撤収作業にかかる。メカニックは機体の異常確認が終了し次第機体の格納作業に掛かれ!」 了解の声を聞き届けると、撤収作業の指揮を行うべく再び車内に戻った。エアコンの冷気とモニターの光が冷静さを取り戻させてくれる。また一段と忙しくなる。深呼吸を一つし、自分のやるべきことを考えた。
機体の訓練を行うために世界各地で戦闘を行い続けた我々には、長距離航空用の輸送用航空機とこの指揮車両が与えられていた。そのために全ての機能を一台に持たせなければならなかったこの指揮車両は、指揮だけでなく機体のハンガーも兼ねることができるほどの規格外の大きさを持っていた。そしてそれを運ぶ輸送用航空機はそれ自体の積載能力はなく、この指揮車両のキャリヤーとして軍事輸送機を特別に改造したものであった。
そのことから広く、浅くを開発コンセプトとしていたこの戦闘指揮車両は個々の能力がそれぞれ低い。医療設備も必要最低限のものしか搭載していない。幸いにも今回は定の容体もひどくなく、医療設備は間に合っているし、我々の特機が他のものと比べて小型且つ軽量な部類に入るため機体の格納スペースにはいくらか余裕があった。だがしかし、操縦方式を手動操作に切り替えなければ機体が動かせない。切り替えたとしても満足に動かせる人間がいない。作業は難航が予想された。
日も暮れ、作業がようやく一段落着いた頃、指揮車両に通信が入った。
「どこからだ?」中国側からの何かしらの事だろうと予想したがどうやら違うようだった。
「日本からです」その言葉が意味することを想像したくはなかったが、手元にあるボタンを押し、それを受けた。
「こちら作戦司令補、松井睦」自然と口から出てくるようになったこの言葉に半ば自分で感心しつつも傍らにあるメモとペンを取り出す。
「こちら作戦司令官佐久間巌十郎だ。簡潔に用件を話す。すぐにこちらに戻ってくれ、」何物にも染まらぬ自信とある種の狂気じみた声音。彼の独特な話し方だった。そう、彼こそが定の父にして我らが長の佐久間巌十郎県知事兼戦闘司令長官である。少しの間の後、彼はいかにも楽しそうに次の言葉を続けた。
「初陣だ!」その瞬間、その場にいた誰もが立ち止り、言葉を失った。機器類の微かな音だけが、時間の止まったその場に流れていた。
どうしよう、この人に今の現状を何と説明すればいいのだろか。冷や汗だけがたらたらと流れていた。
「そうか、まぁだからと言って敵が待ってくれるわけでもないからな、こちらの受け入れ態勢は整っている。今は一刻も早くこちらに戻ってくることを第一目標にしてくれたまえ。それと機体のことについては私の方でも改善案を考えておこう。後で報告書を頼む。」現状をありのままに話すと少し考え込んだようだったが、こういう時にあっさりと事実を受け取め命令を出してくれるのがこの司令の良さの一つでもある。
「了解しました。ではそのように…」敬礼をするとまたもその不敵な笑みを浮かべながら敬礼を返した司令を見ていると、どう見ても悪役の司令官にしか見えなかった。苦笑いを浮かべながら内線に切り替え、今度はこの場の者たちに指示を出した。
「我々は2時間後にこの場を離れる!それまでに各々マニュアルに従い離陸及び帰国準備に取り掛かること!繰り返す、…」
私と彼、佐久間巌十郎との出会いは彼が国会議員だった時のことであった。私はその時から彼の秘書として見守り続けていたが、大学では精神医学部を専攻していたためか、彼は人の心をつかむのが非常に上手かった。また、人を使うのがそれ以上に上手かった。そのため彼のもとで働く者は皆その能力を考えうる限り最大限発揮できていた。それは今現在のこの場で働いている者たちもさることながら私自身も彼と出会わなければこれほどまでに自分を活かすことはできていなかったであろう。だから私は一生彼のもとで働こうと決めたのだ。今では信頼も得て指導する側の立場に置かれてはいるが、そんな今でも私は彼の足元にも及ばない。取り敢えず今は彼の指導者として会得すべき事項のうちの一つである感情を自在にコントロールする能力を練習している。人間である以上感情というものは消すことができないもの。だがしかしそれは効率性においては不必要である。少し表現が厳しくなってしまうかもしれないがそういうものなのだ。自分だって上手くいかなかったり思い通りにならないことがあるとつい感情が出てしまうことがある。だが彼はそれを行っているのだ。一種の修行のようなものだが彼の提唱する指導法はそのどれもが十分に納得のできるものでそこには精神医学のデータが大いに使われていた。
だがそんな彼にも子供がいた。それが定である。私が彼のもとに着いた頃には既に小学生であったが、巌十郎は可能な限り自身のそばに定を置くようにしていた。普通の子とは少し変わった雰囲気を持っていた定はさすが巌十郎の息子といったところかと思っていた。自身が何物であるのかをしっかり理解しているような立ち振る舞いはそこらの子役タレントとも違う大人びた雰囲気を持っていた。
そして定が中学生になったぐらいのことであろうか、事務所のデスクで書類整理に追われていた巌十郎に質問を投げかけたことがあったのだが、私は今でもその時の彼の答えを覚えている。
「佐久間さんはなぜそこまで効率性に拘るのですか?」ふと私が聞いたことがきっかけだった。
「なぜ、か…」手に持っていたペンを紙面から離し、少し考え込んだようだったが彼は言葉をつづけた。
「では君は何が正しくて何が悪い事なのかわかるか?つまり正義とは何かだな。」
唐突な質問返しに驚き、少し考えたが焦ったせいもあってありきたりな答えしか出てこなかった。
「道徳的な善悪といったところでしょうか…?」その言葉に彼は私の目を見つめ、姿勢を前にかがめて語り始めた。
「私にはそれがわからなかった。普通、人は何が良いことで何が悪い事なのかを教えられて育てられるだろう?そして我々はそれをそういうものなのだと理由なしで納得してしまっている。私だってそっちでいた方がずっと楽だったことだろう。…だが私は説明できないことが理解できなかった。最早そういう病気なのだと思ってくれて構わない。…だからそんな私は今ある善と悪を言葉で説明しようとした。だができなかった。我々の善と悪とは説明に重要な“理由”に欠如しているのだよ。…たとえば人殺しについてもそのよい例だ。我々は人殺しは悪であるとしているが同じ生き物である動物には適用されない、それはなぜか?また戦争中に敵兵を殺すのは悪ではない、それはなぜか?それを思うと我々の従う善悪の判断基準があまりにも陳腐なものに見えてしまってね。…私は人殺しを善だと思っているわけではないが、もしかするとそういうように育てられていたら何のためらいもなく善だと思うのだろう。…そこで私は今の人間社会のではなく、“世界においての絶対的な善悪”はないものかと考えた。そしてその結論として出たのが効率性だ。…私にとっては効率性こそが正義なのだよ。だから私は人が自分が善いと思うことをしようとするように私自身も効率性を重んじているというわけだ。」
「では定君もそのように?」普段からそばにおいている理由は息子にも効率性について学ばせるためかと思い、聞いてみた。
「彼は違うよ」即答だった。
「私が私の生き方を生きるように彼には彼の生き方があるはずだからな」意外だった。では何のためにそばに置いているのだろうか。まあ、詳しく聞くことでもないとこの時はそう考えた。
「おかしな奴だと思うだろう」
「いいえ、そんな事は…」
だが巌十郎はさも面白そうに次の言葉をつづけた。
「だがな、彼は私以上だぞ…」
その時、私はその言葉の真意を理解できていなかった。
「離陸準備完了いたしました!」下士官の報告に頷くと、機体ハンガーを覗いた。しっかりと固定されている機体を確認する。無理やり押し込んだようにしか見えないが固定されていればこの際問題ない。苦笑いを浮かべながら再び自分の席に戻ると、私は機内放送のボタンを押した。
「これより我々は本部に帰還する!総員離陸に備えよ!総員離陸に備えよ!」パイロットに離陸の許可を出すと、既に連結が完了している輸送機の左右二箇所ずつに搭載されている大型の電磁推進装置の音が徐々に甲高くなり始める。そしてその音が一通り安定した頃、輸送機は微かな揺れと共に垂直離陸を開始したのだった。
「しかしあの時のあの言葉はどういう意味だったのだろうか…」
だがそんなことは今考えるべきことではない。一縷の疑問を頭から追い去り、私ははるか下方に沈みゆく大地を見下ろした。そうだこれからが始まりだ。この眠りし獅子を首都争奪の戦に投入するために、行かねばならぬ!
我等の本部“茨城県”へ…‼