○ うちの娘に何してくれとんじゃ
部屋の真ん中で両手を釣られて身動きが取れないティオ。
これはいわゆる絶望的って奴だ。
少し視界と思考はクリアになっている。
ただその真逆で身体の方はちっとも言うことを聞くつもりは無いようだ。
神がいるなら、安直に助けを求めてもいい状況だが、彼らはこう言う時にいい顔をしてくれるものではないと、思っている。わかってしまった気もする。
なぜなら目の前の女自身が神に感謝しているからだ。
「あぁ、神さまありがとうございます。この顔にしてからツキが巡っています。」
あぁ、整形か、簡単なことだったな。こいつは妾か。何故よりにもよってエマの顔なのか。
「おい、なんでその顔にしたんだ?メイドの土産に教えてくれないか?」
あら?冥土じゃなくて?メイドになってくれるの?嬉しいわぁ。
とその女は、右手を振り抜き、ティオの左頬を殴る。
悪いがエリよりは段違いで弱いし遅い、痛いのは痛いが、芯はずらせたと思っている。
血の味がする、と表現されるが、この極限状態で味がわかる方がおかしいんだって、体感して初めてわかる。感覚として出血はしているが、味どうこうの話ではない。
「あの人が惚れた女だったからよ!」
同じ軌道で殴られる、弱いが殴り慣れてはいる様だ。
エマも捜査官だからどこかで接点があったのだろうか、しかし秘密のお姉ちゃんファイルにはこの妾に関する情報は一個もなかった。
わからない、何もわからない。
「私は、私が愛されるためならなんだってする!」
こんどは左手で鳩尾を殴られる。受け流せなかったので、左手はめり込み、身体的な気持ち悪さが込み上げる。
「でも、そうよ、ここまでしたら…」
右手開いては閉じ、握り込む感覚を調整している。
目つきはすごく澱んでいて、瞳は揺れている。
「私って、誰なんだろうね、あなたくらい可愛いのを見ちゃうとイライラするのよ。」
鋭い一撃だった、真っ直ぐ糸を引く様に右拳がメガネごとティオの顔を吹き飛ばす。
体温が5度下がった気がする、首から下の神経接続が切れた気がする、自分の体が液体になった様に崩れ落ちる。
立つ立たないの次元ではない、吊るされているから倒れないだけの状況。
「あぁ、やっぱり綺麗だわ、天然モノだわ。」
左手が右頬をつたう、気持ち悪い。
吊るされているだけに自分は何もできない、ただ見るだけ。
澱んだ瞳、でも一つ気づいたことがある。
しかし、これを言ったら激昂するだろうなというのがわかった。
あぁ、逆撫でするって言うのはこういう事ね。
確証を得るために言ってしまおうか、一瞬思考が止まる。
その時ふと思い出した。
「あんまり考えたくないけどさ、ほんまに死にそうになったら、左奥歯にスイッチ入れとくから、いい感じに噛んだらええで、そんときは誰かがなんとかするから」
シンが言っていた事を思い出す。なんで今まで忘れてたのか。
ピアスから音声途絶えた時にやっても良かったかな、人って言うのは忘れる事ができるんだ。また一つ人になってしまったのかな。
あー、でもあれだ、噛み合わせがおかしいから、噛めないや。
仕方ない、やるしかない。
そう決めた時、視界が急におかしくなった、自分が居るのは、締め切られ光が一部からしか差し込まない部屋。隙間から差し込む光に照らされた塵のひとつひとつが見える。かの女の、エマとは違う網膜の線まではっきり見える、そして何より音が聞こえない。
おそらく変な目つきをしたのだろう、女は激昂し大声を出しているが全く聞こえない。でも、何を言っているのかは理解できる。
だから、自分はそこに言葉を重ねる。自分の言葉なのに聞き取れない、しかし、相手には伝わった。
「なんだ、自分と一緒じゃないか」
先程の鋭い突きとは違う、自分の感情だけを込めた打撃、踏み込みも大雑把、手の引きも荒い、繰り出される拳も歪んだ親指の付け根が一番前だ。
音の無い世界で確かに、激昂と絶叫がのった、人の感情が乗った拳が迫ってくる。
なすべきことはわかる。この拳を左奥歯に当てるのだ。
目線を切るな、最後まで見ろ。
噛み合わせを意識しろ、必要以上に力むなよ。
顔を指し出し、必ず当てろ。ビビるな自分。
見えている、わかっている、このまま行けば大丈夫、神に祈る意味はない。ここで自分で掴み取る。
「痛ッ(ツウッ)」
頬という、うっすいクッションがあったとしても、歯と皮膚や骨では、歯に分があったのだろう。明らかに女は痛そうだ。
聴覚が戻り、手をしばる鎖、絶叫する女。
歯は欠けただろうが手応えはあった。明らかにこの位置情報は無防備に広範囲に広がったと確信する。
あとは、耐えるだけ、助けはくる。
あの人たちは口や態度が悪いが嘘はつかない。
激昂のさらに上、どこまでも自分を小馬鹿にした小娘に怒りをぶつける。
注射器だ、薬漬けにするつもりだ。
先に打撃で体に力の入らない、ティオの右肩に乱暴に刺す。
「残念だったわ、もっといい子だったら良かったのに」
注射器のピストンに改めて指をかける。
その時だった、部屋の扉が吹き飛び、人型の何かが倒れて来る。
「貴方ぁ!」
その女は瞬時に判断した様だ、人としての原型ギリギリ留めているだけのソレを、自分の愛すべき者と認識できる、これはある意味、愛なのではと思ってしまう。
「うっさいわ!ボケェ!うちの娘に何してくれとんじゃこのボケコラァ!!」
シンだった。あぁ、助かった。
エリさんもサヤカさんも一緒だ、良かったぁ。
ティオの意識はここで切れている。




