19章. 《オペレーション・ブラインド》始動
戦いには二種類ある。
銃声が鳴る戦いと、
誰も気づかない戦いだ。
本当に恐ろしいのは、
いつも後者である。
道場に、低い音が響いた。
畳を踏む音。
息が擦れる音。
そして、ときどき、誰かが体勢を崩す音。
「……止め」
千堂の声で、空気が一度切れる。
亮平は、肩で息をしながら、その場に立っていた。
額に浮いた汗が、ぽたりと畳に落ちる。
「亮平、なんだそのだらしない動きは!」
「……身体が、ついてこないよ」
正直な答えだった。
千堂は、亮平を一度だけ見た。
「まぁ一応、動きは覚えてるな」
そう言ってから、視線を外す。
「普通の奴よりは、強い」
「ただ――」
「長いこと、何もしてない身体だ」
亮平は、苦く笑った。
小学生の頃も。
中学生の頃も。
逃げ場はなかった。
この畳の上で、何度も泣かされた。
「次。悠輝」
呼ばれて、悠輝が一歩前に出る。
構えはぎこちない。
重心も高い。
明らかに初心者だ。
しばらく、基本的な組手を教えた。
「……悪くはない」
千堂の声が落ちる。
「筋はいい」
「ただ時間が足りないな」
悠輝は、息を整えながら、首をすくめた。
「正直、怖いです」
「でも……やらないと」
亮平が眉をひそめる。
「こんな付け焼き刃で、役に立つのか?」
千堂は、一枚のシャツを見せる。
「これを着てもらう」
「それ、何ですか?」
「防刃インナーだ」
「完全じゃないが、刃物は通りにくい」
千堂は即答した。
「“死なない確率”が上がるだけで、少しは余裕が出る」
「俺の分は」
亮平がすかさず言う。
「ある、心配するな」
「安心してくれ、万が一はない」
「俺が守る」
それ以上は、言わなかった。
——死ぬか生きるか。
その差は、いつも紙一重だ。
⸻
夜。
HAVENの奥の席。
照明は落とされ、外からはただのバーに見える。
亮平と悠輝は、明らかに疲れていた。
身体より、神経が。
「無茶、しないでね」
莉花が、珍しく静かな声で言った。
「怪我だけは、絶対にだめ」
「危ないと思ったら、逃げるのを優先して」
見つめ合う。
「……特に、悠輝」
「あなたのいた世界とは違うから」
悠輝は、少し驚いたように目を上げてから、頷いた。
「うん」
亮平が口を挟む。
「俺のことも心配して」
「あなたは逃げ足早いでしょ」
莉花が笑いながら言った。
莉花が口を開く。
「今回の作戦名は――
《オペレーション・ブラインド》」
亮平が、眉を上げる。
「ブラインド?」
「見せない」
「気づかせない」
「誰にも、だ」
千堂は、テーブルに簡単な図を描く。
「警察は使えない」
千堂ははっきり言った。
「動けば、先に証拠が消える。そして俺たちも終わる」
「悠輝、細川はお前が呼び出す」
悠輝は、息を呑んだ。
「……僕が?」
「知り合いだろ」
「細川は、お前を危険だと思っていない」
「私も手伝う」
紗希が言う。
「私と悠輝が、付き合う事にして課長をよびだすわ」
「私、課長のLINEも知ってるから」
「一ヶ月の間何もしてなかったわけじゃないよ」
莉花
「それはダメ」
紗希
「出た、それ完全に私情」
「ここは、これがベスト」
「しょうがない」
莉花が苦々しい顔をして言う。
「悠輝にあまりベタベタしないでよ」
紗希
「役よ!役」
「主演女優賞見せてあげる」
私達が千堂さんに脅されてやれされてる感じにする」
千堂が眉を細め、軽く咳払いをした。
「で、細川から櫻井を呼び出させる」
「櫻井の顔を知ってるのは、亮平だけだ」
莉花が静かに言う。
「警察にも、パパにも、倉橋にも、野崎にも絶対に知られたくない」
「そうです」
「ここは失敗できない」
千堂が頷く。
「確保を誰かに見られたら犯罪者」
「逃げられれば、証拠が消える」
「一発勝負」
「そこからも時間勝負」
「櫻井が消えれば、全員が疑心暗鬼に拍車がかかる」
「後の“爆弾メール”が、生きる」
「で……」
千堂は、一瞬だけ視線を伏せた。
そして、決めたように言う。
「俺たちは、別の組織を装う」
「細川には、そう思わせる」
「口を割らせるには、それが一番早い」
空気が張りつめる。
「俺が少々強引に聞き出す」
「やり方は知ってる」
莉花
「じゃあ、それらしい場所を用意するわ」
「確保したらなるべく外を見られないように、車の後ろの窓を、加工したほうがいいわね」
亮平は、ゆっくり息を吐いた。
「千堂さん……一番危ない役だな」
「ばれたら即逮捕だ」
「承知の上だ」
「お前もやるんだ」
「目出し帽用意してくれ、三人分」
亮平が目を丸くして
「無理、無理」と手を振る。
亮平が顔を上げる。
「……三人?」
「俺と、お前と――」
そこで一瞬、言葉を切る。
「悠輝だ」
「櫻井確保は失敗できない」
莉花が、千堂を見る。
「千堂さん」
「はい」
「無茶は、しないでね」
「櫻井は既に一人殺している」
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
皆は顔を見渡す。
千堂は、まっすぐに答えた。
「このチームは俺が守る」
短く、重い言葉だった。
誰も、反論しなかった。
グラスの氷が、かすかに鳴る。
作戦は、もう後戻りできないところまで来ていた。
——奴らの見えない場所で、櫻井たちを静かに捕える。
《オペレーション・ブラインド》は、静かに始動した。
盤面は動いた。
だが、誰一人として
盤面の全体を見ている者はいない。




