5-1
鷲宮はアンシエントのコックピットで酷く怯えていた。全ての目を潰され、暗闇の中で重々しい機械の動く音が鳴り響く。通信系も使えない、すさのおはエラーとなっていた。そんな暗闇の中ではただ怒号だけが聞こえていた。いつもはできていた接続の解除ができない。もう、逃げられない。そう思うと怖くなり、正気を保てなくなる。だから今はただ、耐えていた。でももう持たない。すさのおのフィードバックで頭がおかしくなってしまうのも時間の問題だった。
そんな時、急にすさのおとの接続が解除された。ハッチの向こう側で何か物音が聞こえると、モーターの駆動音とともに外の明るさが辺りを照らした。
「大丈夫ですか?」
そこには男が一人立っていた。声をかけられたが、鷲宮はその男の眼差しに恐怖を覚えた。あの時のように彼もものを見るような目をしていたのだ。殴られる!そう思い、咄嗟に目を瞑った。
だが、再び目を開けた時、男は少し戸惑うように手を差し伸べていた。確かに目はあの人と同じだが、その仕草には優しさが感じられた。
「どうして?」彼女は訳がわからなかった。なぜ殴らないのか?その差し伸べられた手を握ったら何かされそうな気がして握る事ができなかった。だがそうした様子に男は何かを察したのか、一旦外に出て話しかけてきた。
「ここからの夕暮れの景色、なかなか気に入りました。私は京都に来るのは初めてなのですが、やはりわたしの地元とは街の作りが違いますね。全く、折角京都に来たんだからお土産でも買っていかないといけませんね」敢えて無理に私をここから出そうとしない所に、いつしか警戒心も解けていた。
彼女は極度の緊張から解放されたのか、急に眠くなりだした。そして最後まで彼女はその目と口調に違和感を覚えていながらもそのまま意識を失ったのだった。
鷲宮が目を開くとそこは病室だった。そうだ、私は負けたのだ。一体私はこれからどうなるのだろうか?大学を卒業してからというものずっと研究所と指令本部に配属されていたから就活もやっていない。既に用済みとなった私はこれからどこに行けば良いのだろうか、彼女は重圧からの解放と同時に先々の不安が脳裏に過っていた。
「やっと目を覚まされましたか」暫くして医師が病室に入ってきて優しげな声を掛けてきた。
「はい、その、申し訳ないです」彼女は俯き加減に医師に謝ることしかできなかった。
「いえいえ、私としてはあなたが無事に帰ってきていただけることが重要なのですから。喜んでいるくらいですよ」医師の言葉がありがたかった。あまり優しくされるのには慣れていない。
「そういえば茨城県も中々粋な事をしましたね、ニュースでも話題ですよ」医師が放った茨城という言葉にあの人との会話を思い出した。恐らく彼はイバラギアのパイロットだろう。あの眼差しが印象的だった。
「ほら、見て下さいよ、うちの病院まで特機で送り届けて来るんですからねぇ」そう言って医師はテレビの画面を指差した。そこには病院の広場にゆっくりと着陸するイバラギアの姿が写されていた。戦闘中のあの容赦なき猛攻とは裏腹に、慎重さが垣間見える安定した操作だった。
「とても、不思議な人でした…」鷲宮は珍しく自分から言葉を発した。それほどまでに彼の存在は彼女に衝撃を与えていたのだ。イバラギアの簡易昇降装置によってその高いコックピットから彼女を抱えて降りてきた彼は、表情すら変えなかったものの担架に運ばれる彼女を最後まで見守っていた。
「ああ、彼ですか…」医師はさも知っているかのような態度を示したのに鷲宮は頭に疑問符を浮かべた。だがその答えはすぐ近くにあったようであった。
「その彼なら隣で寝ていますよ」医師は隣のカーテンを開けて見せた。そこにはテレビ画面と同じ顔が目を閉じていたのだった。
「全身打撲と肋骨にヒビが2本、随分過酷なんですね。」医師はメモをとりながら鷲宮に話しかけた。戦闘によって命を落とすパイロットも居なかった訳ではない。そしてこれからその争奪戦は最終局面を迎え、さらに戦闘は激しいものとなるだろう。そう思うと鷲宮は優しい顔で眠るこの男がいつ死ぬとも知れない事を実感し、その顔を見続ける事が出来なかった。
そうこうしていると、医師も去り、カーテンが開けられたことにより明るくなった為か、彼は目を覚ましたのだった。
「…」やはりその目は濁っていて感情の起伏が読み取れない。だがしかし彼は隣の鷲宮の姿を捉えると、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「具合はどうですか?鷲宮さん」
「ええ、なんとか」彼が自分の名前を知っていたことに驚いたが、そこまで自分の事を心配してくれたことへの戸惑いの方が大きかった。だがそこに都合よくテレビがある事を彼女は幸運に思った。
「それは良かった…」彼は天井を見つめた。
「私は、私は佐久間さんの怪我の方が心配です」その鷲宮の言葉に彼は一瞬驚いたようだったが、テレビの画面を見てふと微笑んだ。
「健気ですね、」そう言われ、さっきテレビを見て名前を確認した事がバレてしまった事に気づいた鷲宮は、ただただ顔を赤面させていた。
話を聞くと彼は明日には病院を茨城県に転院し、出来る事からやっていくらしい。全治2〜3週間程らしいが、彼にはまだ次がある。おちおち休んでもいられないということだ。だがどうしてそんな中で平静でいられるのか、不思議に思い聞いてみると、彼は真顔でテレビを見つめ話したのだった。
「私には目的があります、我々茨城県にも課された使命があります。負ける訳にはいかないのです」
「怖くは無いのですか?」
「たまに怖い時も有りますよ」笑いながらそう言った彼の表情はどこか寂しげであった。
「ですが私には支えてくださる仲間達がいます。最高の技術を結集したイバラギアが付いています。ですから戦いの時は不思議と恐怖は感じることは有りません」
「そう、ですか」自分は一体何のために今までこうしてきたのだろうか、同じ境遇の人とこうして話をするのが新鮮だったが、それと同時に自分の情けなさにショックを受けていた。
「私は…私はこれから茨城の為に何かお役に立てる事があるでしょうか?」負けた県は買った県に対して協力をする。そのことから何か自分にできないかと考えたのだ。だが言ってから後悔した。もしまた今までのような境遇に置かれたら、自分は耐えられるか不安だったからである。
それに対し、少し考えたようだったが彼は答えた。
「他県のパイロットの採用を検討しているとは人事の方がこの間言っていましたよ。ですが、パイロットを続ける事が必ずしも正解では無いことは、提案させてもらいたいですね」こういう時に提案という言葉を使う人は今まで見た事が無い。意見の主張はするが、それを人に押し付けない。それが彼の性格の一つであると理解した時には鷲宮は彼の事を素直に尊敬していた。
後日彼が、転院するまで鷲宮は考えていた。これから自分はどうしたいのか、だが最後の別れ際、彼の迷い無い眼差しを見て決心がついたのだった。
「あのっ、やっぱり私茨城のお役に立ちたいです!私パイロットとして頑張りますから…茨城で待っていてください!」半ば勢いで言ってしまったが、彼は真摯に受け止め、笑顔で答えてくれた。
「茨城でまた会える事を願っています」
「はい!」この時初めて鷲宮には明確な目標ができたのだった。
後日、定の取り計らいもあり鷲宮の元に茨城から招待状が郵送された。そこには諸々の事務的な書面と配属された場合の配属先などが書かれていた。京都作戦司令本部とは話をつけてあるそうで、その事と今後のスケジュールについてが分かりやすく記載されていた。そして、最後には茨城県作戦司令本部作戦司令長官佐久間巖十郎の文字が直筆で書いて当たったことに、鷲宮は気持ちが引き締められたのであった。