2024年1月23日 どく
競争や競技、試合や勝負は苦手である。他人事であれば楽しく見ることもあるかも知れないが、いかんせん優劣が決まるのに苦手意識がある。
何故か。自分が一番にならないとわかっているものに労力をさきたくないからである。努力すれば、一番になることが出来るものはあるだろう。ましてや、限られた範囲ならば簡単に。しかし、私は努力が嫌いだ。いや、努力する結果をわかっているのにわかっていないのだ。
この矛盾する認識はどうしてあるのか。記憶力の低い私にはなんともしがたい難問ではある。が、これではないかと思うことはある。ただ、それは的外れなものではないかと思わなくもない。それほど答えとは言いづらいものではある。
何か。教育環境によるものである。競争を勝負を強いられてきた訳ではない。ただ、比較されてきただけである。他人には親と比較され、家族には妹と比較されて、私が優れているものなど何一つない話ばかり覚えている。
さて、人間は失敗を嫌なことをよく覚えているものだと聞く。私は反抗心や対抗心なども叩かれてきたのか、きれいさっぱり成功体験なんぞ一つも覚えていないのである。ましてや、他人に誉められることにすら嫌悪感を抱くほどだ。成功したわけではなく、副産物であるのだから。
言い訳に過ぎないだろうと言う人もいるだろうが、私にとってはたぶんこれが競争や勝負が苦手な理由である。勝てば嬉しいとは思うが、やはり純粋に喜べやしない。自分の、仲間の、欠点や失敗などのあら探しをしてしまう。
私が優れているはずがないのだから。と思うから。