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定は意識を閉ざしていた。暗く深い意識の底で彼はまたももがく様に頭を働かせていた。定が今までの経験から唯一「奴」を発現させずに済む方法、意識を閉ざし、リセットする事で元の自分を取り戻すのだ。その度に彼は己が何者であるのかを一から思い出す。だが今回はそれも難しい。自分が何者であるのかわからなくなってしまっていたのだ。私は一体何者なのか、人間か?機械か?或いは...
だが、その間にもアンシエントから放たれた次のミサイルは着実に近づいてきていた。茨城の司令本部は決断を迫られていた。このまま定を信じて待つか、それとも降伏するか...
睦は目を閉じてひたすらに信じていた。せめて撤退だけでもする事が出来れば...しかし最早市内に入ってしまったイバラギアが帰還する事は叶わぬ事であった。
「クッ...!!」しかし彼の精神は奴に侵食され始めていた。何も身動きが取れず、自分の全てが奴の色に染まっていく。残る僅かな自我で定は一つの感情を抱いていた。
私にはこんな所で立ち止まっているわけにはいかないのだ。茨城の、いや、私の目的を達するためにも、こんな所で、こんな所で...ッ!!
「...ッ悔しい...」降伏も止むなしと考えていた巌十郎であったが、その唯一最後の彼の感情を聞き届けると、何か決心が決まったかのような目に変わり、彼に言葉を投げかけた。
「...定、悔しいか?」巌十郎の言葉は定に届き、彼は残された意識で必死に答えていた。
「あぁ、悔しい...」
「そうか、悔しいか」口調は静かでゆっくりとではあるが、巌十郎は定の答にさも嬉しそうに反応した。そうだった。親父はいつも私が悔しいというとよく喜んでいた。そしてその後はいつも決まってある言葉を投げかけるのだ。
「ならば、お前はどうしたい?」
親父が言っていた言葉が蘇る。
(その時は、躊躇うなよ...)
そうだ、躊躇う必要など無い。もっと単純に考えれば良い。奴に侵食されると言うのならそんな弱い私など...
壊してしまえば良い‼︎
「…壊せ、壊せ、壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ!全てを壊せ!俺の全てを完膚無きまでに壊し尽くせ!」
「サダ...君?」静まり返った司令本部で睦はすがる様に彼の名を呼んだが、最早それは意味の無いことであった。
この時定は通常の人はこうあるべきという概念は消え失せ、その混沌に精神を委ねていた。彼は最早、自分が人である必要など無いと考えていた。だからこそ強くもなり、また危険にもなる。睦は後者の心配をせずには居られなかった。
巌十郎はしかとその姿を見つめていた。だがその顔はいつもの下衆顔に戻っていた。
「しかし、もし彼が我々の言うことも聞けなくなっていまっていたら、何をし始めるのか分かりませんよ...」
「その時は接続を強制解除し、降伏するまでだ。」
「まあ、そうなりますよね...」だが巌十郎はその事はさほど気にしていないようであった。定からの通信からは、先程からノイズのような音が流れている。睦は直感でその音に何かを感じたのだった。
「これは、一体何の音なのだ?...」だがそんな睦とは対照的に巌十郎は嬉々としてその姿を見つめていた。
「見ろ睦、あれが人という概念を捨てた者の姿だ。美しいとは思わんかね?我々は最早人が人として築き上げた常識による固定観念に縛られ、そしてそこから抜け出す事はとても難しいことだろう。だが最早定には今、ありとあらゆる一切の固定観念が無い。そうだ、あれこそが私が求めた本当の自由な姿だ!奴の姿がどこまでも自由に見え、憧れてしまうのは私だけだろうか、」
「司令...」新しい物を発見をした子供のような目で話す巌十郎に睦は、ことごとく彼等の存在は我々とはかけ離れていると感じていた。考え方が根底的に違うのだ。一体どうしたら彼等の様な人間が生まれようか?彼等だけまるで我々とは全く違うスケール、或いは違う次元の存在な気がしてならなかった。
その時、ちょうどイバラギアの眼前には飛来する二つのミサイルがあった。だが最早今のイバラギアには通用しない。両腕のコイルガンを躊躇いなくそれらに向けると次の瞬間にはミサイルを撃ち落としていた。爆風で画面がぐらつく、だがイバラギアの進撃はこれからである。
傷つきながらも力強くイバラギアは飛び立った。アンシエントからはレールガンだけでなくミサイル、60mm単装砲2門による猛攻が行われたがそのことごとくはイバラギアの足を止めることは叶わない。
「壊す!壊してやる!」その絶叫の如き猛進の中にも狂おしい程に複雑な挙動を行い、尚も突き進む。核凝結エンジンの大気開放時も電磁モーターのアシストによりその動きが止まることは無い。そしてその動きはアンシエントの対応能力を上回っていたのだった。イバラギアは回避行動の合間にもコイルガンで的確に敵の武装の攻撃を開始した。ここまで近づけばコイルガンの射程となる。優勢に立ったイバラギアに、テレビ画面に釘付けの茨城県民からは歓声が上がる。その間にも着実にアンシエントの武装は破壊されていった。そして敵の武装は遂にVLSのみとなったのだった。
だがやがてアンシエントとの距離が残り数キロ程となった時、アンシエントは機体の固定脚を解除し、方向転換を行った。今まで見えて来なかったアンシエントの全容をその時初めて定は認識したのだったのだが、レールガンと入れ替えに姿を現した武装に定は危機感を覚えた。
「CIWSッ...!」
20mmの弾丸を毎分数千発で発射するガトリング、射程数キロメートルのそれは戦車を元にするならば付かない筈のものであった。そう、アンシエントの元となっているのは他の特機のように戦闘機でも戦車でもない、
「護衛艦ッ!!」CIWSが姿を完全に現した時にはその砲口はイバラギアを向いていた。
「ヴーーーーッ‼︎」
咄嗟に腕で防いだが、おかげで両腕のコイルガンが使い物にならなくなった。定は機体を自由落下させ奴のCIWSの仰角限界まで高度を下げた。元々CIWSは対空兵装として搭載されるものであり、自分よりも高度の低い目標を対処はできない。そのことを狙い高度を下げたのは正解だった。だが、最早イバラギアには攻撃する為の武装は残っていなかった。イバラギアの弱点である武装がコイルガンのみであるということがここに来て響くとは...
だが今の定はその程度では臆さなかった。
「壊せ!」イバラギアは自身の脚部の装甲板を取り外し、手に掴んだ。そしてアンシエントのすぐ足下まで来ると、上方に急加速する。それにアンシエントのCIWSは即座に対応し砲口を向ける。だがすかさずイバラギアは手に持っている装甲板をそこに投げ込んだ。
「グボフッ!」
重量物がぶつかる音が周囲に響く。投げ込まれた装甲板はCIWSの砲筒を捻じ曲げた。
「投げた...⁉︎」
睦は驚きを隠せなかった。なんて荒々しい戦い方なのだ!しかし悪くはない。この状況下では最善の判断に思われた。
「ククク...」
定は笑っていた。それも巌十郎以上の下衆顏で、だが油断は全くしてはいない。その判断は冷静そのもので、容赦は無い。イバラギアはアンシエントの上に乗ると、コイルガンの歪んだ砲筒で各種レーダーを迅速に破壊した。これでミサイルの発射も不可能となり、アンシエントは全ての武装を失った。
「...降伏だ、」八戸は信じ難い現実に目眩を覚えながらも何とかその言葉を捻り出した。最初は夢があったのだ。自分が大好きだった京都、その京都の景色を残しつつ、首都の機能を持つ多面性に富んだ暮らしやすい街、そんな街を作りたかった。
「茨城に伝えてくれ...我々京都は只今を以って...」
私が弱かったのか?もっと私が上に立つものとして優れていればパイロットに負担を掛けずにもっと勝ち進められたのだろうか?
「降伏する...」
嗚呼、悔しいなぁ...実際終わるとこんなにも分かることがあるなんて、悔しい...
「悔しい...」ふとボソッと言った言葉、だがこの時通信が茨城と繋がっていた。
「悔しい、ですか...」
茨城の知事からの声が聞こえた。
「クククッ!楽しみですね」
「何のことですか?」
「失敗して悔しいと思える人間はほぼその後必ず改善をする。恐ろしいものです」
かなわないな、そう八戸は思った。
「この悔しさ、忘れませんよ、」相手は下衆笑をしていた。そうだった、彼はこういう人だったな。
「佐久間巌十郎知事、」
そこでパイロットの精神レベルが危険な状態に陥っている事を士官が報告しに来た。
「パイロットが危険な状態です。今すぐ搬送しないと重大な後遺症が残る恐れがあります!」その言葉に反応したのは巌十郎だった。
「こちらのパイロットに救助させましょう」
「協力感謝します、・・・それではハッチの開閉はこちらで操作しますので機体上部で待機願えますでしょうか。」彼は頭を深く下げた。
「病院側の受け入れ体制を整えてくれ!」その後、周囲に指示を出した。
だが、周囲が慌ただしくなる中で八戸は最後に巌十郎に質問をした。
「最後に一つだけ、」八戸は秘匿回線に切り替えた。
「何ですか?」巌十郎は相変わらず下衆笑のままだった。
「茨城のバックの国は...」
「やはり日本なのですか?」
現在の生き残り都道府県...5




