婚約破棄された姉を迎えに行ったら、玄関前に十二人の求婚者が並んでいました。順番札まで配られています
「お姉様を迎えに来ました。妹のリーゼルです」
白樺館の門前で、私は名乗った。馬車の揺れで乱れた前髪を、必死に撫でつけながら。
門番の若い従僕は、真顔のまま、木の札を差し出した。
「承知しました。十四番です。最後尾は、あちらになります」
受け取った札には、墨の太い字で『十四』とあった。
……順番札?
顔を上げて、やっと門の外の景色が目に入った。
玄関まで続く並木道の端に、人が並んでいる。ぼんやりとではない。間隔を揃えて、背筋を伸ばして、白樺の並木と見分けがつかないほど整然と、一列に。
数えた。十二人いた。
昨夜、王宮の夜会で、姉のエレオノーラは婚約を破棄された。
お相手は、ヴァイスベルク侯爵家のクラウス様。理由は「退屈だから」。大広間の真ん中で、百人の貴族の前で、そう言われたのだ。
我が家は葬式のようになった。母は寝込み、父は書斎で壁を睨み、姉は「少し一人になりたいの」とだけ言い残して、亡き祖母の遺した白樺館へ向かった。
だから私は、夜明けとともに馬車を飛ばしてきた。泣き腫らした姉を抱きしめて、実家へ連れ戻すために。ハンカチは五枚。温かい蜂蜜酒の小瓶。慰めの言葉は、道中で三十回練習した。
それなのに。
「あの、この列は、何の列ですか」
「求婚の列です」
「……どなたへの」
「エレオノーラお嬢様です」
私は札を見た。十四。
「私、妹なんですが」
「公平を期すため、例外は設けておりません」
そこへ、白髪の執事が小走りでやってきた。祖母の代から白樺館を預かる、ヨハンだ。懐かしい顔なのに、手には砂時計と帳面を持っている。
「リーゼル様、お待ちしておりました。十四番でよろしゅうございますか」
「十三番は」
「お取りしてございます。お嬢様が、必ず来るから空けておくように、と」
「誰が来るんですか」
「昼過ぎに、ヴァイスベルク侯爵令息様が」
昨夜、姉を笑いものにした本人が来る。それを、姉は予言したというのだ。
「どうして十三番なんですか」
「お嬢様は、縁起の悪い数字がお好きなのです」
「それ、理由になっていません」
ヨハンは帳面を開き、規則を読み上げた。
面会はお一人三十分。砂時計が落ちたら、話の途中でも退室。面会を終えた方は、庭でお待ちください。贈り物は庭の籠へ。ほかの方への妨害は禁止、違反者は最後尾へ。お返事は、全員のお話を伺ったあと、夕方に一斉に。
「これを、お姉様が?」
「昨夜お戻りになるなり、お書きになりました。『明日の朝から、人が来るわ』と」
「どうして分かったんですか」
「さあ。ただ、『婚約者がいる間は、誰も言えなかった人たちがいるのよ』と」
最初の方は、日の出前に着いたそうだ。夜会の噂を聞いて、馬を三度替えて走ってきたという。
私はヨハンに案内されて、列に沿って玄関へ向かった。
一番は、玄関の扉の真ん前に立つ、騎士団長のヴァルター様。熊のように大きな体に、腰からは小さな缶をぶら下げている。三年前の剣術大会で、姉が差し入れた蜂蜜クッキーの缶だそうだ。
二番は、薬師のミハエル様。痩せて、薬草の匂いがする。姉が昔、枯れかけた薬草畑の水路を直したことがあるらしい。
三番は、隣国の第四王子レオンハルト殿下。付き人が十八人いたが、ヨハンが「付き人は二名まで」と宣告し、十六人が泣きながら宿へ引き返した。
四番は、司書のエーベルハルト様。姉は、貸出の返却期限を一度も破らなかった。それだけで恋に落ちたそうだ。
五番は、パン屋のハンスさん。姉が毎朝「いつもの」と言うだけで通じる、その贅沢が人生で一番だった、と語っていた。
六番は、七十二歳のラインハルト老公爵。「孫の嫁に」と言いに来たつもりが、孫の顔を思い出して、自分で並んだという。簡易椅子と膝掛けを持参していた。
七番は画家で、姉の横顔だけを三百枚描いている。八番は、三年に一度しか寄港しない船乗り。九番は、還俗の書類を持参した神父様で、署名だけ、まだらしい。十番は宮廷楽師。ヴァイオリンの持ち込みを禁じられ、口笛で練習していた。十一番は十五歳の少年伯爵で、踏み台を抱えている。十二番は辺境伯の次男で、夜通し三百キロを走らされた馬が、後ろで気絶していた。
どの顔も、必死だった。必死で、そして、少しだけ嬉しそうだった。
昨夜まで誰も何も言わなかったのは、姉に婚約者がいたからだ。言わなかっただけで、ずっと、そこにいたのだ。この人たちは。
◇
姉は、庭にいた。
白い籐椅子に座って、紅茶を飲んでいる。膝には「本日の面会表」。マドレーヌをかじりながら、ペンで何かに丸をつけていた。庭の隅では、庭師見習いの青年が、黙々と薪を割っている。この騒ぎの中で、ひとりだけ、いつもどおりだった。
「リーゼル、早かったのね。ちょうどよかった、立会人が一人足りなかったの」
「お姉様」
私は、五枚のハンカチを握りしめたまま、姉の前に立った。
「無理に笑わなくて、いいんです。泣いていいんです。昨夜は、きっと、一睡も」
「ぐっすり眠れたわ」
「え」
「十年ぶりくらいに、ぐっすり」
姉は、にこにこしている。
「あのね、私、クラウス様の隣では、ずっと退屈な人を演じていたの。その方が楽だったから。話さなければ、怒られないでしょう? だから昨夜、大勢の前で『退屈だ』と言われたとき、実は、ほっとしたの。ああ、演技は成功だったんだなって」
「それは、成功とは言いません」
「あら、成功よ。だって、もう、演じなくていいんだもの」
姉は、ペンの先で面会表をつついた。
私は、ヨハンの言葉を思い出して聞いた。
「ところで、十三番のクラウス様は、本当に来るんですか」
「来るわ。あの方は、自分で捨てたものでも、他人に拾われそうになると、急に惜しくなる人だから」
姉は、ペンを置いて、立ち上がった。
「さあ。一番の方から、いきましょうか。リーゼルは隣に座って、笑わないでね」
「笑いませんよ!」
三十分後、私の膝は、あざだらけになる。
◇
応接間に入ってきたヴァルター様は、まず、扉の枠に頭をぶつけた。
「失礼。……エレオノーラ殿」
騎士団長は、直立した。そして、腰の缶を外して、卓の上にそっと置いた。
「三年前の缶です。お返しに参りました」
「まあ、まだお持ちだったの」
「中の、その、最後の一枚が……」
「召し上がらなかったの?」
「もったいなくて、三年、食べられず」
「それは、もう、カビているのでは」
「……はい。しかしカビても、捨てられず」
団長の目から、滝のように涙が落ちた。大きな体が、ぷるぷると震えている。
私は、笑わないと約束した。だから、膝をつねった。
「新しいのを焼きます」
姉が言った。
「ですから、それは捨てて。お腹を壊しますから」
「エレオノーラ殿……!」
「それから、お返事は夕方に」
「待ってください、まだ、告白の途中で」
団長が身を乗り出した瞬間、ヨハンが卓に砂時計を置いた。砂は、もう、全部、落ちていた。
「お時間です」
「まだ、前置きしか!」
「規則でございます」
団長は、二人の従僕に両脇を抱えられて退出した。扉の向こうから、「必ず、また来る!」と声がした。
私は、膝を、血が出るほどつねった。
二番のミハエル様は、湯気の立つ壺を抱えて入ってきた。
「薬草茶です。心を落ち着ける配合にしてあります」
「ありがとうございます。いただきます」
ヨハンが、すっと前に出た。
「毒味を」
「毒など入れていない!」
「規則でございます」
ヨハンは、三杯飲んだ。三杯とも「大変結構でございます」と言った。四杯目で、少しふらついていた。
ミハエル様は、咳払いをして、姉に向き直った。
「エレオノーラ嬢。五年前、私の薬草畑の水路が詰まって、畑が枯れかけたとき、あなたは三日間、泥だらけで水路を掘ってくださいました」
「そうでしたかしら」
「誰も見ていませんでした。畑の主の私でさえ、あなたが誰か知らなかった。名乗りもせず、帰られた。三年かけて、探しました。見つけたとき、あなたはもう、婚約していた」
「泥だらけで、名乗れる顔ではなかったの」
「それでも、薬草は覚えています。今年の春、一番よく効いた株を、私はあなたの名前で呼んでいます」
彼は、壺の中の茶を見つめた。
「この茶は、その株で淹れました」
姉は、しばらく黙っていた。それから、静かに壺を受け取った。
「……ありがとうございます。大事に、いただきます」
私は、膝をつねるのをやめた。かわりに、鼻の奥がつんとした。
三番のレオンハルト殿下は、入室するなり、流れるような所作で跪いた。付き人が二人、後ろで花束を掲げている。
「エレオノーラ嬢。留学時代、あなたに教わった文法を、僕は今も間違える」
「どこを?」
「『好きです』と『好きでした』の違いを」
「大事なところですね」
「大事なところです。ですから、確認に来ました。僕の場合、どちらに活用するべきでしょう」
殿下は、真剣そのものだった。後ろの付き人が、花束を持ったまま、涙ぐんでいる。
姉は、少し考えてから、にこりと笑った。
「文法的には、どちらも正しいです。あとは、使う人の勇気の問題ですね」
「……勇気」
「夕方にお返事しますから、それまでに、お決めください」
殿下は、深く頷いて退室していった。扉が閉まったあとで、姉が私に囁いた。
「あの方、授業中、いつも居眠りしていたのよ」
「お姉様、それは言わなくていいやつです」
四番の司書は、返却期限を守るように、きっかり三十分で頭を下げて退室した。五番のパン屋のハンスさんは、入室するなり「いつもの」と言い、姉に「いつものですね」と返されて、そのまま号泣した。
六番のラインハルト老公爵は、簡易椅子を自分で運んできた。ゆっくり腰を下ろし、膝掛けを整え、姉の顔を、じっと見た。
そのまま、動かない。
十分たった。二十分たった。砂時計の砂が、さらさらと落ちていく。老公爵は、一言も話さない。ただ、満足そうに、姉を見ている。
ヨハンが、卓に手を伸ばして、時を告げた。
「お時間でございます」
「うむ」
老公爵は、杖を支えに立ち上がり、膝掛けを畳んだ。
「満足じゃ。孫にも、よく言って聞かせる。『あれは、並んで見る価値がある』と」
「お爺様、ありがとうございます」
「よい、よい。……いや、わしも若ければのう」
◇
六番の面会のあと、昼食を兼ねた休憩になった。
私は姉と二人で、テラスの端に座っていた。庭の隅からは、薪を割る音が、一定の間隔で聞こえてくる。不思議なことに、姉のカップの紅茶は、さっきからずっと温かかった。
「お姉様」
私は、どうしても聞きたかったことを、聞いた。
「クラウス様が怒った本当の理由は、何だったんですか。『退屈』は、本当の理由じゃないですよね」
姉は、カップを置いた。
「三年前の、秋の舞踏会を覚えている?」
「……はい」
忘れるはずがない。私が、肺炎で高熱を出した夜だ。
「あの夜、私は、ヴァイスベルク家の舞踏会を欠席したわ。クラウス様は、『婚約者より妹を選ぶのか』と怒った。私は、『はい』と答えたの」
私は、息ができなくなった。
「彼は、三年間、それを覚えていたのね。昨夜の『退屈』は、仕返しだったんだと思う。でも、リーゼル」
姉は、私の手を握った。
「後悔は、一度もしていないの」
涙が、止まらなくなった。持ってきた五枚のハンカチが、全部、役に立った。
「私のせいで」
「違うわ。あの夜、私は生まれて初めて、自分で選んだの。父様が決めた婚約者でも、世間が決めた作法でもなく、『あなたのそばにいる』という方を。それが、びっくりするくらい、気持ちよかった」
姉は、庭のほうを見た。並木道には、七番から後ろの人たちが、辛抱強く並んでいる。
「私はずっと、選ばれるだけの人間だった。婚約も、破棄も、全部、誰かが決めた。だから今日は、順番札をつくったの。生まれて初めて、私が選ぶ側に立つための、道具よ」
私は、泣きながら、笑ってしまった。
「お姉様、道具の見た目が、完全に、お役所です」
「ヨハンがつくったのよ。意外と立派でしょう」
◇
休憩のあと、七番の画家が呼ばれる直前、門の外が急に静かになった。
蹄の音。白い馬。大きな花束を片手に、クラウス様が馬から降りてきた。
侯爵令息は、列にも、庭で待つ面会済みの方々にも目をくれず、まっすぐ玄関に向かって歩いてきた。
「エレオノーラを出せ。話がある」
ヨハンが、立ちはだかった。手には、木の札。
「十三番のお札を、お取りください」
「は?」
「ご面会は、順番でございます」
「何を言っている。僕は、彼女の婚約者だ」
「昨夜までは」
ヨハンの声は、丁寧で、少しも揺れなかった。薬草茶を四杯飲んだ人の落ち着きだった。
クラウス様は、そこで初めて、庭に目をやった。
騎士団長が、腕を組んで立っている。手には、空の缶。薬師が、じっと見ている。王子殿下は、微笑んだまま、目だけが冷たい。老公爵は、杖の先で、地面をこつ、こつ、と叩いていた。画家は、素早くスケッチを始めている。
十二の視線が、一斉に、クラウス様に突き刺さった。
「な……なんだ、この連中は」
「お嬢様の、面会希望者でございます」
「……全員が?」
「はい。あなた様は、十三番」
クラウス様は、顔を真っ赤にして、札を受け取った。列の最後尾、と指された木の根元に、花束を抱えて立つ。
庭のあちこちから、くすくすと笑いが漏れた。気絶していた十二番の馬が、起き上がって、鼻を鳴らした。
それからも、面会は続いた。画家は三百一枚目を描き始めて退出を拒み、神父様はペンを握ったまま三十分悩み、楽師は口笛で求愛の曲を吹いて、ヨハンに「お静かに」と叱られた。少年伯爵は、踏み台に乗ったまま入室して、姉に「危ないから降りなさい」と叱られ、素直に降りて、耳まで赤くなった。
八番の船乗りのゲルトさんは、潮の匂いと一緒に入ってきた。
日に焼けた大きな手で、小さな巻貝を差し出す。
「三年に一度、港に着くたびに、あなたの屋敷の前を通ります。窓が見えるだけで、いつも通り過ぎていました」
「そうでしたの」
「三年前、一度だけ、港であなたに『お帰りなさい』と言われました」
「覚えています。荷揚げを手伝っていた方でしょう? 荷が重そうだったから」
「あのときのあなたの笑顔だけは、婚約者の隣で見せていた顔と違いました。俺は船乗りだ。波の機嫌は読めます」
姉が、少し目を丸くした。
「この貝は、耳に当てると、その港の音がします」
彼は、懐から、巻貝をあと二つ出した。
「一つ目は三年前。二つ目は去年。三つ目は、昨日、夜会の噂を聞いて、船を降りる前に拾いました」
姉は、三つの貝を卓に並べて、一つずつ耳に当てた。
「……波の音が、それぞれ違いますね」
「はい。三年分、違います」
砂時計が落ちた。ゲルトさんは、大きな体を折って頭を下げた。
「また三年後に、来ます」
「三年も待たなくていいわ。遊びにいらして」
ゲルトさんは、ヨハンに引きずられていくまで、ずっと、泣き笑いの顔をしていた。
◇
日が傾くころ、十三番の札が呼ばれた。
クラウス様は、三時間、庭の木の根元に立ち続けた。十二人に睨まれ続けた顔は、すっかり色を失っている。
応接間に入ってくると、彼は、ぎこちない笑顔をつくった。
「エレオノーラ。昨夜は、少し、言い過ぎた。水に流して、戻ってきてくれないか。婚約は、なかったことにする」
「破棄を、なかったことに?」
「そうだ。僕も、反省した」
姉は、にっこり笑った。
「ありがとうございます。お気持ちは、ありがたく受け取ります」
「では」
「ですが、お札は、お返しします」
姉は、卓の上の十三番の札を、クラウス様の方へ押し戻した。
「お席は、もう、満席ですので」
隣に座っていた私は、そこでやっと理解した。縁起の悪い十三番は、最初から、お断りする人のための席だったのだ。
「……満席? 十二人の、誰と?」
「それは、皆様に、まとめてお返事しますね」
◇
夕方、庭に、全員が集まった。
十二人と、クラウス様。そして、ヨハンと、私。
姉は、白い籐椅子の前に立って、ゆっくり一礼した。
「皆様。今日は、本当にありがとうございました。三十分ずつ、お話を伺って、嬉しかったです。心から」
十二人が、背筋を伸ばした。団長は、また缶を握りしめた。
「ですが」
姉は、顔を上げた。
「お一人を、選ぶことは、できません」
庭に、ざわめきが走った。騎士団長が唸り、王子が目を閉じ、老公爵が杖で地面を叩いた。クラウス様の口元が、ほんの少し、緩んだ。……あの人は、まだ何か期待しているらしい。
「なぜなら」
姉は、庭の隅へ歩き出した。皆の視線が、ぞろぞろとついていく。
白樺の木の陰に、薪の山があった。その横で、斧を持った青年が、背中を丸めて立っていた。日に焼けた肌。無骨な手。庭師見習いの、トビアス。
今日一日、この庭の隅で、黙って薪を割り続けていた人だ。
「札を持っていない方が、一人いらっしゃるので」
姉は、トビアスの前で立ち止まった。
「トビアス」
「は、はい」
「毎朝、薪を割ってくれて、ありがとう。お茶を淹れてくれて、ありがとう。婚約中、月に一度ここへ来るたびに、私は、あなたがお茶を淹れてくれる、あの時間だけ、息ができたの」
トビアスの顔が、みるみる、真っ赤になった。
「お、俺は、侯爵でも、王子でも」
「知ってる」
「札の、貰い方も、わからなくて、最後尾に、並ぶのも、怖くて」
「並ばなくていいのよ」
姉は、笑った。
「札は、列に並ぶ人に、渡すものでしょう。あなたは、最初から、この家の中にいたもの」
そういえば、今日は一日じゅう、姉のカップの紅茶は冷めていなかった。誰が、こまめに淹れ直していたのか。私は、やっと分かった。
庭が、静まり返った。
やがて、ヴァルター様が、盛大な音を立てて缶を叩いた。
「完敗だ!」
それから、拍手が起きた。パン屋のハンスさんが手を叩く。少年伯爵が、踏み台の上で叫ぶ。老公爵は、杖を振り回して喜んでいた。
「薪割りか。よい趣味じゃ!」
「見事な伏兵だね」
王子殿下が、苦笑して言った。
「並ぶ必要のない席が、最初から用意されていたとは。……僕の活用は、『好きでした』に決めたよ。過去形にしておく」
「ありがとうございます、殿下」
老公爵が、杖の先で、こつん、と地面を叩いた。
「ヴァイスベルクの小せがれ。うちの孫と、お前の妹御との縁談は、本日をもって白紙じゃ」
「な……!」
「ひとりの娘を笑いものにする家とは、縁を結べんでな」
それを合図にしたように、十二人が、口々に言い出した。
「ヴァイスベルク家への薬の卸は、本日で停止します」
薬師のミハエル様が、淡々と言った。
「うちのパンも、売りません」
パン屋のハンスさんが、腕を組んだ。
「蔵書の貸出も、お断りです。返却期限を守らないご家族が、三人おられるので」
司書のエーベルハルト様が、眼鏡を押し上げた。
「我が国との通商協定の更新は、当面、見合わせよう」
王子殿下が、穏やかな顔で言った。
「騎士団の儀仗は、そちらの夜会には出さん」
ヴァルター様が、缶を叩いた。
「僕、来年から社交界に出るけど、おたくの夜会は、絶対に行かない」
少年伯爵が、踏み台の上で胸を張った。
クラウス様の顔から、血の気が引いた。
私は、あざだらけの膝をさすりながら、少しだけ、いい気味だと思った。
一人、また一人と、十二人は、不思議なほど晴れやかな顔で、姉に頭を下げて帰っていった。
最後に残ったクラウス様は、十三番の札を握りしめて、固まっていた。姉は、彼のほうを向いた。
「クラウス様。三年間、お世話になりました。さようなら」
クラウス様は、一言も言えなかった。花束を抱えて、とぼとぼと門を出ていく。その背中を、十二番の馬だけが、鼻で笑って見送った。
◇
夜、私は、姉と二人で玄関の階段に座っていた。
庭では、トビアスが、いつもの癖で、黙々と薪を積んでいる。その背中を、姉が、ずっと見ていた。
「ねえ、リーゼル」
「はい」
「あなたの十四番、使わないのね」
「使いません!」
私は、札を鞄の底に突っ込んだ。
姉が、声を上げて笑った。この二日間で、いちばん楽しそうな笑い声だった。
翌日の昼、ヴァルター様が、焼きたてのクッキーの缶を抱えて遊びに来た。札はいらない、と、姉が許したのだ。続いて、王子殿下が、薬師が、司書が、老公爵が。
白樺館は、すっかり、友の会の集会所になった。
実家には、手紙を書いた。『お姉様は、史上最高に元気です。求婚者が十二人、順番札つきで並びました』と。三日後に届いた母の返事は、たったの一行だった。
『お母様も元気になりました。ところで、あなたの十四番は、まだ残っていますか』
……母まで、列の数を数えている。
私の鞄の底には、今も、十四番の札が入っている。
使う予定は、ない。
……今のところは。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
十二人の求婚者と、縁起の悪い十三番を、楽しんでいただけたら嬉しいです。
面白かったら、ブックマークと、広告の下の☆での評価をいただけると励みになります。




