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ゆめうつつをつづる  作者: 稲波 緑風
2024年1月
78/720

2024年1月5日 どく

 心が押しつぶされそうになるのは、自分勝手な感情の問題だろう。そう思い込みたい。事実であっても嘘であっても。本来こういうのはカウンセラーを見つけて話し合うのが一番だし、そうでなくとも家族・恋人・友人らと話すほうが良い。しかし、私は私が大嫌いで大嫌いで大嫌いでこの世から消えてしまえばいいのに。と思っているほどには自分自身を信じていない。だから話ができる相手を作っていないのである。

 まあ、それで鬱々としてこんなところで書きなぐって発散してみようとしている時点でバカまるだしのマヌケであるわけだが。

 日常の中でいちいち自分と家族との共通点・相違点を気にしてしまっているのは、自分自身で自分の感情(思考の仕方と言っても良いのかもしれない)の教育をし直そうとでもしているのだろうか?そう思ってしまいたくなるくらいには、過去と現在の差と感情と言動の差を気にしてしまっている。過去といっても、私の最低な記憶力である。ふんわりとこうであったような?程度の記憶と照らし合わせているので、そこまでではないと思う。だが、現状の私の感情形成の中には、必然として家族の影響が多分にあるはずなので、その影響との照らし合わせをしている。

 現状、“常識”として必要な形成をされている感情と「常識」として置かれている感情の差は大きい。このずれをどう修正するのか、受け入れるのか、すり合わせをするのか、が目下の課題になっている。家族も関係者も特にそのずれに対して問題意識を持っていないようなので、余計に私自身がおかしいのだろうと感じている。

 ずれに対して解決しようとしても、堂々巡りしかしていないのは自覚しているし、そも何が問題なのかすらわからなくなってもきているのだからたちが悪い。

 まだどうにかなっているからいいが・・・本当にダメなときはカウンセラーを探そう・・・なんてことすら、毎度のことになっている。

 未だ終わらない迷走は私が私でいられなくなるまで続くのかもしれないけれども。

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