23章.《False Tempest》
人は、嘘を嫌う。
だが世界は、
嘘で出来ている。
会社も、
取引も、
そして信頼も。
誰かが嘘をつき、
誰かがそれを信じる。
それだけで、
世界は簡単に動く。
そして――
嘘は、やがて真実になる。
照明を落とした社長室で、俺はソファに腰を沈めていた。
ソファの向かいにいる人物と、言葉もなく向かい合っていた。
――時間がない。
四年。
この計画に費やした年月だ。
この話を持ってきたのは倉橋だ。
甘さか、野心か。
どちらにせよ使える男だと思ったが、順調には進まなかった。
野崎が東南アジアルートを封鎖する前に、すべてを終わらせなければならない。
「……プロフェッサー」
俺は、敬愛を込めて呼んだ。
「だから、その呼び方やめてって言ってるでしょ。高ちゃん」
応接セットの椅子にちょこんと座って、面倒くさそうに言う。
「野崎に、一通送ってくれ。即削除でいい」
「はいはい。内容は?」
「“もう待てない”だけでいい」
一瞬だけ俺を見る。
「雑だね」
「でも、一番効くかな」
キーボードを叩く音が、
静かな室内に響いた。
⸻
Operation:False Tempest
「ネーミング、かっこいいだろ」
「俺が考えたんだ」
俺が言うと、
彼女は肩をすくめた。
「嵐は“偽物”、ってこと?」
「ほんと、性格悪いよね」
「そうか?」
「名は体を表すって言うだろ」
俺は即答しながら笑った。
⸻
吉野は、かつて野崎の部下だった。
裏取引の失敗で警察に踏み込まれ、組織を壊滅寸前まで追い込んだ男だ。
そのとき、自分だけはすべてを置き去りにして逃げた。
それを理由に左遷。
今では、窓際。
――もっとも。
野崎も切れなかったのだろう。
知りすぎていた。
合併直前、
野崎の裏事情を俺に密告したのも、吉野だった。
吉野の名前を突き止めたのは、プロフェッサーだ。
「この人ね、愚痴のログが多すぎる」
「裏切る人の典型」
俺はそれを聞き、
吉野を呼び出し、将来を約束した。
それだけで、吉野は動いた。
騙し合いの始まりだ。
吉野には、
それまで通り、運び屋を続けさせた。
⸻
独裁政権とはいえ、
日本から公的要請が出れば、
シンジケートは確実に削られる。
だから野崎は、万が一に備えて保険を打っていた。
現地に置いた腹心――
Anouvong Phasouk。
暗号《BLACK LOTUS》が届けば、倉庫は爆破。
書類は消え、
洗浄用資金はパースックが確保する。
野崎は裏資金を携え国外へ逃亡。
落ち合う先は、シンガポール。
――完璧なはずだった。
⸻
だが。
《BLACK LOTUS》が届いた瞬間、
動いたのはパースックではなかった。
吉野。
そして、グエン。
――False Tempest 発動。
グエンはパースックを密告した。
同行していた地元警察によって、即座に逮捕。
その隙に、吉野は手下を使い、倉庫から資金と帳簿を運び出す。
ただし――パースックの容疑を確定させるため、麻薬だけは倉庫に残した。
そして火を放った。
仕掛けられていた爆薬に引火し、
倉庫は炎に包まれ、爆発した。
日本のニュースは、こう報じた。
――「東南アジアの麻薬シンジケート倉庫爆発。日本商社関与か」
焼失した麻薬は、日本での年間押収量の数倍に及ぶ可能性があるという。
⸻
麻薬ルートは、静かに俺の支配下へ落ちた。
もちろん、損失は出た。
在庫は焼却。
プールしていた資金の一部も消えた。
地元警察を買収した金。
野崎という駒も失った。
だが――
それでも、安い。
南米ルートは、もう安定している。
東南アジアルートは、南米にいる神代レオンを呼び戻して、再構築を任せる。
奴は日系二世だ。
裏社会の連中にも顔が利く。
グエンでは駄目だ。
あいつは金で簡単に動く。
しばらくは、神代に回させればいい。
吉野は――知りすぎている。
処理は、レオンに任せる。
あいつは、そういう仕事が得意だ。
⸻
消えたのは、
野崎とアヌウォン・パースックだけだった。
野崎はニュースを確認した直後、
シンガポールへ向かう途中の空港で、外為法違反の容疑により逮捕された。
皮肉なことに――
野崎は、取り調べに驚くほど協力的だった。
麻薬の話が、
一度も出なかったからだ。
外為法違反なら、
うまくいけば執行猶予で済む。
彼は――
命拾いしたと思っていた。
パースックは地元警察に捕まり、
一生、塀の中だろう。
麻薬ルートは消えた。
表向きは。
そう、誰もが信じている。
だが。
「嵐、嘘だったね」
俺は黙って、プロフェッサーを見る。
「薬は、南米ルートと合わせて
関西の組織に全部任せる」
「金額は増えるが、
裏金の管理と帳簿、
販売先のメール管理を――また頼む」
「あと、タックスヘイブンも」
「暇な時だけね」
「バイト代、値上げだよ」
「はいはい。
時給千五百円にする」
「はぁ!」
「冗談だ」
俺は肩をすくめた。
「後は、半グレだな。
あいつらは損得勘定もできない。
バカばっかりだ」
「まあ、薬がなくなれば
自然消滅するんじゃない?」
「そうだな。
組織の下に入れば、静かになるだろ」
少し間を置いて、俺は言った。
「ただ一つ――気に入らない」
盤面を触った“誰か”がいる。
すり替えられていた。
結果的にうまくいったが、危なかった。
野崎は使える男だった。
バランス感覚も悪くない。
東南アジアルートを作り上げた手腕は見事だ。
できれば、部下として
ルートの拡張を任せたかった。
だが――仕方ない。
「私と同等か、それ以上のハッカーだね」
プロフェッサーが軽く言う。
俺は鼻で笑った。
「もう、朝日川商事なんてどうでもいい」
「グループ全体から見れば――末端だ」
「元の予定通り、
朝日川商事と日山食品を合併させる」
「後任の社長は倉橋か、常務の加賀あたりだな」
「加賀常務は朝日川出身の穏健派でしょ?
今、社長になると波風立つよ」
「加賀は数度、対策室に朝日川不正メールを送っているの。
私からのアドバイス」
「早めに取り込んで、それから社長にしたほうがいいよ」
「そうだな」
俺は少し考えた。
「倉橋のメール、結局偽物だろ?」
「そうだね」
プロフェッサーは少し考えてから言った。
「でも……
倉橋が偽メールを流してる可能性もある」
「自分が独占するため。
それとも、高ちゃんを牽制するためか」
「どっちにしても、
盤面をわざと濁してる感じはする」
「ふん……」
俺は短く鼻で笑った。
「まあいい」
「倉橋が何を考えていようが、
もう結果は変わらない」
「元々あいつの案だ。
会社をまとめれば功績になる」
「役員会も通るだろう」
少し間を置いて言った。
「しばらく倉橋を社長でいくか」
――まあ、どっちに転んでも。
俺の敵じゃない。
⸻
数日後。
「よくやったな、吉野」
俺はそう言って、
彼を日山商事へ迎え入れた。
「False Tempest――完璧だった」
「お前がいなければ、
今回の件はここまで綺麗には片付かなかった」
吉野は黙って頭を下げた。
「帰ってきたばかりで悪いが、
当面、日本にはいない方がいい」
「余計な目が増えている」
「しばらくは東南アジアで、
水産調達部長でもやってくれ」
俺は軽く笑った。
「のんびりできる」
「ご苦労さん」
吉野は、何も答えなかった。
ただ一度だけ、
静かに頷いた。
吉野が部屋を出ると、
俺はポケットからスマートフォンを取り出した。
短いメッセージを打つ。
宛先は――
神代レオン。
False Tempest。
これが、詰めの一手だ。
嘘の中に閉じ込められた人間は、
それを疑わない。
疑うことすらできない。
なぜなら――
それが真実だと思っているからだ。




