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ゆめうつつをつづる  作者: 稲波 緑風
2024年1月
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2024年1月1日

 あけましておめでとうございます。

 新年早々、地震大国の名に恥じない速報が流れてきた。

 私は影響のないところにいるので何とでも言えてしまうから言うのだが。

 雪が降っていなくてよかった。

 朝早くでなくて良かった。朝食時でなくて良かった。昼時でなくてよかった。

 休みの日で良かった。(家族がばらけていないだろうから)

 元旦で良かった。(年始休業の店が多くて人が分散していないだろうから)

 現地の人たちは寒いだろう、怖いだろう、不安だろう。だからといって、今すぐ駆けつけることも手助けすることも無謀でしかなくて、なんとか逃げていてくれよと祈ることしかできない。

 地震がある程度落ち着いてきたら、被害の状況がわかるようになったら、ほんの少しだけ何かをしよう。出来ること以上のことはかえって迷惑になるのだとわかっているから。

 皆が記録するだろう。だが、記憶し続けるのは難しい。

 戦争のことも、阪神淡路大震災も、東日本大震災大津波も、新潟中越地震も。

 あさま山荘事件も、オウム真理教の一連の事件も、神戸連続児童殺傷事件も、相模原障害者施設殺人事件も、京都アニメーション放火殺人事件も。

 村八分も、アイヌ差別も、在日差別も、沖縄問題も、ハンセン病の隔離も。

 当事者でなければ忘れていってしまうだろう。

 心が寄り添えなければ忘れていってしまうだろう。

 それでも良いのかもしれない。忘れたい当事者もいるだろうから。

 それではダメなのかもしれない。よい教訓も忘れてしまうだろうから。

 「まだ記憶に残っているものがあるから、今回は対応ができたからよかった。」

 そんな声が出ていればいい。そんな声が上がり続けるような対応を行政が国ができるといい。

 私は結局他力本願で祈ることしか今は出来ないけれども。

 今年が地震大国の名を誇るような年にならないことを祈りたい。

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