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15/27

○辞令と週末

「はぁ!?ナツメがぁ?復帰ィ?」

 自分でも素っ頓狂な声を上げたな、と反省するシン。

 監察官居室にはシンとティオ、そしてサヤカがいる。

 シンの大きな声に若干びっくりしたような顔をして頬を掻くサヤカ。

 ええーっと、と続け

 「ナツメさんの休職が終わるので、どうされるのか、と聞いたんです。そしたら復帰するつもりだと、ご本人から、その、面談で…」

 「悪い知らせじゃないのになんで、そんなに歯切れの悪い言い方をするんですか?」

 非地雷系可愛い目隠キャ女子大生風の格好をしたティオが割って入る。

 「いや、だって、普通は引く、っていうか辞めるやろ」

 身も蓋もない、それもそうだ。自分は大怪我、バディは失踪、その失踪について自身は完全に記憶喪失。

 どこに復帰する要素があるのか。仮に自分だったら別の生き方を探すレベルだ。

 「…好きなんかな、この仕事?」

 ポツリと出た言葉に、サヤカが代わりに軽く微笑んで応える。

 「たぶん、そうだと思います。」


 それを聞いてパッと明るい表情をするティオ。

 「好きなら良いじゃないですか!良いことですよ!好きな事を仕事にしよー!」

 おー!とサヤカと二人で拳を突き上げている。

 それで良いのか?実は今まで接点のなかったナツメに思いを馳せながら、シンは考える。

 「で、どこに復帰するんだ?」

 あ、とサヤカの顔が強張る。なんだその顔は?えぇ?まさか?

 「え、っと、その、か、解禁前なんですが…」

 良い、皆まで言うな、わかってる。そこの元プログラムだけはわかってないけど。

 「内密でお願いしますね、監査係を希望しているそうです。」

 「わーーーー!!お会いしてみたいですーーー!」

 はぁ、大変なことになるな。いや?そうでもないのか?

 時刻は定時を回っていた。解禁は週明けだそうだ、憂鬱な週末だ。

 

 ---


 世間的にはいわゆる休日だが、シンは完全に仕事のことを考えている。休日ルーティンのはずの、珈琲の焙煎から、ぼんやり仕事のことを考えてる。

 ナツメが監査係に異動しつつ職場復帰する。休職明けという事で、基本的なルーチンからスタートという事が人事的な建前だろうが、そういう事しか考えないのが人事という奴ららしい。ヒトのコトと書いても人事、ヒトゴトと書いても人事。よく出来た漢字だ、外国でもそうなのだろうか。

 生の珈琲豆がチリチリ言い出した、そろそろだ。

 ここからは慎重にやる。鍋を振りつつ、温度を均一にしていきながら温度を上げていく。煙と共に珈琲の香りが立ち込める、パチパチと豆が弾けていく。1回目の破裂、ファーストポップだ。ポップコーンと同じように連続でパチパチと豆全体に破裂の連鎖が続いていく、香りが少し弱まる、慣れなのか本当に減ったのか、それがわかるほどの経験値はない。

 深煎りが好きなので、ここからもう少し粘って二回目の破裂、セカンドポップへ向かいたいところだが、今日のメンタルでは、何かうまくいく気がしない。

 「やめとこか」

そう言って鍋からバットに珈琲豆を開けて、余熱による加熱を防ぐためにサーキュレーターで冷却する。

 アルコールランプや耐熱ガラス、不思議なギミックがついた焙煎機を買おうか買わないか、毎回悩むが、買ってしまえば、それ(焙煎行為)が義務になってしまう気がしてならない。今ある手持ちで最大限の効用を得る、趣味の延長線上はそれが良い。

 冷却の間に手早く鍋を洗う、その時にふとまた仕事のことが浮かんでくる。

彼女が復帰する、いま監査係で抱えている案件の完全なる当事者が、そこに復帰する。

関わりたいのか、そうでないのか、他人事の人事なら、それには関わらずに、基本的な業務をこなすように、いわゆるリハビリをさせれば良いというだろうが、うちの基本の業務は内部統制だ、つまり組織が組織して機能するためのメンテナンス。習慣や妥協、そう言ったものを調査、是正する。休職明けの人間にそんな心的負荷がかかる仕事をリハビリだと言うのはどうだろう。

 見た目性別不安定、正論吐き関西弁美少女おじさんと非地雷系可愛い目隠キャ女子大生元プログラムのコンビに、怪我開け若干記憶喪失レディを配属するという暴挙をするだから、よっぽど我が組織は内部統制は効いているんだろうなと自覚する。

 ちらっと珈琲豆を見る、黒くツヤツヤとして、じっとり油が浮いている。まぁうまく出来た感じだな。

 「シンさぁーん」

 寝ぼけ目で、ティオが起きてくる。毎回思うがなんで低血圧なんだ。君。なんでそんなに朝弱い?電源入れたらパキッってならんの?

 「あぁー、ミルクあっためますねぇ。」

 香りで気づいたらしい、当然この隠キャはブラックでは飲まない。焙煎したての珈琲なんか伊達や酔狂でしか飲めないのに、苦い〜。の一言で終わらせる。なんて情緒ない。

 「甜菜糖も新しいのあるから出しや〜」

 なんとなく自然な甘さが出るはずの砂糖の別種を使わせている。人に勧められて以来、砂糖はこっちに変えている。

 はーいと返事して、小鍋に大量の甜菜糖と牛乳を入れて火にかけるティオ。うん、砂糖から変えて良かったな、なんか罪悪感がない。うん。

 実際の栄養素とかは怖くて聞けない、聞いたら逆に負けた気がする。プラシーボ。大事。

 湯を沸かし、豆を挽き、珈琲を抽出し、マグカップに注ぐ。一つはたっぷり、一つは半分。ブラック珈琲と、クソ激甘カフェオレ(甜菜糖を添えて)の完成だ。

 なお、そのまま食べる黒糖も添えてある。なんてやつだ。


----

 

 昼食後、気温も上がったのでアイス珈琲にする。アイス珈琲はカフェインが少ないからいくらでも飲んでええねんって真顔で言って見たけど、そんな訳ないじゃないですか。と同じく真顔で返されてしまった。ガムシロップたっぷり入れてる君に言われたないわ。

 もう考え事する時間ではないので、と自分の脳みそにしっかりと前置きしたのに、あー、詰所の椅子とかどうするか、などの雑念が浮かぶ。

 身体でも動かすか、そう思い近くの公園へ散歩しに出かける。ティオこと隠キャはもちろんお昼寝だ。隠キャだからな、うん。

 

----

 

 「にゃに言ってんじゃ、こりゃあーあー」

 夜、飲んだくれたエリが襲いかかってきた。夜襲やわほんまコイツ。すっかり麻薬取締課が暇になったからって朝から繁華街で梯子酒するやつがおるんか。いや、もしかすると情報収集してるんやろか。この前も一瞬のシラフになったもんな。

 「おい」

 「何よ。あの特注品は相当エッジが効いてるの、だからもう買うやつはいないのよ、その後の縄張り争いでしばらく黒龍会は動けないわ。」

 え?出たよ。コレ、一言って、十三くらい返ってくるコレ、真面目か!?

 ただそうであっても、うちに来てこの感じはもう完全にサヤカだけでなくティオも依存対象やんけこれ。何がてぃおちゃーんや、おい。

 それでさぁ、おい、隠キャ、珈琲は飲めないのに、ヴィンテージウイスキーはロックで行くとは、おじさんもう許しませんよ。ぷんぷんやで。

 「良いにゃんテェ、コーシーなんて、しょーちゅーにちゅけるらけっしょー」

 あ、言いやがったな酒狂いが、誰が安っすい焼酎を劇的に美味しくする魔法の豆粒じゃコラ。表出ろ畜生、おい、ところで元プログラム。君が一番ウケとるやないか。珈琲の話題、この酒狂いに振ったん君やろ。

 ほんでさ、サヤカ君、そろそろ君ら出禁だよ。エリを迎えに行ったら近いからごめんなさいじゃないんだよ、なんで君も赤ワインにカシスなんか入れちゃってんの。なんでしれっとうちの果物を赤ワインで漬けちゃってサングリアなんかにしてくれちゃうの?美味しいよ。出禁だよほんと、でも君は最近ブラック行けるらしいからセーフにするか。


----

 

 で、まぁ、こうなる訳よね。


 カーテンの隙間から漏れる朝日に昨晩の残骸が照らされる。こう言う時は深く考えてはいけないが、全ての容器に何かしらは入っているものとして扱った方が良い。

 ナツメって飲めるんだろうか。ふとまた仕事に考えが及ぶ。復帰当たっての面談などは是非組んで貰いたいが、人の感覚だと、辞令前に行われるものじゃないのか。ヒトゴトだからな、とんでもねぇ話だ。全然違うと確信してるけど、むっちゃギャルだったらどうしよう。

 「あーし、変身するおじさんとかマヂ無理ぃ」とか言われるんだろうか。いや、無いな。

 中途半端に空いたワインを見つける。捨てよう、どうせ安物や、コルク栓はコレだから。あ、肉でも煮るか。


 掃除、片付けを進めて行くとリビングで横たわる芋虫を発見する。コレはぁ、多分酒狂いのエリ。次にトイレで絶命してる隠キャを発見する。コイツはぁ、ティオ。そしてサヤカさん、君だけしれっと来客用布団出して寝室の床で寝てるのね。ちゃんと動線を開けて端で寝るのはもはや名人芸。気づかなかったよ、最初帰ったと思ったもん。


 仕方ねぇ、珈琲でも飲むか。

 昨日の朝焙煎した珈琲豆を冷蔵庫から出して、グラインダーにセットしようとしたが。

 流石に起きるか、そう思い手挽きのミルに切り替える。

 ポットを火にかけ、湯を沸かす。それと並行して豆を挽く、酒臭い部屋の中に、珈琲の香りが混じって行く。換気もしたいが、まだ寝かせておきたい。

 湯が沸いたのでミルを一旦起き、沸いた湯でマグカップやフィルターに湯通しする。器具が温まった頃合いでマグカップなどの湯を捨て、フィルターに珈琲をセットして軽く平す。

 最初は少量の湯を豆にかける。中のガスが押し出され珈琲豆が泡立つ。いわゆる蒸らしの工程だ。

 泡立ちが収まるのを待ちつつ、ナツメは確か紅茶だって、サヤカが言ってたような気がしたことを思い出す。

 紅茶はよくわからんから教わっても良いかもしれん。ミルクティーは邪道だろうか?

 珈琲豆の蒸らしが終わったので、抽出に入る。何回かに分けて湯を注ぐ。珈琲豆が丸く膨らむ。淹れ方は千差万別、最低限さえ外さなければ良いと思うことにしている。

 焙煎から1日経った珈琲は少し味が落ちついたような気がした。

 今日はもう始まる前から終わっているようなものだからな。


----


○週が明けて準備をする


 ナツメが監査係に来る、その人事異動通知が来たのは週明け定時前だった。その日の早い時間に人事異動を通知すると異動の話題で仕事をしなくなる、が理由だそうだが、皆が納得する異動なら別に話題にもならないんじゃなかろうか。と、シンはいつも邪推する。

 なまじ、大したこと無かったり影響度が低い人事異動なら事前に出回ってしまい、ただ律儀に通知だけ待って結局仕事に身が入ら無い人間もいるようだ。と言うか、今は自分がそうだ。

 

 通知が出たってことは、と思った矢先に電話が鳴る。知らない番号だが、なんとなく見当はつく。

 「ナツメ、です。」

 おぉ、と応じる。初めましての挨拶から、当たり障りのない会話をして、予定通り翌月初日から出て来ること、それだけを確認して電話を切る。

 事前に来ることも打診されたが、来ることが決まっているのだから、これからのことは来てから考えたら良い。あ、詰所にはいま二人分のデスクしか無い、初日の座る場所だけと言うか、席を用意するか。

 余ってる部署からもらって来るかとぼんやり考えていると、ティオも気づいたか、他の部署に電話をかけ始める。お、言わずにできるなんて、良いことじゃ無いの。

 そのタイミングで部屋の扉が開く。

 「連れないわね、昨日のうちに言ってくれても良いじゃない?」

 部屋に入ってきたエリが、こちらを見るや否や言う、言葉や言い方に強さはあるが、嫌味などそう言うネガティブな感情はない、ただ怒ってると誤解されかねない言い方ではある、慣れが必要だ。

 「そらまぁ解禁前の話やからなぁ、ちょうどええわ、麻取でデスク1セット余ってないか?」

 当たり前の話なので、当たり前で返す。

 「そうよね、監察官が情報漏洩なんてダメよね、デスクは庶務担当に聞いて、使って無いのは、あるだろうから」

 そう言いつつ、エリはどかっとソファに座る。シンはティオに目配せし、電話中のティオは気づきいて手を上げる。どうやら麻取に電話してるようだ。エリはうんうんと、頷いてから、改めてこちらをみる。

 「で、ここでナツメさんに何させる気なの?」

 これから決める。と答えると。

 「はぁ?事前に話しがあったんじゃないの?」

 うちの人事やぞ、と一言返す。そうよね、そんな顔になるよね、うん。


 電話を終えたティオが、とてとて歩いてくる。

 「麻取さんに1セットあるし、今からなら良いという事です。」

 えっと、その、言って良いのか悪いのか迷う素振りをする。

 「何?」

 と怪訝な顔をするエリ。

 「エリさんに運ぶの手伝って欲しいなぁ、って、麻取の人もエリさんが場所を知ってるからって」

 隠キャを装っているが良く見たら整っているその顔立ちで、顔の前で指を組み上目遣いで頼むティオ、それをエリのやる前でやる意味はあるのか思うが、エリもそう感じたようだ、少しティオの顔を見つめてから、ふざけた感じで言う。

 「何それ?ぶりっ子の練習?悪くないわね。」

ソファから立ち上がり、歩き出すエリ。

 「レディに重たいもの持たせられないものね、麻取で暇なやつに運ばせるから“ティオ”は待ってて」

 扉の前で、振り返って続ける。なぜか機嫌が良いのか笑顔でシンに言う。

 「ほら、おじさんは来るんだよ」


----


 サヤカさんから関西弁で古臭い人間だと聞いていたから、人事異動通知のタイミングで電話した方が良いかなと思って電話をした。

 ちゃんと声は出ただろうか、当たり障りのない会話をしただけの気がする。

 なぜ復帰先に選んだのか、とか、もっと根掘り葉掘り聞かれるかと思ったが、それは出てきてからで良い、と言われ少し拍子抜けしてしまった。

 根掘り葉掘り聞かれたとしても答えることはないんだけどね、と思い直す。

 理由はエマを探すため。それ以外ないわけで。

 失踪した、行方不明になった、自分が守れなかった、後輩。その彼女の現在地とその真実を見つけないといけない。

 ただ、休職した1年半の間でも、記憶の断片すら思い出せず、エリに唯一の残滓だったナイフを手渡したところしか思い出せない。自力以外の手段で記憶を掘り起こす方法、カウンセリングや(極論を言えば)催眠療法は、当たり前と言えば当たり前だが、休職という建前上、も主治医から止められていた。

 ならば休職を切り上げ、復帰するしかない。延長を希望することもできたが、先日つい、お茶したサヤカがまさか担当になるとは思っていなかった。

 「自然にこう、復帰してあげても良いかなぁって、思えるなら復帰のタイミングですね」促す、説得する、背中を押すという、サヤカ自身からのメッセージではなく、自分の中にあった言葉を探り当てられた感覚、誤解になるかもしれないが、自分が言いたかったことを言われた感覚が一番近い。ただし、先を越されたという感じは一切なかった。有り体に言えば嫌味を感じさせない、そう言う才能がサヤカにはあるんだろうと思っている。

 良い才能だ、羨ましいな。


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 あぁ、またか。記憶の断片が強烈にフラッシュバックする。


 あぁ、これは覚えてる。ここは病院、私だけ連れて帰ってきてもらって、死んでも良いからって治療を拒否して、でもコレは、コレだけは、彼女に渡すんだ、ってわけわかんないけどそうなって、部屋で座って待っている。

 身体中痛くて、頭がぼーっとして、一点を見つめる事しかできなくて、なんでこうなったかわかんなくて、だからたぶん最後の残滓のコレだけでも、エリに渡してあげないと、自分はそのあとは死んでも良い。と言うか死にたい。

 扉が激しく開き、エリが飛び込んでくる。

 何を言ってるのかわからない、なんでこうなったかもわからない、エマは、もういない気がするから、もう、自分は謝る事しかできない、だから、ごめんなさい。

 恐る恐る差し出したそれを見てエリは絶句する。震える手で受けとったことを見届けて、ナツメの意識は暗転する。

 結局目を覚ましたのは、病院のベットの上だった。

 エリは麻取の仕事が忙しくなるまでは良く見舞いに来てくれたが、退院してから連絡は取っていない。


 そうか、彼女にも会うのか。元気かな。


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 「なんやお前、昨日まではゲロゲロ星人だったのにずいぶん機嫌がええやないか」

 エリはシンに言われても気にしない。確かに一昨日の繁華街梯子酒1本勝負では、随分と酩酊したが、昨日の時点で禊は済んだし、何より今日は良いニュースがあった。

 ナツメさんが復帰する。そう聞いて皆が思っているより冷静だった自分がいる。あの人が居ない間にも私はお姉ちゃんを追いかけてきた、亡くなったという証拠がない以上、どこかで生きている。それは確定事項。

 だから、今さらナツメさんが復帰しても、先輩の記憶が戻ったとしても、確定事項が補強されるだけ。そう言う意味では、心が動く事はない。

 自分が執着する対象はエマだけであり、それ以外は別に構わない。そう思いつつも、バディのサヤカやティオの顔が浮かぶが気にしないことにする。自分の機嫌の良さにはあまり説明になっていないが、先に言葉が漏れ出てしまった。

 「良いじゃないの。知ってる人が復帰する、それだけも良いニュースでしょ」

 お前さんって意外にもずいぶん素直なんやな、とシンが目をパチクリさせながら言う。そうだ、単純な話だ、知っている先輩が、心身共に大怪我を負った先輩が復帰する。単純に、それだけでも嬉しいことじゃないか。

 心の中で確認していると、麻取の部屋に着いた。中に入り、庶務担当に声をかけると、すでに一式台車の上だった。ずいぶんと手際は良い。ありがと、と言ってシンに台車を押させ部屋を出る。

 単純な作りの台車の上に乗せられた机と椅子が、廊下の細かい段差でがたがた言いながら進んでいく。そんなに大きな音ではないので、会話をする二人。

 「向こうさんも仕事も早いし、麻取の連中とはもう和解してるんか?」

 二重スパイ疑惑、全員酒で潰す事件、麻取関係でエリに関する良い話を聞かないシンが尋ねる。

 「別に、そうね、仲は悪くないわよ。麻取で優秀って言われるだけ外でも活動しづらいし」

 「あぁ、なるほどね」

 ちょっと納得したシン。彼女の基本は潜入捜査だ。組織内の評価が高い方が、当然相手に警戒されやすい。当たり前の話だった。あれ?この娘、色々と損してない?

 「なによ、ずっと、ずいぶんな物言いじゃないの?コレでもちゃんとしてるのよ。」

 最近、と最後の一言はずいぶんと声が小さかったが、こちらの考えを見透かしたようなことを言う。

 最近ねぇ、と思うシン。彼の中では、いまだに、密売人への過剰暴力や、酒に溺れる醜態が強く印象に残っている。加えてこちらがエマ失踪を追うようになった直後なんかは、会うたびに罵声と物、拳などが飛んでくる日々だった。

 ただ最近はそれも無くなり、いつの間にか彼女の周りにも人が集まって来るようになった気がする。

 「で、改めて聞くけど先輩には何をさせるの?」

 監察官居室まであと半分というところでエリが言う。

 「何をさせようかねぇ、違うか、どこまでさせようかね」

 自分の発言を言い直すシン、どこかふざけているようで、真面目に言っている気配だけは確実にある。

 「復帰先はナツメさんの希望なの?だったらそう言う言い方になるわね。」

 腕を組み、左手を顎に当て考えながら言葉を続ける。

 「ナツメさんって記憶は戻ってるの?」

 知らん、答えられて少しムッとするエリ。

 「なに?何にも聞いてないの?馬鹿じゃないの?」

 まぁまぁ、慌てんな、と諭しつつ、台車に積まれた机と椅子のポジションを修正するシン。

 「彼女が監査係での復帰を希望した。そんでウチの人事は監査係の業務でリハビリでさせればええやくらいのもんやろと、なーんも考えずにOKしただけやろ。そらそうや、普通ならもう辞めてるからな、そんだけの傷は負ってるはずや、だから慌てても仕方ない、ええな」

 勝手なことすんじゃないよ、と念を押すように言い、台車は動き出す。

 「出てきたらちゃんと話すし、ちゃんと教えたるから、慌てんなさんなって」

 はいはい、と軽く手を振り応じる。

 台車を押しながら廊下を進み、監察官居室までの最後のエレベーターを待つ間、シンが言う。

 「いちおう解禁してすぐ電話かかってきたで」

 そうでしょうね、当然というように返す。

 「で、そこでも話さなかったの?馬鹿じゃないの?」

 「そら言うて初対面やからな、いきなり電話越しに根掘り葉掘り聞かれても嫌やろ」

 言葉を受け意外そうな顔してエリは言う。

 「姉さんを追ってるのになんで会ってないのよ。普通真っ先に行くでしょう?」

 ブスッとした顔で言い返すシン。

 「その前に俺がお前んこと言って大喧嘩になったんやろ、人の心を土足で踏むなと」

 あ、と気まずい顔をするエリ、すっかり忘れたと言うか、荒んでた時の忘れたい出来事だった。

 「そう言うお前さんだってしばらく会ってないんやろ。」

 ま、まぁそうだけども…

 「せやからさ、慌てず行こうや、知ってる人が復帰する、それだけも良いニュース。やろ?」

 そうね、と思い返す。

 ちょうどエレベーターが到着した。


----


 エリさんいないんですね、扉を開けたサヤカが言う。監察官居室にはティオ一人だ。

 「そうなんです、ナツメさんの机と椅子を取りに行くって言って出てきました」

 そっかー、と応じつつ、ティオの横に立つ。

 「どの辺に置くの?」

 いわゆるデスクが2つに打合せソファとテーブル。少し手狭に見える居室を眺めてサヤカが言う。

 「何も指示は聞いてないです、デスクのサイズなどもわかりませんし」

 ティオは、居室を見回して答える。そうですね、とサヤカも応じる。

 「来てから考えますか」

 部屋のレイアウトを妄想しつつ、エリ達の帰りを待つこととした。


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 手狭な部屋と運んで来たデスクと格闘戦を制し、なんとか納めて監察官は三人体制だと言うことがわかるレイアウトになった。

 ナツメが座る予定のデスクを眺めてティオが言う。

 「でも、ナツメさんが来るまであと2週間あるんですよね?」

 ティオが確認する。そう、彼女の出勤初日は月初である。

 「皆さん、気が早いですね。そんなに待ち遠しいんですか?」

 うーん、なんかズレてるよね、この元プログラム。部屋にいる三人の総意だった。

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