マイヨ・ジョーヌを夢見て。
「おつかれさま」
私は目の前にやってきた柳に声をかけた。
「ああ……三野もありがとう」
小さく言った柳は今にも倒れそうだ。
自転車に乗っていたときはあんなに格好良くて、力強く見えるのにどうして地上を歩いてるときは普通の人間に見えるんだろう。
ロードレーサーって凄く不思議、と私は思う。
もっとも、ロードレーサーと言っても高校の自転車部の部員なだけだけど。
他のクラスメートとかが見ることの出来ない柳の姿を独占できるのが嬉しくて、くすりと小さく笑いながらタオルを差し出す。
すると、何故笑ったのか解らない柳は私を不思議そうな顔で見ながらも受け取って、もう一度「ありがとう」と呟いた。
マネージャーなんて、私は一生縁が無いものだと思ってた。なのに、ここでマネージャーなんてやってるのはやっぱり目の前の、柳の所為だと私は断言できる。
いつも眼鏡なのに本当はすっごく目がいいとか、学校の体育では球技とかの運動はからっきしダメなのに、自転車はすっごく速いとか。
たしかに、基礎体力はそこそこあった気がするけど。
兄貴と一緒に見に行った大会で出場していた柳を見つけなければ、私は確実にここにいなかったと思う。
いつか、ツール・ド・フランスに出るのが彼の夢なんだと。
ロードレーサーなら誰もが夢見る、夢。
そんな彼について行くのが、私の今現在の目標だ。柳本人にも、ロードレースという種目にも魅せられてしまったから。
ロードレースとは端的に言うと、自転車に乗って長距離、主に街中を車と同じ位のスピードで走るチーム戦のスポーツだ。あの迫力は、どんな競技でも味わえないと思う。
生身の選手同士が、身体をぶつけ合って、風よけにもなって、チーム全体で一人のエースを勝たせる、そんな競技。
観客も負けちゃいない、日本じゃマイナースポーツでも、フランスでの熱気は凄いんだ。
テレビ中継で見とき、ヘリから映される沢山の小さな豆粒の様な観客達。
あそこに混ざってみたい。
旅行でも移住でも、何でもいいからいつか生で見てみたい。
漠然とそう思いながら、私は今、ここにいる。
目の前の疲れ果てている柳に言うべきではないのかもしれない、けれど言わずにはいられなかった。
「ねぇ、柳……私、いつかフランスへ行く。その時は、」
ついてきて、とそう言いたかったけれど、それを遮るように柳は人差し指を私の唇に当てた。
ドクン、とその一瞬で血液が沸騰した。ドクンドクン、と熱は収まりかけても、ポンプが変な方向へ血液を押し出している。
それは、柳が真剣な顔つきだったからかもしれない。
地上では弱々しく見える彼が頼もしく立派に見えて、なんだか急に怖くなった。
「…僕が。僕が、三野をフランスへ連れて行くから。だから、その時はついてきて欲しい」
僕は三野がいなければ、健康管理とか出来ないから。
そう言って微笑んだ柳は、それが爆弾発言だなんて気付いていないんだろう。
私だけ動揺してるのが癪で、柳の手をとって甲をつねってやった。
高校二年生のときに部誌に投稿した作品。
内容に関しては、あえて手を触れていません。