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Scrambled Egg  作者: 読まれる前提
《たまごの殻》

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10章. 《Ghost》

紗希は、嘘をつかない。

ただ、私と同じ見方をしていない。


目の前の問題を解くのは得意だ。

けれど、その先の結果にはあまり興味がない。


私が迷う場面でも、紗希は迷わない。

正しいかどうかではなく、解けるかどうかで判断しているように見える。


――あの子は、本当に私と同じ場所にいるんだろうか。

紗希のマンションの入口に着いた。


――いない。


車を寄せ、ハザードを落とす。

しばらく待って約束の時間になっても、彼女は現れない。

紗希にしては、珍しい。


電話をかけた。


「もしもし」


「ごめん、ごめん。もう少し待ってて」


声に熱がない。

言い訳の形だけが乗っている。


――来たくないのだと、すぐ分かった。


私はエンジンを切る。

静かな車内で、オートロックの扉が開いては閉じるのを眺める。

人の出入りのたび、わずかな空気が動く。

それだけで、時間が刻まれていく。


紗希は昔から、争いごとを極端に嫌う。

正確には――“結果が見えてしまうこと”を避ける。


今回の件を説明したとき、彼女は一度だけ黙った。

その沈黙は、悩んでいるというより、頭の中で何かを並べ替えている感じだった。


それから、こう言った。


「莉花、やめた方がいいよ」


理由は言わなかった。



小学生の頃から、あの子は少し違っていた。


岡部家は教育熱心で、小学校の低学年から家庭教師がついていた。


遊びに行っても、砂場で遊ばない。

地面に数字を書き、指で線を引き、私に説明する。


「ここ、同じに見えるでしょ」


私はうなずくしかない。

何を言いたいのか、言葉が足りず、わからなかった。


岡部さんが笑いながら言った。


「この子ね、答えが出ると興味なくすの」

「結果より、途中が気になるみたいでね」

「先生も問題を作るのが大変らしいのよ」


その言葉だけ、妙に覚えている。


中学になると、普通の数学はやらなくなった。

代わりに、整数論と平面幾何をやっていた。


教科書の問題は解いていない。

机に広げていたのは問題集ではなく、白いノートだった。


合同、背理法、無限降下法。

学校ではまだ習っていない言葉を、当然のように使う。


私は何をしているのか理解しようともしなかった。

ただ、紗希だけが当たり前のように「証明」という言葉を使っていたのを覚えている。


高校に入ると、今度は数列の話ばかりになった。

ついていた院生の家庭教師の影響だったらしい。


「奇数に 3n+1 を作用させる操作を、最初から半分にした写像に置き換える」


そう言われたのを覚えている。

私は、うなずいた。


もちろん、面倒なので聞き流すだけだった。


紗希はノートに同じ形を何度も描いていた。

大きな枠の中に、似た図形がいくつも入り込んでいる。


「数字のままだと見えないけど、形にすると戻る場所が分かるの」


フラクタルのように、縮小された同じ図が繰り返されていた。

私にはただの落書きにしか見えなかった。


「遠回りしても、結局ここに戻る」


紗希はそう言って、中心の一点を指した。


後から知った。

あれはコラッツ操作の変種の挙動を扱った論文で、紗希は院生に助けられながら、最後まで書き上げていた。


数学オリンピック合宿の招待状が届いたときも、紗希は驚かなかった。

「行ってくる」とだけ言った。


翌年、日本代表に選ばれたと聞いたときも同じだった。

本人にとっては、大きな出来事ではなかったらしい。

騒いでいたのは学校と周囲だけだった。


そして、その春に英語の封筒が届いた。


中を読んだ父がしばらく黙り込んだのを覚えている。


入学案内ではなかった。

願書でもない。


「出願してほしい」と書かれていた。


数オリのあと、家庭教師の院生が論文を海外の研究者に送っていたらしい。

本人の知らないところでの話だった。


何が評価されたのか、本人は最後まで理解していなかったらしい。


マサチューセッツ工科大学。

――MIT。


私は名前だけは知っていた。


留学中も、電話とメールは続いていた。

時差のせいで会話はいつも少しずれていたが、途切れることはなかった。


私は二度、向こうへ遊びに行った。


学生にとっては理想的な環境らしい。

ただ、世界中から「勝つことに慣れた人間」が集まる場所でもある。


紗希の話では、そこで自信を失う人も少なくないという。



高校の頃、放課後に紗希と学校のパソコン室で顔を合わせることがあった。

どちらも長居はしない。次の予定までの空白を埋めるためだけの場所だった。


中学までは毎日のように一緒にいたのに、

高校に入ってからはお互い忙しくなり、会える時間は減っていた。

約束をして会うことは、ほとんどなくなっていた。


それでも、時々だけ時間が重なる。

その日は珍しく、どちらも急ぎの用事がなく、少しだけそこに留まっていた。



部活動の音が遠くで響いていた。


職員室はまだ先生が数名残っていたが、廊下は静かだった。


校内の端末は外部接続が禁止されている。

触っただけログはすべて残る、と先生が言っていた。


紗希は私の隣で、画面を見ていた。


開いていたのは、学校の成績管理システムのログイン画面だった。


「これ、先生しか入れないやつだよ」


私がそう言うと、紗希は小さく頷いた。


「見て。職員室で、まだ三人アクセスしてる」


画面の隅を指さす。


「通知表だね」


「……」


「……イタズラする?」


紗希が、少しだけ笑った。

いたずらを思いついた子供みたいな顔だった。


「やめなよ。怒られるどころじゃ済まないよ」


私が慌てて言うと、紗希は画面から目を離さないまま答えた。


「この子、理不尽に先生に嫌われてるみたいで可哀想なの」


「……だから?」


「少しだけ、評価アップ」


「それ、全然“少し”じゃないから」


「大丈夫だよ」


紗希は、キーボードに触れた。


「誰にもバレない?」


私がそう言うと、紗希は小さく「うん」とだけ答えた。


指がキーボードの上を滑った。


次の瞬間、画面が切り替わった。


パスワード入力欄は出ていない。

警告も表示されない。

ただ、そのまま管理画面が開いていた。


一瞬、何が起きたのか理解できなかった。


私は慌てて履歴を開く。

ログイン記録は残っていない。


「……今、何したの?」


「何もしてないよ」


紗希は画面から目を離さずに言った。


まるで――

扉を開けたのではなく、職員室の末端を操作している感じだった。


「閉じた方がいいね」


そう言って、紗希は画面を元に戻す。

数秒前まで開いていたはずの管理画面は、跡形もなく消えていた。



その横顔は、悪いことをした人の顔じゃなかった。

むしろ――

いいことをやった顔だった。



私は一度、向こうへ遊びに行ったことがある。


広いキャンパスだった。

石の建物とガラスの建物が混ざっていて、どこまでが大学なのか分からない。

観光地みたいな場所もあれば、近寄りがたい静けさの建物もある。


入口にはカードリーダーが付いていた。

学生は、皆当たり前のようにカードをかざして中に入っていく。


「関係者以外は入れないの?」


私が聞くと、紗希は小さく頷いた。


「基本はね」


「じゃあ私は待ってるよ」


そう言うと、紗希は少し考えてから、鞄の中を探った。

透明なケースに入ったカードを一枚取り出し、私に差し出す。


「はい、

作っておいた」


「……え?」


受け取る。

写真も名前も、私になっていた。


「ちょっと待って。これ、ダメなやつじゃないの?」


「大丈夫だよ」


「いや大丈夫じゃないでしょ」


紗希は、いつもの調子で首を傾げた。


「登録してあるから本物よ」


意味が分からないまま、半信半疑で入口にかざす。


――ピッ。


短い電子音が鳴り、ロックが外れた。


私は思わず紗希を見る。


「……入れた」


「うん」


紗希は、それ以上何も説明しなかった。


私は、周りの学生に紛れてそのまま歩いた。

誰も振り返らない。

私は“来訪者”ではなく、最初からここに通っている学生の一人として扱われていた。


「紗希、これ……」


「大丈夫、堂々として」


紗希は前を向いたまま言った。


「申請許可は面倒だし、規制が多いの」


学生のマスター管理はかなり厳重なはずだ。

――そういえば、高校の時も同じだった。


「紗希にとっては簡単なことか」



紗希は廊下の突き当たりでカードをかざした。

小さな電子音が鳴って、扉が開く。


「ここ空いてる。cluster」


中にはモニターが並び、いろいろな人種の学生が無言で画面を見ていた。


誰も私たちを気にしない。

私がいても、不自然じゃない場所だった。


「ちょっと待って。メール」


紗希がスマートフォンを取り出す。

画面を確認して、ほんの少しだけ目を細めた。


紗希のメールに、英語の返信が届いていた。



Are you even real?

No matter how strong the security is, you pass through without a trace.

Sometimes I feel you don’t live in our world at all—

but inside the network itself.


Like a ghost.



「……何それ」


私が覗き込む。


「この前、向こうの掲示板で、大学のネットワークの話になってね」


紗希は軽く言った。


「“入れないはずの場所が見えてる”って言ったら、この返事」


「それ、まずくない?」


「入ったわけじゃないよ」

「見えてただけ」


少しだけ、子供みたいに笑う。


「こんな可愛い子にお化けって失礼だな」


そう言うと、紗希は否定しなかった。


それから、向こうの知り合いは紗希をそう呼ぶようになった。


――Ghost。



助手席のドアが開き、紗希が乗り込んできた。


「おまたせ」


その声は軽いのに、体温がついてこない。


シートに座った紗希の横顔を、私は一瞬だけ盗み見た。


笑みの消えた口元。

感情を削ぎ落としたような表情。

――やっぱりやる気がない。



「昨日、あの後どうしたの?」


「悠輝を送っていったらね」

「お母さんにご飯を食べていけって言われて」

「その後、お父さんが泊まっていきなさいって」


「……もしかして」


私は、即座に首を振った。


「変なこと考えないで」

「別の部屋で寝たし」


「――ふうん。

何もしてない、ね」


「キスは?」


小さく、探るように聞く。


「……したけど」


「今日も、したでしょう」


「してない!」

速すぎるほどの否定。


「この前だって、キスの直後は別人みたいに冴えてたじゃない」


「何年の付き合いだと思ってるの。

顔を見れば、すぐわかるよ」


私はため息をついた。


「紗希、経験ないのに、なんでそんなに分かるの?」

「知識だけ一流だね」


紗希は一瞬だけ口角を上げ、すぐに視線を前へ戻した。


そのまま、わずかに頬をふくらませ、赤くなる。


「悠輝いい匂いがする」


「ダメ、私のだから!」


「紗希は、匂いのない世界が好きでしょ」

――言った瞬間、少しだけ後悔した。


紗希の表情がなくなる。


「そんなこと……ない」

「……こういう話をしたいの」


少し間を置いてから続ける。


「どこまで行ったか、ちゃんと報告してよね!」



「もうおしまい!」

「ちゃんと解析用のパソコン持ってきた?」


「うん」


紗希はカバンをポンと叩く。


「あ、でも解析はアメリカにいるシンディーにやってもらう」

「こっちのパソコンはデータを抜き出すだけ」


「なんで!」


「シンディーは優秀だよ」

「報酬は高額だけど、今回は私が作った解析ソフトウェアと交換条件で手伝ってくれる」


「今回は基本的にシンディーに動いてもらうから」


「向こうには高性能のPCがあるの」


紗希はどこにも視線を合わせずに言った。

何か予防線を引いてる感じだ。


「わかった」


やはりいつもの紗希と違う。

さっきの“顔を見ればわかるよ”が思い浮かぶ。


お互い様だ。


「もう、行くよ」


「それって、どこに行くの?」

「この前行った、日山食品?」


「違う」

「日山商事」


「役員専用の個室がある」


「特別対策室じゃないの?」


「公式にはね」

「特別対策室って、部屋の名前じゃない」


私はハンドルを握ったまま、淡々と続けた。


「お祖父様が任命した“人”のこと」


「今から行く部屋は、希望を出せば役員クラスなら誰でも使える」


「役員室」


「実際は……密談用にも使える」


「私が使えば、特別対策室になる」


「そういうことね」


車は、無駄のない動きで静かに発進する。


「私たちが調べれば、どうしても動きが表に出る」

「相手にも警戒される」


紗希が手を貸せば大丈夫だと思っていたが、彼女にも引っかかることがあるんだ。

無理強いをしても、能力を発揮できなければ意味がない。


シンディーを用意してくれただけもありがたい。


時間との勝負だ。


「あの会社には、今のところ、この件に関する関係者がいない」


「見つかるまで、時間は稼げる」


「誰を調べるの?」


私は答えず、メモを差し出した。


調査対象のリスト。


藤堂高雄 社長

吉野   課長

倉橋   専務

野崎   副社長

東南アジアとのメール履歴


――会社の中枢、揃い踏みだ。


「この中に、薬をばら撒いた人物がいる」


紗希の呼吸がほんの少し浅くなる。


「やっぱりやめようよ」

「自分の父親を疑うなんて、良くない」


「疑いじゃない、もう確信に近い」


「本当だったら、私は許さない!」


その言い方には、もう迷いがなかった。

迷いを置く場所を、先に消してしまった声だった。


紗希はノートパソコンを開き、連絡先を呼び出す。


「それと……倉橋専務が言っていた寄付金」

「ちゃんと計上されているか、確認できる?」


「できると思う」


私は紗希に強い口調で言う。


「その部屋には、グループ会社すべてに繋がっている端末がある」

「私のパスワードを入れれば、社内ネットワークに直結する」


「セキュリティは?」


「かなり厳重……本来は」


私はそこで改めて紗希の方を見た。


「外部機器の持ち込みは禁止」

「通信ログも、入退室ログも全部残る」


「でも?」


「今日は、私の名前で申請してある」

「時間帯も押さえてるし、使用者は私だけ」


「正式には記録は残る」

「でも、対策室権限なら……外部機器の持ち込みは可能」


「監視カメラは?」


「監視カメラは修正できない」

「でも、相手に気づかれなければ問題ない」


「わかった」

「中継だけは、やるよ」

ようやく紗希も納得したようだ。



部屋に入ると、空気が変わった。


白い壁。

遮音ガラス。

ドアの横には、入退室ログの残る端末。


端末が起動する乾いた音が、室内に響く。

感情の入り込む余地のない音。


「本当にやる気?」


「やるよ!」


「どうなっても、知らないよ」


「いいから、早く」


紗希は持ち込んだノートパソコンを端末に接続した。

小さな電子音が鳴り、黒いウィンドウが開く。


私は何をしているのか理解できない。

ただ――やってはいけないことをしている、という感覚だけがあった。


紗希の指がキーボードの上を滑る。迷いがない。

迷いがないのではなく、迷いが見えない。


『久しぶり、紗希。その回線……社内ネットワーク直結ね』


『解析はこっちのスパコンじゃないと、時間かかるね』

スピーカーから女性の声がした。

シンディーだ。


「今回はちょっとだけ厄介」


『権限、どこまで取れてる?』


「うん。対策室の権限」


『監視系は?』


「生きてる」


『了解。解析はこっちでやる。そっちは触らず、複製だけ取って』


「コピーだけ抜く。ログが残るのはしょうがない」


紗希が画面を見たまま言った。


「今から抽出するよ」


プログラムをインストールした。

「……オッケー」


【Enter key】を押す。


画面に英数字が流れ始める。

転送バーがゆっくりと伸びていく。


私はドアを振り返った。

誰かが入ってきたら――終わる。


『メールヘッダ保持して。タイムログと中継情報も全部』


「了解。続けて業務サーバーとメールサーバー、両方いく」


紗希の声は淡々としている。

まるで、日常作業のようだった。


数分後、シンディーの声が少し低くなった。


『……おかしい』


紗希の指が止まる。


「なに?」


『削除ログが揃いすぎてる。偶然じゃない』


私は画面を見てもわからない。

文字列が並んでいるだけだ。


『十日周期で完全消去が走ってる。しかも痕跡の残し方が不自然』


「プログラムの自動処理じゃないの?」

私は当然のように言った。


一瞬の沈黙。


『違う』


シンディーははっきり言った。


『これ、人がやってる。しかも内部権限を持ってる人間ね』


空気が凍る。


『何でだろう。古いデータが完全には復元できない』


スピーカー越しに、シンディーの声が落ちた。


『普通、完全消去しても私なら復元できるのにな』

『紗希ならできるんじゃない?』


私は思わず紗希の方を見た。

紗希は画面を見たまま、表情を変えない。


「バックアップサーバーには残っていると思うけど、ここからは無理」

「おそらくセキュリティ会社が管理してると思う」


「そこに入れれば、可能だと思うけど無理よね」


「……」


『外部から侵入した痕跡は無い。ログの整え方も手慣れてる。……素人じゃない』


私は無意識に息を止めていた。


「つまり……社内の人?」


『ええ。かなり深い権限を持ってる。しかもシステムを理解してる人間よ』


紗希は、何も言わなかった。


ただ、キーボードを打つ指だけが、わずかに遅れた。

その“遅れ”が、私の胸の奥に刺さる。


『やばい、相手に気づかれるかも』


「猶予は?」


『このペースだとあと八日だね』


「厳しいな」


「残りの解析、お願い」


『任せて。残っているデータ全部抜く』


『これで、よしっと』


【Enter key】を押す。

送信完了の通知と同時に回線を切った。


――重要な情報は表に出ないようにされている。


だが、消したなら“消し方”が残る。


紗希は小さな声で言う。


「名前と名前を結びつけるには、時間が足りないな」

「持ち帰って解析するしかない」


「だけど、直近でいくつか不自然なやり取りが残っている」

「これ、見て」


一昨日の14時34分。

倉橋専務から、吉野課長へ。


[サンプル品を、いつものように配ってください]


紗希は思い出しながら言う。


「この時間……スーパーアサヒにいた時よね」


「その日は休日出勤」

「吉野課長からサンプルハンバーグを受け取ったのは11時」


「昼前には、もういなかった」


「時間も、場所も、噛み合わない」


「そもそも……」


私は画面から目を離さずに言った。


「専務が、サンプルごときで動くのは不自然だ」


「……」


「もし、専務とあなたのお父さんが繋がっているなら」


「薬をばら撒いたのが、やはり父親側だった可能性が高い」


空気が、一段重くなる。


紗希が、私を見た。


「莉花」

「……あんた、本当に自分の親とやれるの?」


私は少し間を置いた。


「……まだ、決めつけはしない」

「誰が何をやってるか、確定してない」


「でも……全員、綺麗じゃない」


紗希は画面に戻り、経理データを検索した。


「寄付金の計上……全くないな」


「じゃあ、あの段ボール……」

「どこかで中身をすり替えて」


「アサヒと日山食品を、行ったり来たりしてる?」


一瞬の沈黙。


無機質な部屋に、キーボードを叩く音だけが淡々と響く。

規則正しく、冷たいリズム。


「確認用に、なりすましメールを送って反応を見る?」

紗希が画面から目を離さずに言った。


「それいい!」

「でも、まだ早い」


「……何で」


「分からないことが多すぎる」

「ここで動いたら、相手に証拠をすべて消される」


私は小さく息を吐いた。


「もう少し情報を集めてから、

効果的に、相手を動かす」

私は言い切った。


視線を上げると、紗希がこちらを見ていた。


いつもと同じはずの表情なのに、胸の奥に小さな違和感が残る。

怖がっているのとも、怯えているのとも違う。

もっと静かで、もっと深い影。


ふと、向こうで呼ばれていた名を思い出す。


Ghost。


残像だけを残し、姿は掴めない。


――あなたが、真実を選んではいけない。


私は、あの子をよく知っているつもりだった。


誰より長く一緒にいて、

誰より多くの時間を共有してきた。


私たちは悩み、迷い、選ぶ。

けれど紗希は、迷わない。


だから――


同じ場所に立っていると思っていたのは、

私の思い込みだったのかもしれない。


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