第8-3 〜溢れゆく白い花〜
尻込みするパウラを、抵抗できないほどの力で引っ張るガイサル。
しかし、その手は震えていた。
そして、その壁を越えた先には、
蠢くような黒い影が、パウラの目に飛び込んで来たのだった。
引き返そうとするパウラ。
しかし、その手を掴んだまま凍りつくガイサルは動けない。
「あわ、わぅわぁ」
「何だそれは、それが私に対する挨拶のつもりか?」
綺麗な声だったが、重く恐怖を与える声でもあった。
まだ応えられないガイサル。
そんな彼を見たパウラもまた更なる恐怖に寒気を感じ、全身に鳥肌がたった。
「情けない奴。キサマ本当に付いているのか?」
言いながら鞘でガイサルの股間を突いた。
身じろぐことしかできないガイサルに続けて、
「私には付いていないと言うのに忌々しい」
それは、女に生まれてきた自分を怨むような一言だった。
そんな時、
「うぐぅ、がぁ」
影の奥の方から低く地を這って届く声がした。
明らかに人の音では無かった。
ざわめく影、漂う乾いた汗のような匂い。
奥の最も暗い方から起こるドミノ倒し。それが悲鳴のように無力な声を上げていった。
「テオドラ様っ!」
と悲鳴の一つがその女を呼んだ。
「情けない奴らめ」
と倒れた影を迷わず踏みつけ、その匂いの元の髪を鷲掴みにするテオドラ。
引きずるように連れてこられた、
それは獣なのか——
それとも人だったものなのか——
「おい、お前どっちを食いたい?」
薄い笑みを浮かべながら、掴んだ髪で操り、パウラたちの顔を交互に見させた。
「な、何で俺もなんだ。パウラを連れて来れば今度こそ仲間に入れてくれると言ったじゃないか!」
恐怖に口を衝いて出るガイサルの激白。そんな彼を見つめるパウラの脳は、その言葉を理解するのを拒絶した。
そして彼女の純粋な心は、ズタズタと破り壊され瓦礫に埋もれてゆくのだった。
物心ついた時からいつも一緒に居たガイサル。
お互い誰よりも信頼していると思っていたのに……
隙間を抜けてほのかな風がパウラの頬を掠めた。
しかし崩れ落ちた心に、その冷たさは感じられなかった。
ただ、
「もういい、やれっ!」
と、テオドラの声の冷たさだけが、耳に届くのだった。
その指示と同時に、シャカっと音が鳴った。
そして、腹を抱えるようにして崩れ落ちるガイサル。
「いゃあーああ!」
と、パウラの小さな身体の、どこからこんな声が出ているのだろうか?
そして、パウラの胃から胸に込み上げる物があった。
それを何とか堪えるのだが、膝から落ち泣き崩れていった。
そこへ構わず、
「おい、お前この女を齧ってみろ!」
と、先ほどの獣じみた影にせせら笑うテオドラ。
ガサ、ガサ、
ひとつ、ふたつと、
瓦礫が押し潰され悲鳴を上げる。
そして、それはパウラへのカウントダウンの始まりとなった。
その無垢な碧い瞳には、何が映っていたのだろうか?
刺し殺されたガイサルの痛みなのか、
この迫り来る異形の姿か——
それともこんな世界を見放した、
神の閉ざされた瞳なのか——
野に咲く、名も知れない白い花。
風に吹かれ、小さく揺れていた。
それは……
春を待たずして散りゆくかのように——
完




