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Scrambled Egg  作者: 読まれる前提
《たまごの殻》

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20/28

20章.《オペレーション・ブラインド》戦慄

人は、

見えないから罠にかかるわけじゃない。


見慣れているから、

見なくなる。

細川を確保する――

それは作戦の前提条件だった。


櫻井に辿り着くための唯一の手がかり、それが細川だ。



いつも通りの就業時間。

あたりは、すでに真っ暗だ。


――もしかしたら、もう逃げたかもしれない。


従業員専用の裏口は重い鉄のドアで、夜になるとひどく無機質だった。

仕事を終えた人間が、家路を急ぎ黙って、足早に過ぎ去る。


そこで、紗希と僕は待っていた。


「紗希さん、くっつきすぎですよ」


「だって恋人役でしょう」

紗希は組んだ腕を、さらに引き寄せる。

「チューしとく?」


「何バカなこと言ってるんですか」


「あー、赤くなった」

「キスなんか、アメリカでは友達でも普通よ」


「そんなことはありません」

「しかもここは日本です」


「もう少し緊張感を持ってください」


「馬鹿ね、緊張したらバレるじゃない」


「私が考えた、台本通りに行くよ」



「あ、課長!」

紗希が声をかける。


顔を向けた細川は、一瞬だけ驚き、すぐに表情を緩めた。


「ああ、岡部さんか。どうした?」

細川は、警戒していなかった。


――おかしい。


児童館のニュースを、見ていないはずがない。

それなのに普通に出勤している。


……違う。

休めないんだ。


こんな時に姿を消したら、真っ先に疑われる。

だから、あえて“何も知らない側”を演じている。


出社し続けること自体が――

細川のアリバイなんだ。


僕の手のひらに、じっとりと汗が滲んだ。


「突然やめてすみません」

「課長には、よくしてもらったのに」


「そんなことはいいよ」

「でも、なんかあったのか?」

僕の顔を見る。


紗希が言う。


「私、……子供ができちゃって」


「……」


「相手は……橘君か?」

紗希が頷く。


「いいじゃない」

「結婚するのか」


「いえ、それはまだ」

紗希は少し黙る。


「取引先の人と子供ができちゃったら、悠輝の立場が悪くなるじゃないですか」


「だから課長に上手く言ってほしいなと思って」


僕も続ける。


「あの……ここでは話しづらいので、ファミレスに行きませんか?」


「……いいけど」


三人でファミレスへ向かう途中、街灯が途切れる脇道に入った。


紗希が離れる。

「課長、ごめん」


その時、背後から伸びた腕が、細川の自由を奪う。


「静かに。騒ぐな」


低い声だった。


振り返った細川の目が見開かれる。


黒い目出し帽。


感情が、一切ない視線だった。


もう一人も同じだった。


無言。


まるで、最初からそこに立っていたかのようだった。


千堂の声は低く、感情を殺していた。


抵抗は一秒も続かなかった。

腕を取られ、体勢を崩し、そのまま車に押し込まれる。


暴力は使わない。

静かに、ただ力で拘束する。


力量の差が大きければ、人は抵抗できなくなる。


紗希が真顔で言った。

「ごめんね、課長」


「私たちも、逆らったら殺されるの」



車内。


二人は一度も素顔を見せなかった。

黒い目出し帽で顔を覆い、声も低く抑えている。


年齢すら分からない。


細川は蒼白な顔で、膝の上に置いた自分の手を見ていた。


「見逃してください」

「……俺は、何も知らない」


千堂

「俺たちが何も知らないと思うな」


「児童館の件、知ってるな」


細川

「……」


「知らないとは言わせない」

「お前、あそこに出入りしてただろ」


細川がギョロッとした目で千堂を見る。


「なんで普通に出社してる?」


「もうあそこには、何もないです」

「食中毒で営業停止になっています」


「間違いに気付いた時すぐに……車に乗せて、家に保管しました」


「吉野を手伝ってるだけで……本当に何も……」


千堂の沈黙が、細川を追い詰める。

次の言葉は、低く短かった。


「中身は」


「……」


千堂は、一発だけ――右頬を殴った。

音が車内に乾いて響く。


細川の肩が跳ね、声が裏返る。


「ごめんなさい、知ってます!」

「言いますから、殺さないでください!」


千堂

「荒木と櫻井は」


「……知らない」


拳が上がる。


「ま、待ってください!知ってます!」


その一言で、細川の抵抗は終わった。


千堂

「お前も、殺しにも関わってるのか?」


細川

「私は殺してないです」

「嘘じゃないです、信じてください」


「でも……その場にいました」


細川の息が荒くなる。

言葉が、歯切れよくならない。


「荒木が……もう、やめるって言ったんです……」


「そしたら櫻井が……急に……」


「殴って……」

「ナイフを……出して……」


「……気づいたら、倒れてて……血が……」


「櫻井が怖いんです……」


「あいつ、運ぶだけじゃないんです」


「自分で打ってるんです……何度も……」

「目が……おかしいんです」


「助けてください」


千堂

「おまえには、殺人の容疑もかかる」

「一緒にいた時点で、共犯を疑われる」


亮平

「お前、ドブ川に健一を捨てただろ」


細川

「はい……」

「櫻井に脅されて、手伝いました」


亮平の拳が、一度だけ細川の頬を打った。


「……人を、物みたいに捨てるな」


低い声だった。


「死んだ後くらい、まともに扱え」


「ごめんなさい……」


千堂

「誰から指示を受けてる」


細川

「……わかりません」


千堂は殴らない。

ただ、視線を外さない。


細川

「ほ、本当です!」

「……吉野だけです!」


「でも吉野も……命令されてる側です!」


千堂

「誰に」


細川の喉が鳴った。


「……“知ってる”って」

「……電話が来たんです」


声が小さくなる。


「『おまえたちのやってたことを知っている』」

「『運んでた物は薬だ』」


「『またやるなら見逃す』」

「『やらなければ豚箱だ』」


「……一回につき三万」

「右から左に持っていくだけだって」


「それで……引き受けました」


「受け取りは……荒木だったり、櫻井だったり……」


千堂

「一旦、場所を変えよう」

「表の二人は解放する」


車の外で、紗希と話した。


「千堂さん、車狭いから電車でいくね」

「ちょっと怖いから、悠輝も連れていい?」


千堂

「了解です」

「何があるかわからない。気をつけてください」


千堂たちは、すぐに車で去る。



周囲を気にしながら、駅までの道を歩いた。


「ちょっと待ってて」

「……お手洗い」


夜の電車は、思ったより空いていた。

座席の端に並んで座ると、窓ガラスに街の灯りがゆっくり流れていく。


紗希が戻ってきた。


腕を組んでくる。


「紗希さん、もう終わったんだから離れてください」


「嫌だ。……紗希、ちょっと怖いの」


腕を絡めたまま、肩に寄りかかってくる。

あの時と同じ、甘い香りがした。


僕は、最初に紗希に会った日のことを思い出す。


「なんだか悠輝の横、安心する」


小さく呟いてから、紗希は顔を上げた。


「ねえ、悠輝」

「このまま、二人で逃げない?」


一瞬、冗談かと思った。

でも、紗希は笑っていない。


「悠輝のこと、私が幸せにしてあげる」

「莉花といても、これから大変よ」


視線が絡む。

逃げようとしたのに、目を逸らせなかった。


「さっき、少し莉花のメイク真似してみたの」


「同じでしょ?」


近い。驚くほど近い。


「親でも分からないくらい、もっと同じにできるよ」


背筋が冷えた。


「……莉花とは、別れません」


「意思がかたいんだね」


紗希は微笑む。

責めている顔ではない。

――試している顔だった。


「そんなに莉花がいいんだ」

「……そっか」


「ねえ、私と試してみる?」

「意外と全部、忘れちゃうかもよ」


「試しません!」


「意気地なし」


紗希は目を見開いたまま、僕のパーソナルスペースに踏み込んできた。


一瞬、戸惑う。

対処ができない。


次の瞬間、唇に柔らかい感触が触れた。


僕は息を止め、焦点がぼやけるほど近い距離で紗希を見た。


紗希の唇が、ゆっくり離れていく。


紗希は、まるで何も起きていないみたいに言う。


「別れの挨拶」


そして少しだけ、声を落とした。


「でも、莉花と別れたら、こっちに来て」


「好きになるなんて、一瞬のことよ」

「後から、みんな理由を付け足すだけ」


「悠輝って、全部好みなの」


静かに、紗希は言った。


「出会いが、莉花の方が早かっただけ」


僕は、言葉を返せなかった。

――見透かされている気がした。


その時、僕はまだ気づいていなかった。

紗希は、僕を誘惑していたんじゃない。

――僕を選んでいた。



僕と紗希は、莉花が用意したアジトに到着した。


もう千堂たちは来ていた。


細川は、目出し帽を逆に被せられている。


僕と紗希は目を合わせ、

声を出すのをやめた。


千堂のドスの効いた声が響く。


「手を出せ」


「スマホは指紋で開けさせた」


「櫻井との連絡手段は?」


「……はい」


「テレグラムです」


「いつも送ってる内容を言え」


細川がゆっくり口を開く。


[11-1]

[33?]


「シークレットチャットで送ります」


千堂はスマホを操作し、言われた数字を打ち込んだ。


しばらくして、返事が来た。


[45]


「45はなんだ」


「三丁目の児童館です。いつもの場所です」


「返信から三時間後に来るルールです」


「これは誰が考えた」


「荒木です」


「でも櫻井は最近、45しか使いません」


「スマホにメモがあります」


細川は指紋でメモアプリを開いた。


コード

11 = 箱

12 = 荷物

13 = 大箱

14 = 軽い箱

21 = 届いた

22 = 確認

23 = 問題あり

24 = 遅れ

31 = 配送

32 = 回収

33 = 移動

34 = 保管

41 = 倉庫

42 = 港

43 = 駐車場

44 = コンビニ裏

45 = 児童館

46 = 公園

47 = 空きビル

48 = 駅裏

49 = 工場


千堂は、そのメモをしばらく見つめた。


そして細川の頭を掴み、顔を上げさせる。


「嘘だったら殺す」


千堂は、その短い文面を見つめた。


奴は、来る……。


櫻井は、疑うことすら忘れている。



指定されたのは、いつもの児童館。


ダミーのダンボール箱を置く。

中にはGPSを仕込んである。


しばらくして、櫻井が現れた。


周囲を確認する様子もない。

いつも通りの足取りで、

置かれていたダンボールを持ち上げる。


助手席に放り込む。


エンジンが唸り、車は急発進した。


千堂が、すぐ後ろを追う。


手慣れたものだ。


交通のない直線で、千堂は一気に踏み込んだ。


エンジンが唸りを上げ、シートに身体が押し付けられる。


視界の端で、路肩の白線が流れるように後退していく。


次の瞬間、千堂は一切の躊躇なくハンドルを切った。


――ギィッ!


タイヤが悲鳴を上げ、車体が横滑りする。

櫻井の車との距離が、一気に詰まる。


――近い。


窓を叩く風圧。

強い横Gに、視界が白く弾けた。


紙一重で横を抜ける。


そのまま前に割り込み、ブレーキを叩き込む。


――キィィィィッ!


二台の車が、数メートルの距離で停止した。

焦げたゴムの匂いが、空気に残る。


三人は目出し帽を被った。


逃げ場は、もうない。


千堂は、ポケットからナイフを見せた。


それがどれだけ本気かを、櫻井に悟らせるために――


千堂がドアを開ける。


「……動くな」


櫻井の目が、一瞬だけ助手席を見た。


次の瞬間だった。


櫻井がダンボールを破って中身を掴む。


なりふり構わず、中身を千堂にぶちまけた。


白い粉が弾ける。


――重さ合わせに詰めた、小麦粉だ。


「――ッ!」


千堂の視界が奪われる。


その隙に、櫻井はドアを蹴り開け、地面を蹴った。


「チッ!」


「逃げた!」


僕は反射的に声を張り上げた。



亮平がすかさず車から飛び降り、一緒に追いかけた。


櫻井は速かった。

躊躇がない。逃げることに慣れている動きだ。


「悠輝、行くな!」


千堂の制止を背に、僕は走った。


莉花の

「無茶、しないでね」

が頭をよぎる。


それでも、足は止まらなかった。


櫻井がフェンスを勢いよく越えた瞬間、着地を誤り転んだ。


立ち上がろうとした櫻井に、僕が体当たりする。


二人揃って転倒する。

肩に激痛が走る。


櫻井の手に、銀色が閃いた。

折りたたみナイフだ。


肩が悲鳴を上げる。


それでも、腕は離さなかった。


「離せ!」


「……離さない」


フェンスを回り込んだ亮平が、櫻井につかみかかる。

左手で亮平の手を振り払うと同時に、右拳が亮平の左頬を直撃する。


カウンターだ。


亮平が殴られ、よろけたが、

僕は体を捕まえたまま離さない。


「誰だ、お前たち」


亮平を睨んで言う。


どこの者だ!


遅れてきた千堂が追いつく。

一瞬、僕の肩を見る。血が滲んでいる。


櫻井を地面に押さえ込み、

結束バンドが締め上げられる音がした。


「動くな。終わりだ」

その一言で、すべてが決まった。


櫻井の抵抗が止まった。


僕はその場に座り込み、肩を押さえた。


手のひらが、赤く染まっていた。


それが、自分の血だと気づくまで、少し時間がかかった。


紗希の言葉は、

たぶん全部、本気だった。


冗談みたいに軽くて、

でもまっすぐだった。


だから僕は、

少しだけ揺れた。


その心は、

誰にも見せない殻の中にしまった。


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