○稽古をするそうです。
「そう、ですか。」
翌日朝イチ、悪い知らせという事で前置きして、エマ捜索はしばらく不許可であることを伝えた。
「希望的でもないですけど、もしかしたら関係する事件がいま動いているからかも知れません。だから余計な風を起こさない、起こせないっていうことも考えられたり…しますから…」
その可能性もあんまりないけど、と正直に言いながら、多分我々に対する気遣いなのだろう自分なりの理由を述べるナツメ。
「もう、その申請など準備していただいてたんですね。」
ありがとうございます、と頭を下げるナツメに、ええってかまへん、と手をヒラヒラさせて応えるシン。
ちなみに今は、元の姿のおじさんの出立ちだが、初見であるナツメのリアクションは、手を口の前にかざして、一言。わ、本当だ。と言っただけだった。もっと何かあっても良いんじゃない。この世界の住人、なんか耐性強くない?と、どうでもいいことを思い出しつつ、言葉を続ける。
「そらそうよ。初日のリアクションとかで申請出すか決めよ思ってて、昨日のあんたならまぁええかなって思ったんやけどな。そしたらこれよ、にべもなく却下や、おもんないわ、ほんま。」
それを聞いてむくれて話に割り込むティオ。
「えー、黙ってやってたんですか、言ってくれれば手伝ったのに」
「しゃーないやろ、そんなに時間あらへんかったし。」
むー、と言ってむくれ続けるティオを尻目に、シンはナツメに言う。
「ほな切り替えて、仕事しつつ、あんたのリハビリでもしていこうか」
「リハビリ?ですか?」
自分はもう復帰したという自負もあるのだろう、少し不満げにいうナツメ。
「そうですよ。もうナツメさんは復帰してますよ、今さら何をするんですか?」
ティオも合わせて不平を言うが、シンは気にせず続ける。
「何も変なことせぇへんよ。真正面から人事や公安の鼻を明かしてやろうやんか。って言う話よ。」
さも当然という風に告げるシンの姿を見て、この人物の風評を思い出す。
正論吐き関西弁美少女おじさん。
その風評に違わず、変化球やくせ球でも、正論で真正面からぶつかって行く。よくも悪くもめんどくさ、いや、正直な、いや、人の好みが分かれる人間だろうと思った。
「ちょうどええやん、明日は逮捕術の合同稽古やろ。とりあえずそれ行こうや」
合同といっても、月一の全体練習のようなものだ、もちろん各人のシフト次第なのだが。夜勤ローテがない監査係なら基本的に参加できる。
「改めて顔を売る。営業みたいですね」
嫌味なつもりはないが、そう言葉が漏れる。
「まぁ、そうちゃそうやな、でもな、ティオも初めてやから連れて行ったってや」
ん?連れていく?顔に出ていたようだ、当たり前やろと言う顔をしてシンが言う。
「なに?そらそうやろ、急におじさんになったり女の子なったりするやつが相手になったら相手が気ぃ使って練習にならんからな」
そう言い終わると席を立ち居室の扉へ向かう。
「どこ行くんですか?」
と、ティオが聞く。
「仕事や、刑事部の定期監査や」
そういって出ていってしまった。
部屋に残された二人は顔を見合わす。
「ああ言って出ていってしまいましたが、合同稽古は明日ですよ。今日は何しましょう」
キョトンとした顔でティオが言う。
「それまでに準備とかしてろっていうことじゃない?」
そういって席を立つナツメ、ロッカーの方に歩いていく。復帰にあたりサヤカ経由で改めて頼んでいた新品のコンバットスーツを紙袋から取り出す。
「ティオさんもあるの?コレ?」
透明なビニール袋に入った服を凝視してフリーズするティオ。あ、無いんだ。そうかアンドロイドだもんね、どっかぶつけて故障させるわけにもいかないもんね。アレ?でも先月、誰かに殴れたって話を聞いたような。まぁ良いか。
せっかくなので、ビニール袋から取り出して、コレがどういったものなのか説明する。
厚手のインナーのような感じだが、各人の筋繊維にそっているので、運動動作のサポートがあること。効果のほどは、つけてびっくりすると言う感じでは無く、無いとしっくり来ないと言う程度。筋繊維に添わすため身体のラインが出るが、実際の任務の時は弾倉など各種装備品をつけるので、もう少しゴテゴテすること、エリのように上着を羽織るものもいる。ちなみに男性版にはこのような機能はない。普通の作業服に近いテイストとなっている。
ざっくりとした説明だが、自分が着るイメージをしているのか、ティオは割と真剣に聞いていた。背格好は近いものがあるが、一つの場所が決定的に違うので、ちょっと着てみる?とも聞けず。
「頼んではないの?」
と、聞くしかない。聞かれたティオは首を傾げるだけだった。確かに、あの人は見た目は美少女であっても中身はおじさんだから、サイズ感を聞くとか、そう言うわけにもいかないか、サヤカやエリも何もしてないってことは最初に思い出したようにアンドロイドだからと言う理由づけかもしれない。そう思いつつ改めて非地雷系可愛い系見た目隠キャ女子大生風アンドロイド?監査官を眺める。
「まぁそれ以前に、ティオさんって運動出来なさそうだもんね。」
むー!とむくれるティオを宥めつつ、スーツを改めて紙袋に戻す。
運動、出来る気でいるんだ。と少し意外な感想を抱くナツメだった。
---
「それで、シンさんは定期監査と言ってましたが、私たちはいかなくて良かったの?」
リハビリと言うならとにかく仕事に絡んだ方が良いとは思うのに、少しチグハグだなぁと感じる。
「刑事部は案件としては軽微なのでナツメさんの出番は無いと思いますよ」
今のところは、と説明するティオ。
そう、と答え、席に着く。ざっとスケジュールを確認する。刑事部をはじめ各部局の監査日程と項目がツラツラと記載されている。日程が詰まっていると言う感じはしない。
職責を考えるに、暇であればそれだけ平和であると言うことでもあるが、だからと言ってこの暇に甘んじるわけにもいかず。だがしかし。
うーん。と声が漏れる。
困った、そんなにすることがないぞ。ティオはティオでパラパラとドッジファイルをめくって仕事を初めてしまっている。話しかけて良いものか。
まぁ良いや、話しちゃえ。
「ティオさん」
呼びかける。顔も上げずに返事をするティオ。
「ティオで良いですよ。ナツメさんの方が先輩ですし」
「そう、じゃあティオ」
「なんですか」
「あなた、ほんとに機械?」
ティオが顔を上げる、少しだけ目を見開いている。ナツメは確信する。
間の取り方、息の飲み方、開く瞳孔も、人間のそれだ。昨日触った頬の感触含めて、いま目の前にいる有機物の集合体が人工物なわけない。
「秘密にするほどのものじゃないんですけどね」
おそらく度が入っていないメガネを取り、ナツメに向く。
「人間か、そうでないかと言われれば、わかりません、プログラムだった時の記憶もありますし。アンドロイドっていうのは建前上と表現、とするとシンさんから聞きました」
「まぁなんというか、とんでもないことね。」
素直な感想が漏れる。
「私の記憶はプログラムを組まれた瞬間に始まったと、そこはそう理解してます」
自分でもなんでいまこの話を聞きはじめたのか、全然わかってないが、ナツメは続ける。好奇心が止まらない。自分がいまどんな顔しているのかわからない。
「プログラムだったときってどうだったの?」
ティオは椅子に座り直し、姿勢を伸ばし、手は両足の付け根に添え、目を瞑る。
「感覚はなかったので、ずっとこんな感じで頭の中に流れてくる情報を処理してました。見える景色のイメージは皆さんがするようなイメージとたぶん一緒ですよ、0と1の羅列から、読み解いて処理するだけです。」
目を開いてドッジファイルを手に取り眺める。
「これも今は0と1の羅列として認識してから取り込んでいます」
パッパッパとめくる、目にも止まらない速度で。人の速読といえばそうだろうが、違いを断じるほどの根拠はナツメにはない。
「最初は苦労しました、どこまでが情報で、どこまでが物体か。紙の厚み、ファイル、机の模様、それすら全部0と1で表現されていたので」
1冊を見終わったのでドッジファイルをパタンと閉じる。
「どこまでが情報なのか、実体なのかを認識して整理する、ずいぶんと慣れたつもりでしたが、ぎこちなかったですか?運動が苦手って言うのはそうかもしれません。音声認識と発声機能はついてたのでスピーカーから声を出すというのはやってましたが。それはパソコンのマイクから〇と1が、スピーカーに0と1を送るだけなので。」
あー、ちょっと寂しそうになっちゃったな、と反省しつつ、ナツメは言葉を返す。
「ううん、そうじゃないの、アンドロイドが何かわかんないけど、気配が完全に人だったからね。これで完全にあなたがアンドロイドなら、それはもうとんでもない発明よ。」
クスッと笑って続ける。
「逆に、アンドロイドです。って言い続ける方が難しいくらい、あなたはずいぶん人間よ」
ちょっと鈍臭い感じの、と付け加えて、イタズラっぽく笑う。ティオはまた、むくれる。
ごめんごめんと謝るナツメ。
「珈琲にしましょう。今日は私が淹れるわ。」
そう言って、席を立つ。そして手早く珈琲を用意しようとする。ふと思い出してティオに確認する。
「そういえば、昨日結構砂糖を入れてたけど、珈琲は嫌いなの?」
昨日の景色を思い出す。ざらざらと砂糖を注いでいたティオの姿を思い出す。
「いいえ、大好きです」
まさかのトンチキな答えを出す、ティオ。
「まぁそうだと思っ、えぇ!好き?大好き?」
目を見開いて確認する。一瞬何かの間違いだと思いつつ頭の中で反芻してやはり自分の聞き間違いではなかったことを確認して驚く。
「ブラックでは飲めませんが、豆の甘さの風味ですか?そういうのが大好きです」
あ、良い豆の珈琲を飲んでるのね。と理解する。
「じゃあ遠慮なく淹れるね」
そう言って改めて珈琲を準備する。
結局その日はティオから次の監査で必要だとされる書類の確認方法を教わっていたりして過ごした。シンはフラッと帰って来てはすぐに出ていってしまった。
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「そう言えば道場っていまも定時後は空いてるの?あと場所は一緒?」
定時間際、思い出したようにナツメが聞く。 ティオがカタカタと調べて、
「空いてます。場所も変わってないですよ」
と、答える。せっかくだし、軽く動いていこう。明日は無様な格好もできないし。
「エリも空いてるかしら」
それはわかりません、とティオが答える。それはそうだ。と納得する。とりあえず行ってみて、いなきゃ一人でやりますか。シンもティオもあんまり道場に出入りしてないようだし、何が変わってるかも確認しないといけないし。そう自分に理由づけをして、ナツメは席を立ち、ロッカーからコンバットスーツを出す。
「道場に行くのですか?」
ティオがたずねる、せっかくだしね。と軽く答えて扉を開ける。
おっと、部屋の真ん前に人がいた。メリハリの効いたスタイルの女性、青髪のロングストレート。改めて目の前にあるものを確認する。このいつも若干の苛つきを覚える胸部の持ち主は多分あの子だ。
あ、と言って一歩下がるその女性はやはりエリだった。顔を上げで彼女の表情を確認する。おそらく考えてることは同じだろう。なんなら彼女はすでに着替えているのだから。
「奇遇ね、これからそっちにいこうと思っていたところ、これから空いてる?」
「うん」
「案内してもらって良い?」
「うん」
昨日から始まったナツメとエリのやりとりを自分の席から見てるティオは困惑する。
調子が狂いますね、ナツメさんに対してエリさんは取っっても塩らしいです。歳の離れた姉に対する妹のようです。
「ティオはどうするの?一緒にくる?」
ナツメが声をかける。
行きます。が最適解なのでしょうが、シンさんが来てから一緒に行きたいですね。どうしたものか、少しの間が開く。悩んでいるティオをみてエリが言う。
「アイツならサヤカと一緒だったから、後で来るわ、大丈夫よ」
そうですか、と言ってティオも席を立ち、連れ立って歩く。その道中でサヤカとだけ出会い、4人で向かうことになった。道場の手前の更衣室で着替えるナツメと別れ、3人は道場に入る。
道場と言っても変に古めかしいものでもなく、床はクッション素材入りの畳、壁もマットがつけてある。初めて見るティオにはずいぶんとチグハグな景色に見えた、その原因は梁だった。
この道場の趣きという違和感を与える古めかしい木の梁がある。
「昔の道場にあったものを移設したらしいですよ」
見上げるティオに気付きサヤカが説明する。公権力のそれにこういったものは不似合いだと感じるティオであった。
遅れてナツメが入る。あんまり変わっていない道場に安堵とちょっとした期待はずれ感を感じる。特に上にある古めかしい木で出来た梁が記憶の中より少しだけ古さを増してそこにあった。これの移設費用はなんと寄附だそうだ。私財を投じてコレを残す、物好きはいるもんだと、少し前なら意味すら見出せないものだった。
ただいま、自分が復帰する今ならそのセンチメンタルな感情も理解できる気がする。その梁を眺めてそう思うナツメだった。
「アップとか、各自でいいですか?」
ナツメに気づいたエリがそう声をかける。ありがとう、と答える。
まず軽く跳ねる、床から返ってくる感触を吟味する。それから体の各所を伸ばす。久しぶりに着るコンバットスーツ、復帰すると決めてからトレーニングはして来たが、新品のこの感じ。ずいぶんと違和感を覚える。
体の筋繊維に沿った圧力が程よくかかるが、少し馴染んではいない。
次は、基本の素振りをする。素材が擦れる音も、自分の素振りが空を切る音も、どこか真新しく、大きく聞こえる。
馴染ませる、合わせて行く、そう言った作業をこれが終わったら積み上げ直すか。
古傷の首、左手、右足はそんなに大きな誤差を出してはいない。意外なような、そうでもないような、傷というものは回復するようだ。内面の傷もそうだろうか。
いつのまにか、サヤカとティオは道場の端で黙って座っている。
「準備が出来たら言ってください。」
嫌に丁寧な、自分の元バディ、エマの双子の妹が声をかける。彼女の隠そうともしない寂しさの一因が自分であると思うと少し情けない。
しかも自分が離れていた間、彼女はずっと自身の姉の姿を探していたと言う。負い目と言えばそれまでだ。彼女とどれだけやり合えるか、あんまりにも歯が立たないなら、それはそれで彼女に対して失礼だと思う。
そうこうしているうちにシンがやって来た。相変わらずの物言いだが、受けるエリも声が少し弾んでいるような気がする。なんだか少しムッとする。
そしてシンが審判の位置につき、両手を上げる。ここでスイッチを入れる。さぁ、始めよう。
「始め」
シンの手が振り下ろされる。
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すでに何度かの攻防を済ませ、身体からは汗が吹き出す。息遣いは馴染んでいくのを感じるが、肌感覚はそうでもなかった。
身体にまとわりつく新品のコンバットスーツの繊維、額から目に流れる汗、履いてる靴の中でズレるソックス、その全てが、自分へ違和感を鋭敏に伝えて来る。目の前にいる戦うべき相手についてはお構いなしに、このまま違和感を放っておいて良いんですか。と切実に訴えてくる。
自分はこの段階を知っている。とても残念な状況だ。すごく頑張って良い意味で言えば、身体が集中し始めている。悪く言えば、逆に集中が切れている。そんな状態。
身体が何に対して違和感をあげているのかが問題では無く、今この違和感が上がっている状態が良くない。
戦うべき相手よりも、自分のことに思考が向く。違和感が言語化される事で、全ての身体操作の速度が落ちる。
経験がなければ、その違和感に囚われていただろう、違和感を除くために服を伸ばし、汗を拭き、足を動かす、その動作の結果で良くなることが無いのは経験則で知っている。身体にとってそれは、ただ新しい刺激となって、また新しい違和感を報告するに決まっている。
軽く跳ね、距離を取る、戦うべきは自分ではなく相手と再認識させる。違和感への言語化をやめ、戦いに必要な、言語化をしない動作と判断へと意識を集中させて行く。
その工程はすぐに終わるものではない、馴染むきっかけが必要だ、相手に主導権があってはそのきっかけも作れない。
幸いエリは距離を詰めてこなかった。チャンスではある。こちらから遠間の間合いで踏み込んで左突き、ジャブよりは力をこめて、ストレートよりは軽く突く、もしくは刺すイメージ。
見切られていて構わない、ガードさせるか、相手が下がってくれればそれで良い。
こちらの左突きに対し、エリは右手の掌で受け、こちらが乗せた体重は自身の左へと受け流す。
見切られている。最悪ではないが良くない方だ。受け流される方に勢いよく自分から飛び込み、エリの前を通過して、改めて距離を取る。視線は切りたくないが、一瞬背を向ける事になる。しかし構わない。仕方がない。
ナツメの突き、エリの受け流し、ナツメの左足着地、ナツメの右足クロス、ナツメの右足着地、ナツメの反転。
さらに反転しその場での正体を目論んだが、どことなくエリが距離を詰めてくる気配を感じた。なので右足着地からの反転、その先最後に、自身の右膝を伸ばし、床を蹴る。
これで最低限の距離は取れたはず。
しかし、いなかった、エリは距離を詰めておらず、受け流した余韻とともに、その場に立っていた。その姿を見てナツメは自分のブランクを感じていた。エリの気配を過大評価していた。自分の恐れが、回避を優先させた。正しいと言えば正しいが、それは実戦ではどうだろうか。当然良いとは言えるわけがない。
ナツメの位置を確認してから、エリは構え直す、細かいステップというよりも、じわじわと一歩づつ距離を詰めてくる。
一連の行動で、身体の違和感たちも本来の仕事に戻ったのか、ノイズを上げることは無くなっていた。意識は自然と戦うべき相手であるエリへと向かう。
エリの構えは一言で言えばコンパクトだ、もっと有り体に言えば防御型だ。利き手の右は、胸骨に添える。逆の左手はそれよりも一段下の鳩尾の前、ただし右手より前。姿勢は前傾、顔、右手、左手が一直線に揃いつつ、それぞれの距離感は非常に近い。さらに観察すると、左右の肩、膝、足先までそれぞれの点が一直線に繋がっている。そして何より、目だ、その目は強く見開き、自分、つまり相手の全てを見逃すまいという強い意志を感じる。距離を詰められると面倒だという本能から、ジャブや蹴りを出すがエリは瞬きせずに受け止める。受け止められたあと、掴まれないように、すぐ引いたり押し込んだりして距離を維持するが、彼女の前進が完全に止まるわけではない。
自分とは全然違う。昔対峙した記憶の中のエマやエリとは全く異なる別人の構え、そして戦い方。これも自分が背負う業なのか、と邪念が走るが振り払う。
右足で蹴る。回し蹴りではなく、いわゆる前蹴りという直線的な蹴り。ここでは自分と相手の間につっかえ棒を入れるイメージ。狙いは相手の左肘の下を通し脇腹に刺す。
通れば貰いもの、通らなければその次の算段を繰り出すまで。少し大仰に蹴ってみる。エリは左肘を落とすだけのガードはしないだろう。
通るか、掴まれるか。
掴む。エリの左手が小さく開き、手首を返し、自分の右足首の下を捕らえてくる。
雑な蹴りだ。とエリは思ったはずだ。
掛かったとナツメ自身は思っている。
エリの左小指が自分の右足首に触れたその瞬間、右足に力を入れつつ、左足で地面を蹴る。右手、右肩を思い切り引きつつ、右足をエリの左手に乗せる。右半身を軸に回転する。地面を蹴った左足を自分の右足の高さを通過するまでに一度畳む。
エリは左手の思った以上の体重がかかり、軸が左にブレる。しかし目線はこちらの動線を捉えている。小指から手首でナツメの足を捕えたため、ナツメの足が深く食い込み、結果的にナツメの回転を支える状況になっている。手が離せない。掴んだ足を凝視するが、それは刹那だった。彼女の目は自分に向いている。そして問いている。
どこを狙っているのか。と。
その問いが終わり切る前にナツメは答えを出す。
こめかみだ。と。
自分の身体の回転に合わせ、畳んだ左足をぶん回す。足首を伸ばすのではなく、たてて指先でエリのこめかみを刺す。
対するエリはかろうじて右手を顔の側面に添える。
ガードが間に合うのは折り込み済みだ。足を振り抜く。
ナツメのシューズとエリのグローブがぶつかる音がする。皮とラバーのぶつかる独特の音が響く。
格闘技用だが薄っぺらい合皮のオープンフィンガーグローブだ、少し顔をしかめるエリ。
ここでやっと右足が解放され着地する。左足が前、右足が後。しかし、ここはエリの間合いだ、今ままでの挙動ならナツメは引くだろうと、そう思うくらいの接近戦。着地した時点で、お互いに踏込み不要で突きを出せる状態だ。そう、それが狙いの一つ。踏込みは無しで、右足を返し、腰、肩、腕と連動させる。エリの目はまだこちらを見ている、全て目で追われているが構わない。今、主導権は自分が握っている。エリの左側頭部を右拳で突く。
エリは右こめかみを守っていた右手を移動させ、掌で、受ける。
空いた左手をナツメの右腕側から滑りこませ、首筋を捕らえようとする。組み技になれば、体格で劣る自分が不利だ。しかし引いたらまた距離の詰め直しだ。もう一撃行ける。
左足を内側に捻り、身体を回転させ右肘でエリの左手を落とす、その反対軸の左手で少し上からのショートフック。こめかみを狙うふりをして顎先を狙う。さっきの蹴りの残像があればハマるはず。
エリは右肘を高く上げ、肘でこめかみ、腕で顎先を守る。肘と頭に挟まれ、インパクトの弱い左フックが刺さる。くっそ、弱かったなぁ。思わず感想が漏れる。
効かないね、と、エリの視線は相変わらずこちらを捉えている。見えているぞ。とも伝えてくる。さすがだ。とナツメは思った。一旦仕切り直しだ、ナツメは距離をとる。クロスステップで距離を取ろうとしたが。
あ、やばいかも。
エリがついて来た。距離が離れない、大きなステップと言うのは要はジャンプであり、両の足が空中にある。流石にエリも同じ状況だが、体格差でこちらのアドバンテージである瞬発力も相殺される。
主導権が自分から相手に移っていった。
ともに着地、エリを見て狙いはどこか考える。身も蓋もなかった、利き手の右で真っ直ぐ撃ってくる。胸骨から自分の顎に向けて最短距離で真っ直ぐ。
わかりやすいが、躱せない。ガード出来るか。するしか無い。身構える。爆発的な推進力でパンチが迫る。
受けきれない。直感に合わせて判断を変える、変えた判断に身体を間に合わせる。身体を目一杯のけぞらせる、次のパンチは知ったこっちゃ無い。今このパンチを受ける方がリスクだ。
自分の挙動だが、祈る。
躱せ、かわせ、カワセ。
ほんの鼻先をグローブが掠めていく、グローブの合皮の感触が鼻から伝わる。躱せた。
ステップを踏み改めて距離をとる、目線もきれてない。大丈夫だ。うなりをあげたエリの右手は引かれて元いた位置に戻っていく。次の手は来ない。仕切り直しか。
「はい、やめー」
雑なシンの仕切りに集中力がきれる。
ティオのおー、と言う歓声と拍手が聞こえる。エリとナツメが互いに構えを解く。
「コレで1分くらいやな」
とシンが言う。ティオとサヤカが立ち上がり、こちらにくる。
ティオは少し興奮気味に全く形になってない素振りをしている。
「ナツメさんの飛んで蹴るの凄かったです!」
真正面から褒められるのは、少し照れ臭いが、照れ隠しもかねて、ナツメはエリに向かって言う。
「ありがとう、最初に距離を詰めてこなかったから。それなりに戦えたわ。」
エリはなんとも言えない顔だった、手加減といえばそうだからだ。
えぇ、としか言わないエリを見てサヤカが続ける。
「エリさんもすごいですよね、見切っていると言うか反応していると言うか。」
掌、肘、頭と一連で受けた流れの真似をする。
「ナツメさん、早いからね」
やっとエリの顔が緩む。よかったと思う。
「いやぁー、緊張したー!」
エリが大きな声を出す。サヤカとナツメの顔がさらに緩み、ティオだけが驚いている。
「いや、だって、どこまで本気出せばいいかわかんないじゃん!しかもこのスタイルでやるの初めてだし、ナツメさんがどこまで出来るかわかんないし!」
オタクが早口で喋るが如く、言葉が漏れ出して止まらないエリ。
「最初の飛び込んだジャブなんかすっごい早いんだからね、受けたのなんか半分出鱈目よ。ほんと、あと、あの飛び蹴りなんかナツメさんの得意技だったのに、すっかり忘れてて。雑な蹴りだなぁって思って掴んだときに、あっ!ってなって!」
右手をヒラヒラさせる。痛そうではある。サヤカが傷を見たそうにうずうずしている。
「稽古でよかったわよ、ほんと、実戦用の鉄入りシューズだったら一発よ。」
あー、危なかった。と息を吐く。サヤカに手を差し出す、サヤカがグローブを外す。
「でも、ナツメさんほんとにずっと鍛錬したんですね。こんなに動けるんですもん。」
ナツメは照れ隠しの延長で自分の髪を触る。サヤカがエリの手を確認する。腫れたりはしてなさそうだ。
「まぁ、まぁね。何にも出来ないのに復帰ってわけにもいかないし。」
しばらく黙っていたシンが声をかける。そしてエリの方を向いて言う。
「怪我は無さそうって言ってええんか?」
エリはサヤカがまじまじと見てる手をぱっと引き上げ、ヒラヒラさせる。
「大丈夫よ、痛いのは痛いけどね。」
残念そうにするサヤカ。そうか、と納得するシン。
いつのまにか、ティオはナツメに何かしらの技を教わっているが全く様になっていない素振りを披露していた。




