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2025年11月6日 毒
なかなか片付かない。
断捨離が上手くいっていないのは、生きることに執着心があるからだ。
いらないのに、なくなっても問題ないのに、本能にあらがえない。
人間であることを求めて、人間であることを誇るのならば、本能を抑え込むことくらいしなければなるまい。
人間である以上、”人”ではなく”人間”である以上、知恵をもって、知識を持って、知能を持っている生き物として存在しているのならば、生存本能くらい制御出来てもおかしくはないと思っている。
でも、私はまだ本能を制御出来るほどの精神も、知恵も知能も足りていない。人間として未熟なのだろう。
この歳にもなって、人間的に未熟であるなど、私は存在を拒否したくなるものなのだが。
世間ではそうはいかない。
私が私であろうとするならば、己の存在を拒否してしまえばいいのだ。なのに、私は”社会”にすがって、己の存在を肯定したがる。
故に、私は私を認められずに、私は私を拒否出来ない。
そして、未だに意地汚く生きている。
何も、何も、なくならない。
未だに乱雑な部屋が存在し続けている。




