第23-3話 〜取り違えた神〜
黒い塊もまた鎖に繋がれたまま、女の足を掴みこちらに歩いて来るのだった。
意識は無いのか——引きずられるままに両腕は伸び、首もこちらを向いたまま動かない。
ただ露わになった胸だけがそれに揺れていた。
微かに女の目が動いた。
男を何の感情もなく見たのだった。
その瞬間、男の鼓動は更に高まりだすのだった。
坂道を駆け上がった時など比べ物にならないほど、胸は大きく暴れ、息はその気管の狭さに苦しんだ。
静かに佇む金色の仮面。
その後ろから黒装束の影が現れた。
そして、女を繋いだ鎖を天井から吊り下がった鉤状に引っ掛けた。
ジャラ、ギギギ、
と、今度は石像の後ろ辺りから鳴った。
無機質な黒い鎖に足から吊り上げられる女にはすでに意思はないのか——
オルヴェウスの冷めた目がその裸体を追っているように、手にした鋭い槍はそこに固定されたまま先端を輝かせていた。
——轟く呪われた祈り
それに遅れてパイプオルガンの音色が首筋を触り、男の背に新たな鳥肌を立てるのだった。
天井高くに吊り上げられた女、その高さに自分のことのように戦慄する男。
凍り固まる喉は振動もできず、そこに泣き叫ぶ言葉さえ奪われた。
振り下ろされる金の仮面の手——
カラカラカラ、
音を立てて鉤が落下していく。
それは勢いよく女の足を引っ張り、突き立てられた槍の穂に女の肌は貫かれていった。
ガッシャン!
勢いのままに鎖を断ち切り床に落ちる鉤。
それを待っていたかのように祈りの声は合唱に変わり大きく激しく耳を劈いていった。
濡れた石の床に蝋燭の灯が間延びして揺れる。
それをパイプオルガンの高い泣き声がさらに引き延ばしていく。
滴る血がオルヴェウスの足元に澱みの川となり流れた。
いつの間にか現れた銀の仮面が、金の仮面に赤い宝石の施された剣を手渡した。
そして、銀の仮面は乾きこびりついた血の黒に燻んだ柄杓を、その川に差し込んだ。
パイプオルガンの色調が、どこか落ち着き払った低音へと変わった。
それに反して、合唱の声は高い女の声へと移っていった。
黒い澱みを汲んだ柄杓が男の腹の真上に掲げられた。
天に突き上げられた赤い宝剣が、蝋燭の炎に所々橙色を帯びて光った。
僅かに振った柄杓が澱みをその腹にぶち撒けた。
そして、赤い宝剣は横たわる男の腹の中へと入って行った。
ぶふぉあっ!
腹から溢れる血が止まるのを窺う柄杓。
そしてそれが止まった時、柄杓は反転し、その腹に澱みを流し込んでいった。
いつしかオルガンの音も、歌う声も止んでいた。
隙間からの風が微かに蝋燭の灯を揺らした音がした。
ぶぉぉ、
と。
金と銀の仮面の下に目が動く。
時に見つめ合い、時には男の顔を凝視した。
突然、激しく上下に跳ねだす男の身体。
石に踵を擦りながら伸び縮みする足。
首筋の血管が太く腫れ上がり、そしてその顔色を青く、白く変えて行った。
「うぐぁぬわぁ、いぃやぐぅがぁ!」
激痛が全身に渡り飛び出す目玉は血を吐いた。
そして遂に男は黙った。
金銀は何も言わずにその場を後にした。
消された蝋燭に伸びる白い煙。
その暗がりに黙り込むオルヴェウス像。
消された蝋燭のように、息絶えた男女が——
天窓をすり抜けた細い光が二人の身体を青白く照らしているだけだった。
夢と希望を持ってセレスタリアの地を目指していたはずの二人。
この悪魔の森に間違って迷い込んでなければ——
今頃エレスミアの赦しにその光を浴び、無量の笑みに包まれていたことだったのだろう……
完




