the significanece of existence - 2
ずいぶん間が空きましたが、前回の続き。
グラシエラの話は次で完結予定です。
エンブレフ皇帝崩御の知らせから3日後、グラシエラは王都クレアーレの宮殿アーレ・レーギアに戻ってきた。あわただしい宮殿内を、自身もあわただしく歩き、知り合いを探す。見つけたのは兄だった。
「兄上!」
「ああ! グラ、お帰り。怪我をしたって聞いて心配してたんだ」
いつの話だ、それは。だいぶ前の話だ。それでもとりあえず、傷は治ったと報告すると、兄ロレンシオはあからさまにほっとした表情になった。
「ならよかったけど。あまり無理しちゃだめだよ?」
「それより兄上。停戦条約が締結するのですか?」
一気に本題に持っていたグラシエラに嫌な顔をすることなく、むしろ微笑みを向けてロレンシオはうなずいて見せた。
「ああ! 今、停戦条約をどこで結ぶか場所の相談もしている。終わるよ、戦争は」
ロレンシオは断言した。彼としては妹が戦場に行かなくて済むようになることがうれしいのだと思う。
「戦争が、終わる……」
「そうだよ。君はもう、戦わなくてもよくなるんだよ、グラ」
「戦わなくても、いい……」
兄の言葉を反復するグラシエラに、ロレンシオの笑みは深まる。側近に呼ばれてグラシエラのそばを離れたロレンシオは、ついに妹の様子がおかしいことに気が付かなかった。
戦争が終わる。それはうれしい。なのに、なぜだろう。もやもやする。だが、何の違和感かわからない。
グラシエラは目を開くと、いったん悩みを棚上げし、母の見舞いに行くことにした。母のもとを訪れると、まれにみる満面の笑みで迎えてくれた。
「グラ! ああ、よかったこと! 戦争が終わるんですって!? もうあなたが戦争に行くことはないんだわ……! ああ、なんてうれしいことかしら!」
病で細くなってしまった腕で抱きしめられながら、グラシエラは母に多大なる心配をかけていたことを再度認識した。兄も、母も喜んでいる。だから、停戦するのはいいことなのだと思う。だが、グラシエラにとって現実味がなさ過ぎた。
思春期を戦場で過ごした少女にとって、平和という言葉は他人ごとに聞こえた。
後に『魔法大戦』と呼ばれる彼の戦争の停戦条約はセレンディ王国で結ばれることになった。戦争の一番の被害者であるファルシエは反帝国派が多く、新皇帝にとって危険であること、アルビオンは遠すぎ、セレンディかローデオルかでもめた。しかし、結局、セレンディに決まったのは、ローデオルもアルビオンと同じく、帝国から少し遠いからだろう。
メルフィス暦1521年夏。各国の代表者はセレンディ王国南部ユルフェという都市に来ていた。セレンディと帝国の国境は、竜骨ともいわれる標高の高い山脈が通っているため、帝国勢は一度ファルシエを通ることになる。反帝国派のファルシエ国民が帝国に暴動を働かないように警備が行われ、何とか代表者たちはユルフェに入った。
グラシエラは父カルロス王と兄ロレンシオ、そして数人の外交官とともにユルフェに入っていた。戦争の当事者、むしろ真の被害者といっていいグラシエラが参加しないわけにはいかなかった。気乗りはしなくても。
エンブレフ皇帝崩御の知らせからひと月半。条約を結ぶ準備が整うまでの時間としては、かなり早かったといえるだろう。
各国の代表者たちは次々と会議室に選ばれた部屋に入っていく。ファルシエ代表であるグラシエラたちの入室は最後となった。彼女らが会議室に入ると、すべての視線がこちらを向いた。ファルシエ代表を見ているのではなく、グラシエラを見ている。そう気が付いた。
「あの娘が『夜の女王』」
「かわいらしい顔をして、恐ろしいものじゃ」
「怒らせないよう、気を付けなければな」
小声で話しているつもりだろうが、声はばっちり聞こえていた。ファルシエの宮殿で陰口にある程度慣れているグラシエラは受け流すことにした。しかし、グラシエラが席に着くより先に、彼女の前に1人の男性が立った。
「初めまして……ではないのでしょうね。グラシエラ殿下、新しくエンブレフ皇帝となりました、エドアルドです」
思わずグラシエラは男性の顔を凝視してしまった。この人が、あの、エドアルド皇太子。
柔らかそうな金髪。優しげな光をたたえた紫色の瞳。40歳手前の年齢だろうが、整った顔立ちで若く見えた。この、優しげな光をした人と、戦っていたのだ。
ファルシエのグラシエラ、帝国のエドアルド。ともにこの戦争で最高の指揮官と呼ばれた。『夜の女王』と『光の英雄』。名前だけ聞くとエドアルドが勝ったような印象だが、形式上はエドアルド、つまり帝国の敗北。事実上は勝っていようが、先に停戦を申し入れた帝国の負けに変わりはない。
どれほどの思いを持って、エドアルドは『降伏宣言』したのだろうか。
「皇帝に即位なされたこと、お慶び申し上げます。グラシエラです。よろしくお願いします」
グラシエラもエドアルドに倣って挨拶をした。本当なら、前皇帝が亡くなったことに対するお悔みも申し上げなければならないのだが、彼の皇帝のせいで戦争が始まったかと思うと、お悔みを申し上げる気持ちはわいてこなかった。
「あなたがいらっしゃると聞いて、お会いするのを楽しみにしておりました。戦場でお会いしたのは2度ほどでしょうか。あなたの指揮は素晴らしい。何度も負けを覚悟しましたよ」
エドアルドのお世辞になぜか父と兄のほうが誇らしげだ。グラシエラには世辞を喜ぶ気力もないというのが正しいかもしれない。
「いえ。経験も実力も、私は陛下に劣っていました。あのまま戦い続けていれば、ほぼ確実に私が負けていました。ですから、停戦を申し出てくださって感謝しています」
世辞には世辞を、と言いたいところだが、グラシエラの言葉は本心だった。あのまま戦っていれば、グラシエラはエドアルドに負けていた。それは間違いないと思う。その敗北がいつになったかはわからないが、負けていたのは確実だ。
まさかのエンブレフ皇帝からの挨拶に驚きつつも、グラシエラたちはそれぞれ席に着いた。全員が席に着き、さあ、会議を始めようというときに、エンブレフ側から手が上がった。エドアルドの隣に座る、小柄な少年だ。まだ年は10代前半だろう。グラシエラが戦場に出た時、彼くらいの年だったと思う。金色に近い茶髪に薄紫の瞳。その整った少女めいた顔立ちは、おそらく、エドアルドの血を引いているからだろう。
「初めまして。僕はエンブレフ帝国第1皇子オリヴィエと申します。会議を始める前に、ひとつ、申し上げておきたいことがあります。よろしいでしょうか?」
少年オリヴィエ皇子のしっかりした声に周囲は戸惑いながらもうなずいて許可した。オリヴィエは柔和な顔立ちをほっとしたように緩めた。それから、真剣な表情になる。
「僕は、先の皇帝、アルフレードを殺しました」
その瞬間、沈黙が降りた。それくらいに重い言葉だった。
殺した。先の皇帝を。オリヴィエにとっては祖父にあたる人だ。何故。そう思ったが、グラシエラは何となく彼の気持ちがわかる気がした。
「僕は、おじい様……先の皇帝が生きて、この国の権力を握っている限り、戦争は終わらないだろうと考えました。僕はまだ13歳ですが、このまま戦争が続けば僕も戦争に行くことになる。それは嫌だった」
グラシエラが想像したのと大体同じようなことをオリヴィエは言った。彼がちらりとグラシエラのほうを見たのは、彼女が撤退戦を成功させたのが彼と同じ13歳の時だったからかもしれない。
「戦争で疲弊していく国や、疲れて帰ってくる父上を見たくないから。そんな私情で、僕は先の皇帝を殺しました。戦争を起こした皇帝だからと、こんな行為が許されると思っていません。父上は、この会議で僕の身の振り方を決めるとおっしゃいました。父上に事情を説明してもらうような腑抜けに思われるのは嫌だったので、この場を借りて話させていただきました。以上です」
オリヴィエはきっちり腰を曲げて頭を下げた。まだ子供といえる年齢の少年にこんなことを言われては、大人たちはそんなに厳しい処分を下せない。それを見越してのことなのかもしれない。
しかし、まず話し合いになったのは国境線について。これは戦争前のものに戻ることになったが、次の議題である戦争責任で話し合いは紛糾した。
もちろん、領土拡大をうたって戦線を拡大していったエンブレフ帝国に非があるのは確実だ。しかし、帝国だけに非があるのか。戦争が拡大したのにはファルシエにも非があったのではないか、ということらしい。
グラシエラはため息をつきたくなった。要するに、この戦争の責任をエンブレフとファルシエに押し付けようというのだろう。同盟を組んだとはいえ、この大戦の影響を直接受けなかった国々は実害が少ない。そのうえで、自分の国の国力を守りたい。だから、直接戦闘をしていたエンブレフとファルシエに責任を押し付けたい。そういうことだと思う。
「グラシエラ殿下はどう思われますか」
唐突に話を振られて、グラシエラは戸惑った。内容は戦争責任についてだったと思うのだが、なぜ自分に振るのだろうか。
話を振ってきたのはアルビオン国王だ。年は父カルロス王と同じくらいだったと記憶しているが、さわやかさではアルビオン王ウィリアム2世のほうが上だ。銀の髪が印象深く、息子も似たような髪の色をしている。面白がるような彼らの視線に目を細め、グラシエラは手を挙げた。
「私の意見を言わせていただくのならば、帝国に非があることは否定できないと思います。我がファルシエ王国の抵抗が戦争をより拡大させる結果となったことも否定するつもりはありません。しかし、この大戦の責任は本当に私たちだけにあるといえますか?」
グラシエラは姿勢を正してこの場に集まる王族たちを見渡した。ローデオル王国の席のラファエルと目があい、グラシエラは何気なくそらした。
「あなた方の言う、戦争の責任とは何のことを指すのですか? 世界情勢が混乱したことですか? 貿易が滞ったことですか?」
「……それは、戦争は、人の命を」
「奪いますね」
グラシエラにきっぱりと言われ、発言したどこぞの国の王太子は口をつぐんだ。グラシエラは構わずにつづけた。
「私自身も何人ものエンブレフ人を手にかけたことを認めます。同じように、私の部下が何人死んだとお思いですか? この戦争で、ファルシエの人口は戦争開始時より1割は減少しています。エンブレフ帝国も同じくらい、減っていると思います。あなた方の国はどうですか? あなた方の国の尊い命は、どれだけ失われましたか?」
言うならば人の命だけではない。経済的にも、ファルシエはかなり苦しい。戦争は金食い虫だ。
それがわかっているから、ミューラン同盟に参加している国々も、好んで兵を派遣しなかった。ファルシエを盾にして、自分たちに害が及ばないからと動かなかった。彼らは、ファルシエを見捨てたも同然だ。
気持ちはわかる。しかし、彼らにグラシエラたちの気持ちがわかるだろうか。エンブレフ帝国が彼らの国々にまで侵攻できなかったのは、ファルシエ軍が命を懸けて戦っていたおかげだというのに。そもそも、戦争責任という言葉に違和感を感じる。
「あなたたちは同盟国だといいながら、まともに私たちに加勢してはくれなかった。兵を出したくないのはわかります。関わりたくないのもわかります。しかし、あなたたちのその利権を守ったのは、事実上、私たちであることはお忘れなく……」
「グラ」
咎めるようにロレンシオが呼びかけた。ちらりと父のほうを見ると、父は特に止めるような動作をしていなかったのでグラシエラは続けた。
「そんなあなたたちが、私たちに戦争の責任を問うのですか? 大きなお世話です。私たちも、エドアルド皇帝陛下も戦争を長期化させた自覚は十分にあります。しかし、あなたたちは戦争を終わらせるために何か行動を起こしましたか? エドアルド皇帝陛下が停戦を申し出てくださらなければ、あのまま戦争は続いていたでしょう」
グラシエラはそのまま一番言いたかったことを言った。
「責任があるのは、あなたたちのほうです。命は大切だと言いながら、あなたたちは命の重さを理解していない。だからこそ、戦争に対して責任があると私は思います」
沈黙が降りた。グラシエラに話を振ったアルビオンのウィリアム3世は難しい表情で考え込んでいる。大陸と陸続きではないアルビオンは、ミューラン同盟に参加しながらもほとんど戦争の被害を受けていない。もっとも、事実上被害を受けたのは当事国であるエンブレフ帝国、ファルシエ王国、セレンディ王国南部ぐらいなのだが。
誰も反論しないのは、グラシエラが言ったことを事実だと認識しているからだろう。少なくとも、戦争にすら参加していないものが戦争責任を語るべきではない。
「では、あなたはどうすればいいと思う?」
再びウィリアム王が口を開いた。グラシエラは少し考えてから言った。
「何もペナルティを与えないわけにはいかないと思います。しかし、戦争被害を受けたのは帝国も私たちも同じ。不必要なほどの搾取はやめるべきだと思います。ペナルティがきつすぎると、それがもとでふたたび戦争が起こるかもしれません」
民衆発端の反乱などはそうしておこるものだ。悪政などで不安が募り、それが爆発して戦争が起こる。グラシエラ的には特に戦争責任を問う必要もないと思うのだが、そういった前例を作るのはよくないと思う。だから、ペナルティは課すべきだ。エンブレフ帝国側にも、ファルシエ側にも。
再び手が上がる。今度はローデオル国王ディートリヒ3世だ。
「私はグラシエラ殿の意見を採用したい。過度な戦争責任追及は、政治的にも経済的にも打撃を与えますからな」
「なるほど。むしろ、国を復興してもらうためには融資をしなければならないでしょうね」
ウィリアム王がにっこり微笑んで言った。確かに、ファルシエは戦争続きで金がない。たぶん、帝国も同じだろう。そこでアルビオン王太子であるジョージが手を挙げた。
「すみません。では、オリヴィエ皇子の皇位継承権を剥奪することで、ペナルティとなりませんかね」
「いいんじゃないですか。一代限りの剥奪ということで、皇帝位は彼の子供に継がせればいい」
ローデオルのラファエルがジョージに同意する。なんだかアルビオンとローデオルで講和条約の内容を決めてしまいそうな勢いだ。
「私からも一つ、よろしいでしょうか」
唐突に父カルロス王が発言許可を求めた。グラシエラとロレンシオは驚いて父親のほうを見た。
「帝国から皇女を1人、我が国へ嫁がせてはもらえませんか。ぜひ王太子妃に」
ロレンシオが少し顔をひきつらせたが、耐えた。何もしていないのに巻き込まれたロレンシオは何とも言えない表情になっている。しかし、父の言うこともわからないではない。人質として帝国から皇女をもらうことができれば、と考えていたのはグラシエラも同じだ。
カルロスの要求にエドアルドは少し考えるそぶりを見せた。まあ、もともとの敵国に娘を嫁がせることなど、普通はしたくない。しかし、戦争後に人質として王子、王女が相手国に行くことはよくあることだ。
「……一番上の娘が18歳になります。ファルシエに嫁ぐように説得しましょう」
エドアルドはそういった。彼は自分の家族より国のことを選んだ。たぶん、彼の姿が正しい国家元首のあり方なのだと思う。
しかし、エドアルドはこちらにも同じものを要求してきた。
「では、ファルシエの方からも、帝国に王女を1人輿入れしていただきたいのですが」
試されている、と感じたのはなぜだろう。明らかに不平等だ。
エドアルドの一番上の娘、つまりエンブレフ帝国の第1皇女はリーディアといったか。彼女がロレンシオに嫁ぐのなら、王太子妃として扱われることになる。エンブレフ帝国の皇女だからだ。
しかし、ファルシエから嫁ぐ王女はどうだろう。第1皇子であるオリヴィエに皇位継承権はない。おそらく、講和条約には彼の皇位継承権放棄の項目が盛り込まれるだろう。つまり、ファルシエから嫁いだ王女はただの皇子妃として遇されることになる。
現在、ファルシエには王女が4人いる。第1王女であるグラシエラと第3王女のフェリシアナは王妃であるエリアナの娘だ。第2王女マティルデは第2夫人の、第4王女セレスティナは第3夫人の娘になる。血統だけを考えるなら、グラシエラかフェリシアナが嫁ぐことになる。
「……グラ。お前、帝国に嫁ぐ気はあるか?」
父が尋ねてきた。まあ、年齢順で行けば、グラシエラに白羽の矢が立つのはわからないでもない。しかし。
「命令とあれば嫁ぎますが、私ではいろいろと問題があるのでは? 私は帝国に足を踏み入れた途端に殺される自信があります」
「そんな自信、いらないから」
ロレンシオがあきれ気味に突っ込む。まあ、殺されることはないだろうが、エンブレフ帝国民はグラシエラを認めないだろう。グラシエラのせいで家族を殺された人に、「恨むな、敬え」といえるはずがない。
グラシエラがエンブレフ帝国に嫁ぐかもしれないとなり、周囲は騒然となった。そして、嫁ぐ可能性が低くなるとなんだか安堵の空気が漂う。一瞬、戸惑ったが、どうやら各国の主君たちはエドアルドという優秀な指揮官がいる国に、グラシエラを嫁がせたくないらしい。確かに、グラシエラもエドアルドと組めばレイシエリル大陸の西側を統一できる自信はある。
「エドアルド陛下。すみません。グラシエラは私が先約です」
突然そんなことを言ったのはラファエルだった。「はあ? 何言ってんの」という雰囲気が漂う。父と兄が「何のことだ?」と言わんばかりにグラシエラを見たが、彼女が首を左右に振った。だって本当にわからないのだから仕方がない。
「申し訳ありませんが、ラファエル。どういう意味ですか?」
ロレンシオが旧知の中でもあるラファエルに戸惑いがちに尋ねた。するとディートリヒが息子に向かって言う。
「ラファエル。向こうは話がとおっていないみたいだぞ」
いや、だから、何が。
「言っただろ。お前、うちに嫁に来るかって」
ラファエルが今度はグラシエラに向かって言った。彼女は少し目を細めた。
「それ、本気だったのですか?」
戦中、エスカランテ砦でそういうような言葉を言われた記憶がある。しかし、状況が状況だったし、てっきり冗談だと思っていた。
「ああ、なんだか楽しそうだね……」
エドアルドがそんなことをつぶやいた。どこが楽しそうなのか、ぜひ教えてほしいものだ。
* + ― 〇 ― + *
本日の会議は、ラファエルの爆弾発言から続いた微妙な空気のままお開きとなった。グラシエラとロレンシオ、父カルロス王しかいない廊下で、グラシエラは父に尋ねられた。
「ラファエル殿下の話は本当か?」
「ええ……まあ、似たようなことは言われました。てっきり冗談だと思っていたので、報告はしませんでしたが」
そういってグラシエラは首をかしげた。ラファエルは本気なのだろうか。会議中、おとなしくしていたと思ったら突然あんなことを言い出すのはやめてほしい。いや、ほんとに。
グラシエラは命令されれば嫁ぐ気はあるが、カルロス王が彼女を国外に出すとは思えなかった。彼女は戦功を立てすぎた。嫁げばその家は謀反をたくらんでいると思われ、国外に嫁げばそのまま殺されるか、よくて監禁されるのが落ちだろう。人は強大な力を怖がる。
「まあ、父上や議会が私を国外に出すとは思えませんが……ですよね?」
確かめるように尋ねると、父は考えるように言った。
「お前は、私が命じれば嫁ぐと言ったな」
「は? ああ……まあいいましたが」
「では、ローデオルに行くかはお前が決めろ」
父はそれだけ言うと自分のあてがわれた部屋の方に向かって行った。少し間を開けて「はい?」と尋ねたグラシエラの声は届かなかったようだ。
「父上はたぶん、グラにこれ以上命令したくないんだよ」
「命令、したくない?」
グラシエラは兄のロレンシオを見上げた。意味が分からない。そんな雰囲気を醸し出すグラシエラの頭を彼はなでる。
「戦中、グラは命令すればどこにでも行った。君は必ず帰ってきたけど、派遣されたのは危地ばかりだった。父上は自分の命令で君が命の危機にさらされたことを悔いているんだよ」
「国王の判断としては最善かと思われますが」
「……まあ、私がそう思っているというのもあるから、父上の考えはもう少し違うのかもしれない。私がもう少し戦に関する才能があれば、何の問題もなかったんだからね」
ロレンシオはちらりと廊下の向こうを見ると、彼女の肩をたたいた。
「グラは、自分の好きなようにすればいいんだよ。父上がいいって言ったんだから」
グラシエラは眉をひそめた。ロレンシオの視線の方を見ると、ラファエルが近づいてくるのが見えた。
「ラファエルとよく話し合ってみるといいよ」
兄は優しくも残酷なことを言った。グラシエラの頭上で「妹を頼みます」「任せろ」的な会話がなされている。ここでラファエルと2人にされても、グラシエラはどうすればいいのかわからない。ロレンシオは不安げな妹の顔を見ると、微笑んで父の後を追うように廊下を歩いて行った。
「シエラ」
グラシエラをシエラと呼ぶのはラファエルだけだ。結局、ラファエルは彼女をシエラと呼び続けている。
グラシエラはラファエルの整った顔を見上げると、少し気になっていたことを尋ねた。
「エルシリア殿はお元気ですか?」
魔術師部隊の体調としてファルシエに派遣されていたエルシリアも、ラファエルやアレクシスの帰還とともに帰って行った。グラシエラを見ると笑顔で話しかけてきたエルシリアがいなくなったときは、さすがに少しさみしかった。
彼女は、グラシエラを怖がらない。それが一番、うれしかったのだと思う。
「エルシィなら元気だな。お前にあったらお前が元気そうか確かめて来いと言われた」
実は、グラシエラがこの会議に参加するかは微妙なところだった。大体の国は、国王とその跡継ぎを会議に参加させている。グラシエラは次期国王ではなく、しかし、戦争で大部隊の指揮を執っていた。ファルシエの主戦力はグラシエラの部隊だった。つまり、彼女は第一級戦犯として裁かれてもおかしくない立場なのだ。まあ、グラシエラを裁くならエンブレフ皇帝であるエドアルドも裁くことになるので、その心配はない。
それはともかく、第一級戦犯になってもおかしくないグラシエラを欲しがる国などいないだろう。そんな変人は目の前のこの男くらいだ。グラシエラの中で、ラファエルはすでに変人として認識されていた。
「……まあ、どちらかと言えば元気だと思います。いつ襲撃を受けるかと緊張しなくていいというのは変な感じです」
「……そうか」
ラファエルが眼を細めるようにグラシエラを見た。微笑むのではなく、何かを見出そうとするような視線だ。特にやましいことにないグラシエラはまっすぐその碧眼を見つめ返した。
「……なあ、やっぱりお前、私の所に嫁いでこないか?」
「……それ、本気なんですか?」
胡乱気なグラシエラの視線を受け、ラファエルは苦笑気味に言った。
「お前、国にいてもこの先つらいだけだろ。私なら、お前を護ってやれる」
「……別に守ってほしいと思ったことはありませんが……」
「お前、自分の人生を楽観視し過ぎ」
グイッと頬を引っ張られ、グラシエラは非難の声を上げたが、ラファエルは真剣な表情で彼女に顔を近づける。
「他国のやつらは、お前が次のファルシエ王になるんじゃないかと戦々恐々としてる」
「! なぜ、そんな話が……」
「お前はそれだけのことをしたんだよ。お前が男なら、ロレンシオを押しのけて王太子になってただろうよ」
「私はそんなことをしません」
「お前はな。だが、お前の周りはどうだ? お前が女だから、余計にややこしくなってるんだけどな」
「………」
それは否定できなかった。そのため、グラシエラは黙り込んだ。王妃であるエリアナの地位が斜陽にある今、彼女の実家がグラシエラを女王に仕立て上げようとしても不思議はないと思う。なぜなら、彼女の方がロレンシオよりも実績があるから。
「お前が国王になったら、ファルシエがより軍国主義に傾くのではないかという意見もある」
ラファエルがさらに囁いた。頬をつまんだ手は放されたが、グラシエラはおとなしくラファエルの話を聞いていた。グラシエラが口を開こうとすると、ラファエルは「ああ」と先に口を開いた。
「ああ。お前はそんなことしないだろうよ。だけど、お前の名前を利用してそういった法律を作る輩がいないとも限らない。戦争直後だしな……」
戦争直後に、軍備強化の法律を作りたいと思う心理は理解できた。しかし、それに自分が利用されるとなれば、グラシエラも黙ってはいない。……と思う。たぶん。
「私は、お前が自分の国にいたくないと言うならこのまま連れ帰ってやる。父上の許可はもらってるし、周囲も私が黙らせてやる。私は、お前に剣を取らせるつもりはないからな」
グラシエラははっとラファエルの顔を見た。その端正な顔には笑みが浮かんでおり、嘘を言っている様子はなかった。少しだけ、グラシエラの心が揺れる。
彼女という力を、ファルシエは放っておかないだろう。ラファエルの所に行けば、護ってもらえるかもしれない。もう、戦わなくていいのだから。
戦争は、終わったのだから。
不意に、自分が戦場で死ねたらどんなにいいだろう、と思っていたことを思い出した。あの時はもう、自分は戦いたくないのだと思っていた。しかし、いざ戦争が終わってみると、それは違う気がした。
戦いたくなかった?
いいえ。たぶん、自分は戦わずには生きていけなかった。
私は、自分が戦うことでしか生きられないことに気付いていた。
のちに聞いたところによると、そう言った症状は戦争経験者に多いのだそうだ。戦って、人を殺すことでしか生きられない。剣を振るうことでしか生きられない。なぜなら、それしか生き方を知らないから。なぜなら、それがあたりまえの日常だから。
なぜなら、戦うことでしか自分の価値を見いだせないから――。
グラシエラは一度目をつむった。自分は、戦場でしか生きられないのかもしれない。少なくとも、戦場では自分は必要とされた。なら、今はどうだろうか。
平和に近づいた今、自分にどれだけの価値があるだろう。ただの一王女の自分に、どれだけの価値があるのだろうか。青春時代のほとんどを戦場で過ごしたグラシエラにはわからなかった。少なくとも、女としての価値は低いのではないかと思う。彼女には、治癒魔法でも消しきれなかった傷跡がいくつも残っていた。
ゆっくりと目を開けたグラシエラは、ラファエルに静かに言った。
「……ありがとう、ございます。ラファエル殿下の言葉がうれしくないわけではありませんが……私は、ファルシエに帰ります」
じっとグラシエラの顔色をうかがっていたラファエルはやや間をおいてから口を開いた。
「そうか。気が変わったら言えよ」
「そんなことを言わずに、早く王太子妃を娶ってくださいね」
そうでないと、夢を見てしまうかもしれないではないか。自分が彼の隣に立つ夢を。多くの人の命を奪った自分に、そんな夢は見られない。見てはいけない。
何より、グラシエラは、自分が戦場でないと生きていけないと気付いてしまった。
だから、そんな悲しそうな目で私を見つめないで。
*+ ― ○ ― + *
のちに『ユルフェ条約』と呼ばれる魔法大戦の講和条約は、メルフィス暦1521年8月26日に締結された。条約会議開始から約2週間後のことだ。やはり、エンブレフ帝国側が大した抵抗を見せなかったことが大きいだろう。そのため、会議は特に白熱することもなく、彼の帝国が異常に不利、という項目もなかった。
主な条約内容として、国境線を戦争前の状態に戻す事、海上の利権も同様。エンブレフ帝国第1皇子オリヴィエは1代限りの相続権放棄、彼の子には相続権を認める。相続権放棄により、前皇帝アルフレードを殺害したことを不問にする。貿易は以前の通り行うこと。帝国側は撤収させた各国の大使館をもう一度受け入れること。人質としてファルシエに皇女を差し出す事。などなど。これは条約内容のほんの一部にすぎない。賠償金云々、軍備縮小などの項目も存在する。
戦争の停戦条約としてはかなり甘い条約だろう。のちに終戦条約を結ぶらしいので、その時にもっとちゃんとした条約内容とするそうだ。
そして、ファルシエの宮殿アーレ・レーギアに戻ってきたグラシエラは―――、
引きこもっていた。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
かなり王道な展開だと思うのですが、読んで下さってうれしいです……。
講和条約の内容はあまり詳しく考えてませんが、たぶん、エンブレフ帝国は無条件降伏だと思います。
作品内でグラも言っていますが、あのまま戦っていれば、ファルシエは帝国に負けていた予定です。つまり、ミューラン同盟側はエドアルドに助けられたことになります。軍事国家のファルシエが勝てなければ、いったいどこの国が帝国に勝てたでしょうか?
まあ、同盟って言いつつ、共同戦線を張っていなかったことに問題があると思うんですけどね。
ちなみに、ファルシエは『LOST SPELL』に登場するコーデリア女王統治のファルシエ王国と同じ国です。まあ、国境線は変わっていそうですけど。




