the significanece of existence - 1
『LOST SPELL』の姉妹作となります。約300年前の魔法大戦の話です。ちょっと重いかもしれません。別に『LOST SPELL』を読んでなくても読めると思います。
話の切れ目が微妙なので、読みにくかったらすみません。
どこを見渡しても戦場、だった。戦に出るようになって早3年。この戦争が始まってから、すでに10年近く経過している。
時は16世紀、メルフィス暦1521年。世界は、戦争の真っただ中であった。
この戦争は、メルフィス暦1512年に勃発した。当初はこのレイシエリル大陸の大半を占めるエンブレフ帝国の領土拡大戦争だった。これに脅威を感じた彼の帝国の周辺国家が同盟条約を結んだ。通称、ミューラン同盟と呼ばれる。主な国家は魔術大国ローデオル、近代国家アルビオン、情報国家セレンディ、そして、軍事大国ファルシエ。それに、大陸に点在する小さな諸国家が同盟国だ。
主だった同盟国の中で、エンブレフ帝国と国境を接しているのはファルシエ王国だ。セレンディ王国も接していることは接しているが、一部だけだ。そもそも、セレンディは北部にあり、竜骨ともいわれる険しい山が邪魔して、エンブレフ側からは攻めにくくなっている。
よって、エンブレフ帝国が西側に進出しようとしたとき、真っ先に狙われるのがファルシエだった。
ファルシエは、軍事国家と名乗るだけあって、かなりの軍事力を有する。精錬度だけなら、エンブレフ帝国にも劣らないだろう。この大帝国は、数に頼った物量戦を主な戦法として用いていた。
ともあれ、いくらファルシエの軍人が優秀だろうと、指揮官も優秀でなければ数で勝る帝国には勝てない。天才でなくていい、ただ、平凡にそれなりの指示が出せる人であってくれ。それが、戦場に向かう軍人たちの思いだった。
そして、メルフィス暦1521年現在。ファルシエの指揮官は、最強と言われていた。
ファルシエの王都はクレアーレという。王都の中心には宮殿アーレ・レーギアが存在する。質実剛健を絵にかいたような城であるアーレ・レーギアは見た目よりも実用性にこだわった、事実上の要塞だった。
ファルシエの第1王女グラシエラはアーレ・レーギアに約半年ぶりに戻ってきた。宮殿の廊下を歩くと、まるで奇異なものを見るような目でみんなグラシエラを見つめた。
「帰ってきたのか」
「今回も勝ったらしいわね」
「こんなに連勝が続くなんて、おかしいだろ。帝国と手を組んでるんじゃないだろうな」
聞いてわかるように、廷臣の中にはグラシエラ否定派が多い。女だてらに戦争の指揮を執るのが気に食わないものや、政治的要因が関係してくることもある。
グラシエラは、王妃エリアナの娘である。ファルシエの有力貴族出身のエリアナの母にもつ彼女だが、先ほども言ったように好意的な意見は少ない。エリアナが現在、病に伏し、その権力が斜陽にあるからだ。
ファルシエ国王には第2夫人と第3夫人がいる。どちらもファルシエの貴族の娘だ。王妃の権威が傾きつつある今、この2人が次の王妃の座を狙っていた。
外憂内患。まさに、そんな言葉がふさわしいだろう。ファルシエはエンブレフ帝国との戦争の最前線でありながら、内乱の危機にも瀕していた。
王妃エリアナにはちゃんと息子がいる。第1王子で、王太子だ。ただ、ここに少し問題があった。
王族の男の義務として、戦の際には出陣し、軍の指揮をとらなければならない。グラシエラの兄でもある第1王子は、この戦争に参戦していなかった。話は、4年前にさかのぼる。
4年前、この戦争がまだかなり荒れていたころ、当時15歳の第1王子ロレンシオは初陣を飾った。2歳年下で13歳だったグラシエラは、魔術師として同行した。もちろん、後方支援だ。とはいえ、あの時、13歳の娘が従軍すると聞いて止めなかった父王はかなり頭がおかしいと思う。
同じ両親を持ちながら、はっきり言って、兄ロレンシオは平凡だった。どれも人並みにはできるが、特出したものはない。妹のグラシエラから見てもそうなのだから、ほかのものもそう見ているだろう。ちなみに言っておくが、グラシエラは兄のことは好きだ。
ロレンシオは初陣で激戦に遭遇した。とても、初陣の指揮官が勝てる戦いではなかった。だから、ロレンシオは撤退することを軍に指示した。
だが、撤退戦というものは難しい。危なっかしい兄の指示を見ていたグラシエラは、とっさに兄の代わりに全軍に指示を出した。
グラシエラには意外なほど戦に対する才能があった。後から聞いたのだが、あの時の戦いは実戦経験のほとんどない者が撤退戦を行えるような代物ではなかったらしい。だから、兄の不手際はむしろ正常なのだそうだ。
つまり、グラシエラがおかしい。
このときのグラシエラの手際を聞いたファルシエ国王は、グラシエラに指揮官としての教育を徹底的に行った。不完全だった剣の腕も磨き、1年後には今のグラシエラの姿が出来上がっていた。指揮官としてのグラシエラが完成するとともにロレンシオが指揮官として戦争に行くことはなくなった。この状況がファルシエ宮廷を微妙な勢力争いへと導くことになった。
もともと、王妃である母エリアナはあまり体が強くない。身分で選ばれた王妃であるし、そのうち倒れるであろうことは予測されていた。そのため、彼女の子供たちはある程度覚悟できていたといってもいい。だが、ここでグラシエラの意外な才能があだとなった。
第1王子であるロレンシオが王太子としてその力を発揮していれば、王妃側の勢力が衰えることはなかった。しかし、うっかりグラシエラが戦に対する才能を開花させてしまったため、王太子には『無能』のレッテルが張られることとなった。
ならばグラシエラが王になればどうだという話がないわけではないが、基本的にファルシエでは女性に相続権はなかった。やむを得ない事情で爵位を継ぐことはあるが、男系の跡継ぎがいる場合は相続権は発生しない。兄も弟もいるグラシエラが王位を継ぐことはないだろう。
もうひとつ、問題となっているのがロレンシオが従軍していないのに対し、第2王子が従軍していることだ。それより下はまだ戦に出る年齢ではないことになる。第2王子はまだ一軍を任されるほどではないが、ロレンシオと同じくらいは指揮の取れる少年だった。それに比べロレンシオは「ダメ」だと思われているようだが、同母の兄弟であるグラシエラが特出しすぎていただけで、ロレンシオも指揮をとれないわけではない。
グラシエラが、兄の名声を奪った。一部の人にはそう言われている。
戦に秀でた娘を戦地にやるのは国王として当然の判断と言える。人間的にはどうかと思うが、才能あるものが指揮を執る方が勝つ確率が上がる。国の利益と安定を求める国王の判断を誰が責められようか。
「グラ」
「兄上」
グラシエラを愛称で呼ぶものは少ない。母と兄と一部の親族だけだ。その1人である兄ロレンシオが微笑みながら近づいてきた。
「また勝ったそうだね。おめでとう。さすがは君だね…」
「まだまだ未熟です」
社交辞令をさらりと口にしたグラシエラに、ロレンシオは悲しげな表情を浮かべた。しかし、直ぐに表情を取り繕う。
「母上が君が帰ってきたと聞いて、会いたがっていたよ。行こう、グラ」
「わかりました」
この国に後宮はない。この王城と呼ばれる建物で王も妃もその子供も暮らしている。王妃である母がいる区画はかなり広い。今の王妃の状況を表すように、その区画は静かだった。
「母上。ロレンシオです。グラが帰って来ましたよ」
ロレンシオが軽くノックをしてなかに呼び掛けると、直ぐに扉が開いた。王妃つきの侍女が笑みで迎えてくれる。
「グラシエラ様。お帰りなさいませ」
「ああ。ただいま」
侍女にも挨拶をしながら部屋中に入る。ソファに腰かけた女性を見て、ロレンシオが驚きの声をあげた。
「母上! 起きても大丈夫なんですか!?」
「ええ。グラが帰って来ると思ったら寝てはいられなくて。グラ、こっちに来て顔をよく見せて」
久しぶりに会う母にどんな反応をしていいかわからず、少し離れていたグラシエラをエリアナは呼んだ。ゆっくりと笑みを浮かべる母に近寄る。
エリアナの前に膝をつくと、母はグラシエラの頬を両手で挟んだ。
「少し痩せた? ちゃんと食べて眠らなきゃダメよ」
グラシエラはぐっと唇を引き結んだ。少女時代の殆どを戦場で過ごしているため、上手な感情表現ができない。それでも、思うことはある。
……痩せたのは、母の方だ。母はこんなに小さな人だっただろうか。
半年近く会わなかったからよりそう感じるのかもしれない。自分は親不孝者だと思う。母はこんなにグラシエラのことを思ってくれているのに、自分は何も返せていない。
「……母上こそ、無理せずちゃんと寝ていてください」
「まあ。心配してくれるの?」
エリアナはさも嬉しそうに言う。そこに扉が勢いよく開き、妹が入ってきた。
「お姉様!!」
第3王女フェリシアナはグラシエラの3歳年下の妹だ。長身のグラシエラとは違い、小柄でエリアナに似ている。
「お帰りなさいませ! お元気そうで何よりですわ!!」
フェリシアナは離すものかと言う勢いで抱きついてきた。それを見てエリアナが笑う。ほほえましげな様子に、ロレンシオの頬も緩んだ。
「マカリア、お茶を入れてください。少し休憩します」
「わかりました」
エリアナは侍女の女性に向かって指示をだした。彼女に促されて兄のとなりに座った。
「グラ、今回はいつまでいられるの?」
余程グラシエラが戻ってきたことがうれしいらしい。エリアナはニコニコしながら尋ねた。自分が戻ってきたことをこんなに喜んでくれる人がいる。そう思うと嬉しいと共にむず痒い気もする。
「3日後、ローデオルから援軍が来るのを知っていますか? オルドアに展開する帝国軍を押し返すためです」
唐突に違う話を始めたグラシエラに戸惑いながら、エリアナが頷いた。グラシエラはため息をつくように言った。
「私は彼等が到着しだい、共にオルドアへと向かいます」
沈黙が降りた。事前に情報を得ていたはずのロレンシオでさえ何も言わなかった。エリアナのカップを持つ手が細かく震えている。
「……陛下は再び、あなたを死地へと追いやるのですね」
「現在、ファルシエ王族で最も戦果を挙げているのが私です。当然のことでしょう。戦略的に見て最善の判断と思います」
グラシエラは自分のことをさらりとそう表現した。別に過大評価はしていない。この戦争において、グラシエラは現在、もっとも優秀な指揮官の1人だといわれている。もう1人有名なのはエンブレフ帝国の皇太子エドアルドだ。
オルドア草原は、クレアーレからまっすぐ東に向かった国境に位置する。つまり、ここが攻め落とされれば、帝国軍はまっすぐ王都に向かってくることができるということだ。軍略上、重要な位置である。ここが帝国に取られるとシャレにならない。そのため、国境オルドア草原に展開している帝国軍をたたきに行くのだ。帝国に面していることで、戦力が方々に裂かれているファルシエは戦力不足だ。ゆえに、同盟国であるローデオルから兵を派遣してもらった。
ほかにもセレンディやアルビオンなどの同盟国がいるが、ローデオルを選んだのはかの国が魔法大国だからだ。グラシエラは魔法戦士を欲していた。
ファルシエは軍事大国だ。かなりの軍事力を有するが、魔法戦士は少ない。いや、魔術をつかえる兵は多い。多いというかほとんどの兵は使えるだろう。ただし、そのほとんどは肉体強化、視力強化などの単純な魔法だ。ファルシエの武人は自分の手で敵を打ち取ることを至高としており、細かい魔法が使えるものが少ない。いわゆる、脳筋というやつだ。
脳筋でない人材を得るために他国を頼る、というのは何かが違う気がしないでもないが、ファルシエは深刻な人材不足なのだ。仕方がない。
ファルシエは善戦している。それは間違いない。しかし、数による人海戦術をとる帝国を相手に、被害皆無というわけにはいかない。ファルシエ軍には血の気が多いものが多く、敵に突っ込んでいくのだから、被害のほども知れようというものだ。
「……本当は、私が行くはずなんだ。すまない」
「いえ。兄上が行くよりははるかにましかと思います」
申し訳なさそうにするロレンシオに、グラシエラは即座にそう反論した。兄に戦の才能がないわけではない。何度も言うが、グラシエラがおかしいのだ。指揮官としての才能も、ただの戦士としての才能も、グラシエラのほうが上だ。グラシエラが魔法戦士であることを差し引いてもおつりがくるくらいには差がある。
「大丈夫ですよ。いつも通り、ちゃんと戻ってきますから」
不安そうなエリアナとフェリシアナに向かって言う。妹のフェリシアナはグラシエラの話を聞いている間、ずっと黙ってうつむいていた。
自分の行動が、母や妹たちを傷つけている。そう思うこともあるが、たぶんもう、グラシエラは戦場でしか生きられない。
戦場で、戦って死ねたら幸せなのに。
最近、本気でそう思うことが多くなった。
* + ― 〇 - + *
ローデオルからの増援部隊が到着した。戦士、魔法戦士、魔術師部隊、その他衛生兵。全部合わせて5500人。かなりの数だ。今までミューラン同盟に参加しながら戦争に苦しむファルシエに見向きもしなかったローデオルが人員の大盤振る舞いだ。どうしたのだろう、と勘繰ってしまうのは仕方がないだろう。
グラシエラは父王カルロスと王太子ロレンシオとともにローデオルからの増援部隊の指揮官を迎えた。
驚いたことに、指揮官はローデオル王太子ラファエルだった。副官はウェルフェルト公爵家のアレクシスと名乗った。ウェルフェルト公爵家といえば騎士と軍師を排出する名門貴族だ。傍流王族でもあり、戦争、謀略、暗殺、なんでもござれのその性質から裏王家と呼ばれている。
「お久しぶりです、カルロス陛下。ご健勝のほど、うれしく思います」
金髪碧眼。典型的なローデオル人の端正な顔立ちをしたラファエルがにこやかに言った。好青年といった印象のラファエルに対し、アレクシスは精悍な顔立ちをしている。年はロレンシオとさほど変わらないはずだが、その落ち着きからもっと年上に見えた。
「ラファエル殿も元気そうですな。この度、増援を出していただいて感謝いたします……王太子のロレンシオはご存じですね? こちらが第1王女のグラシエラ。今回、オルドアに向かわせます」
王が簡単に子供たちを紹介した。グラシエラもロレンシオも軽く頭を下げる。ラファエルは戦に来ているとは思えないほど穏やかに笑った。
「ロレンシオ殿下、小さいころ一度お会いしたきりですね。お久しぶりです」
「ええ。ラファエル殿下もお元気そうですね」
ロレンシオもやるく微笑みそういった。続いて、ラファエルはグラシエラのほうを見た。
「あなたが『夜の女王』か。ご高名はかねがね。よろしくお願い頼む」
「……」
グラシエラは差し出された手を見て、何度か瞬きした。他国からの指揮官を何度か迎えたことはあるが、こんな対応のされ方は初めてだった。
「よろしくお願いいたします、ラファエル殿下。第1王女グラシエラです」
「『夜の女王』に名を呼んでもらえるとは。光栄ですね」
ラファエルが邪気なさそうににこりと笑う。彼の隣でアレクシスが少しあきれたような表情をしている。
『夜の女王』。簡単に言うと、グラシエラの二つ名だった。黒い髪に黒い軍服。アイスブルーの冷徹なまなざし。さらにグラシエラが女性であることも含めて、彼女は『夜の女王』と呼ばれている。その神がかり的な戦闘力に対し、敬意と恐怖を混ぜ合わせた名称だ。他にも『戦姫』や『地獄の女神』などといろいろな呼ばれ方をされているらしい。
らしい、というのはすべて又聞きで、グラシエラ自身が確かめたことはないからである。
「それと。もう1人……ああ、いたいた。エルシリア!」
ラファエルが呼ぶと、「はい」と1人の少女が出てきた。年はグラシエラと同じくらいだろうか。淡い金髪にジェイドグリーンの瞳をした美少女である。まとったローブにはローデオルの国章が描かれている。
「彼女がご所望の魔術師部隊を率いるエルシリア・フォルテアです」
「初めまして」
にこり、と腹黒そうなラファエルとは違い、本当に邪気なさそうに笑い、エルシリアはグラシエラを見上げた。若すぎる気もするが、17歳のグラシエラが戦闘指揮をとっていることを考えると、そんなものかもしれないという気もしてくるから不思議だ。
* + ― 〇 ― + *
ローデオルから増援部隊が到着して10日後。グラシエラはオルドア草原に面する砦、エスカランテに来ていた。エスカランテ砦を守っていたのはグラシエラの父方の従兄、つまり国王カルロスの姉の息子にあたるアミディオ・エンリケスだった。彼も優秀な指揮官である。グラシエラに対しても含むところなく接してくる人だ。
彼を追い出すようなことをせず、アミディオ、グラシエラ、ラファエルの3人で会議を行うことが多くなった。そして、それにそれぞれ副官らが同席する。そして、グラシエラにはラファエル側の付添人の視線が突き刺さっていた。
「……すみません。エルシリア殿」
「まあ、グラシエラ殿下。あ、『夜の女王』陛下とお呼びした方がいいのかな」
会議が終わった後、声をかけたグラシエラにエルシリアは嬉々としてそんなことを言う。ローデオルから派遣された魔術師部隊長がこれで大丈夫なのだろうかと思わないでもない。
「……グラシエラで結構です。全く覚えがないのですが、私、エルシリア殿に何かしましたか?」
「えっ?」
本気で驚いたような声をあげられて、グラシエラのほうが驚く。
「ずっと私のほうを見ておいででしょう」
そういうと、エルシリアは納得したように「ああ」とうなずいた。そしてにこにこと笑う。
「ええ。気になりましたから」
「気になる、ですか?」
聞き返したグラシエラに、エルシリアはあくまでにこやかに、かつ、軽い口調で言った。
「グラシエラ様、無理をしていません?」
「……は?」
首を傾けたグラシエラに、エルシリアはあくまでにこにこと笑顔を崩さない。不思議そうなグラシエラに対し、エルシリアは言った。
「私、誰かが泣く声が聞こえたからここに来たんです。誰かが助けてって叫んでた。あ、私、精神感応系の能力があるんです。まあ、テレパシーの一種ですよね」
エルシリアは一歩、グラシエラのほうに歩み寄る。
「この国に来てから、声が強くなりました。この砦に入ってからは、毎日のように声が聞こえます」
「――――っ!」
グラシエラは足を後ろに引いた。
怖かった。自分の心が見透かされたようで。
恐ろしかった。戦いたくないのだと言ってしまいそうで。
「グラ!」
名を呼ばれて振り返ると、エスカランテ砦の指揮官である従兄のアミディオが足早に近づいてきていた。胡乱気にエルシリアの方を見る。
「お邪魔でしたか?」
「いいえ。どうしたの?」
グラシエラは首を左右に振ってアミディオにそれ以上聞いてくるな、と伝えた。アミディオが軽くうなずく。
「グラ。確認してほしいことがあります。いいですか?」
「わかりました。では、エルシリア様。また後程」
「あっ、待って!」
アミディオについて行こうとしたグラシエラの手を、エルシリアが引っ張って止めた。驚いて振り返った。すると、彼女は妙に真剣な顔をしていた。
「お願い。耐えきれなくなったら、私に言って。私は、あなたの味方でいたいから」
「……一応、記憶にとどめておきます。では」
グラシエラはエルシリアの手をほどくと、アミディオについて廊下を歩きだした。エルシリアの姿が見えなくなったあたりで、アミディオが尋ねた。
「どうかしたんですか? 顔色が悪いですけど」
「……なんでもない」
本心を見抜かれそうになって動揺した、とは言えなかった。今は自分に嘘をついてでも戦わなければならない時だ。グラシエラがくじければ、士気が下がる。だてに『戦姫』とは呼ばれていない。
グラシエラは勝ちたいわけではなかった。ただ、みんなに死んでほしくなかった。その願いから遠く離れ、こんなところまで来てしまった。それでも、自分の根本にあるものは変わっていないつもりだった。
しかし、戦って死ねたら幸せかもしれない。そんな思いを否定することができなくなっているのも事実だった。
* + ― 〇 ― + *
エスカランテ砦に来て3週間。その間に、2度戦闘があった。指揮官でありながら最前線で戦うグラシエラは2度目の戦闘で負傷した。幸い、衛生部の医療系魔術師が優秀であったこともあり、体に別状はなかった。しかし、3日の安静を言いつけられていた。
また、死ねなかった。
ベッドに横たわりながらそんなことを考えている自分に気づき、愕然とする。
エスカランテ砦でグラシエラに与えられた部屋は、かなり上等なものだった。現在、グラシエラ、アミディオ、ラファエルと、指揮官が3人いる状態だがかなりうまく回っていると思う。グラシエラの負傷は、出すぎていたアミディオ部隊の撤退戦のしんがりを務めたからである。アミディオも共にいたが、負傷したのはグラシエラだけだった。このあたりに男女の差が出ているといえる。
2度戦闘があって、わかったことがある。帝国側の指揮官は皇太子エドアルドだ。30代も後半の彼は、大戦初期から最前線で指揮を執っている。3年軍隊を率いただけのグラシエラがこれだけすさんだ精神状態になるのだから、10年もこの生活を続けている彼はどうなのだろう、と思う。
グラシエラがエドアルドと直接対決するのは初めてだった。いくら最も優秀な指揮官の1人と言われていようと、グラシエラはエドアルドに比べて経験が不足していた。それは22歳のアミディオもそうだし、19歳のラファエルにも当てはまる。
オルドア草原を守ることは難しいかもしれない。オルドアに展開している帝国軍を押し返せというのが命令だが、今の防衛ラインを守るので精いっぱいだ。ラファエルが連れてきてくれたローデオル軍の式が低いのもあるだろう。彼らのせいにするわけではないが、ローデオル軍とファルシエ軍の間には埋められない士気の温度差があった。
ローデオルが実際に帝国と領土を接していないためだ。国を侵略されるという認識が薄ければ、戦おうという意識が低くなるのも仕方がない。
考えすぎても仕方がない。そう思い、ベッドから起き上がると部屋から出た。怪我はまだ治りきっていないが、歩くくらいは問題ない。少し散歩をして気を晴らそうと思った。
砦では人々がせわしなく動き回っている。戦闘中でなくとも、やることはたくさんある。グラシエラは窓の前に立ち止まり、青く晴れ渡る空を見上げた。
「『夜の女王』には昼は似つかわしくないかい?」
よくわからない言葉を投げかけられた。見ると、ラファエルがいつの間にか隣にいた。
『夜の女王』。グラシエラの黒髪と黒い軍服から来た二つ名であり、決してグラシエラが夜の覇者であるということを示しているわけではない。
「……何か用でしょうか」
相手は一応王太子なので、失礼にならない態度で尋ねた。彼は苦笑すると尋ねた。
「怪我の具合はどうだ?」
「……上々です。ローデオルの魔術師は優秀ですね」
「当然だな。あとでエルシィにも診察するように頼んでおく。彼女は優秀な魔法医だからな」
「ありがとうございます」
エルシィというのはエルシリアの愛称らしい。時々、彼女と話をするようになった。といっても、彼女が一方的に話しかけてくるのだが、どうやら、エルシリアは魔術貴族の出身らしい。
魔術貴族とは魔術師を排出する貴族のことだ。さほど位は高くないが、その特異な性質ゆえに徴用されるらしい。エルシリアの生家であるフォルテア男爵家はかなり古くから続く魔術貴族らしかった。ということを彼女は一方的にしゃべってくれた。
エルシリアのことは、嫌いではない。はじめは本心を見抜かれたようで落ち着かなかったが、以降、彼女がその話題に触れることはなかった。むしろ、最近は普通に話しかけてくれることがうれしいと思うようになっていた。そう。まるで、同性の友人のような感じがした。
もしも、グラシエラが戦場に出なかったら、このようにおしゃべりをする友達ができていたのだろうか。グラシエラの性格では難しい気はするが、たぶん、友人の1人や2人はできていただろうと思う。
とはいえ、考えても詮無いことだ。グラシエラは今戦場にいて、友人を作ることよりも重要なことがあるのだから。
「なあ、『夜の女王』陛下。聞いてみたいことがあるんだ」
「なんですか。それと、『夜の女王』ではなく普通に名前で呼んでほしいのですが」
ラファエルはグラシエラを呼ぶとき『夜の女王』と呼ぶ。その二つ名が自分ではない誰かを指しているような気がして、グラシエラはその呼び名があまり好きではない。なので、ここで訴えてみたのだ。
「グラシエラってか? ああ、シエラって呼んでもいいか?」
まったく悪びれない調子で言ってのけたラファエルに、グラシエラは無駄だと理解しながら言った。
「私の愛称はグラです」
「わかってるよ。ただ、シエラのほうがかわいいからな……それはともかく、聞いてもいいか?」
「なんですか」
「シエラは何で戦ってるんだ?」
グラシエラは思わずその質問を発した青年の顔をまじましと見た。切れ長気味の碧眼を有する目。エルシリアとは違った意味で見透かされそうで居心地が悪かった。
「……誰かがやらなければ、戦争は終わりません」
模範的な解答をするグラシエラに、ラファエルは面白くなさそうに言った。
「別に君でなくてもいいだろ? あんたは王女だ。王宮の奥で笑って過ごすことだってできたはずだ」
ラファエルはそういうが、本当にそうして暮らしていたら、おそらく、彼にさげすまれただろう。愚かな娘だと。それはさすがにかなしい気がする。
「……私には見て見ぬ振りができなかった。だから、戦います」
「戦争が好きなわけじゃないのか」
「……誰が好き好んで、戦場になんか行きますか」
「じゃあ、なんでここにいるんだ?」
ただ単純に疑問に思っただけのような声音。しかし、グラシエラはラファエルがわざとそんなことを聞くのだと気付き、カッと頭に血が上るのを感じた。
「誰かがやらなくては、みんな死んでしまいます! 私が初めて戦場に出たときだって、あの時、私が兄に代わって指揮をとらなければもっと多くの人間が命を落としていました! 」
「その代わりに、あんたはどれだけの命を奪ってきた?」
ラファエルの静かな言葉に、ただただ衝撃を受けた。そう。守るということは人の命を奪うということ。はじめの頃は人の命を奪うことにためらっていた。しかし、気が付けばそれを当たり前のことと受け入れている自分がいる。
グラシエラの心は、確かに風化していた。
「……それでも! そうしないと、大切な人たちが死んでしまう! 私が最も戦に関してすぐれていた! だから……」
戦わなければいけないと思った。自分が。どうして? 考えてみれば不思議だ。兄のロレンシオとてグラシエラには劣るが指揮を執るだけの能力はあるのだ。彼に任せておけばよかった。グラシエラが戦場に出るようになったのは父であるカルロス王に命じられたから。
王命に背くことは基本、許されないが、あの時拒否していれば、グラシエラの運命は少しでも変わっていたのだろうか。
だけど、後悔する気がする。できるのに、やらなかった。その事実が逆に、自分を追いつめる気がする。
グラシエラは唇をかんだ。戦場に出るようになって、こんなに悩んだのは初めてかもしれない。彼女の様子を見ていたラファエルは不意に言った。
「そうだなぁ……あんた、私のところに嫁に来るか?」
「……はぁ?」
グラシエラは思いっきり不審げな表情でラファエルを見つめ返した。彼の言葉が衝撃的過ぎて一瞬頭が真っ白になった。なにをどう考えればその言葉に行き着くのだろうか。グラシエラはラファエルの思考回路に疑問を感じた。
そんなグラシエラを戸惑わせる目的としか思えない言葉を残し、ラファエルたちは代わりの指揮官と入れ替わりに国に帰っていった。
* + ― 〇 ― + *
メルフィス暦1521年初夏。グラシエラがオルドア草原のエスカランテ砦に配置されてから2か月が過ぎようとしていた。戦の準備を整えたグラシエラは後ろを振り返る。そこにはグラシエラとアミディオ、そしてローデオルの軍。ラファエルの代わりに派遣された指揮官は女性で、アレクシスの姉のフロレンツィアといった。年はアミディオと同じくらいだろうか。
いつだったかグラシエラが予見したように、この砦はもう持たないだろう。兵は疲弊し、防衛ラインは崩れかけていた。いくら指揮官が優秀だろうと、数の多さには勝てないということなのかもしれない。
「グラ。ため息をつかないでください。士気が下がります」
思わずため息をつきそうになったグラシエラに、アミディオがささやくように言った。グラシエラの左隣に彼は馬を寄せていた。彼と反対の隣にはフロレンツィアがいる。彼女はアレクシスと似た華やかな美貌に笑みをのせた。
「ま、戦争の神に祝福を受けた英雄だとか言われてれば、ため息もつきたくなるわよね」
グラシエラはぐっと手綱を握った。2人の言うとおりだ。ここでグラシエラがため息をついたりすれば士気が下がる。しかし、神に祝福を受けているなどといわれるのはもううんざりだ。誰かが背後からあおっているような気もする。
とはいえ、今はそんなことを考えている場合ではない。今を生き抜くこと。それが目の前の目標だ。
この戦いで、私は死ぬかもしれない。
毎回、そんな思いを抱えながらグラシエラは戦場へ行く。そして、そう思いながら彼女はいつも兵たちを鼓舞するのだ。
「みんな! 私があなたたちを家族のもとへ帰してあげる! 生きて帰るわよ!」
「おうっ!」
はっきり言って、ファルシエ軍のグラシエラへの崇拝率は異常だった。彼女が必ず彼らを生かして帰ってきたのもあるし、彼女自身が優れた剣士であることもかかわっているのだろう。よくわからないのだが、一般の兵たちは「あ、こいつについて行けば死ななくてすむ」と思える人について行くらしい。
「さすがですね、グラ」
「私でも、思わず、あ、ついて行こうって思っちゃうくらいには求心力があるわね」
苦笑気味にアミディオとフロレンツィアが言った。フロレンツィアは求心力といったが、グラシエラは崇拝に近いと思っている。求心力があるってレベルではない。
グラシエラは戦に出るときはなるべく自分が先陣を切るようにしている。その方が士気が上がるためだが、そんなことを考えるグラシエラは卑怯なのかもしれない。そして、追随するようにアミディオとフロレンツィアも先陣を走るようになっていた。
さあ、行こう。
馬を走らせようとした瞬間、声が響いた。
「お待ちを! 姫様、お待ちをーっ!!」
グラシエラは驚いて声のした方を振り返った。この中で姫と呼ばれるのはグラシエラくらいである。馬で疾走してきた若い男は、ファルシエ軍の軍服を着ていた。伝令係のエンブレムをしている。
「どうした。何かあったか?」
「エンブレフ帝国の皇帝が身罷りました」
伝令係のその言葉に、アミディオとフロレンツィアが反応した。
「皇帝が!?」
「死んだってこと!?」
伝令係は「はい」とうなずくと再びグラシエラのほうに顔を向けた。
「新たな皇帝には皇太子エドアルド殿下が即位なさる模様です。エドアルト殿下は停戦に向け、ミューラン同盟軍に降伏宣言を発表いたしました」
グラシエラは思わずアミディオの顔を見た。アミディオも驚いた表情でグラシエラのほうを見る。
降伏宣言。
つまり、自分は負けたと宣言したのだ。良識があるというか、勝てる可能性があるのに負けを認めるというのは、どんなに勇気のいることだっただろうかと感じる。期待を裏切るのは怖い。市民の反感も買うだろう。
だが。今考えるのはそこではない。
「……停戦。………戦争が、」
終わる。かもしれない。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
『LOST SPELL』をお読みでなくても話は分かる……と思うのですが、どうだったでしょうか?更新速度はかなり遅くなると思いますが、書きたくてストレスがたまりそうだったので書きます。
今回の主人公・グラシエラは軍事大国ファルシエの第1王女です。本当は短編になる予定だったのですが、長くなりそうだったので切りました。
よろしければもう少しおつきあいください。




