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自転車部シリーズ  作者: はせがわ
高校時代編
6/9

群青色の関係3

 日が過ぎるのは早いもので、あの柳とのデートとも言えるお出掛けから、もう二日も経っていた。

 月曜、火曜と特に変わったことは無かった――柳の私に対する態度が、いつもより硬いことを除けば。

 何かをしてしまった覚えは無い。けれども、心当たりはある。



 兄貴、伊那さんとの邂逅だ。


 そういえば、あの後から柳の私に対する態度は心無しか硬かった様な気がする。気のせいかもしれないが。

 会話をしても、いつもよりも続かない。ふいっと背けられる顔。わざと瞳から外す視線。

 どれをとっても、微妙に避けられている様な気になるのだ。


「というわけで、幼馴染のリカちゃん。どうすればいいのか、ご助言を!」


 そして、ここは学食だった。

 周囲の高校よりも立派だというのは専らの噂で、たしかに一見するとカフェテラスのようなお上品さがある。ただ、外装以外――つまり中の雰囲気はがやがやとした学食そのものなのだけれど。

 私は、困った時の自称恋愛マスターリカちゃんを、相談に乗ってもらうべくお呼び出ししたのだ。

 ただし、代償は高かった。

 日替わりAランチ(プリン付き)を奢ることになってしまった。というのも、それは単純にリカちゃんが財布もお弁当も忘れたことに、所以(ゆえん)しているのだけれど。

 リカちゃんは、私の言葉にすぐ笑った。


「あら、そんなの簡単じゃない。告白してしまえばいいのよ」

「無理です!」「ダメっス!」


 リカちゃんの言葉を間髪入れずに、勢い良く打ち返す。と、同時に後部から年下男子の声がする。

 振り返ると、存外すぐ近くにトーマくんが居た。その表情は少し凶悪だ。

 そのまま、自然に私たちが座っているテーブルの、開いていた席に着く。


「何、三野センパイをそそのかしてるんスか。そんなこと、俺が許す訳ないっスよ」

「本当に、桐麻くんはミノッチのことが好きなのねぇ」


 トーマくんの必死な様子がおかしかったのか、リカちゃんは手を口元に当ててクスッと笑みをこぼす。

 からかわれたと思ったのか、トーマくんは顔を真っ赤にした。

 そんな反応をするから、余計彼女に突かれるのに。

 大体、トーマくんは私に懐いてくれているだけで――


「そうっスよ。好きで何が悪いんスか。恋に年なんて関係ないっしょ?」


 ――恋愛として、意識している訳ではないのに


 そんな私の考えを、トーマくんは一言で打ち崩した。

 私はポカン、と固まる。

 どう反応していいのか、真偽の程を確かめるべく、リカちゃんとトーマくんの顔を数度、交互に見る。


「……え」

「え……?」


 私は思わず、声を漏らす。トーマくんは表情を凍らす。


「あらら。全然、本気にされてなかったみたいね、桐麻くん」

「マジっスか」


 ガクリとトーマくんはその場に打ち崩れた。テーブルに顔を突っ伏して、何やらぶつぶつと言っている。

 リカちゃんは愉快そうに、その様子を見ていた。

 原因である私が思うのも何だけれど、性格悪いよなあ、リカちゃん。


「俺…結構、頑張ってたと思うんだけどなァ」

「そうね、この鈍感娘以外は気付いてたと思うわよ」


 嘘でしょう?

 私は唖然として、二人を見つめる。

 だいたいトーマくんもトーマくんだ。あんなに露骨に好意を示されたら、ただ懐いてくれているだけと思うじゃないか。

 真っ当なのは自分で、悪くないし、ましてや鈍感じゃない。

 そう主張すると、リカちゃんは含み笑いで私を見た。


「柳ですら、知ってたわよ」

「えぇ、あの鈍感男が? 私なんかより、よっぽどニブいじゃないのよ、あいつ」

「他人の恋路だからか。……はたまた、ちょっとした理由からか。ともかく、ミノッチの動向は気にしてたみたいだからねぇ」


 口元に手を当てて歪んだ唇を隠すが、目尻がほんのり下がっておりニヤけたままであることが、簡単に窺い知れる。

 トーマくんはいつのまにか突っ伏していた様子から回復し、面白く無さそうに私に視線を向けた。


「あ……」

 どうしよう。今、一応…告白、されたんだよね?

 慣れない体験、というよりも初めての経験に戸惑って視線を彷徨わせる。

 そんな私に気がついたのか、トーマくんはふわりと微笑んだ。女の子みたいに儚げで、けれどもその眼は鋭くやっぱり男の子だった。


「返事は良いっスよ、今は。そのうち、絶対に好きにしてみせますから」

「でも……、」


 曖昧なままにしておくのは、なんとなく嫌だった。

 それに、きっとトーマくんを好きになれないと思う。

 だって私は――


「三野先輩が、俺じゃなくてアイツのことを好きなのは知ってますよ、そりゃあ。…でも、そう簡単に諦められはしないんです。特に、ライバルがアイツだって解ってるんだから」

「………」


 何も言えずに、私は沈黙する。ちらりと、リカちゃんを見ると複雑そうに眼を細めていた。


(リカちゃんは、柳のことが好きなのだろうか)


 そうだとしたら、なんて無粋な真似をしているんだろう、私は。

 心に浮かんだ考えを打ち消すだけの材料も無く、もしかして、と疑惑のみが膨れ上がっていく。

 その上に、幼馴染だ。それだけ長い間、近くに居たならそういう感情を持っていてもおかしくはないだろう。

 実際に一番仲が良い異性は、お互いにリカちゃんと柳なのだから。


(はあ…)


 心の中でため息を零し、私は口を開いた。


「ごめんね」


 口をついて思わず、謝罪の言葉が出た。

 私はリカちゃんに言ったつもりだったのだけれど、二人は勘違いをしてトーマくんに言ったものだと思ったようだ。


「謝らないでください。正直この場合、謝られた方が堪えるんスけど」

「そうよ、ミノッチ。引き際が悪いからって、傷口に塩を塗りなさんな」


 諭す様な二人の言葉に、私は「そうだね」と小さく同調する。

 もう一度、謝罪の言葉が口を飛び出しそうになって、それを必死に押さえつけた。

 このままここに居てしまったら、なんだか余計なことを言ってしまいそうな気がする。私は、次の授業の準備と適当に誤摩化して、その場を離れた。


 結局、午後の授業は集中出来ないまま過ぎ去った。

 テストはこの間終わったせいか教室全体の気が抜けていたので、私がぼーっとしていても、さして注意はされなかった。


(……今日は早く帰ろう)


 決意をして、さっさと学校を後にする。今日は顧問の先生が出張、副顧問の先生も都合が悪いらしく部活が出来なかった。

 この学校唯一と言っても良い校門を通り抜けようと、歩みを早める。駅までは少しある上に、雨も降りそうな天気なので憂鬱だ。今日に限って、折りたたみ傘も持っていない。


「ミノちゃんかしら?」


 少し高めのソプラノの声。綺麗だったが、何処かで聞いた事がある声質。

振り向くとそこには、ほんの少し《誰か》に似た女性が門にもたれかかるようにして立っていた。


 女性にしては背が高め。百七十センチメートルから百七十五センチメートルくらいはあるだろう。スーツ姿がよく似合う。それでいて細身なのだからうらやましい。

 ふわりとしたウェーブの当てられた茶色い髪を、ほっそりとした指で弄んでいる。その指の爪は丁寧に整えられており、綺麗な桜色のマニキュアが控えめに光っていた。


「はい、そうです」


 戸惑いつつ頷くと、女性は破顔して、髪をいじっていた両手を胸元で絡めた。


「よかった! ミノちゃんって、本当に三野のやつに似てるのねぇ…すぐにわかったわ。あ、それよりも! この後、時間あるかしら」

「はい。……えっと、あなたは?」

「ああ、いけない。自己紹介してなかったわね。私は柳真希。キミにお世話になっている柳のお姉様で、伊那の恋人。キミの兄貴とは、腐れ縁ね」


 そう言って、柳のお姉さんはクスリ、と笑いを零す。

 笑い方まで上品で、少しだけ気後れをしてしまった。

 ……というよりも、伊那さんの彼女と聞いた時点で一歩下がってしまうところはあるのだけれど。

 真希さんはモデルとまではいかないまでも、十人いれば七人が振り向く様な綺麗な人だった。そんな彼女と、伊那さん……お似合いなんだろうな。想像して、なんだかため息を吐きたくなった。

 美男美女。まさに理想的だ。

 寒色系のアイメイクがとても映えていて、涼しげである。そんな目元をじっと見つめていたら、真希さんは声をかけた。


「ねぇ、ちょっと駅前の喫茶店で話さない?」


 そのつもりで、待っていたのだろう。「そうですね」私が再び頷くと彼女はホッとしたように、先程まで私が見つめていた目尻を緩ませた。



 高校生同士では行けないようなお店、ちょっとだけ大人っぽい喫茶店へ私と真希さんは入った。

 私はお金が払えないからと言ったのだが、真希さんは「私のほうが年上だし、誘ったんだからもちろん奢るわよ」と言って聞かなかったのだ。

 あまりにも断り続けると失礼かと思い、結局そのお店へ入ることになったのだ。

携帯電話にメールが入っていたのか、席に着いた時に黄緑のそれを少しだけ操作して、彼女は話を切り出した。


「嬉しいなあ…あなたみたいな可愛い子と、あいつが付き合ってるだなんて」

「ふぇ…?」


 ストローをくわえたまま、私は妙な声をあげてしまった。後、すぐに否定する。


「付き合ってなんかいませんよ! 第一、柳にはリカちゃんと言う相思相愛の幼馴染が!」

「あれ、リッちゃんは、あの子じゃない子に片思いしてるって聞いたんだけど」

「嘘っ!」


 思わず、反射的に声を発する。

 嘘じゃないと言う真希さんは出任せを言っているようでは無く、私はそれに戸惑った。


「まあ、どっちにしろ…我が弟にその気は無いわよ。リッちゃんに至っては『アイツなんて願い下げよ!』って言いそうだし」


 クスクスと笑う真希さんは、それでもやっぱり美人だ。

 ストローを唇から離して、グラスの中に解放した。

 なんて言おうか。頭の中で慎重に言葉を選びながら、私は口を開く。


「柳にきっと、他意は無いんですよ。そりゃ、ちょっとは私のことを気にしているようですけど、それは部員として。他の子にもやってます」

「どうかしら。…まあ、仮にそうだとしてもキミは充分、あの子のテリトリーには入ってしまってるわよ。あの子は、認めた人間ではないと滅多に喋ることすらしないもの」


 それは、そうだろう。事実、周囲の人間や本人でさえも気付かない程、さりげなく避けられている同級生はいるのだ。

 そして、それだから不安になる。私は今それこそ、さりげなく避けられているのだから。


 だけれど。

 その反面で思い出すのは、いつぞやの大会である。

 彼は壊れ物でも扱うかの様にそっと、私の唇に人差し指を当てたのである。

 もう感触なんて思い出せないけれど、あのときの感情ならばそれは鮮明に思い出せるのだ。時間が経てば経つ程、それは想像力でカバーされて頑丈になる。


「テリトリーに入った人間をそんな簡単に追い出さない。交友関係は少なくても、見る目だけはあるしね」


 ふわりと笑った表情。それが、すごく彼女の弟に似ていて、胸が苦しくなった。


(ああ――)


 何かしらを悟りかけて、私はその考えを追い出した。

 ちらりと店の窓ガラスの外を覗くと、暗雲が立ちこめていた。本格的にヤバいなあとも思ったけれど、どうせここは駅前だ。

 早足で通り過ぎて行く通行人に目を向けて、ぼんやりとする。すると、その中の一人がこちらを振り向く。バチッと目が合った。


「え……柳」


 心底嫌そうな顔だった呆れたように一瞬身体から力を抜く動作が見え、こちらの店へ向かってきた。その間、真希さんは自分の弟にひらひらと手を振っていた。

 すぐに、柳はやってきた。


「遅かったわね」


 真希さんのにっこりとした笑顔。

 対する柳は、まさに生気を根こそぎ持っていかれた表情で、深いため息をついた。


「…何やってんだ、姉貴。三野も、知らない人間について行くなよ」

「小学生じゃないんだから、そんなの自分で判断するよ。柳には関係ない」


 つい突っ張って冷たく言うと、柳はもう一度ため息をついた。


「心配するから止めろって、言ってるんだ。で、姉貴は何のようだ? まさか、傘を届けさせただけじゃないよな」


 その言葉によく見れば、確かに柳は傘を二本持っていた。ああ、私も兄貴に持ってきて貰えば良いのか。いや、兄貴は家には居ないのだから二度手間か。

 どうせ、電車に乗って最寄り駅についたら、家まですぐなのだから。走って帰ろう。そう決めて、私は柳姉弟に視線を向け直した。


「うん、それだけ。ミノちゃんも傘、持ってないようだから、送ってあげて。ついでに、この機会に仲直りしちゃいなさいよ」


 どうやら、それが目的で柳を呼び出したらしい。

 ということは店に入ってすぐ、携帯電話を触っていたのもそのためか。

 真希さん。さすが、伊那さんの隣に並ぶ女性だというだけある。かなりの策士なのだろう。


「私はこのあと、伊那とデートだから。キミ達も明日は学校でしょ、あんまり遅くならないようにね」


 さらり、と言って真希さんは席を立った。そして、柳から水色と紺色の綺麗な傘を受け取る。


「会計はこれでお願い。……余ったら、ちゃんと返しなさいよ」


 後半は柳の方を見て言う。野口さんを数枚、柳に手渡す。

 彼女はそのまま、店を出て行った。

 外で傘をさし、喧噪の中に消えていく。



 残された私と柳の間には、微妙な沈黙が漂っていた。


「仲直りって言われてもねぇ…」


 私には、仲違いをした覚えは無い。

 それを主張するように、ぽつりと言葉を零した。


「……お前は平気だったのか?」

「へ?」

「伊那さんのことだ…姉貴と付き合ってるって、知らなかったんだろ?」


 そんなことを、気にしてたんだ。

 驚きに目を見開く私に、柳は気まずそうに瞼を伏せた。

 床を見つめる視線、どうにかしてこちらを振り向かせられないか。

 そう思案したものの思い浮かぶはずも無く、柳の問いに答えることにした。


「うん。私は、別に伊那さんに恋してた訳じゃないし。美男美女って素敵じゃない?」


 思いの他、早口になってしまった。不審に思いはしなかっただろうか。ちらり、と柳を窺い、変な目でこちらを見ている訳ではなかったので、密かにほっと息をついた。


「…あいつが美女って柄か? まあいい、帰るか」

「その前に、ちょっといい?」


 聞くと、柳は頷いた。

 何を聞くのか、と訝しげな表情をしているけれど、私は構わずに話を進める。

 尋ねると決めたんだ。ここで戸惑うと、聞けなくなる。


「柳、私のこと避けてたでしょ。私、なんかやった?」

「……いいや。それは、僕の問題だ」


 避けていたことは認めるらしい。

 けれども、その理由は頑として言うつもりは無いと、彼の目と口調が物語っていた。


「あと、トーマくんのことなんだけど……知ってた?」


 言いにくくて、誤摩化して言う。

 けれど、それだけで私の言いたいことが解ったようで、柳は頷いた。


「あれだけあからさまだったら、わかるだろ普通」


 呆れたようにため息をつく柳に苛ついた。


 ニブい。鈍感。

 そう言った旨のことが言いたいのだろうが、それはこちらの台詞だ。

 だが、それは告げない。それだけの覚悟が、まだ無い。


「で、どうするつもりなんだ?」


 その言葉に、一瞬答えられなかった。

 促す様なその視線は、けれども既に答えを確信しているようである。


「返事はいらないって言われたんだよね。……でも、私の方の気持ちが一区切りしたら、それがどうなるにしろ、一度ちゃんと返事するつもり」

「……そうか」


 頷いた後、柳は何か言いたげに頭を掻いた。



 喫茶店から出てみれば、思っていたよりも雨は小雨だった。

 これくらいなら、走って帰れば大丈夫と主張する私だが、柳は送って行くと言って譲らない。

 結果、付き合い始め三ヶ月くらいのバカップルが非常によくやるアレ、相合い傘と言うものを現在進行形で経験している。

 女の子同士でやることはあっても、絶対に男とはやるもんかと思っていたのに。

 ……心底イヤという訳じゃないところが、また腹立たしい。コイツは確信犯か。


「良いって言ってるのに」

「姉貴にも言われたから。送って行かないと、後で僕が締められる」


 私の言葉に反応して、柳が心底真面目な表情で言うので、吹き出してしまった。

すると、拗ねたように「笑うな」と言う。



この時間が(とうと)い。



 あとどのくらい、私は柳と一緒に居られるのだろうか。そう思って、少し怖くなった。

 下手したら、高校卒業後は関わらなくなるかもしれないのだ。普段、柳とはよくメールする間柄だという訳でもないのだから、特に。

 三学期に入ると、こう気軽に会話も出来なくなるだろうから、残りは実質一、二学期。時間にして半年とちょっとくらいだろうか。

 頭を振って、考えを追い出す。今はまだ、考えたくない。みぞおちの辺りが、きゅうぅっと締め付けられるように痛んだのは、きっと気のせいだ。

 雨脚が弱いせいか、二人で一つの傘でも、酷く濡れたりはしていない。

 私が左側で、柳が右側。傘を持つ柳の左手に、自分の右手を重ねようとして、止めた。中途半端に浮いて止まったその手が、なんだか哀れだった。

さらに続きます。

ちなみに、たぶん三野は鈍いというよりも、周囲に興味が無いだけである。

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