第26-3話 〜兆し〜
しかし、リアンは決して情けをかけた訳ではなかった。
その身を打たれ、叩き込まれた剣術。
そして二人を殺した今、その腕には過信と言う名の、落とし穴が掘られていた。
(この俺なら出来る。もう誰にもやられなくていいんだ!!)
が、それは思い上がりだと、すぐに思い知らされることとなった。
「貴様にこの地位をぉ!」
リアンにとっては、意味不明な掛け声がした。
そして距離を詰めるマグヌス。
急にその身体が大きくなったように、マグヌスがすぐ目の前まで迫ってきた。
ギシィンっ、
無意識のリアンの受け。
不満な顔のマグヌスが、休まず次に移る。
「げふぉっ」
口から血を吹きながら、後ろに飛ばされるリアン。
距離が近いからとマグヌスの柄頭が、リアンの頬を張り飛ばしたのだった。
そのまま転がり、剣を放り出してしまったリアン。
頬に感覚はないが、意識だけは何とかあった。
足早に近寄るマグヌス。
その影がリアンの頭に重なった時、
「終わりだぁ!!」
と剣を突き刺して来た。
リアンの動きを大袈裟な心臓の鼓動が邪魔をした。
僅かに逃げ遅れるリアンの耳を、その刃が掠めた。
チリっ、
と冷たく鋭い痛みが走った。
大きな呼吸に喘ぐ背中に大量の汗。
気づけば額からも汗が、
(ヤロー、アイツはあんなに涼しそうに!?)
とマグヌスの顔と、自身の状況を思い比べた。
今更ながらに無謀な自分を知った。
後悔と恐怖、無力と絶望、
「ジャリ」
口の中に入り込んだ土。
その中に鉄の欠片が混じっていた。
鉄の味、血の生臭さ、温かさ——
「グヘぇ」
不敵に笑うリアンは剣も持たず立ち上がる。
そのリアンの姿に、僅かに『恐れ』を感じたマグヌス。
これまでよりも一際大きな気合、
「いやあぁぁ、くたばれっ!!」
スッ、
と銀色の光が白い尾を引きながら、リアンの目の前をよぎった。
さあーっと、赤い霧が、肩から胸の辺りにかけて吹き出した。
それを見て動けないリアン。
痛みは不思議と無かった。
(ああ、俺は死ぬんだ?こんな嫌いな景色が、何故か……美しい)
と死を覚悟して放心するリアン。
「はぁ、はぁ、貴様は化け物か!何故死なん?」
達人としてはあろうことか、デク相手に息を切らしていた。
(は!?)
と、我に返るリアン。
——まだ、生きている
それもそのはずだった。
マグヌスは、らしからぬ過ちを犯していた。
リアンのその頑丈な身体に、そしてその目に臆したのだった。
戦場で覚悟を決めた者、生きた屍の如く、斬っても斬っても迫り来るあの恐怖。
それをリアンに見ていたのであった。
そして、その恐れはそのまま距離の見誤りに繋がったという訳であった。
すかさず剣を拾うリアン。
本能的に危機を回避するマグヌスが、先手を取って打ち込んで来た。
それが上段に振りかぶり、リアン目掛けて詰め寄った。
(速い!?)
身構えるリアン、自然と身体が縮こまった。
マグヌスの剣が、そのままリアンの頭上を通り過ぎてくれた。
のし掛かるマグヌスの身体、反射的に押しのけるリアン。
次いで身体を起こし、マグヌスの両腕をその肩で跳ね上げた。
その刹那に回転するリアン。
ビュュー、
と風を切り、真一文字にマグヌスの胴を深々と裂いた。
その手応えに、口元が吊り上がって行く。
「フフフ、ふぁはははー」
笑い声が屋敷の壁に轟いた。
その自分の声を耳が受け取った時、首からお尻にかけて冷たいものが駆け抜けた。
ついで急に身体の熱が奪われていくのだった。
——寒い
氷室の中にいるようだった。
視界は黒く色を失ってゆく。
洞窟か何かに迷い込んだのか?
(ああ、やはり俺は死んでいくのか……)
短く悲惨な人生だった。
(なんて、運命だったんだ俺は……)
倒れ様に、ドバッと血を吐いた。
腸の辺りがググっと蠢いた感触があった。
それは胃へと上がり、そして胸中に広まりまた口から溢れた。
「ごほぁっ」
と、赤い塊も飛び出した。
こころの深淵に——
その奥深く光の差さない魂の核。
そこから浮かび上がる大きな気泡……
それが水面まで上がると、パチンっと音を立て弾けた。
「ぐぅわぁあっ」
今度は背中に熱いモノを感じた。
身体の中から焼けていき、その吐息はまるで煙を吐いているかのようだった。
やがて全身にその熱は蔓延した。
そしてリアンは、身体が燃え尽くされ溶けていくかのように崩れていった。
どれだけ倒れていただろうか?
意識を取り戻したリアンの視界には、かつて見たことのない黒い世界が広がっていた。
——漲る力
——溢れる闘争心
——込み上げる怒り
リアンの心の奥深い所に巣食っていた破滅の血が……
今ここに解き放たれた——いや甦ったと言えようか。
すくっと立ち上がるリアン。
その目に表情はない。
切先を下に向け剣を高く掲げた。
——ふふっ
と不敵な笑みを浮かべ、そして剣をマグヌスの死んだ頭に突き刺した。
「はーはははっ、ははははー」
ついに狂気は、リアンを支配した。
胸を破裂させるような高揚感。
剣を握るその手首に痛いほど伝わる強大な力。
そんなリアンは剣を手に、その屋敷中を駆け回った。
自分を嘲笑ったカシアンの母親。
食事を運んでくる度に、床に投げつけた給仕の女。
マグヌスからの叱責を受ける度に、蹴りに来た執事の老人。
それらを皆殺しにしてやった——
そこに快楽と達成感が入り混じり、
「ははははっ」
何年ぶりかの心からの笑いに、返り血に染まるリアンの顔が、冷たく凄惨な形相へと変貌を果たしていくのだった。
——ここが最後の一室
そのドアの前で動きが止まった。
そこは、カシアンの妹ガラーシャの部屋だった。
ドアを開け中へと入るリアン。
その返り血に全身を染めたリアンを、怯えながら見つめるガラーシャ。
しかし、そこには他の者のような、嫌悪に満ちた蔑みの目はなかった。
この娘だけはリアンがここに来た時から、温かく優しい眼差しをむけてくれていた。
そんな彼女にリアンは、仄かな好意を寄せていた。
「俺はここの全てに復讐した。破滅の限りを与えてやった。お前だけは選べ、生きるか死ぬか?」
リアンは冷たくそう言った。
ガラーシャは、
「あなたを救わなかった私にはそんな資格はないわ。それに私ひとり生きていても……」
と、彼女はリアンに背を向け頸を晒した。
彼女の『救えなかった』ではなく『救わなかった』とその言葉に潔さを感じたリアン。
——生かしてやりたい
と、そんな想いさえ断ち切る覚悟を決めるのだった。
そうか——
とその剣を振り下ろした時、崩壊する心に代わり新たに滾る熱いものが込み上げてくるのだった。
それはリアンが人であった最後の証となった。
そして、魔神への第一歩へと——
もはやリアンに後悔も後ろめたさもなかった。
——全て運命だったんだ
自分をここまで落としたのもただの宿命だと噛み締め、その場を後にするのだった。
完




