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ゆめうつつをつづる  作者: 稲波 緑風
2025年9月
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2025年9月11日 どく

 思いを口に出す。それは難しいことではない。

 思いを他人に打ち明ける。これは案外難しい。

 自分の感情にしっかりと名前を付けてしまえば、打ち明けることは簡単だろう。説明に困らないからだ。

 自分に向けるだけならば、つたない言葉も関係はない。


 そんなに単純なことだろうか?

 そもそもの話、感情がどんなものであるのか、向き合う訓練すら、教育課程にない日本人にとって、自分の感情とはどんなものであるのか、それを知ることから始めなければならない。

 だからこそ、いろいろな思考法やら記載術やら、考え方から話し方まで、千差万別で玉石混交のものが、転がっている。(私個人の視点から見ての話である)

 自分に合ったものを探すのだけで、時間もお金も体力も気力も使い果たしてしまいそうに感じるくらいだ。

 しかし結局のところ、適当に感情をぶつけてもわかってもらえる相手がいるか、「誰にもわかってもらえるわけがない」とあきらめているかの、どちらかに大まかに分類されていないだろうか?

 いや、ものすごく大雑把なことを言っている自覚はある。これを否定しない人間のほうが少ないだろうともわかっている。

 それでも、私はこっそりささやく。

 自分の感情を言葉にするってことを、親の世代から教育し直してくれやしないか、と。

 親が出来ないことを、子どもがするのは大変なのだ。

 親の理解もないならば余計に子どもが苦しむだけだ。

 まあ、叶わぬことだともわかっているけれども。

 (私自身が勉強し直せって? 子どもなんて産むつもりないもの。子どもに暴力ふるうだろうと、自覚している親に生まれた子どもがかわいそうだろう?)

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