白蛇の輪
巳神家はA県の田舎にある名家だ。壁のような山に囲まれ、栄養満点な家畜を多く育てている。太古の時代を彷彿させる自然に囲まれた豊かな地であった。
だが巳神家には古くからの因習がある。それは村の守り神である白蛇に娘を生贄としてささげることだ。
生贄の少女は白蛇の証が左頬に蛇のうろこのような赤痣が出てくる。その子は出生届を出されず生贄の日まで屋敷の中から一歩も出られずに過ごすのだ。
ただし家庭教師はつけられ必要最低限の常識は教えられるし、虐待をして肌に傷をつけることはできない。数代前に生贄の少女を虐待し、白蛇の怒りを買った当主が発狂したからだ。
14歳の深雪は赤ん坊の頃から屋敷の一室で育てられてきた。白く腰まで伸びた髪にルビーのような瞳、そして陶磁器のように透き通った肌で、人形のように整った顔立ちだ。しかし赤痣ひとつだけで醜女扱いされていた。
実際は屋敷の離れに暮らしており、頭の弱い使用人に囲まれていた。彼女が生贄になるから余計な情を抱かせないためである。
彼女の家族は当主の父親と他所から嫁いできた母親、そして13歳の妹がいた。こちらは黒髪の天然パーマで美女だがどこか目つきがするどく、意地悪な性格であった。
隠居した祖父母もいるが、祖母は孫の深雪を嫌っており、口を利くどころか、目を合わせることもなかった。祖母は昔は美女だったが年のせいかおとぎ話に出てくる山姥のように醜くなっている。
深雪は生まれた時から左頬に赤痣があり、母親に忌み嫌われていた。育児放棄したかったが、白蛇の怒りを買わないために、普通に育てられたのだ。そのため母親は深雪に逆恨みをしていた。
妹の陽向は黒髪の美少女だ。しかし母親に甘やかされて育ったため、高飛車な面が目立っていた。それは深雪をいじめられない憂さ晴らしの代理だ。
生贄の日は満月の夜に、牛車によって迎えに来るらしい。その際女性が一人ついてくるという。彼女と会えるのは当主一家だけであった。話によれば20年前深雪の曽祖母は使者の顔を見るなり、発狂したという。巳神家の呪いと言われていた。
「ああ、これでお前とおさらばできるんだね。清々するよ」
母親は美女だが冷酷であった。他所の名家の生まれで傲慢に育ってきた。娘が生贄になっても自分に関係ないとまったく気にも留めていなかった。それ以前に深雪の赤い痣を見るのも嫌だと、彼女をいないものとして扱ってきたのである。使用人たちにも蛇蝎に嫌われていたが、誰も彼女に口答えできない。そのため彼女は女王のようにふるまっていた。
「まったくですわね。今日でお姉さまとお別れなんて寂しいですわ」
妹の陽向は嫌味たっぷりに笑っている。明らかにいい気味だと言わんばかりだ。祖母も陽向だけをかわいがり、深雪は空気として扱っている。
気の弱そうな父親と祖父は何も言わない。ただ深雪に対して優しい笑みを浮かべているのが気になった。
さて使者は白い着物を着た美女だ。顔は頭巾で隠されている。まるで浮世絵の幽霊画から抜け出たような美しさがあった。
彼女は正座してお辞儀している。部屋には当主一家が勢ぞろいしていた。
「初めまして私は白蛇様の使者でございます。深雪さまをお迎えに参りました」
彼女はぺこりとあいさつした。どこか幽霊のような透き通った肌に凍えるような声であった。
当主の父親が話をしている最中に、祖母は使者の顔を見た。すると目が血走り、いきなり立ち上がったのである。
「ひっ、ひぃぃぃぃ!! なんでお前が生きているんだぁぁぁぁ!!」
祖母は目を見開き、口から泡を飛ばしながら使者に詰め寄った。しかし祖父が祖母を羽交い絞めにし、落ち着かせる。祖父は使用人たちを呼び、猿のように暴れる祖母を引きずっていった。その様子を母親と陽向はぽかんと見ていた。使者はくすりと笑うと、深雪の手を優しく取る。
深雪は白無垢を着ていた。白蛇様に嫁ぐためである。こうして深雪は使者とともに白蛇様の待つ渓谷に連れていかれたのだった。
☆
牛車はコトコト揺れていた。御者はいない。使者が徒歩で歩いており、牛はそれを追っていた。まるでしつけの行き届いた座敷犬のようであった。
周囲は霧に包まれており、べっとりとした空気にまとわれる。深雪に不安はなかった。使用人たちは生贄になるのは運命なのです、と口酸っぱく言い続けてきたからだ。琴や三味線、和歌などを教えられてきたが、いったい何の役に立つのかわからなかった。ただ芸を仕込まれる猿のように過ごしてきた。
何時間過ぎたかわからない。牛車が止まると、そこは滝であった。水が落ちる音が響き、水しぶきが上がっている。周囲はまだ夜なので暗くて見えない。
滝つぼがあり、そこから何かぬっとしたものが現れた。それは白蛇であった。だが見ただけでただものではないと肌で感じ取れる。
「まっていた。白蛇の巫女よ。長い間苦労したであろう。さあ我を食してくれ」
白蛇の言葉に深雪は首を傾げた。自分は生贄として連れてこられたのに、白蛇様は自分を食せという。いったいどういうことであろうか。
それを使者が説明してくれた。
白蛇様は霊力を持つ存在で、不老不死であった。人間以上の知恵を持っており、長い間この土地に住み着いていたのだ。白蛇の魔力は人間を遠ざけており、科学の時代になっても開発されることはなかった。
しかし白蛇たちは長い生に絶望していた。彼らは金づちで頭を叩き潰されても、体を炎で焼かれても死ぬことはないのだ。
唯一死ぬのは白蛇の証を持つ者によって体を喰われることである。巳神家の巫女たちによって白蛇たちはその身を喰われてきた。そして長い生から解放されたのである。
ただし巫女たちの体も変化する。人より長く若さを保つことができるのだ。不老長寿で事故か殺されない限り死ぬことはないという。
使者の女性は祖母の姉だという。40年前に生贄にされたが白蛇を食したことで彼女は若さを保ってきたそうだ。
「さあ、私の首をはねてくれ。そしてその肉を食してくれ。それが我らの望みなのだ」
「あなたは死ぬことが怖くないのですか?」
「怖くない。むしろ死が待ち遠しいのだ。短命の人間にはわからないだろうが、死ぬことのできない身はとてもつらく苦しいのだ。我らの霊力のせいで人間たちはこの地を開発しに来ることはない。かつてこの日ノ本にはそう言った霊力を持つ獣が多く存在したが、人間たちのおかげで長い生から解放されたのだ。さあ、早く私を楽にしてほしい」
使者は鉈を持ってきた。深雪は悩んだがそれを手に取ると、白蛇様の首をはねる。そして切った部分を思いっきりかじり切り、飲み干したのだ。
不思議に生臭さを感じなかった。霊薬を飲んだような不思議な食感であった。
「ありがとう、解放してくれて……」
白蛇の斬られた首は礼を言うとそのまま消えてしまった。深雪は突如身体が熱くなった。まるで石炭をくべられたように全身が燃えるようであった。
彼女はそのまま気絶してしまった。
☆
目が覚めると彼女は屋敷の一室に寝かされていた。運んだのは使者と使用人たちだ。彼らは人間ではなく霊力を持ったカエルの化身らしい。白蛇様と違い、寿命はあるようだ。他にも家を建てる大工や、道具を作る職人たちも屋敷の外で暮らしているという。
白蛇の屋敷は四季彩であった。食べ物は使用人が採れたて新鮮なタケノコやキノコに、川からはアユやヤマベなどを釣ってくる。たまに鳥を取ってきたりしてきた。
屋敷には生贄になった女性たちが仲良く暮らしていた。中には初代の生贄の女性もいた。こちらは年老いた老婆だが、ふっくらと優しく太っていた。
そして白蛇の子供たちが人の姿で暮らしており、女性たちと遊ぶことが多かった。十数人おり、成人は一人しかいなかった。その成人が20年後に白蛇の巫女に食われるという。その日が待ち遠しいと言っていた。
深雪は使用人とともに山菜を取ったり、子供たちと一緒に鞠つきをしたり、歌留多などで遊んだりしていた。女性たちとともに若の勉強をしたり、絵を描いて過ごしていた。とても穏やかな生活であった。
たまに屋敷の外に出て、職人たちの仕事ぶりを見学するなど充実した日々を過ごしていた。
やがて40年の月日が経った。初代はついに寿命が尽きて亡くなったが、とても穏やかな死に顔であった。20年前には妹の陽向の娘が生贄として迎えられた。彼女は母親にいじめられていたという。陽向にとって何もない田舎に縛られた生活は地獄のようであったようだ。その不満のはけ口をぶつけられたのだが、当主である父親が守り続けたという。
母親は使者の顔を見た途端、発狂したという。座敷牢に入れられた後、顔をかきむしった挙句、首をつって死んだそうだ。
深雪は生贄を迎える使者を命じられる。牛車は彼女の言うことをよく聞いてくれるのだ。
40年ぶりの実家はまったく変わっていなかった。彼女は巳神家に上がった。
祖父は亡くなっており、当主の父親はすっかり老人となっていた。頭は禿げ上がっており、枯れ木のような体だが、背筋はぴんとしていた。
妹の陽向は53歳になったが、その顔は醜く歪んでいた。性格の悪さが内側からにじみ出てきたようだ。目つきは悪く、人に嫌悪されやすい顔立ちになっていた。夫は婿養子なのか気が弱そうであった。さらに気の強そうな女性と、気の弱そうな男性が座っていた。陽向の娘夫婦なのだろう。
さらに隣には意地の悪そうな15歳の少女が座っていた。そして白無垢を着ているのは13歳ほどの少女だ。深雪と同じ左頬に赤い痣がある。二人は陽向の孫のようだ。
「私は白蛇様の使者です。お迎えに参りました」
深雪は正座をして頭を下げた。父親は深雪の顔を見たがにこりと笑った。40年経っても娘の顔を覚えていたのだ。
そこに陽向が深雪の顔を見た。すると彼女の顔は醜く歪む。40年前に生贄になったはずの姉が生きていたのだ。しかも彼女は若いままである。
「なっ、なんであんたが生きているのよぉぉぉぉぉぉ!!」
陽向は発狂した。自分は年老いたのに、死んだはずの姉が生きていて若さを保っていた事実に耐え切れなくなったのだ。彼女は使用人たちによって引っ張られていった。娘や孫は何事かときょとんとしていた。
……ああ、心の醜い女たちは因果応報を受けたのだ。家族の不幸を願い、自分だけ幸福を求めた結果がこれなのだ。深雪は祖父と父親が自分に優しい笑みを浮かべた理由を理解できた。
だが深雪の気持ちは晴れなかった。彼女らが発狂した挙句、みじめな死に様を遂げても心が軽やかにはならなかった。あるのは死に対する憧れであった。
人外物ですが、安易に恋愛にせず、自身を食させることで死ぬことを選ぶ方がいいと思いました。
心が醜い姉妹たちが、若さを保った生贄の女性を見て嫉妬で発狂する話が面白いと考えました。