第32-3話 〜誘うものゼルヴァ〜
「うぉおおぉーっ」
負けてたまるか、その一心で立ち上がるリアン。
臆さずアルディスに詰め寄る。
その手に剣は無い。
拳の勝負だった。
リアンの突きがアルディスの頬を捉えた。
そして、休まずその腹をリアンの膝が抉った。
「ぶふぁっ」
と、声を上げて吹き飛ぶ。
そしてドサっと音を立て落ちる。
地面の枯れた芝を刈り取るように転げたのはリアンだった。
リアンの膝に合わせてアルディスの手の甲が、その横っ面をはたいたのだった。
「ふあははは、そんなんで効くとでも思ったのか!残念な奴だ」
そう言うと、地に落ちた剣を拾い易々とリアンを斬り伏せたのだった。
——終わった
(ああ、結局ダメなのか——俺はまだ無力だったのか)
死の淵でそう嘆き目を閉じていった。
「ちっ、それにしてもこんなガキにここまでやられるとはな」
と、本隊への報告が面倒だと思い悩んだ。
それも束の間、自身のテントへと引き上げ、食事を再開させるアルディスだった。
そんな一連の流れを、空から見ているものがいた。
「ほーう、あの小僧……死なすには惜しいな、試してみるか!?」
と、呟くとリアンのそばへと降りていった。
そして、リアンを抱き起こし、
「このまま死んでいくのか」
その声が暗闇に沈みゆく心を呼び止めた。
意識の遠退いたリアンには、それが神の声にさえ思えた。
(ああ、生きたい!そして強くなりたい)
言葉には出来なかったが、胸の内でそう叫んだ。
肩から伝わる感覚に、
「そうか、ならくれてやろう。我が力を」
と、言い自身の手を、その口から生えた牙で貫くのだった。
ぽた、ぽた、と垂れる男の血。
それをリアンの口へと流し込んだ。
こふっ、と無意識の拒絶に咳き込むリアン。
が、そんな抵抗も虚しく、その血はリアンの身体中を駆け巡るのだった。
——ガァンガァンガーン
頭に響く鐘の音。
いやそれは宿命の音だったのかも知れない。
煮えたぎり熱くなる血。
いつか経験したことがあったその感覚。
そして、また大きな気泡が心の奥深くで、パチンっと弾けた。
途端に、リアンの身体からすぅーと、熱が、身体を駆け巡る違和感が消えていった。
ゆっくりと目を開けるリアン。
その表情は平静そのものだった。
目の前に、見た事のない顔があった。
(これは人の顔か)
と、すぐにその異形に気づいた。
不思議と恐怖は無い。それどころか親近感さえ湧いた。
「目覚めたか?名は何と申す」
男が問う。
「リアン、リアン=ヴァルドだ」
男の目を見返してそう答える。
「ヴァルドか——この目に間違いは無かったようだな?気に入ったリアンよ」
と、うっすらと笑みを浮かべる男に、
「おま、あなたは?」
と、何かを感じ、言い直すリアン。
「予か?予はゼルヴァ=ラグナレヴ。この世に吸血鬼となり、舞い降りた者よ」
と、リアンには理解し難い一言を告げた。
(吸血鬼だって?そんなの御伽の……)
と、思いかけたが、ゼルヴァと名乗る男のその口の牙が疑いを解いた。
「リアンよ、今この時からお前もまた、吸血鬼となったのだ。予にその力を見せてみよ」
と、アルディスが居るテントを指差した。
ゼルヴァの言葉のままに立ち上がるリアンが歩き出す。
(何だこれは!?)
その一歩一歩に漲る力。
そして、走り出すリアン。
(軽い!どうなっているんだ?)
そのテントの前で声を上げた。
「アルディスとやら、出てこいよ。もう一度相手をしてやるよ」
今のリアンは寝首を掻くような真似では無く、正面からこの力を試したかったのだった。
「ん?まだ生きていたのか、小僧。逃げれば良いものを?」
だるそうなアルディスの言葉。
それも当たり前だった。
負け犬が相手をしてやるとは、思い上がりも甚だしかった。
テントから出て来たアルディス。
それを見てニヤっと笑うリアン。
(事切れたか?)
と、小馬鹿にするアルディスに、
「行くぞ」
と、これまた落ち着き払ったリアンの声がした。
ドサッ、
終わりだった。
リアンのその手刀が、アルディスの胸を貫いたのだった。
「へへへ、俺は、はははっ、このこんなはあはははー」
その歓喜は最早、言葉にすらならなかった。
自分を、家族を貶めた全ての元凶。
今ここにそれを絶ったのだ。
そして、さらなる変貌が、初めての欲望が渦巻いた。
——初めての血肉の味
それは倒れたアルディスの身体から、その血を喰らう狂気へと……
その味に酔いしれた。
ただ、生臭く禁忌の象徴だった血が、
(ははは、こんなにも旨いとは……)
その顔は、瞳は真っ赤に染まっていった。
そして、その月は赤く燃え、風は木々を揺らし、窓を割っていった。
それはこの世界が失った平和を……
——新たな吸血鬼の殺戮の物語
その始まりに警鐘を鳴らして——
完




