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Scrambled Egg  作者: 読まれる前提
《たまごの殻》

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18/28

18章. 《千堂千畝》

忠誠は、命より重い。

引き金が引かれた瞬間、

守るべきものと、守れないものが分かれる。


彼は一度、死にかけた。


だからこそ、

今度は自分の意志で立たせたい。

昼過ぎの屋敷は、穏やかだった。


窓から差し込む光が白く、

何も起きていないように見える――


それが、

かえって少し苛立たしく、腹立たしい。


私はバッグを手に取り、立ち上がった。


「千堂さん」


すぐに、廊下の先から足音。


「はい、お嬢様」


「出かけるわ」

「今日は、買い物」


千堂は一瞬だけ、私の手元のバッグを見た。


いつもより小さめ。

仕事用でも、遊び用でもない。


「承知しました」


玄関を出る。


「目的地は?」


私は少し考える素振りをしてから答えた。


「銀座のデパート」


それは、半分は本音だった。


悠輝の顔が、ふっと浮かぶ。


季節の変わり目。


――デートするなら、可愛いワンピースが欲しい。


「かしこまりました」


それ以上、千堂は聞かない。

――そこが、彼のいいところ。


車は屋敷を離れ、静かな住宅街を抜けていく。


昼間の東京は、私の心とは裏腹に、平和だった。


信号待ちの間、

私はウインドウに映る自分の顔を、ぼんやりと見ていた。


「……ねえ、千堂さん」


「はい」


「この前、父が自慢げに話していた南米の話」


「パパが、危ない橋を渡ってた頃の」


千堂の肩に、ほんの一瞬だけ力が入った。


「覚えてる?」


「はい、忘れるような話ではありません」


父を守り、千堂は肩を撃たれた。


手術の後、リハビリに半年を要し、

回復後、私のボディーガード兼運転手になった。



それ以上、会話は続かない。

――この人は、自分のことを語らない。


高速に乗って、しばらくした頃。


「ごめんなさい」

「気分、変わった」


千堂が、ミラー越しに私を見る。


「目的地を、変更して」


「大井埠頭に行って」


「……風、強いですよ」


「ええ」

「大丈夫」


少しだけ、声を落とす。


「誰もいない場所がいいの」


そして、淡々と告げた。


「ここから先」

「GPS、切って」


千堂は、すぐには答えなかった。


「……理由を伺っても?」


「今は、聞かないで」


短い沈黙。


「承知しました」


端末の操作音。

ナビが沈黙する。


車はインターを降り、

街は急速に色を失っていく。


倉庫、コンテナ、

人の気配を失った道路。


やがて、

東側の使われなくなった岸壁に車が滑り込む。


千堂は、ゆっくりとブレーキを踏み、

車を止め、

そして、

静かにエンジンを切った。


風の音だけが残り、埠頭は静かになった。


私は、真剣な眼差しで前を向いたまま言った。


「千堂さん」


「はい」


千堂は、振り向かず、ミラー越しにこちらを見た。


「あなたは、私のボディーガードよね」


「はい」


「それは、父の命令?」


「……はい」


そこで、言葉が途切れた。


「今は?」


千堂は、少し間を置いて答えた。


「……私は、藤堂家に雇われています」


私は、彼の目をもう一度、正面から見た。


「じゃあ、これからは」


「私自身が、千堂さんを雇いたい」


「……」


「意味がわかりません」


海から、風が吹き上げる。


「今までの千堂さんは、いらない」


「私には、藤堂家に対する義理があります」


「警察を辞めさせられた時、拾ってくれたのが高虎様です」


「だから、高雄様にも尽くすのが当然です」


「あなたのその忠誠心、嫌いじゃないわ」

「昔の武士みたい」


「千堂さん」

「あなた、南米でパパをかばって撃たれて、死にかけたでしょ」


「パパが相当悪どいことをしてたの、わかってたはず」


「あれで十分、義理は果たせてる」

「あの時――あなたは、一度死んだの」


千堂の表情は、変わらない。


「警察官だった頃のあなたは、正義だけで動いていた」


「だから、組織に残れなかった」


「それは、紗希のお父さんからも聞いているわ」


もちろん、それだけじゃない。

人事記録、警察時代の表彰歴、南米出張の医療報告書まで――私は全部読んでいる。


「最後までかばったのは、あの人よね」


「……よくご存知ですね」


「……もう、わかっているわよね」


風が、車体を揺らした。


「正しいだけじゃ、守れないって」


私は、静かに告げる。


「あなたは、撃たれた時に死んだの」


「今のあなたは――抜け殻よ」


「私を過保護に守るだけの、ただのボディーガードになってる」


「……」


「……違うわ」


「抜け殻じゃない」


「本当の自分を、殻に閉じ込めてるだけよ」


千堂は、何も答えなかった。


「パパを裁きたいわけじゃない」

「でも、このままだと日山が壊れる」


「壊れるくらいなら――私が戦う」


「藤堂高雄に対抗する勢力を、とりあえず私がまとめたい」


「そうすれば、会社は割れるだけで力は落ちない」


「今のパパは、敵を作りすぎる」


「おそらくパパにつく役員は半分」

「ついた役員たちが強力だから」


「残った半分を、潰しかねない」


「そうなったら、もう手遅れなの」


「だから、あなたが必要なの」


千堂の目が、わずかに揺れた。


「……まだ、私にお手伝いできることがあるのでしょうか」


千堂は、言葉を探すように一瞬視線を伏せた。


「ええ、あなたにしかできないこと」


「私は、あなたを裏切らない」


「――だから、ここに来たの」


私は、真剣に言った。


「ここから先は」

「仲間じゃないと、進めない」


長い沈黙。


そのとき、千堂が初めて口を開いた。


「……子供の頃から、あなたを見てきました」

「武道も、私が教えました」


「素直でした。真っ直ぐで――危ういほどに」


「ですが、真っ直ぐなだけではない」

「引かない時の目は……高雄様に似ています」


私は、何も言わない。


「経営者としての器は、あると思います」

「ただ――相手が高雄様です」


ミラー越しに、千堂の視線が私を捉える。


「親子でも、敵になれば別です」


「……覚悟は、おありですか」


私は、迷わず答えた。


「あるわ」


再び、沈黙。


やがて――

千堂はキーに手を伸ばし、

エンジンをかけた。


低い振動が、車内に戻る。


それは、答えだった。


「千堂さん、よろしく」

私は、何もなかったように言う。


「……」


「それじゃ、買い物付き合って」

「悠輝とデートする時の服、選んで欲しい」


「……申し訳ありませんが」

「それは、拒否します」


バックミラー越しに、

千堂が、ほんの少しだけ笑っていた。


「ちゃんと拒否できるじゃない」


――私は、その笑顔を初めて見た。


守られる側から、守る側へ。


私は一人、味方を増やした。

それは、父に背を向けた瞬間でもあった。


もう、後戻りはしない。

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