the significanece of existence - 3
これで、グラシエラの物語は最後です。これ以降にも彼女は出てくるかもしれませんが、彼女自身の話は最後になります。
とても長いです。3つに分けるのが無謀だったのでしょうか。
引きこもっている、というのは正しくないのかもしれない。正確には、軟禁されていると言った方がいいかもしれなかった。
セレンディから戻ってきてすぐのころは、割と普通に暮らしていた。何のことは無い。グラシエラが戦争に行く前に戻っただけだ。無表情は相変わらずだったが、王妃エリアナや妹のフェリシアナとともにお茶を飲んだり、散歩をしたりして過ごしていた。エリアナは、娘が戻ってきたことにことのほか喜び、体調がよくなったくらいだ。
しかし、考えてみれば前兆のようなものはあった。
気が付いたら、手に刃物を持っていた。
気が付いたら、アーレ・レーギアで一番高い塔に登っていた。
気が付いたら、部屋の中が荒らされていた。
そして、グラシエラは自分がどうしてそんな行動をしたのかさっぱりわからなかった。エリアナが心配して医者に見せたが、特に肉体的疾患はなかった。
ということは、精神的疾患か。
誰もがそう思った。当たり前だ。戦争を経験した子供は、精神失調を抱えることが多い。しかし、グラシエラがあまりにも普通に日々を過ごしているように見えたので、だれも特に気に留めなかった。少し注意してみていれば、途中でグラシエラが我に返ったからだ。
だが、条約締結から約1か月。それは起こった。
見つけたのは、第2王女のマティルデだった。マティルデの母である第2夫人はグラシエラを嫌っていたが、マティルデ自身は第1王女である自分の異母姉を嫌ってはいなかった。母の手前、あからさまになつくことは無かったが、会えば挨拶はしたし、グラシエラも彼女を粗雑に扱うことはしなかった―――というのがマティルデの言い分だ。
それはともかく、その時マティルデがグラシエラの部屋を訪れたのは、姉と話をしてみたいと思ったからだそうだ。彼女が戦争に行かなくなってすでに3か月近くが経過していたが、それまでマティルデがグラシエラに話しかけられなかったのは、一重に彼女が小心者だからだろう。しかし、来年の春にエンブレフ帝国の第1皇子に嫁ぐことになり、それまでに姉と仲良くなっておきたいと思った――――らしい。
果たして、それがマティルデとグラシエラにとって幸運だったのか――。それは、どちらにとっても微妙なところである。マティルデは、侍女のいないグラシエラの部屋に勝手に入った。いくらノックをしても、部屋にいるはずの姉からの返答がなかったからだ。そして、目撃した。
グラシエラがソファの上でガラスの破片を手にして横たわっていた。その首筋からは、血があふれていた。つまり、首を切ってすぐだったということだが、マティルデにそんなことはわからない。彼女はグラシエラが死んでいると思って悲鳴を上げた。
結論から言うと、マティルデの悲鳴で駆け付けた人々の適切な処置と、宮殿の魔法医の治療により、グラシエラは一命を取り留めた。この時発見者のマティルダは母親の第2夫人にしこたま怒られ、グラシエラの母エリアナは卒倒した。
グラシエラの部屋からは、エリアナの命令で、あらかじめ刃物などが取り除かれていた。彼女が手首を切っていたこともあったし、自分で長い黒髪を背中の中ほどまで切ってしまったこともあったからだ。刃物のなかった自分の部屋で、グラシエラが凶器に選んだのはガラスだった。部屋の窓ガラスが割れており、自分でたたき割ってガラス片で首を切ったのだ。
そのとき、手が震えていたのか動脈からうまい具合に外れており、それが致命傷を避けていた。グラシエラが口を閉ざしていたため、真相はわからない。
そして、グラシエラは事実上、軟禁されることになった。
怪我が日常生活に影響がないと判断されるようになり、グラシエラが自分の部屋に戻ったのは2週間後のことだった。その部屋は、2週間前と様変わりしていた。
窓には鉄格子。花瓶などは取り除かれ、もちろんナイフやはさみもない。それどころか武器となりうるすべてが取り除かれていた。グラシエラの現状を知った国王カルロスの命令である。
グラシエラは、特に文句は言わなかった。言う気力もなかった。
彼女は、戦えない自分に存在意義はないと思っていた。
なのに、優しく微笑んでくれる母や兄、妹たちが怖かった。
彼女は、世界が平和になっていることに気付いていた。
なのに、恐ろしいものを見るような表情で自分を見る周囲の視線が怖かった。
他人の顔色を窺って生きたくはない。
そうしなければ、生きていけない。
ならば、死んでしまえばいい。
彼らは、彼女が死ぬことを許さない。
すでにグラシエラの理論は崩壊していたし、彼女はすべてが怖くなった。戦わない生き方など知らない。覚えていない。どうすればいいかわからない。
そうして、グラシエラは自分から部屋を出ることは無くなった。そういう意味で、引きこもっていると言っても正しいのかもしれない。
母に誘われれば散歩に出かけたし、兄と馬に乗って出かけることもした。妹と読書をすることもあったし、マティルデとお茶を飲むこともあった。
だが、事実上軟禁されてひと月たつころには、彼女は誰に対してもおびえるようになったし、真夜中に飛び起きることもあった。たまに暴れるので、彼女の世話をする侍女はびくびくしていた。
おびえさせてはいけない。その意識が、だんだん彼女を対人恐怖症にしていった。
「……グラ」
優しい声に、グラシエラはびくりと体を震わせた。兄のロレンシオの声だ。ベッドの上で膝を抱え、膝に顔をうずくめていたグラシエラは、そろそろと顔を上げる。
ロレンシオは一定の距離を取って立ち止った。グラシエラをおびえさせないように、優しく声をかける。
「グラ。君にお客様だよ。ローデオルから、エルシリア殿が来てくれた」
エルシリア。戦争中に、ローデオルからの増援として、魔術師部隊を率いてきた少女。彼女が、グラシエラを見かけると嬉しそうに声をかけてきたのを思い出す。
「今、母上とフェルが相手をしてくれているよ。君も出ておいで」
グラシエラは無言で首を左右に振った。ロレンシオはため息をつく。
「じゃあ、ちょっと手荒になるけど、ごめんね。マカリア」
マカリアは母エリアナの侍女だ。グラシエラには特定の侍女がいない。少なくとも、彼女はいると思っていなかった。ひと月もしないうちに、世話役の顔が変わるからだ。グラシエラはしゃべらないし、暴れるし、侍女がすぐにやめていくのだと思う。
「さ、姫様。着替えましょう。ロレンシオ様、できたら呼びますから部屋の外に出ていてください」
「わかったよ」
ロレンシオが出ていったのを確認してから、マカリアはグラシエラに近寄り、彼女の手首をつかんだ。グラシエラがびくりと身を震わせたが、マカリアは気にせずグラシエラを立たせた。
「ほら。姫様らしくありませんよ。顔をあげて」
グラシエラが生まれたころから面倒を見てくれているマカリアの指示にそむくのは難しく、グラシエラは顔を上げた。マカリアは整った顔立ちをしているが、実年齢はエリアナより上らしい。ということは、少なくとも40歳は越えていると思われるが、そんなふうにはとても見えなかった。
顔を上げたグラシエラを見て、マカリアは微笑んだ。
「そうですよ。まったく、姫様が部屋から出てこなくなったもので、エリアナ様が陛下に怒ったのですよ。陛下が姫様を戦争になんか行かせるからだって」
グラシエラは少し驚いた。母が父に怒るところを見たことがなかった。マカリアによると、第2夫人、第3夫人を迎え入れるときも、エリアナは何も言わずに支度だけ整えたらしい。温厚な母が怒るところは、昔、グラシエラが木から落ちて怪我をしたとき以来見たことがない。
マカリアは最近の母や妹たちの様子を話しながらグラシエラの身支度を整えていく。落ち着いた青の動きやすいドレスを着せ、顔色の悪さは化粧でごまかす。少し短くなった髪はそのまま背中に流した。
「はい。いいですよ。ロレンシオ様を呼んできますね」
マカリアがロレンシオを呼びに扉の方に向かった。この部屋には鏡がない。割れば、鏡も凶器となるためだ。そのため、グラシエラは自分がどんな姿になったのかわからなかったが、おそらく、顔が死んでいることはわかった。
「ああ、グラ。きれいにできたね。おいで。来客室でエルシリア殿が待ってる」
ロレンシオに手招きされたが、グラシエラは1歩後ろに下がって首を左右に振った。マカリアが「この期に及んで何をおっしゃっているのですか」と呆れて言てる。
「大丈夫だよ。だれも、何もしないから。ほら」
グラシエラはロレンシオが差し出した手を見た。唇を引き結ぶと、そっとその手に自分の手を重ねた。
「よし。いい子だ。行こう」
手を引かれて、部屋を出る。自分の部屋を出るのはどれだけ振りだろう。軟禁されているとはいえ、見張りが付けば基本、出入りが自由だった。しかし、グラシエラはここしばらく自分の意志で外に出なかったので、時間の感覚がわからない。ただ、気温から既に晩秋であることを感じ取った。
来客室につくと、女官が中に伺いを立てて扉を開いてくれた。ロレンシオが後ろに隠れようとしたグラシエラの背中を押す。
「マカリア。よろしく頼んだよ」
「もちろんです」
マカリアが頼もしくうなずいた。ロレンシオが出ていくと、入口で立ち止まったグラシエラを連れてお茶や菓子が並べられた円卓テーブルの方へ向かう。
「マカリア、ありがとう。グラ、座りなさい」
エリアナが自分の隣の席を指した。エリアナとフェリシアナの隣。つまり、エルシリアの向かい側だ。グラシエラは無言でその席に座った。
「グラ。挨拶を」
「ああ、いいですよ」
機嫌よく言ったのはエルシリアだった。エルシリアはうつむくグラシエラに機嫌よく声をかけた。
「久しぶりね、グラシエラ! 私の事、覚えてる?」
こくりとグラシエラがうなずいたのを見て、エルシリアはさも嬉しそうに「うれしいわ」と言う。
「冬になったら来るのが大変だから、その前にって思ってきたの。私、結婚したんだけど、聞いた?」
今度は首を左右に振る。引きこもっているグラシエラには、外の情報がほとんど入ってこない。侍女は必要最低限しかグラシエラに話しかけないし、時々、ロレンシオやエリアナが来て話していくくらいだ。だから、グラシエラは今、外の世界がどうなっているのかよくわからなかった。
エルシリアは特に気分を害することもなく、上機嫌で話し続けた。
「あのね。ひと月くらい前、アレックス……アレクシスと結婚したの。ウェルフェルト公爵家の。覚えてる?」
エルシリアはいちいち「覚えてる?」「知ってる?」とグラシエラに返答を求めた。グラシエラは再びうなずく。
「グラシエラは記憶力がいいわね……ラファエル殿下も、ディートリヒ陛下に言われて王太子妃探しを始めたみたい」
グラシエラは自分の握った手に力が入るのを自覚した。大丈夫、落ち着け。王太子妃を探せと言ったのは自分だ。
両隣で立ち上がる音が聞こえた。エリアナとフェリシアナが退室するらしい。グラシエラは思わず顔を上げた。
「あ……」
「待ちなさい。私、あなたに用があるのよ」
ニコッと笑ってエルシリアがグラシエラに向かって手を伸ばした。母と妹が退室したのを見てから、エルシリアはさっきまでエリアナが座っていた席に座った。
久しぶりに見たエルシリアは、記憶よりも美しい気がした。ゆるくウェーブがかった淡い金髪。優しげな、しかし、意志の強そうなジェイドグリーンの瞳。少し身を乗り出した彼女に、グラシエラは逆に少し身を引いた。
「怖がらないで。何もしないわ。話を聞いてほしいの」
「……」
「あなた、これからどうしたいの? このまま軟禁されたまま生きていく? 人を怖がって生きていくつもり?」
「…………」
返答がない。そのことにエルシリアは怒らず、代わりにため息をついた。
「私、父にアレックスとの結婚を反対されたの。何故かわかる?」
エルシリアのフォルテア家は男爵家。アレクシスのウェルフェルト家は公爵家。エルシリアは身分は少々低いが、足りないわけではない。魔法貴族であることを考えればむしろ、自分より高い身分の人間に嫁ぐことは珍しくないと言える。
なのに反対された。その理由は。
「……アレクシス殿に、魔力が、ないから………」
「そうよ。何よ。ちゃんと喋れるじゃない。心配して損した」
そう言いながら、エルシリアは心配していた様子はない。グラシエラが『しゃべれない』のではなく、『しゃべらない』ことをわかっていた様子だ。それにここまで根気強く付き合ってくれた彼女には頭が下がる。
魔法貴族の役目はその魔力を次代へとつなげることだと言われている。統計学上、魔術師と魔術師の子どもの方が魔力は高いと言われているし、実際、そうなのだと思う。ウェルフェルト公爵家の子息であるアレクシスは、一見してわかるくらい魔力がなかった。強大な魔力を持つエルシリアとの結婚を反対されるのは当然だ。彼女は魔法貴族の元に嫁ぐことが求められたのだろう。
「大変だったのよ、父の説得。まあ、説得してみせたけどね」
と、勝ち誇ったような様子でエルシリアは言った。そして、穏やかな様子で話を続ける。
「あのね。ラファエルはあなたの返事を待ってるの。彼とあなたの間には、私とアレックスみたいな障害はないの。あなたは王女で、ローデオルの王太子妃としての資格はある。外堀は埋められてるし、ラファエルが強硬策に出れば、あなたは気が付いたらローデオルの王太子妃になっていた可能性もあるわ」
まあ、私はそれでもうれしいけどね、とエルシリアはうぞぶく。
「でも、ラファエルはそうしなかった。あなたの返事を待ってるから。あなた、彼に『考えておく』って言ったそうね? 考えた結果、どうなったのか、彼に言ってあげて。直接は言いづらいなら、手紙でもいいわ。とにかく、返事をしてあげて」
グラシエラはうなずいた。これが、エルシリアの要件なのだろう。彼女はほっとしたように微笑んだ。
「良かったわー。うなずいてくれなかったらどうしようかと思った。私、ラファエルに恨まれちゃうところだったわ」
返事ひとつでそんなに? と思わないではなかったが、エルシリアの言葉は切実だったので、つっこまないことにした。
「ねえ、シエラ。あ、シエラって呼んでいい?」
グラシエラはこくりとうなずいた。なんだか、シエラ呼びが広がっていく。
「ありがと。私のこともエルシィでいいわよ。あのね。私には人の心の声が聞こえるって話をしたことがあるわよね」
グラシエラは再びうなずく。精神感応系の、さほど珍しくない能力だが、エルシリアの場合は特別範囲が広い。彼女がファルシエまで増援部隊として来たのは、グラシエラの発する『声』を聞いたからだと言っていた。
「あの時、あなたは泣いていたわ。でも、今は戸惑ってる。同時に後悔してる。どうして戦場に出てしまったんだろう。どうして戦ってしまったんだろう。多くの人の命を奪った自分に、生きている価値はない。そう思ってる。……違うかしら?」
違わない。だから、グラシエラは今度は首を左右に振る。エルシリアは微笑んだ。
「ねぇ。あなた、大切なことを忘れてるわよ。そもそも、どうしてあなたは戦おうと思ったのかしら。ロレンシオ殿下の代わりに指揮を執ったのかしら。もう一度、考えてみるといいわよ」
* + ― ○ ― + *
以前と同じように、エルシリアが直球で事実を指摘したのはこの時だけだった。エルシリアは5日ほど滞在していったが、初日以降は王都を見学したり、グラシエラの妹王女と散歩をしたりして過ごし、ローデオルへと帰っていった。
グラシエラは、エルシリアの残していった宿題を片づけるべく考えていた。ラファエルへの返事、そして、何故自分は戦おうと思ったのか。エルシリアは、グラシエラは大切なことを忘れていると言っていた。
グラシエラは外を見ていた視線を部屋の中に戻した。窓際に寄せてある椅子に座ったまま、部屋の掃除をしている侍女を見る。彼女は10日くらい前からこの部屋に来ていた。グラシエラよりいくらか年上の少女で、確か、名前は―――。
「ラウラ」
「!? は、はいっ!」
どうやら名前は間違っていなかったようだ。驚かれたのは仕方がないだろう。彼女がこの部屋に来るようになって、グラシエラが口を開いたのは初めてだった。だから、特に気にせず、用件を言った。
「外に、出たいのだけど……」
「は、はい?」
「……あの。部屋の外に出たくて。私は許可がないとこの部屋から出られないから……」
正確には、監視がいないと部屋から出られないのだ。この場合、どちらも似たような意味になるため、通じたとは思う。実際に通じたらしく、ラウラがあわてて部屋を出ていった。
しばらく待っていると、やってきたのは何故かロレンシオだった。監視役を呼んだつもりだったのだが、伝え方が悪かったのか? 申し訳なさそうなラウラが説明してくれる。
「あの。ロレンシオ殿下とちょうどお会いしまして。事情を説明すると、ご自分が行くので大丈夫だと……」
「ああ……大丈夫、な、はず……。ありがとう、ラウラ。何か言われても、私のせいにしていいから」
「いいぇっ! 滅相もありません!」
「2人とも、責められるようなことにはならないから大丈夫だよ……」
ロレンシオが呆れたように言った。
「それで、グラはどうして突然部屋から出る気になったのかな?」
アーレ・レーギアの廊下を歩きながらロレンシオが尋ねた。他人の口からきくと、『ああ、自分は引きこもっていたんだなぁ』としみじみ思う。
「ちょっと、思うところがあって……。あの。今日、アミディオは登城していますか?」
「アミディオ? 確か、いると思うけど、彼に用?」
グラシエラはうなずいた。聞きたいことがあるのだ。彼なら年も近いし。
「わかったよ。アミディオを呼んで来よう」
ロレンシオは使用人にアミディオを見かけたら自分の執務室に来るように伝えると、グラシエラを連れて先に執務室に入った。割とすぐに、アミディオはやってきた。
「おや。用があるのはグラの方ですか」
察しのいい彼は、来客用のソファにちょこんと座るグラシエラを見てそう言った。執務机のロレンシオにも挨拶してからグラシエラの向かい側に座る。
「またあなたの顔が見られてうれしいですよ……。どんな用ですか?」
「アミディオは……どうして、戦おうと思ったの?」
一瞬、虚を突かれた表情になったアミディオだが、すぐに微笑んだ。
「王族の血を引く男の務め……と言うことではないのですね。どうしてだと思いますか?」
「……わからないから、聞いてる」
「そうですね。でも、答えはあなた自身がかつて口にしたんですよ」
「私が?」
首をかしげるグラシエラを見て、アミディオは笑みを深くした。
「グラ。まだ馬には乗れますね?」
「え、ええ」
「ロレンは今から時間があります?」
「まあ、あると言えばある」
「じゃあ、行きましょうか」
楽しげなアミディオの様子に、わけのわからないロレンシオとグラシエラの兄妹は目を見合わせた。
久しぶりの乗馬は気持ちがよかった。すでに冬に入りかけており、寒いのが難点だが。
アミディオは2人をオルドア草原の手前の街にまで連れて行った。あと1日馬でかければオルドア草原に到着する。そこからさらに半日進んだ場所がエスカランテ砦。グラシエラはつい半年前まで戦っていた場所を思い出し、少し顔をしかめた。
「少し我慢してくださいね……ああ、来た」
アミディオが苦笑気味にグラシエラに言ったとき、彼の視線の先から数人の子供たちがやってくるのが見えた。
「あ! アミディオ様!」
「その人、誰?」
「わぁっ。お姫様だぁ」
アミディオはこの子供たちにずいぶんと好かれているようだ。穏やかな気性のロレンシオも微笑んで子供たちに挨拶している。
「この2人は偉い人だから、粗相の無いようにね。で、こっちの女の人は夜の女王陛下」
何故その名前で紹介するの。思わずグラシエラはアミディオをにらんだが、どうやら本名で紹介されるよりもわかりやすかったようだ。年長の子供たちが目を輝かせる。
「女王様! 美人!」
「女王様、すっごく強いんでしょう!?」
「女王様、おれ、軍に入れるかな!?」
なぜか女王様呼びが定着してしまっている。取り合えず、軌道修正は無理だなと思った。それよりも。
「……どういうこと? どうして私をここに……」
その答えは、すぐに知れた。
「女王様。父さんを助けてくれて、ありがと」
10代前半の少年に言われた言葉に、グラシエラは目を見開く。
「ど、どういう意味?」
その少年はにやりと笑った。
「父さん、女王様が助けてくれたから生きてるって言ってた。殺されそうになったところを助けてもらったって」
思わず少年の顔をまじまじと見るが、心当たりはない。危ないところを救ったり、救われたりした経験が多いので、記憶に残っていないかもしれない。
グラシエラが思い出そうと腕を組んで悩んでいる間に、町人たちも集まってきた。
「ああ。アミディオ様、女王様」
どうでもいいけど、「女王様」という名称は変えられないのだろうか。それにしても、ここらでは王太子のロレンシオよりそれ以外の2人のほうが知名度が高いらしい。まあ、エスカランテ砦の近くだから当然かもしれない。あの砦に詰めていたのはアミディオとグラシエラだったから。
「女王様。ありがとうございます」
「あなたのおかげでこの町は無事だった。感謝します、女王様」
「女王様のおかげで、いったい何人の人が勇気づけられたでしょうか……」
次々と感謝の言葉を述べられ、グラシエラはアミディオを振り返った。
「……ドッキリ?」
「違いますよ」
彼はパタパタと手を左右に振った。彼はにこっと笑う。
「あなたは人の命を奪ったことばかり気にしますが、グラ、君の原点は? グラはどうして戦おうと思ったんですか?」
「どうして……」
グラシエラは口をつぐんだ。どうして、自分は戦おうと思ったのだろうか。
『誰かがやらなくては、みんな死んでしまいます!』
かつて、グラシエラ自身がラファエルに向かって叫んだ言葉だ。その『誰か』は、グラシエラにとって自分自身だった。自分がやらなけれければならないと思った。今から思えば、なんという思い上がりだろうか。グラシエラがやらなくても、誰かが……兄のロレンシオが、戦っていたはずだ。そこまで考えて、グラシエラは顔をしかめた。やっぱり駄目だ。
やはり、グラシエラには見て見ぬふりはできなかった。自分のために、みんなを守りたかった。これはグラシエラのエゴだ。
守りたかった。だから、戦った。単純なこと。
「気づきましたか?」
アミディオが優しげに笑う。ロレンシオがグラシエラの頭をなでる。
「お前がいなければ、私は死んでいたかもしれないしね」
自虐的にロレンシオが言った。守りたくて戦ったのは事実だが、その半分以上は自分のエゴで占められているグラシエラは、どう反応していいかわからず、顔を伏せた。
「じょおうさま」
つたない声で話しかけられ、グラシエラはそちらに目を向けた。杖を突いた男性が小さな女の子を抱いて立っていた。呼びかけたのはこの女の子のようだ。
「あのね。おとうさん、たすけてくれてありがとう」
先ほどまで受け流せていた言葉が、自覚したとたんに受け流せなくなる。グラシエラは顔をうつむかせて言った。
「……こちらこそ、ありがとう」
女の子は何を言われたかわからない、というように首をかしげた。
* + ― 〇 ― + *
メルフィス暦1522年。季節は、春が目の前まで迫った冬。グラシエラはアミディオとともに王都郊外まで来ていた。孤児院の建設現場の確認を行うためだ。何故この2人かというと、グラシエラとアミディオがこの孤児院の発案者で出資者だからだ。
ここは、戦争孤児院だ。
先の大戦で、多くの人が命を失った。孤児になった子供も多い。既存の孤児院だけでは受け入れきれない、という現実に、グラシエラは控えめに提案をしたのだ。
それが、こうなった。武力による交渉は得意だが、基本的に駆け引きが苦手なグラシエラに代わって、そういった手配はアミディオがしてくれた。代表にグラシエラがいるというだけで国民からの受けはいいらしい。貴族からの受けはよくないのだが。
「……アミディオはここでこんなことしていいの?」
「別に大丈夫ですよ。ずっと椅子に座ってるのもつらいですし」
アミディオは苦笑気味に言った。グラシエラは彼の気持ちがいまいちわからず、「そうなの」と答えるにとどまった。書類仕事に関して、グラシエラはいわば『無能』だった。まったくできないわけではないのだが、効率が悪すぎるのだ。グラシエラが戦争が終われば自分は必要がなくなる、と思ったのは当たっていたということだ。
年が明けてしばらくして、グラシエラが戦争被災者の支援をしたいと言ったとき、母や兄は驚いた顔をした。だが、すぐに兄は父に掛け合ってくれた。何か目的があったほうが、グラシエラにとって生きやすいと思ってくれたのだろう。その通りだ。
また自殺されそうになってはかなわないと思ったのか、父である国王も割とあっさり孤児院建設の許可を出してくれた。だが、アミディオが手伝ってくれなければ、ここまですんなり建設までこぎつけなかっただろう。何をすればいいか全くわからなかったからだ。
人々は、戦争の最大の加害者であり、被害者であるグラシエラが戦争被災者の支援に乗り出したと聞いて、どう思っているのだろうか。偽善だ、と騒ぐ人もいるだろう。実際に、街に出た時、あんたのせいで恋人が死んだのだ、と若い女性になじられたこともある。
それでも、グラシエラには生きる理由が必要だった。生きていたい、と思ってしまった。戦争を激化させた責任があるものとして、この先の世界の行く末を見守るべきだと思った。
アミディオとくだらない世間話をしていると、彼が不意に視線を巡らせた。
「どうしたの?」
「グラ、呼ばれてません?」
「私?」
グラシエラは首をかしげて耳を澄ませた。すると、確かに聞こえた。「シエラ」と。グラシエラを「シエラ」と呼ぶ人はこの世に2人しかいない。そのうち、男の方の声だ。
声のした方をアミディオに倣ってみると、馬がこちらに爆走してくるのが見えた。
「すごい勢いですね」
「あれ、止まれるのかな」
微妙にかみ合わない会話をしながら、グラシエラとアミディオは近づいてくる騎馬を見つめた。騎手はうまく馬を操り、グラシエラの前で馬から降りた。そして、がばりとグラシエラに抱きつく。
「わっ! どうしたんですか、ラファエル殿下」
さすがに驚いてグラシエラが尋ねると、抱きついてきた相手・ローデオル王太子ラファエルはグラシエラを抱きしめる手に力を込めた。痛い! 背骨が曲がる!
「ラファエル! そろそろ妹を放してやってくれ。窒息死してしまう」
どうやらラファエルについてきたらしいロレンシオがそう言ってくれて、グラシエラは解放された。本当に背骨が折れるかと思った。一度深呼吸をしてから、もう一度訪ねた。
「どうしたんですか、ラファエル殿下」
「どうしたもあるか! なんだ、あの手紙は!」
「何って、手紙です。お相手は見つかりましたか?」
「見つかるか!」
「痛っ」
興奮したラファエルに手刀をたたきこまれ、グラシエラは思わず悲鳴を上げた。しかし、ラファエルも悲鳴を上げるように言った。
「お前な! 断りの手紙はともかく、最後に無邪気に『いい人見つけてくださいね』はないだろう!」
グラシエラはラファエルにいわゆる、『求婚に答えられなくてごめんなさい』という手紙を送った。やりたいこともできたし、やはり、グラシエラが他国に嫁ぐのはいろいろ問題があると思ったのだ。
「いえ……私、語彙が少ないので、該当する言葉が見つからなくて」
ファルシエの公用語ではなく、ローデオルの公用語で手紙を書いたのもまずかったのかもしれない。一応、ロレンシオに添削は入れてもらったのだが、微妙にニュアンスが違ってしまった可能性もある。
妙に落ち着いたグラシエラにあてられて、ラファエルも落ち着いてきたのか、静かに口を開いた。
「私は、お前に結婚を申し込んでいる」
「憐れむのなら結構です」
「違う! ……そうじゃない」
ラファエルはがっとグラシエラの両肩を正面からつかんだ。グラシエラはびくっとして後ろに下がろうとしたが、がっちり肩をつかまれて動けなかった。
「私はお前を、シエラを妻にしたい。お前じゃないと意味がない。私は……お前を愛しているから」
「……はい?」
意味が分からなかったのではなく、驚いたのだ。ラファエルを案内してきたロレンシオと、グラシエラと一緒にいたアミディオを見る。2人ともにこにこするだけで、状況を説明する気はないらしい。
グラシエラは真剣な表情のラファエルに視線を戻した。彼のきれいな碧眼は、グラシエラをからかっている様子はなかった。この場合、グラシエラはどうすればいいのだろうか。
父は、嫁に行くかはグラシエラ自身に任せる、と言っていた。だから、ここで、グラシエラがどうするか、誰にも決めることができない。今更ながら、自分の経験の浅さを思い知る。
「……私にとって」
グラシエラは考えながら言葉を発した。
「ラファエル殿下は、初めて私に疑問を投げかけた人でした。自分の行動を疑問に思われるということは、自分の行動を他人に否定されるよりつらかった。だけど、殿下がいなければ、今の私はいなかった……と思います」
『なぜ戦うのか』。ラファエルに問いかけられた言葉。あの時、この言葉を聞かなければ、グラシエラは今も、自分が何故戦っていたのか気付けなかったかもしれない。そういう意味では、ラファエルには感謝していた。
ちらっとロレンシオを見ると、彼は笑顔でうなずいた。グラシエラもうなずき返す。
「私はずっと、居場所がほしかった。そこにいてもいいという確証がほしかった。ラファエル殿下は、私に言ってくれるのですか?」
『ここにいていい』と。
ラファエルは微笑んだ。
「もちろんだ」
メルフィス暦1522年、6月。グラシエラはローデオルに嫁いだ。エンブレフ帝国のオリヴィエ皇子にファルシエ第2王女マティルデが、ファルシエ王太子ロレンシオにエンブレフ帝国第1皇女リーディアが嫁ぐのを待ってからの結婚となった。
ここで、『夜の女王』グラシエラの物語は終わりになる。
* + ― 〇 ― + *
ローデオル王太子ラファエルと結婚してから約10年。ローデオルの王太子妃となったグラシエラは、ずっと気になっていたことを夫に尋ねた。
「あの、ラファエル。どうして私のことを愛しているのですか?」
「!? シエラ、お前、いきなり何言いだすんだ」
「……間違えました。どうして、私のことを好きになったのですか?」
いまだに言葉の怪しいグラシエラに苦笑し、ラファエルは言った。
「それな。まあ……はじめは放っておけなかったんだよな。エルシィじゃないけど、お前、無理してるように見えたし」
「そう……だったのかもしれません」
当時を思い出して、グラシエラは少し顔をしかめた。そんな彼女の頬を、ラファエルはいとしげに撫でる。
「はじめは、気になっただけだった。でも、気付いたらお前を目で追ってるんだよな……」
「変態ですか」
「それを言うな。私もちょっと思ったんだから。……で、そのうちお前を守ってやれないかな、なんて考えるようになって、気付いたら」
愛していた。らしい。グラシエラはラファエルではないのでよくわからないけど。しかし、それは本当に愛情なのか? 家族愛の方向じゃないのか? すでにラファエルとの間に4人の子供がいるグラシエラはそんなことを考える。ちなみに、5人目が彼女の腹の中にいた。
「というか、シエラのほうはどうなんだ? 私でよかったのか?」
「今更ですね……。私に、居場所をくれたのはラファエルだけでしたから。それに」
「それに?」
「ラファエルは、私のことを怖がりませんからね」
そう言うと、ラファエルは笑ってグラシエラに口づけた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。グラシエラの物語、いかがでしたでしょうか。つたない文章をお読みいただき、本当にありがとうございます。加えて、今回は長かったですからね。
もう少し、『魔法大戦』前後の話は続きます。次は、帝国側から大戦を見てみたいと思います。




